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『良き生を送る者』

ゼン蛍と子供の話です。
名前のあるオリジナルキャラクターが出てきます。

スメール魔神任務時点での登場人物の年齢を蛍16歳、アルハイゼン24歳と仮定している前提です。



本棚の本を端から端まで全部取り出して、規定の順番に並べてまた戻す。
コーヒーを淹れようとしてやめて、匂いがキツくないが味がしっかりと出るスメールのお茶を用意する。
それを、長椅子に座った蛍の前に出しながら何かを思い出したらしい。部屋の方へ引っ込んで、何かを引っ張り出すために荷物を移動させている音が聞こえてくる。

いつも冷静で、落ち着いているアルハイゼンが、落ち着きなく何かをしている。

蛍が今朝、ビマリスタンへ行くと言ってからこんな様子になっていた。
数日前からもアルハイゼンから行くようにと提案されてはいたのだ。
蛍自身いつからだったのか記憶していないが、風邪のような症状がしばらく続いていた。
風邪にしては咳もなく微熱が少々あるだけ。なんとなくだるさが取れなかったり、時折強い眠気があるくらいで。生活に支障が出るほどのものではなかった。
でも、アルハイゼンの気遣わしげな目を見てしまえば。
この人の憂うものをなくしてあげたいと思ってしまう。まさしく惚れた弱みである。


ビマリスタンに到着してすぐ。
アルハイゼンは蛍に、近くにあった椅子に座るよう言った。
蛍達がやってきたことに気付いた研修医が、一人の女医を連れて来る。
彼女はビマリスタンの常駐医師ザカリヤとは学生時代の同期だという。
蛍とは、薬の材料を運搬する商人の護送依頼で知り合った。
そこで何か琴線に触れるものがあったようで、蛍をいたく気に入ったらしい。ビマリスタンに蛍が行くと彼女の雰囲気が和らぐので、若い研修医達から蛍の訪問は大歓迎されていた。

「おめでとうございます」

そうして、診断を終えた女医が輝く笑顔で告げたのが祝う言葉だった。

「六週目ですね。順調のようですが、不安定な時期ですので不用意に動かれるのはお控えください」
「…ほ、蛍!身体の調子はどうだ?変なところはないか?」
「少し眠いけど、他は何もないよ」

蛍のお腹を守るようにパイモンが抱きついてきたので、背中を撫でてみる。高めの体温が伝わってきて、胸からお腹まであたたまってくる。

自分の体の中に、もうひとりいるというのは実感がまだない。
昨日だって聖樹の調査をしたいと協力を求めてきた学生について行って、スメールシティのあちこちを走り回っていたくらいだ。
あの仕事は薬剤を使用することがあるので、しばらく出来ないかもしれない。
そういえばアルハイゼンが、蛍の代わりの人間を寄越すと学生に話をしていた。

「アルハイゼンはもしかしてわかってたの?」
「違っていた場合にがっかりさせたくないから、正確な判断が出るまでは黙っているつもりだった」

アルハイゼンが、蛍に着せている薄いカーディガンの前を閉じる。軽くて保温性が良いのが売りというそれは、グランドバザールで作られたものだ。
柔らかい薄緑色で手触りも良い。

女医とザカリヤ、研修医達は慌てることもなく、いくつかの書類を取りに行ったり錠剤のようなものを用意している。

「みんな手際が…いいね?」
「いずれ必要になる時が来るから用意していたんだ」
「そうなんですよ。おふたりが結婚された後に書記官様が来られましてね…」

若夫婦が草神に言祝がれてまもない頃の話だ。
ビマリスタンを訪れたアルハイゼンは、産婦人科医をはじめとした関連する職業の人間を調べに来た。
目的は、出産やその後についての知識を実例含めて知ること。そのために医師達の話を聞き、何人かの生論派の卒業生にも直接会いに行った。
その時が来たら適切な対応が出来るように。
スメールでは無料で福祉が受けられるので、手続き等で必要になる書類も事前に全て整えて。医師達も既に準備されていたそれを、保管していた場所から取り出すだけで良かった。

