『先輩がそう思うんなら、そうなんじゃないですか』

冷たい声で彼はそう告げた。
あの日から、トウヤはあからさまにボクのことを避けている。









「トウヤ!ねぇちょっと待ってよ……!」
校門前でトウヤの部活が終わるのを待ってたNの存在を、彼はまるでソコに居ないかの様に扱い、通り過ぎる。声をかけたのだから、気付いてない筈はないのに。
追い縋ってその腕を掴むと、ようやく彼はNの方を振り向いてくれた。まるで今初めて気付いたかのように。
「………何の用ですか」
「なにって……」
聞きたいこと、言いたいことは幾らでもあった。何で避けるの。ボクのこともう嫌いになった?それとも最初から嫌いだった?こないだ言った事で怒っているのなら、謝るから。だから。
だけどその全てが喉の奥で塞がれた様にソコで止まってしまい、Nは言葉に詰まる。
トウヤはそんな自分に冷たい一瞥だけ投げると、荒々しく掴まれてる腕を振り払った。
「用が無いなら、話し掛けないでください」
「………うん」
俯いてしょげ返るNにトウヤは一瞬だけ気まずそうな表情を浮かべたが、すぐに元の苛立たしげな様子に戻るとNに背を向けて歩き出した。
その後を、Nは無言で付いて行く。
午前中降っていた雨の名残の、湿った空気。独特の匂い。時折響く、水溜まりを踏んだ音。
「……鬱陶しいんで、俺の後付いて来ないでください」
「ボクの家もこっちの方向だから……」
小さな舌打ちが聞こえ、またズキリと胸が痛む。
トウヤは始終無言で、いつもはあっという間の筈の帰路が今日は異常に長い。
……だから、トウヤが彼の家の前で漸くNに向かって話し掛けてくれた時は、心底ホッとした。
「先輩、どうせだから家に寄ってきますよね?」
彼の唇に浮かんだ、どこか残酷な笑みには気付かずに。






「いたい、トウヤ…ねぇ、いたいよ……」
先程からNの唇は、壊れた機械の様にソノ言葉だけを繰り返している。いたい。イタイ。掠れた声で。虚ろな瞳で。
弱々しく藻掻く腕を押さえ込まれて、耳元で冷えた声で囁かれる。"先輩は、ただの性欲の捌け口なんでしょう?"
そんなこと、言ったっけ。言ったかもしれない。痛くて、よく解らないけれど。
何の準備もせず、無理矢理後孔に性器を突き入れられた。相当キツかったのかもしれない、トウヤの顔も苦しそうだったから。
身体が嫌な痙攣をして、獣じみた悲鳴が迸る。ヒューヒューと喉が情けない音を立てて、やがて泣き喚く気力も無くなった。壊れた機械の様にただ痛い、痛いとだけ力無い声で繰り返す。
――大丈夫、痛いのは今だけだから。
いつもの様に、頭の中ではそれだけを自分に言い聞かせる。大丈夫、大丈夫だから。
これが終わればきっとトウヤもボクのことを――
……ボクのことを、ちょっとは好きになってくれるんだろうか?






身体中が、痛くて怠い。痛く無いところを探す方が難しいかもしれない。
先程までの恐怖や痛みと、漸く解放された安堵が入り混じり頭の中でグルグルと渦巻いている。時折、ジッとこちらを見つめているトウヤに何かを言わなきゃいけない様な気になって、だけどすぐまた別の思考に飲み込まれて伝えたい事を忘れてしまう。
定期的にその薄い唇を震わせては、結局何も言わずぼんやりと黙り込むNにトウヤは諦めた様に溜息をついた。
漏らされた溜息に、Nの身体がピクリと反応する。
「俺が不機嫌なの解ってるんだから、近付かないでくださいよ。……せっかく俺の方からアンタのこと避けてたのに」
トウヤその言葉は、意外なほど優しい響きを伴って発っせられた。
頭の中で何度もその意味を咀嚼しようと反芻し、結局はまた別の思考に遮られてしまう。その事に、少し苛々する。
トウヤの顔が見たい。急にそんな気持ちがジリジリと沸き上がって、だがその願いが叶う前に頭の上からシーツを被せられてしまった。
ひょっとしたら、今トウヤは自身の顔を見られたくないのかもしれない。不明瞭な、くぐもった声。
「俺だって、アンタに酷い事はあんましたくないんです」
「…………うん」
シーツの上から、彼に頭をクシャクシャと撫でられた。


(――ボクは、彼になにを望んでいるんだろう)
彼は、ボクに何を望んでいるのだろう。
シーツ越しに感じる彼の手の感触は、酷く心地よかった。






************






「……ただいま」
一歩家に入り、見慣れた玄関に僅かな違和感を抱く。一拍間を置いて、それが一月ぶりに見たゲーチスの靴のせいだと気付いた。どうやらいつの間にか彼がいるよりも、彼がいない方が慣れ親しんだ日常と化していたようだ。
リビングに入ると案の定ゲーチスがいて、だがそこでも僅かな違和感を抱いた。
その違和感の正体を突き止める前に、Nに気付いたゲーチスが顔を上げる。
「ああ、Nですか。よく帰ってきましたね」
「………ゲーチス?」
初めてだ。こんな言葉、この男の口から聞いたのは。そして何より、こんな愛しい者を見るような表情で迎えられたのは。

……目の前のこの男は、本当にゲーチスなのか?

