15.
<春> ×月××日 曇り
フキヨセシティに入ってすぐの所で、ジムリーダーのフウロとアララギ博士の父と名乗る男に出会った。
フウロ曰くアララギ父は世界的なポケモン博士らしいが、とてもそうは見えない気さくなオッサンだった。ポケモン図鑑もパワーアップしてくれたし俺の中での好感度は上々だ。
アララギ父が去った後、フウロはこれからタワーオブヘブンに行ってくると告げた。どうやら先程貨物船の操縦中に、塔の天辺で目撃したモノが気になるらしい。
俺も気になるし、行ってみるかな。
<春> ×月××日 快晴
7番道路の草むらを掻き分けて進んでいると、上空の一本橋からNが落ちてきた。
目の前の間抜けな光景を、ぼんやりと眺める。なぜかNの奴は呻きながらも再度一本橋に乗り上げ、そろそろと渡り出した。そうしてまた落ちる、と。頭大丈夫か?アイツ。いや、皮肉的な意味じゃなくて。落ちる時「ゴキッ」って音がしたから。
「……おい、生きてるか?」
半ば呆れながら問い掛けると、Nはビクリとその細い身体を跳ねさせ、こちらを振り向いた。
「ああ……キミか」
「バランス取んの下手なら、大人しく草むらの方歩いとけよ」
「え?あ、うん。でも7番道路の入口にいたピエロが、落ちずに一本橋を渡り切れば願いが叶うと……」
「………信じるなよそんなの」
しかもピエロが言ったことを。
ゲーチスの言った事を鵜呑みにしている件もそうだが、こいつの信じやすさは最早天然記念物レベルだ。一体これまでどんな人生送ってればこうなるんだか。
大きく溜息をつく。するとなにを勘違いしたのか、Nの奴は苦々しく顔を歪め苦渋に満ちた声を出した。
「たしかに、そうだね……自分の夢は、自分の力で叶えなければ意味が無い。キミの言う通りだよ。くっ……願い事だなんて、こんなことで英雄になれるものか」
「いや、そんな深刻な話じゃなくてだな……」
こいつほんと疲れる。ふざけてるのか真面目なのか、常に見当違いな答えを返してくるNに脱力する。前回結構シリアスに別れた気がするんだけどな。コイツほんとよくわかんねーな。
果たしてNは俺の言葉を聞いているのかいないのか、勝手に自分の中で完結するとようやく立ち上がろうとした。が、腰を上げ切る前に、呻き声を漏らし再度その場に崩れ落ちてしまう。
「いっ…つぅ」
落ちた際に怪我でもしたのだろうか、そのままうずくまり動かないNに意識せず手が伸びそうになる。
や、べつに心配したとかそういうのじゃ無いけどな?ただ流石にここで見捨てたら寝覚めが悪いし。
「おい、大丈夫か?」そう尋ねようとして、だが最後まで続けることは出来なかった。先程までは大人しくモンスターボールに収まっていたオタマロが、何故か急に勝手に飛び出したのだ。
は、なに急に。
オタマロの突然の行動に驚き固まっていると、奴は小さい体を全力で跳ねさせNに飛び付き、目を丸くするNに何かを訴えるようにビチビチ飛び跳ねた。
「ああ、心配してくれたのかい?ありがとう。……大丈夫だよ、ただの打ち身だから」
どうやら、オタマロはNの事を心配したらしい。まだすこし顔を引き攣らせながらも柔らかく答えるNに、オタマロも安心したようにじゃれつく。
傷付いた美青年をか弱いポケモンが心配し、慰める。その図は何とも微笑ましい…ことはべつにないかな。だってオタマロは顔があれだし、Nの奴は目が死んでるし。
大丈夫と答えたのが強がりかどうか知らないが、今度はそろそろと、だがしっかりと立ち上がってみせてる辺りまぁ実際大したことは無かったのだろう。
伸ばした手のやり場を無くしなんとなく複雑な気分でその一連の動作を眺めていると、オタマロがまた何事かを訴えるようにNに向かいビチビチ跳ね出した。
屈み込んでオタマロ相手に何度か相槌を打ったNは、そのままの体制で上目遣いにこちらを見上げてくる。
心なしか眩しそうに目がすぼめられ、訳もなく鼓動が跳ねた。薄い唇がなにか言葉を紡ごうとし、そして。
「大好きだよ」
「え?」
──周りの音が全て遮断されたような錯覚に一瞬陥り、その意味を理解したのは、一拍置いてからだった。
こちらを見上げる深く、暗い緑。明るい萌黄。目に痛いほどの白。まるで魅入られたかのように、その三色だけが、頭の中を塗り潰す。
直視していた緑が僅かに細まるのさえ、どこか他人事のように感じた。
「あ…」