アルハイゼンが各種手続きのために医師と話している間、蛍とパイモンはずっとそわそわとしていた。

蛍は眠らないようにと必死で睡魔と戦っていたから。
パイモンは、昨日の蛍がぴょんぴょんキノコを連続で何回踏めるか遊んでいたことを、絶対に内緒にしなければならないという理由で。
そわそわ…ヒヤヒヤしていると、蛍が不意にパイモンの名前を呼んだ。

「赤ちゃんが生まれたら、一番最初にパイモンに抱っこしてほしいな」
「え、ええ?オイラ!?」
「うん」

大声を出してしまったので、慌てて振り返りアルハイゼンの様子を確認する。医師とまだ話をしている。他の患者達もそれぞれの話に集中しているようで、蛍とパイモンのことは見ていない。
他の人の注意を引かなかったことに安心して、パイモンは蛍の顔のそばに近寄った。

「いいけど…お前かアルハイゼンが一番最初の方がいいんじゃないか?」
「じゃあ、パイモンが抱っこしてアルハイゼンに支えてもらおうよ。赤ちゃんがパイモンと同じくらいのサイズだったら大変だもんね」

一番大変になるのは蛍で、その蛍がこう言っているなら。
期待に満ちた金色の瞳に見つめられ、パイモンはわかったとうなずいた。

蛍が嬉しそうに笑って、パイモンのお腹に顔を埋めてくる。そのまま深く呼吸をして目を閉じた。
甘えられているような気がして、蛍の頭をぎゅっと抱きしめてやれば、くぐもった小さな笑い声が聞こえてきた。
蛍はけっこう甘えんぼうだということを、パイモンは知っている。
眠る時、寝つきが悪い蛍に「オイラがそばにいてやるぜ」と言って寄り添う夜が何度もあった。
今もパイモンがしっかりしなくてはいけない。

「マルにも伝えて、あっちも色々片付けてくるよ。オイラもそんなに詳しくないけど、他の人が出来るんだったらお前はなるべく動かない方がいいと思うんだ。だから、アルハイゼンの言うことを聞いていい子にしてるんだぞ」

洞天の邸宅の、家具の配置や買い置きの食料品。それらを蛍の安全を考えたものにしなければ。
幸い、邸宅の調度品は「移動させたい」と思えばフワフワ浮いてくれるので、パイモンは家具と体の大きさとの差を考える必要がない。

話が済んだアルハイゼンも、まるで最初から決まっていた手順であるかのように蛍を抱き上げた。

「えっ、なんで。自分で歩けるよ」
「パイモンに俺の言うことを聞くよう言われていなかったか?」

至近距離でジロリと睨まれる。
今は流産しやすい時期であること、早産の恐れなどを怒った顔で説明された。
どの国においても出産は未だ危険を伴う。スメールではリシュラボン虎による咬傷の次に産褥での死亡が多い。

銀色の巻毛を手でふわふわと触れると、アルハイゼンが罰が悪そうに顔をしかめる。

「……すまない」
「気にしないで。私のことを心配してくれているんだってわかってるから」
「いや、妊娠初期のストレスは血流が悪くなる。君にも子供にも良くないんだ」

そうなんだ、と応えながら、蛍は笑ってしまう。
蛍よりも蛍の状態のことに詳しいのが、なんだか面白かった。

「あなたとパイモンがいるから、不安に思うことがないの。ちゃんと自分の体のこと、自分でも気をつけるから安心して」

蛍に負担をかけしまったことなどないと、改めて否定する。
蛍が今思っていること、アルハイゼンが気にかけてくれているので、その分自分でもしっかり注意するということ。
優しさをもらったからこそ、蛍もその気持ちに応えたい。

アルハイゼンの家に着くと、いつものように足の間に座らせられる。
丈の長いカーディガンで足首まで包まれているので、おくるみの中の赤ちゃんのような気分だった。
そんなことをぼんやり思っていると、ぐりぐり、うりうりと頬を頭に寄せられる。
両手で蛍の手を包んで、何度も軽く握ってくる。蛍よりもひとまわりもふたまわりも大きい手。

