宿に帰り扉を開けると、菫色のパンプスを履き、フワフワの長い髪に桃色の華奢な花飾りをつけ、髪飾りと同色のワンピースに身を包んだいかにも可憐なお嬢様――の格好をしたNがいた。








「ちょっ、ちょっとトウヤ!何で扉を閉めるんだい!?」
「すみません、俺部屋間違えちゃったみたいです」
今見てしまった光景を瞬間的に記憶からデリートし、開けたばかりの扉を閉めその場を立ち去ろうとする。
…が、トウヤのその動きよりも、Nが閉まりかけの扉の間から伸ばした手でトウヤの腕を掴む動作の方がワンテンポ速かった。
「は、放せ!人違い、人違いだから!」
「嘘だ!キミはトウヤだ!」
「ああ確かにトウヤだよ。だけど俺の知り合いには女装趣味のある男なんていな――」
なおも今見た光景、現実が受け入れ難いトウヤはNの手を振りほどこうと言い募る。…が、階段の奥から聞こえる他の客の足音を察知した瞬間、それどころでは無くなってしまった。なにせ、こんな格好のNを見られてしまったら不審者扱いされても抗議出来ない。
トウヤは逆にNの腕を掴み返すと、無理矢理部屋に押し込め内側から鍵をかけた。
「………お前、マジで何やってんの?」
「何って、その……」
どう答えればいいか言葉が見つからないような、何となく当てが外れたような、困り切った様子でNは眉を垂れ下げる。その表情に、困り切っているのは俺の方だと怒鳴りたくなる衝動をトウヤは必死に堪えた。
膝下まであるお嬢様御用達の可憐なワンピースに身を包んだ、Nの姿。
(……とりあえず、こんなデカイお嬢様はこえーよ)
いや違う、そういう問題でもないだろ俺。ツッコミ所は、多分ソコじゃない。
改めて、トウヤは目の前で奇天烈な格好をしているNをマジマジと見つめる。
目の前で肩透かしをくらったように、不満げに唇を尖らせているNの、顔。線の細い端正なその顔は、やや中性的な雰囲気ではあるものの決して女顔というわけではない。
そもそも、幾ら細身とはいえ180p弱もあるその骨張った身体と女物のワンピースが違和感なく同居する筈など当然なくて。今現在トウヤの向かい側で佇んでいる人物は、どこをどう見ても女物の服を着た男でしかなくて。
つまり、そう。今のNの状態を一言で表すならば――
「…………変態?」
「…………ヘンタイ?」
「[変態]性的な行為や対象が倒錯しており、異常な形をとって現れるもの」
Nは小さく相槌をうち"ありがとう、ひとつ賢くなった"と呟く。そして一拍程間を置き、ようやく意味を咀嚼したのか抗議の声を上げた。
「違うよ。ボクは変態ではないよ」
「お前、今の自分の格好をよーく見た後でももう一度同じ台詞が言えるのか?」
トウヤの呆れと苛立ちのこもった言葉に、Nもマジマジと自身の格好を見直す。
そして改めてトウヤの方に真っすぐ向き直ると、ハッキリと言い切った。
「違うよ!」
……この状況でここまでハッキリ言い切れるとは、中々見上げた根性の持ち主だな。
状況さえも忘れて、思わずトウヤは感心してしまう。
(何故…何故コイツはこの格好でここまで自信満々なんだ…?)
思わず凝視すると、奴は白い頬を赤らめて俯いた。そんな、今更恥じらわれても反応に困るんだけど。
何とも言えない気分になり、思わずトウヤは天を仰いだ。
「ーーおかしい」
「は?」
「おかしい。何でキミは喜ばないんだい?」
「……逆に何で俺が喜ぶと思ったか聞きたいんだが」
投げやりに答えるトウヤに、Nは珍しく眉を吊り上げムッとした表情になった。奴の頭の上で揺れるどう考えても不釣り合いな可愛いらしい髪飾りが、何とも痛々しい。
「何故…?それはキミが1番知っている筈だ。自分自身の胸の内に尋ねてみるといい」
「はぁ?」
何ほざいてんだ、この馬鹿。
怪訝な面持ちで見上げるトウヤに向かって、Nは何故か無駄に両手を広げてみせた。Nの動きに合わせて、可憐なスカートの裾がふわりと揺れる。
「色が白くて、細くて、顔が整ってて、髪が長くてフワフワで、世間知らずで、おまけに良いところの末裔――そう、つまり。これらの情報から打ち立てられたボクの理論によると…トウヤ、キミの好みはお嬢様で間違いない筈だ!」
「……………なぁN」
「なにかな?いい加減素直に認めーー」
「何でお前がその事知ってるんだ?」
「ーーあっ」