咄嗟に沸き上がった"何か言わないと"という焦燥感。一気に思考が目まぐるしく交差して、その全てが意味を成さない内に消えた。違う、早く何か言ってやらないと。じゃないと。
「──ってオタマロが、キミに伝えてほしいって」
「……………ああ、そっち」
紛らわしいわ。
一気に知らず篭っていた力が身体から抜ける。Nのその言葉を聞いた瞬間、閉鎖されていた音と視界が戻ってきた。
勘違いへの気恥ずかしさに憮然とした面持ちになったが、Nは特に気にした様子も無いようだった。
「本当に大事にしているんだね……キミのことが、好きで好きでしょうがないんだ」
「…………あー、うん。まぁ俺も好きだよ」
Nの薄い唇が"好き"という言葉を形作る度に、なぜか妙な気分になる。なんとなく落ち着かないような、安心したような。それでいて少しだけ残念なような……いや残念って何がだよ。なにこれ、わけ解らん。
俺が自身の不可解な感情に首を捻っていると、Nはまたオタマロ相手に穏やかに語り出した。
オタマロの方も、やはり自分の言葉が通じる相手と話せるのは楽しいらしい。何か尋ねられる度にピョンピョンと身体を張って飛び跳ねて、そんなオタマロの様子にNもクスリと笑みを漏らす。
あの妙に幼い、透き通った綺麗な笑顔を。いつもの貼付けたような薄笑いとは違う、ポケモン絡みでしか見せない。
──ふと、電気石の洞穴で感じたあの不快感が蘇った。
胸の奥がムカムカして、最初見たときは純粋に綺麗だと感じたNの笑顔が、今はもう直視出来ない。
初めて見たとき、自分は何を思ったんだっけ。そう、たしか…人間らしい?だけど、Nのあの笑顔はあくまでポケモンのためだけのモノだ。人間の──俺のためのモノでは、決してない。
その事実を再認識して胸の苛立ちはますます募る。ああもう、本当わけわからん。
自分の中で渦巻くその感情が、何と名の付くモノなのか理解出来なくて、モヤモヤする。だけど別に、知りたくはない。解ってしまったら、何かが変わりそうだから。
俺の苛立ちになんてさっぱり気付かず、目の前で無防備に笑うNが腹立たしい。そんなN相手に、嬉しそうに浮かれるオタマロも腹立たしい。
何よりチラリとたまにこちらを振り返るオタマロの、俺を小馬鹿にしたようなドヤ顔が、最っ高に腹立たしい。オタマロお前、最近ちょっとハイドロポンプ覚えたからって調子乗ってんじゃねーの?
それがオタマロの地顔だということさえ失念して、苛立ちも露に二人を睨め付ける。するとようやく俺の視線に気付いたのか、Nがオタマロから視線を外しこちらを見上げた。
俺の顔を見たNはなぜかビクリと身をすくませ、僅かに顔を引き攣らせながら小首を傾げた後、オタマロと俺を交互にみる。
そして何を思ったのか、いきなり得心した様にひとつ頷くと、ポツリととんでもない事を呟いた。
「ああ…トウヤは嫉妬していたんだね」
「なっ…!?」
嫉妬、俺が?何で俺がお前なんかのために嫉妬しなきゃいけないんだよ。
自分が酷く狼狽して、顔に血液が集中しているのが分かる。だけどそれは決して図星を突かれたからとかじゃなくて、あまりに見当外れなことを言われたからだ。そうに決まっている。
Nはそんな俺の様子にも気付かず、自身の発言に納得したのか再度"うん"と頷いた。
「ボクは本で読んだことしかないからよく解らないけれど、これが嫉妬ってやつだよね」
「ちげーよ!誰がお前なんかに…──」
「キミはずいぶんこのオタマロを大事にしているみたいだし、彼もとてもキミに懐いているから、他のトレーナーと打ち解けている姿なんか見たら面白くないのだろうと思ったんだけど……」
「えっ?」
違うのかい?そう言いたげに覗き込んでくるNに、他意は無い。
自分がオタマロを取られた事で…嫉妬?先程のNの発言を、反芻する。ストンと、胸の奥に何かが落ちた気がした。
ああ何だ、だから二人を見て俺は苛立ったのか。納得だ。
自分の中の本能的なモノが"いやソレちょっと違くね?"とぼやいている気がしたが、即座に理性がそれを"違くねーよ!もう面倒臭いしソレでいいだろ"と押し込める。
「……そう、なのかもしれない」
「やはりね。大丈夫だよ、彼はキミ一筋みたいだし」
自身の考察が当たった事が嬉しいのか、Nはどこか誇らしげにオタマロを返してくる。
俺の手に渡ったオタマロはいつもの表情で、なぜか顔を赤らめモジモジしていた。悪いオタマロ、その顔結構イラッとする。