「そんなに嬉しいの?」
「当たり前だろう」

目を細めたアルハイゼンが、蛍を抱える腕に少しだけ力を入れる。
ゆっくり、長い溜息が蛍の前髪にかかってきた。
表情の変化はあまり見られないが、落ち着いていない心地であるのが伝わってくる。
顔に出にくくて、蛍が気付けない時があるだけで。アルハイゼンは感情を素直に出す方だった。

今朝はあちこち動き回り、子供が出来たとわかった後は蛍を歩かせないようにしたり。
言語にするよりも先に、行動に感情が出てしまっていたらしい。

心の底から喜んでもらえて、蛍も嬉しかった。
その気持ちを少しでも伝えたくて、顔をぐっと持ち上げる。
蛍からアルハイゼンの唇にキスをするのは初めてだった。
いつもは照れくささが勝ってしまって、どうしても出来なかったこと。
いつもはアルハイゼンからしてもらえるのが嬉しくて、幸せで、それで満足してしまっていたから。

触れて離れようとすると、強く抱きしめられて深いものに変わる。
慌てた蛍は忘れてしまっていた。アルハイゼンが今、喜びに高揚しているということを。


それからのアルハイゼンは、通常の退勤時間より早上がりして洞天にやってきたり、蛍の体調が思わしくない日は休暇を取って付きっきりになった。
寄り添ってビマリスタンに向かうのを、市民達がよく見かけている。
書記官様は本当に奥様を大事にしていると、出入りの商人達の間でも話されるようになっていた。

邸宅にも変化がある。
マルは小さな鳥の精霊たちを連れてきて、蛍や生まれた子供をこの子達が助けると言ってきて。洞天に時折訪れるウルは、四季折々の植物のほかに、角が尖っていない調度品の設計図を持ち込むようになった。
家事についても、以前は蛍とパイモン、アルハイゼンの三人でやっていたのが、蛍がやろうとすると二人にやんわりと止められる。
蛍のお腹が大きくなる頃には、ビマリスタンへ行く時以外、洞天の邸宅を出ることがなくなっていた。

そうして、絶対安静にさせられていたおかげで、蛍は初産としては短い時間で赤ちゃんと会うことが出来た。

おくるみに包まれた新生児は、銀色の髪の女の子。
顔立ちは母親にそっくりで、瞳も同じ金色だった。

「わ、わあ……ちっちゃぁい…。あ、アルハイゼン、もっとオイラのこと支えてくれよ」
「……無理を言うな。これ以上力を入れたら潰れてしまうかもしれない」

寝台で横になっている蛍の前で、パイモンが赤ちゃんを腕いっぱいに抱えている。浮遊はせず、座って。
絶対に落とさないように、座った膝の上に赤ちゃんの背を触れさせている。
アルハイゼンはその後ろから、覆い被さるように手を添えている。
パイモンの手の下に手をやって、引っ掛けているだけの状態だ。

にぎやかな声が降ってきても、赤ちゃんはむずがることもなく目を閉じている。
その小さな顔が、ふんわりと微笑した。

「生まれたばかりなのに、笑い方を知ってるんだね。賢いところはアルハイゼンに似たのかな」
「髪の色以外は君にそっくりだ」
「ふふ。…ねえ、手を貸して」

アルハイゼンの手を軽く引っ張る。
そうっと指先を触れさせると、ちいさなちいさな手のひらにぎゅっと握られる。
意外にも強い力を、アルハイゼンは黙って受け入れていた。
知識では知っていても、実際にそうなってみると言葉が出てこないようだった。

「無事に生まれてきてくれてありがとう、アイシェ」

アイシェ──アーイシャ。古いスメールの言葉で、良き生を送る者。
私たちの娘が、安寧な良き生を送れますように。

思い出すのは翡翠色の本に残された筆跡。
平和な生活を送れますようにと、かつて願われた子供がいた。
その子とその子を愛する者が、今度は自分達の子供に同じ想いを送る。


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