それは、クリスマスの約一週間程前の事だった。
世間はすっかり来るべきクリスマスに浮かれきった様子で、綺麗に装飾された派手なクリスマスツリーやら可愛らしいリースやらがそこかしこに飾ってある。
空気を読んでしんしん降り出した雪を眺めながら、今年はホワイトクリスマスになるんだろうかなんてボンヤリ考えた。
俺の隣でキョロキョロと辺りを見回していたNも、感慨深げに呟く。
「凄いね、どこを見てもクリスマス一色だ」
「そーだな」
サクサクと、積もった雪を踏み締める音。あとに続く二人分の足跡。
鼻の頭を赤くして手にハーハーと息を吐いているNはえらく寒そうだ。俺も、そろそろマフラーとか欲しいかもしれない。
ふと、クリスマスツリーをどこか眩しそうな目で眺めていたNが、思い出したように俺に言った。
「サンタのおじいさん、今年はボクの所にも来てくれるといいな」
「……は?」
Nの言葉に一瞬自分の耳を疑う。
まさか、Nの奴この年になって、この図体でサンタを信じているっていうのか?いや、信じられないがコイツなら有り得なくもない。
俺は何か気味の悪いものを見るような目で、マジマジとNの顔を見つめた。
the worst X'mas
そんな衝撃的なNの発言を聞いてから一週間。浮かれていた世間一般の人間も、ついに浮かれ度合いが最高潮に達するクリスマスイブ。
気付いたら、例によって浮かれきったNが宿のベッドにデカイ靴下を吊していた。
「………なにそれ」
「え?何って、サンタのおじいさんがプレゼントを入れてくれるのに必要な靴下だろう?」
そう鼻歌でも歌いそうな程機嫌の良い声でNは言って、何故か勝手に俺のベッドにまで靴下を吊し出した。
「はい。キミの分もあるから安心してね」
「いや、いらないんだけど……」
呆れきった俺の声さえ物ともせず、Nは上機嫌で靴下をベッドの端に結ぶ作業を続ける。絵本にでも出てきそうな、毛糸で編まれたやたら大きな靴下。今時小さな子供だってこんな物をベッドに吊したりしないだろう。
「……おいN。お前がなんの本の影響を受けたかは知らないけど、サンタなんて存在しな――」
「楽しみだなぁ、サンタのプレゼント」
おい、聞けよ人の話。
俺の話を遮り、Nは毛糸の靴下を愛しげに撫でる。
「今までは地下の城にいたから入ってこれなかったみたいだけど、きっと今年はサンタも来てくれるよね?」
そう呟いて靴下を眺めるNの目には、未知の世界への羨望と一抹の寂しさが含まれていた。
ひょっとしたら、Nの奴もサンタが訪れないことぐらい悟っているのかもしれない。知っていて、それでも諦めきれない未練と、とっくに期待することを止めた諦観が奴の中には同居しているのだろうか。
ただ黙ってNの顔をマジマジと見つめる俺に、奴はまた嬉しそうに微笑んだ。
夕食を食べた後、風呂に入っているNの目を盗んでベッドに吊るされた靴下の中を覗いた。
(やっぱりな……)
先程奴が勝手に吊したソレの中には、案の定小さく折り畳まれた紙片がその存在を主張している。この手の靴下にサンタへの願い事を書いた手紙が入っているのは、やはりお約束だろう。
本来ならば他人の手紙を覗き見するのはマナー違反だと思う常識ぐらいは当然俺も持ち合わせているし、そんな悪趣味な行動は普段なら絶対にしない。流石に良心が痛む。
が、相手がNで更にその宛先がサンタとくると、俺のその無けなしの良心も機能しなかった。遠慮も呵責もなくその四つに折り畳まれた紙片を開く。
一文字一文字のパーツごとのバランスが異常に意識された几帳面、かつやたら綺麗な文字でそこに書き綴られた、ひとつの単語。
『初期値鋭敏性とカオス理論』
ん、二つの単語か?……まぁ一つでも二つでもいい。とにかく紙に書かれている言葉は、俺には聞いた事も無いような意味が解らない物だった。
いや、俺の頭が悪いんじゃないからな。アイツの頭がおかしいんだ。
その頭がおかしいアイツはやたら数式とか物理とか俺には到底理解出来ないモノが好きなので、これもその類の専門書なのだろうか。とりあえずサンタのオッサンも、こんな物をリクエストされれば困ることは間違いないだろう。
――本当に、どうしようもない奴。
来るはずもないサンタからの贈り物を想像しはしゃいでいたNの様子を思い出し、大きな溜息がひとつ漏れた。
丁度紙片を元通り折り畳み仕舞ったところで、Nが風呂から上がってきた。
「お先に、トウヤ。お風呂空いたよ」
相変わらずの上機嫌で、Nは俺に風呂を勧めてくる。
長い間湯舟に浸かり上気したNの頬は、仄かに赤い。
奴の方からするシャンプーの香りに何となく顔を背け、俺は上着を羽織り外に出る準備をした。
「こんな時間から何処か出かけるの?」
「ああ、お前は先に寝てろ」
「え?でも――」
Nの言葉を完全に無視し、外へと繋がる扉を開く。
途端に顔に吹き付ける、殺人的に冷たい強風、大量の冷え切った雪、固い氷の粒……え、氷?