なぜだろう、オタマロに対してもNに対しても気まずい。別にふたりに責められた訳でも、何かした訳でもないのに。
気まずさを紛らすため、オタマロの頭をなしなしと撫でる。うーん、このヌルッとしたなんとも言えない手触り。ほんとなんとも言えん。
そのままうつむいてなんとも言えない感触の頭を撫でつづけていると、ふと、それをジッと眺めているNの視線に気が付いた。俺が顔を上げると、ポツリと漏らす。
「……いいなぁ」
「は?」
「……え?」
恐らく、無意識のものだったのだろう。Nは自分の発言にも関わらずきょとんと瞬きをし、そして一拍の間を置いてじわじわと頬を染めていった。それはもう、先ほどの俺以上に真っ赤に。
瞳を困惑に揺らし、「いや…え?なぜ…」などと意味のわからないことを呟きながら、首を横に振っている。柔らかそうなモフ毛が、その動きに合わせてふわふわ揺れた。
なんだこの反応?何がそんなに"いいな"なんだ?それ以前の自分の行動を思い返し──簡単に思い至った。
「なんだ、羨ましかったのか」
「…!?ち、違うよ!ボクはキミに撫でられたいなんて、まったく…──」
「はぁ?いやだから、オタマロを撫でるのが羨ましかったんだろ?お前本当ポケモン大好きだよな」
「えっ?」
Nは俺の言葉に固まり、戸惑ったように視線をうろつかせた。そしてわずかな逡巡のあと、数秒の間を置いておずおずと肯定する。
微妙に、視線を逸らしながら。
「そう……ボクはオタマロを撫でるのが大好きなんだ。この絶妙なフォルム、大きさ……手に吸い付くような感触」
「へ、へぇ…」
若干引きつつもオタマロを差し出してやると、Nは戸惑いながらも優しい手つきで撫でた。だが、あくまで視線は逸らして。
ちなみにオタマロは俺とNに挟まれ恍惚とした表情を浮かべている。その顔を見た俺の感想はあえて言うまい。
……何だろう。この一連の会話に、酷い既視感を覚える。
だが俺がその正体を掴む前に、かさりと小さな足音が響いた。
直前まで人の気配など全くなかったはずの場所に急に現れたそれに、思考も霧散し意識をそちらに向ける。
そこには、先日電気石の洞窟で出会ったNの部下──たしかダークトリニティとかいった──のひとりが、気配を殺して佇んでいた。
白日の元でのその男は、ひどく異質に映った。無意識に足が一歩後ずさる。
「Nさま…ゲーチスさまがお呼びです」
ゲーチス。温度のない声で告げられた不穏な名前に、思わず眉をしかめる。Nは先ほどまでの様子など嘘のように、落ち着いた表情で応えた。
「ああ…すぐに行くよ」
Nの返事が終わるか終わらないかのうちに、ダークトリニティ(1/3)は現れた時と同様、音もなく消える。どういう仕組みだアレ。
あとに残ったのは、先程までとはまた質の違う微妙な空気と、オタマロのビチビチ跳ねる音だった。
呼び出し。ゲーチスからの。同じ組織なんだから当たり前だろうに、これからNがゲーチスに会いにいくのかと思うといいようもなく複雑な気分になる。それが例のとんでもない嘘のせいなのか、あのどうにも性質の悪そうな男がNの部下であることに未だに違和感が拭えないせいなのか、自分でもよくわからない。
考えの整理がつかないうちに、Nはオタマロに頭をひとつ撫で──やはり微妙に視線を逸らしながら──別れを告げると、さっさと立ち去ってしまった。
去り際、すっかりいつも通りだと思っていたNの耳がまだ薄く色付いていることに気付き、なぜか鼓動がはやまった。あの観覧車の日からこっち、俺もNもどうにも調子がおかしい。
どうでもいいけど、ライブキャスター使わないのかなアイツら。
<春> ×月××日 曇り
初めて訪れたタワーオブヘブンを、俺はあまり好きになれそうにない。
べつにズラリと並んだ墓石も、ゴーストポケモンも全く怖くはない。だけど、そこで嘆き悲しむ人々は、少し怖い。
俺もいずれコイツらと同じ悲しみを、喪失感を味わう事になるんじゃないか。そんな考えが頭によぎって、馬鹿なことをと頭を振る。
フウロは俺の鳴らす鐘の音をいい音色だと、"優しくて強い人間"の音だと言っていたけど、俺にはどこか物悲しく響いて聴こえた。
<きの様へ>
9999キリリクにお応えして、オタマロ再登場させてもらいました!こ、こんなんで宜しかったでしょうか…?
御希望があればまた別の話でも登場させてみるので、遠慮無くおっしゃってくださいね(´▽`)