「は、ぁっ……も、やめて…」
淫靡な水音が部屋に響く。聴覚から侵されている気分になって、Nは思わず両手で耳を塞いだ。
前方でNの自身に手を絡めていたトウヤの、僅かに苦笑する気配を感じる。
「耳、塞ぐなよ」
「ひぁっ」
両手を引き剥がされたついでに耳の中をザラリと舐められ、思わず裏返った高い声が出る。何この声。
まるで自分のモノじゃないみたいな声に、何だか泣きたくなった。
これがトウヤの言う抱くという事なんだろうか。だったら、トウヤは嘘付きだ。だってこの行為に痛みなんて無い。
あるのは、ひたすら羞恥と気持ち良さ――そう、気持ちいいんだ。
「ふあっ…あ!」
先端を弄られ、また信じられないような声が出てしまう。咄嗟に口を覆うが、唇からは隠しきれない嬌声が漏れ出た。
トウヤの右手がNに与えるのは、決してぬるま湯の様な快感だけではない。何かゾワゾワしたモノが、身体の奥に溜まっていく。急に自分の身体が作り変えられてる様な錯覚に陥って、咄嗟にNはトウヤを制止した。
「いや、だ…ト、ヤ……こわ」
「大丈夫だって」
だがトウヤはNの精一杯の制止を一蹴すると、むしろ性器を扱く力を強くした。ちょっと、あの行為前の葛藤とか優しくするって言葉はどうなったの。脳内では思わずツッコミを入れたが、口から出てくるのは不明瞭な喘ぎ声ばかりで、とてもそんな余裕は無かった。
何かよくわからないモノが身体の奥底から溢れてくる。
もう、無理だよ。
「ほんっ…と、やめ…なん、か……でちゃっ」
「出していいから」
「やっ……ああ!」
扱く手を急に強くされ、頭の中が真っ白になった。一際大きな嬌声が漏れ、暫くしてからそれが自分のモノだと気付く。
急に身体から力が抜け、Nは頭をトウヤの肩にクタリと預けた。何か訳の分からないことが自分の身体に起こった衝撃と、謎の虚脱感でNは言葉も発さずにただ呆然とする。
トウヤはそんな人形のように呆けたNをただ眺めるだけで、Nの荒い息遣いだけが部屋に響く。
ようやく我に帰ったNは、トウヤの手が何か白濁色の液体でベタついている事に気付いた。
「…なにそれ」
「お前の出した精液」
「せーえき?」
ボクの出した?口の中で小さく繰り返すと、トウヤが怪訝そうな表情になった。
「お前、自慰とかしたことないの?」
「じい?」
「……いや、やっぱいいわ」
お前に聞いた俺が馬鹿だった。呆れとも諦めともつかない声でそう言うと、トウヤはNの後ろに手を伸ばした。
尻の間に、トウヤの精液で汚れた指が入りこむ。
「ちょっ…なにするの?」
「俺の指を、ココに入れる」
「えぁ?そんな汚いし絶対む……ひぐっ!!」
つぷりと卑猥な音を立てて、トウヤの指がNの後孔に侵入してきた。ちょ、せめて最後まで言わせてよ。
「あ…あ……ぬ、ぬいてぇ」
酷い圧迫感が、Nを襲う。痛みは最初に予想した程は無かったが、とにかく異物感が気持ち悪い。
楽になるからと俯せにされ、冷たいシーツを握りしめた。なにこれ、苦しい。息が浅くなって、何とか気を紛らわせようと枕に額をこすりつける。
「くるし……」
「ちょっと身体から力抜け」
「む、むり」
何とか言われた通り力を抜こうと努力するが、後ろの指の存在を意識する度に返って締め付けてしまう。溜息をついたトウヤが前に手を伸ばしてきた。
「ひっ、ああっ…」