N自身さえ気付かぬ内に、猜疑心を面に出していたのだろう。ゲーチスが肩を竦めて苦笑してみせた。
「親が子を出迎える……それだけの事がそこまで可笑しいですか?それに、その"ゲーチス"というのも感心しませんね」
「アナタが、そんなマトモな親みたいな台詞を言うなんて思わなくてね……父さん」
「……おやおや。息子の誕生日にわざわざ仕事先から帰ってきた親に向かって、酷い言い草だ」
ゲーチスのその言葉に、Nは目を見開いて固まる。
(……覚えてて、くれた?)
まさか、あのゲーチスが。
期待してはいけないと解ってはいるのに、心拍数が上昇するのを止められない。まさか、そんな、でも。
何も言えずその場でただ呆然とする息子に、ゲーチスが歩み寄る。
「あ…」
「座りなさい。少し話でもしましょうか」
彼はその大きな手で、Nの頭を優しく撫ぜた。



リビングの椅子に、テーブルを挟んで向かい合って座る。
先程、ゲーチスはNに"今まで放っておいてすまなかった"と告げた。せめてもの償いに、今日はNの誕生日を祝いにわざわざ主張先から帰ってきたと。
別に今更そんな事はゲーチスに期待していなかった筈なのに、その言葉に頬に熱が集まるのを抑えられない。
これまで、ゲーチスに誕生日を祝われた事など終ぞ無かった。というか、Nはゲーチスも含め家族や友人といった存在から祝われた事が、今までの人生で一度も無い。
同級生達の、家族とケーキを食べた。友人にプレゼントを貰った。そんな話を、いつもどこか違う世界の事のような感覚で聞いていた。
――だけど、今日は違うのか。
今まで味わった事のないような感覚に、体がフワフワする。上手く喋れない。
顔を上げるとゲーチスの優しげな表情が視界に入り、また頬が熱くなる。……だけど何故だろう。先程から、何か強烈な違和感が引っ掛かってしょうがない。
Nのその父親に対するモノとは思えない態度に、ゲーチスが"まるでワタクシは初めてのお見合い相手のようだな"と苦笑する。
「ひとつお前に頼みたい事があったんだが……その様子では無理か」
「……頼み事?」
「聞いてくれるか?N、お前にしか頼めない事だ」
「え?あ、うん。構わないけど……」
いつの間にか、ゲーチスのNに対する口調は常の丁寧なモノではなく、くだけたモノに変わっていた。まるで普通の父親が、息子に対するモノのように。その事実に気付き、また心拍数が上昇する。
Nの肯定に、ゲーチスは満足そうに鷹揚に頷いた。
「それでこそ、ワタクシの息子だ……他でも無い頼み事というのは、今ワタクシが手掛けている事業。そこでの大事な取り引き先の御子息に頼まれた事だ」
「息子に?」
「ああ。その方に、N。お前を研究所に寄越すよう頼まれた……何でもお前のような変わった"チカラ"のある人間を研究なさってる方らしい」
「……けんきゅう、じょ?」
告げられた言葉が信じられなくて、何度も頭の中で反芻する。
まるで薄いフィルターを通した様に、世界がぼんやりと霞がかった。
「別に、研究所と言っても何か変な事をされる訳ではない。ただ話を聞くだけだと先方もおっしゃっていて…―」
ゲーチスの口が世話しなく動くのを、霞がかった世界の向こう側から見詰める。彼は、何を言っているんだろう。
言っている事がよく解らなくなってきて、視線を上にずらす。穏やかな、だが力強い表情でこちらの目を見るゲーチス。

――ようやく気付いた。先程から抱いていた強烈な違和感の正体に。

フィルター越しでも解る、その紅い瞳に浮かんだ色に。
だって、ゲーチスのボクを見る目は。
(父さん)
ゲーチスの言っている事が、少しだけ頭に入る。"やってくれるな?"彼はそう締めくくり、Nの肩に手を置く。
(ボクがアナタに歩み寄る事を諦めたのは)
ゲーチスの唇が柔らかく弧を描く。少しだけ申し訳なさそうで、酷く優しい表情。
だがその表情に釣り合わない、どこまでも冷え切った目。
(アナタがボクを見る目は、"モノ"を見る目だと気付いたからです)

アナタのその瞳に映るボクが何の興味も持たれてない存在だと、気付いたからです。







数時間前まではまるで愛しい者に対するような顔で自分を見詰めていた筈のゲーチスは、Nに承諾する気が無いと気付くと途端に苦々しげに顔を歪めた。"バケモノはバケモノなりに役に立ってみたらどうだ"。最後に、それだけを吐き捨て。
トウヤとの行為で疲弊しきった身体を、ベッドに横たえる。
……何か、意味が有るんじゃないのかと思っていた。
ゲーチスが自分を疎ましく思っているのは知っていた。
だげど、それでも自分を放り出さずにいてくれた。長じてからも何不自由なく生活出来る程度の生活費は与えられていた。この家を出て行けとは一度も言わなかった。そこに、何か意味が有るのではないのかと。
何の事は無い。利用価値が出来るまでは、手元に置こうと思われていただけだ。

(トウヤの声、聞きたい)

何故だか、無性にトウヤの声が聞きたくなった。
携帯を取り出し、アドレス帳を呼び出す。殆ど登録されてないソレからは、簡単にトウヤの名前が見付かる。
トウヤに告白したあの日。犯されたショックで泣いているNの横で、トウヤは何食わぬ顔で勝手にNの携帯に彼の情報を登録していた。
一度見ただけで、頭に焼き付いた番号。
鬱陶しがられるだろうか。余計嫌われるだろうか。それでも、今だけは彼の声が聞きたくて――





結局、コールボタンを押すことは出来なかった。




2010/11/27


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