どうやら盗み聞きをしていたらしいNの頭を思い切り殴ってから、かれこれ20分程お互い黙りこくっている。Nはベッドの端に座って俯いて、俺は壁にもたれ掛かってそんなNのことをジッと睨みつけていた。
何故睨みつけているのか?それは、Nの奴が一向に反省した様子がないからだ。
いつもならトウヤがちょっと怒れば素直に反省して謝る筈のNが、今回は何故かトウヤが何を言っても謝ろうとする気配がない。
(何だ?俺が悪いっていうのか?)
だがそれならそれで、Nはその原因をハッキリ言う筈だろう。奴は決して臆病な質ではないし、良くも悪くも素直過ぎる男なのだ。にも関わらず、今のNは、ふて腐れたようにただ黙って俯くだけだ。
「……おい、俺に何か文句あるならハッキリ言えよ」
先程から何回もこう言っているのに、Nは何も答えようとしない。
不意にNがベッドの上で膝を抱え込み、はだけたワンピースの端から白い太ももが覗いた。……所詮男の足とは解っていても、スカートの端から見えると何故だか妙な気分になる。
相変わらず、Nは黙りこくったままでその体制から微動だにしない。
仕方なく、トウヤはNの方から僅かに視線を逸らした。キシリと、そう高くはないベッドが軋む音だけが時折響く。
「……キミが、女の子と嬉しそうに喋っていたから」
「はぁ?」
しばらくして、ポツリといつのも早口でNは呟いた。トウヤはそれを咎めようと振り返り――思わず息を呑んだ。
Nが、いつの間にか距離を詰めて自分のすぐ近くにいたからというのもある。だがそれ以上にトウヤを狼狽えさせたのは、トウヤを映すNの瞳だった。
少し上の位置から、自分を見下ろすその瞳。常はどこか虚ろな色を帯びている筈のその瞳が、今は攻撃的で、非難がましくて、それでいて縋るような何とも言えない色を浮かべトウヤを見つめている。
こんなNの様子は初めてで、何を考えているのか全く理解出来ない。それでいて、その視線は妙にトウヤの胸に突き刺さった。
何なんだよ。何で、俺がこんな思いをしなきゃいけないんだ?何で俺は今、そう――罪悪感のようなモノを感じているんだ。
「……だって、キミはあの女の子に対してデレデレしてたじゃないか。女の子の方が、キミも嬉しいんだろう?だから、ボクも――」
「馬鹿かお前。男よりはそりゃ女の方が好きに決まってるけど、野郎が女の格好したところでキモいだけだろ」
Nに対しての罪悪感、何故自分が罪悪感を感じているのか解らない焦燥感、理不尽な憤りをぶつけられているという苛立ちが、トウヤの頭をゴチャゴチャに掻き混ぜる。何なんだよコレ、何で俺がこんな思いをしなきゃいけないんだよ。
(そもそも、全部コイツのせいじゃねーか)
コイツが勝手に訳解らない事で傷付いて、勝手に変な勘違いをして。トウヤを訳の解らない感情に陥れて。

ーーそうだ、全部Nのせいだ。

「変態」
「…え?」
「キモい、オカマ、似合わん、引っ込め、電波」
「え、え?」
「馬鹿、カス、アホ、ゴミ、ロン毛…ーー」
自分では理解出来ない感情に苛まれたトウヤはーー結果、混乱した。
まるで小学生の悪口のような罵倒を、次々にNに投げかける。だが通常の人間ならアホらしくなるようなソレらは、小学生並の精神年齢のNに対してのみ効果はバツグンだった。
Nの目が次第に潤んでいき、それを堪えるように唇が噛み締められる。それを見て余計に焦ったトウヤが、ますます勢いよくNを罵る。第三者が端で見たならば、思わず手で顔を覆いたくなるような何とも間抜けな悪循環。
それに先に耐え兼ねたのは、Nの方だった。
「ごめ、ごめんね…!キミがそこまで嫌がるのなら、今すぐ脱ぐよ。だから、お願いだから嫌わない――」
「えっ、もう脱いじゃうのか?」
「うん?」
「あ……」
「………………」
「………………」
先程までは機関銃のようにトウヤの唇から出ていたNへの罵り言葉は止まり、代わりに痛い程の沈黙がその場を支配する。
……ちょっと待て、さっきの自分の発言。あれじゃ、まるで。

『もう脱いじゃうのか?』

あれじゃ、まるでーー
嫌な予感を覚えつつもそろそろとNの顔を見上げると、先程までは泣きっ面だった筈のNは、案の定満面の笑みを浮かべていた。
「なーんだ、やっぱりこの格好嬉しかったんじゃないか。そうならそうと最初からそう言ってくれたまえ」
「ば…っ、ちげーよ!さっきはちょっと混乱してて…!」
「あはは、照れない照れない」
「だから違う、つってんだろ!お前さっきのしおらしい態度はどこにーー」







"色が白くて、細くて、顔が整ってて、髪が長くてフワフワで、かなりの世間知らずで、良いところの末裔っぽい奴……ってどう考えてもお前だろうがお前、馬鹿野郎!"――とはアイツを調子に乗らせるのが癪なので、絶対に言わないでおこう。





<あとがき>
Nさんの女装は、一見男の女装、って感じで違和感バリバリだけど見慣れてくると何故かちょっとずつ可愛く見えてくる……とかだと大変萌えると思います。主に私が。


2010/12/10/


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