17.
<春> ×月××日 雨
予言しよう、フキヨセジムは近いうちに必ず死人を出す。あれはやべーよ。あの大砲はほんとヤバい。下手しなくても掠り傷じゃすまない。ライモンシティのジェットコースターも大概スリリングだったが、あの大砲の前ではしょせん児戯。
勝負にはきっちり勝った。
*********
大砲の恐ろしさに戦慄しながらジムの出口をくぐる。
と、目の前にNがいた。
「………」
Nはどこか張り詰めた表情をしていた。俺は出口で立ち止まったままジッと上から下までNの姿を観察した。とくに怪我はなさそうに見える。普段とはどこか雰囲気が違うが、至って健康そうだ。
満足して無言で横を通り過ぎようとすると、なぜか肩を掴まれた。え、なに。なんでお前そんな恨みがましい顔してんの。黙って目で離すよう伝えると、Nは理解してくれたのか神妙に頷いた。
「──解り合うためといい、トレーナーは勝負で争いポケモンを傷つけあう。ボクだけなのかな、それがとても苦しいのは」
「いや、とりあえず離せよ」
「わかりあ──」
「わかった、わかったから逃げないから離せ」
掴まれていた肩を取り返すと深く溜息をついた。大体コイツはいつも面倒なんだけど、こうやってやけに真剣な雰囲気の時は、殊更面倒なんだよ。
できれば関わり合いになりたくない。ハッキリとそう思いつつも、一方でこういう時のこいつがどこか気になる自分を、俺はいい加減自覚し始めていた。いや気になるって、変な意味じゃねーけどな。
Nの目が、ジッとまっすぐ俺の答えを待つ。この目は苦手だ。最初は気味が悪いとしか感じていなかったのに、最近は見つめられるとやけに落ち着かない。
「……………」
目を逸らし、先程の言葉を反芻する。まるでわかりあうことなど出来る筈がないとでも言いたげな、俺たちトレーナーを非難するような。似たような問いを、何度も向けられた。
けれど──いつも思う。俺が今Nの言葉を肯定したとして、コイツは本当にそれを喜ぶんだろうか?
ものいいたげな視線を頬に感じていたが、沈み込むように考える。
暫しの間沈黙が落ち、やがてNは苦笑して肩をすくめた。
「まあいい──もう、時間がないからね。キミのポケモンと話をさせてもらうよ。……ボクは生まれたころよりポケモンと暮らし育ったからね、ヒトと話すよりも楽なんだ。だってポケモンは絶対にウソをつかない」
「う、お?」
言って、アイツは一歩距離を縮めた。ジッと見つめられたままあのえらく整った顔に近付かれると、何だか妙な気分になる。いや、妙ってのは、別に変な意味じゃねーけど。変なのはあいつのパーソナルスペースだけど。近すぎだろ。
ビックリしすぎて俺の心臓まで妙な調子になってしまった。
「ジャローダだね……トウヤはどんなトレーナーか教えてよ?」
謎の動悸に悩まされる俺から、いつの間にかNはジャローダを抜き出してボールから出していた。相変わらずあまりに悪びれのない一連の動作に、抵抗する間もない。ハッと我に帰った時には遅かった。遅すぎた。
つーか待てオイ、その質問。
「いやいやN。お前なに勝手に人のポケモンから個人情報聞きだそうと──」
「そうか、トウヤはカノコタウンで生まれ育ち母親と二人暮らしなんだね……へえ、ボクはカノコタウンには一度も行ったことがないんだ。あそこのポケモンと……トウヤの家には興味があるな」
「………………」
「今はポケモン図鑑をきっかけに世界を見聞するための旅をしている……と」
「そしてたった今現在は自分のポケモンによりストーカーに住所を特定されている……と」
「それから──そう、キミはこの間、トレーナー同士のバトルで大きな怪我をしたんだね」
「───…」
止めようと、伸ばしていた手が固まった。ジャローダの怪我は快復したものの、先日の一件は、まだ生々しく俺の中でしこりとなっている。しかしNはそんな俺に構わず、静かな口調でジャローダに語り続けた。
「だけど…だのに、それでもキミはトウヤと一緒にいたいと願っている。大切に思っている。トウヤのことを信じている──キミとトウヤは、互いに信じ合っている」
てっきり詰られるかと思った。Nの普段の主義主張を考えれば、責められて当然だと。