「――外、大雪とあられ注意報が出てるけど大丈夫?」
マジで。
***************
翌朝、そこには初めて貰ったサンタからの贈り物に頬を上気させ喜ぶNと、風邪を引いて寝込む俺の姿があった。
体温計が指し示す温度は38・7℃。当然、N相手にマトモな看病など期待出来ない。最高のクリスマスプレゼントだよ。
「トウヤっ!やっぱりサンタは本当にいたんだね!」
「……………そうだな、良かったな」
お前の喜ぶ顔が見られて嬉しいよ。
何処にあるのか、むしろ本当に存在するのかさえ解らないマニアックな物をプレゼントに要求され、息も凍り付きそうな程クソ寒い大雪の中で本屋を五軒も梯子して探し出し、今酷い風邪で寝込んでいる健気なサンタもきっとそう思っていることだろうよ。
マジ死ねばいいのにコイツ。
「ねっ、トウヤは何か貰えたのかい?」
瀕死の俺が向ける殺意にも気付かず、Nは呑気にそう尋ねてくる。
本格的に浮かれているのだろう。こちらに尋ねておきながら、Nの手はもう昨日俺の寝台に勝手に設置された靴下だ。
期待に輝いていた瞳は、だがすぐに靴下の中に何も入っていないと気付く事で、ガッカリした色に変わった。
「……なんだ。キミは何も貰えなかったんだ」
「まぁな」
「ガッカリだね。……まぁでも、トウヤはボクと違って日頃の素行が悪いから貰えなくても仕方な――いたたっ、いたっ、いたい!」
感情の赴くままに、Nの髪を今出せる全身全霊の力で引っ張る。
禿げると騒ぐNの馬鹿に、心底禿げて欲しいと願う。ハゲろ。ハゲろ。
それでも足りずその整った顔を一発殴ってやろうと体を起こし、だがすぐ目眩を起こし結局Nに支えられた。最悪。
頬に宛てられた、冷たい手が酷く気持ちいい。なのにそれでいて、寒気と悪寒に勝手に身体が震える。
「トウヤ、寒いの?」
冷たい手が前髪を掻き上げ額に移動し、その熱さに眉を顰められる。
寒いのだろうか?そうなのかもしれない。身体が訳もなく震える。
だが額のヒンヤリとした感触は心地好くて、何もする気が起きずジッとしておく。
と、ふとNが何かに気付いたように急にその手を離し、奴のカバンの中を漁り出す。
その光景をボンヤリと目で追っていると、カバンの中から目的のブツ――長めのマフラー――を探し出したNが、ふわりとソレを俺の首にかけた。
「サンタから貰えなかったのは残念だけど、ボクからのトウヤへのプレゼント。……暖かい?マフラーで丁度良かったよ」
「……馬鹿かお前。室内で普通マフラーはしねーよ」
何でコイツの行動は一々的外れなんだか。本当に呆れるしかない。
呆れるしかないのに、何故か急に熱くなった頬をマフラーに埋める。頬が熱いのは、室内の温度が急上昇したからに違いない。
――ひょっとしたら、来年も、再来年も、そのまた次の年も、懲りないサンタはNの元を訪れるのかもしれない。
クリスマス当日に、こうやって寝込む羽目になっても。
何だか余計体温が上昇した気がして、再度ベッドに体を倒す。
すると、Nが慌てて何処から持って来たのか用途不明の桶に水と氷を入れ、その中にタオルを浸した。
何だ、コイツも案外まともに病人の看病が出来るんじゃないか――うっかり見直しかけて、だがNがその濡れたビショビショのタオルを絞りもしないで俺の額に乗せたことで、やはり全くそんな訳は無かった事に気付く。まぁ、Nの奴にそんな事期待する方が馬鹿だよな。よく見たら水入れてんのも便所にあったバケツだし。
色々言いたい文句は山程あったが、結局それを口にする気力もなく枕に頭を押し付ける。倦怠感が酷くて気持ち悪い。
Nが心配そうにこちらの顔を覗き込んで、何か自分に出来ることはないかと尋ねてくる。
(ああもう、本当最悪)
そもそも、俺はクリスチャンでもないからクリスマスなんて別に祝いたくないし。
本当に、最悪としか言いようがない。
今酷い熱を出し寝込んでいるこの状況も。馬鹿みたいにクリスマスに浮かれている世間一般の奴らも。今頃サンタという名の両親からのプレゼントにはしゃいでいるだろうガキ共も。隣で心底心配そうに、だが反って迷惑でしかない看病をしてくるNも。
鬱陶しくて仕方ない。
何より、そんなNを見てちょっと幸せを感じてしまっている俺が、1番最悪だ。
<蒼様へ>
素敵なキリリクありがとうございました!
クリスマスに因んだもの、という事でそのままクリスマスSSを書かせていただいたんですが、一日遅れてしまいすみません…!
書き直し、修正の御希望があればいつでも受け付けます(´▽`)
2010/12/26