なのに顔を上げたあいつの俺とジャローダを見つめる表情はやけに穏やかで、俺は言葉に詰まってしまった。
けれど、胸に浮かぶ言葉はあった。
信じてる?当たり前だ。俺とジャローダだ。
小さく、Nが笑った気がした。
「すべての人とポケモンがキミたちのように向き合うなら……人に利用されるだけのポケモンを…解き放たずに、ポケモンたちと人の行く末を見守ることができるのに」
「………N?お前──、」
えらく静かな声の響きに、思わず目をみはる。あの時俺は、なんと続けようとしたんだったか。
今度はハッキリと、Nが笑みを浮かべた。たぶん俺にじゃなくて、何事かNに向かって鳴いたジャローダに向けてのものだろう。
気付けば俺とNの間にはいつも通りの距離があり、意味不明な動悸もおさまっていた。
「ゲーチスは、」
「あ?」
突然、笑顔を消して、真剣な調子でNは切り出した。真面目な顔をしていてさえ相変わらず目は死んでいる。ゲーチスは、それだけ言って、Nは言葉を選ぶように少しだけ押し黙った。
“ゲーチス”、名前だけでも不穏な響きだ。ヤツ本人による直接的被害はもちろん、Nを通しての間接的な被害も俺は散々被っている。プラズマ団の中でも最もたちの悪い男だろうと、俺はほとんど確信していた。少なくともここ最近の俺の悩みの種の元凶だ。
緊張を孕んだ沈黙の中、ジャローダがまた何事か鳴き声をあげる。ふと、Nの俺とジャローダを映す目に、迷いめいたものが仄いた気がした。ヤツには珍しいことに。
だが次の瞬間語り出したNの口調には、いつも以上の確信があった。
「──ゲーチスは、プラズマ団を使い特別な石を探している」
「石?」
「そう。その名も、ライトストーンとダークストーン……伝説のポケモンはその肉体が滅ぶとストーンとなって眠りながら英雄の誕生を待つ。そのストーンから伝説のドラゴンポケモンをよみがえらせ、トモダチになり──ボクが英雄であることを世界に認めさせ、従わせる 」
しっかりと、だが口早に、自分自身に言い聞かせるような口調だった。一度言葉を切ると、首を横にふる。
「……ボクの夢は争う事なく世界を変えること。力で世界を変えようとすれば、反発する人もでるだろう。そのとき傷つくのは愚かなトレーナーに利用されてしまう、無関係のポケモンたちだから」
Nの瞳は真っ直ぐ俺を見つめていた。いつだってそうだった。光のない目をしているくせに、いつだってこいつは俺のことを真っ直ぐ見てくる。
まるでそこに、探している答えがあるとでも言うように。まっすぐ、ただただ、ひたむきに。
突然、形容しがたい感覚に胸がざわついた。いや違う、本当は初めて会った時からずっとざわついていた。
レシラムと友達になるというNの話を荒唐無稽だと評しながら、ポケモンと別れる世界を否定しながら、それでもなぜか、Nの言葉はいつだって俺の心を不思議と波立たせる。他のプラズマ団と相対しているときには決して感じない、目を背けることを許さない、さざなみ。
この時になって、ようやく俺は思い至った。
「そう…ポケモンは人に使われるような小さな存在じゃないんだよ」
こいつの厄介さは、他のプラズマ団なんて比じゃない。
俺は今まで、何度勝負を挑まれようと、どこかNとプラズマ団を分けて考えていた。ポケモン解放という主張が同じだろうと、一員どころか組織のトップと告げられようと、並みいるプラズマ団の奥にNがいようと。こいつは迷惑で電波でポケモン大好きなストーカーで、だけど、それだけだ。なにかを傷付けたり力ずくで奪ったりはしない。チャンピオンになると宣言しながら、なりふりかまわず勝利に固執することさえもない。解放すると言いながら闘いの道具としてポケモンを利用し、力ずくで他人のポケモンを奪う他の団員こそが、厄介なのだと。
だけど、違う。
力ずくで奪うなら、こちらも力で取り返せばいい。どれだけ相手が強かろうと、こちらがもっと強くなる。ポケモンを利用してる奴等の言葉なんて、どんな御高説だろうと、結局心に響きはしない。
だけど、それは、奴等の非道な行いを前にして俺が正義でいられるからだ。何の信念も揺らがさせずに、相対していられるからだ。
厄介さなんて、他のプラズマ団員の比じゃない。ただ大好きだなんて言葉じゃ片付かないぐらい。独りよがりで、幼稚で、そのくせどこまでもまっすぐに。あいつは──
「その結果……キミたちのようにお互い向き合っているポケモンとトレーナーを引き裂くことになるのは、すこし胸が痛むけどね」
あいつは本気でポケモンのことを想って、世界を変えようとしている。
<春> ×月××日 雨
あの日からまた、あいつの姿を見ない。
べつに、だから何ってわけでもないけど。ストーカーの姿なんて見えないならそれに越したことはねーし。だけど、
だけど、なんだろう。
<春> ×月××日 曇り
ゆっくりとページをめくっていた手を止め、眉間を揉みほぐす。軽く伸びをすると、背骨がパキパキと鳴った。
俺は今なぜか、シッポウシティにいる。
あれからなんとなくNの言葉が頭を離れず、ハトーボーのそらをとぶでここまで訪れた。そして伝説のポケモンに関する文献を片端から漁った。
しかし、どれをあたっても、俺でも知っているお伽話のようなソレと大差ない情報しかない。文献によって様々な脚色がなされいくつか説も分かれていたが、本筋は似たようなものだ。パタンと本を閉じる。
やはりこんな地に足がつかない話を頼りに、世界を変えるだのなんだの言っているアイツらの頭がおかしいんだろう。
そう結論付けると本を棚にしまい、踵を返す。なんであんな奴の話を間に受けここまで来てしまったんだか。完全に無駄足だった。さっさとフキヨセシティに戻って、新しい場所に進もう。
ハトーボーをボールから出し、行き先を告げようとする。
そこでふと思い立った。
そういや、あそこも。
規則的に展示されたそれらを、ぐるりと見上げる。
ひとつひとつ順番に、立ち止まって目を通していった。
白き炎。舞い降りる黒い竜。黒い稲妻。舞い上がる白い竜。理想と真実。
双子の英雄。
ヒウンアトリエの展示コーナー。絵画に造詣が深いわけでもないので、以前は流し見しただけだった。
騒がしい都会の雑踏からここだけ切り離されたように、静かな空間。
Nやゲーチスは言っていた。伝説のポケモン、レシラム、英雄。どれだけ見つめてみても、俺にはやはりただのお伽話にしか思えない。現実味がない。
ただ最後の絵を見て、英雄は二人いたんだな、となんとはなしに思った。だから何だというわけでもないが。
しばらく眺めていると、入口から足音がした。二人分だろうか。
視線だけチラッと向けると、そこには見覚えのある姿があった。
ジムリーダーの、カミツレとアーティ。軽く頭を下げると、二人はにこやかに挨拶を返した。
「ちょうど用件が終わったところで、きみがここに入って行くのを見かけてね」
言いながら、カミツレと連れ立って歩み寄ってくる。
整った容姿に前衛的なファッション。この二人が揃うとなかなか目立つ。ジムリーダーの私生活に詳しいわけでもないが、珍しい取り合わせだと思った。
視線に含んだ意図を察したのか、カミツレが応える。
「プラズマ団のことで、少しね…情報の共有が必要かと思ったの」
「ああ…」
どこでも暴れてるもんな、アイツら。また件の青年の顔が浮かびそうになって、慌てて思考を散らす。
アーティは横に並び立つと、先ほどまで俺が眺めていた絵をヒョイと覗き込んだ。
「良い絵でしょう?これ」
「……絵のことは、よくわからない」
「詳しくなくても、感じたままでいいのさ。……んうん…ひょっとして、プラズマ団のことで気になってた?」
アーティは以前ゲーチスがこの街で伝説のポケモンについて語った時、その場にいた。察するところがあったのだろう。
まあ…と曖昧に肯定すると、得心したように頷いた。
「…それにしても、ずいぶん熱心に見つめていたね」
そうだっただろうか?自覚はない。首をひねっていると、アーティはのんびり笑った。
「まるで恋でもしているみたいだった」
ただの冗談なのだろう。わかっていたが、イラッとした。
アホらしい。ため息を吐いて、アーティの横を無言で通り過ぎ、出口に向かう。
「あう…無視かい…?」
悲しそうに呟くアーティに、カミツレは艶やかな微笑を向けた。
「フフッ…虫だけに、ね…」
展示室の温度が、少し下がった気がした。