性器を扱かれ身体の力が抜けた隙に、トウヤの指が体内で動かされる。トウヤの後ろをほぐす所作は、意外な程優しかった。体内で異物が動く感触に思わず息が詰まるが、身体を固くする度にトウヤは前を触ってくれる。
充分すぎる程ほぐした後、ようやくトウヤは指を引き抜いた。
「お、おわり…?」
「いや、悪いけどまだある」
「今度は何を…」
そこまで言いかけて、Nは思わず言葉を止める。トウヤが、カチャカチャと彼のベルトを外していたのだ。
「ちょ、キミなにして――」
「大丈夫、お前ならイケるから」
質問に答えず彼の性器を取り出すトウヤにNは血の気が引く感覚に陥る。だって、そんな無理だよ。指でさえ苦しかったのにその何倍も大きなモノなんて。そりゃあキミの望むことは何でもしてあげたいけど、それは死んじゃうよ。
声も出せずに顔を蒼白にして震えるNに、トウヤは舌打ちした。このまま無理矢理突っ込みかねないトウヤに、身体の震えが大きくなる。
「…ったく。こうなるのが解ってたから嫌だったんだよ」
「――え?」
「そこまで怖がられたら、さすがに続けられないだろ……」
それだけ言って、トウヤは服を整えてベッドから離れて行く。
意識なんてしてなかった。だけど、気付いたらNはトウヤのパーカーの端を掴んでいた。
「……何だよ」
「え、あ…」
「用が無いならさっさと離せ…俺も、このままだと辛いし」
「……辛いのかい?」
「当たり前だろ」
そう吐き捨てて、トウヤは視線を逸らす。よく解らないけれど、トウヤは辛いらしい。それも、たぶんNが行為を中断させたせいで。
……ボクだって痛いし辛いけど、だけど、仕方ないよね。だって、ボクはキミが思ってるよりずっとずっとキミが好きなんだから。
「顔が、見えないと怖いよ」
「え?」
「…あと、手とか繋いでくれると嬉しいな」
「……お前さ、ここでそういう事言っちゃダメだろ」
止まらなくなるんだけど。そう言って、トウヤは本日4回目のあの苦笑を見せた。
「いっ……たぁ!」
「だから言ったのに」
涙目…というかむしろもう泣きながら悲鳴を上げるボクに、トウヤが呆れた声で返した。だってそんな、ここまで痛いとは思わなかったんだよ。だけど呆れ声で返してきたトウヤも、眉根をきつく寄せ、かなり辛そうに見えた。
「い、ま…どれぐ、らい?」
「……半分?」
嘘だ、こんなに辛いのに。指とは比べ物にならない質量に、身体が悲鳴を上げる。身体を押し入ってくるソレは、今現在Nにとってはむしろ凶器に等しかった。
繋いでもらったトウヤの手を思わずぎゅうぎゅう握りしめると、トウヤは軽く握り返してくれる。だが、そんな何時になく優しいトウヤに喜ぶ余裕さえ今のNには皆無だった。
「あー…全部入ったけど」
「ほんっ…と?」
あまりの安堵に、苦しさも忘れてフニャリと笑ってしまう。トウヤがNの頭を優しく撫でた。その暖かい感触に、全身の力が抜ける。
「頑張ったよお前」
「そう…かい?」
「そうそう。頑張ったついでに、もうちょい頑張れ」
「ん?」
頭に置かれていた手が、不意にNの腰に移動する。Nが訝しげな声を上げたのと、トウヤが動き出したのは、ほぼ同時だった。
「やっ……ああ!」
「……っ」
キツイ収縮に、トウヤが呻き声を上げる。だが、衝撃と苦痛と圧迫感で今のNにはそれどころじゃ無かった。
何で急に動いたりするんだい。心構えする暇さえ与えられずに襲ってきた衝撃に、息さえ出来なくなる。苦しい。痛い。吐きそう。
ハッキリ言って、快感どころの騒ぎじゃ無かった。
「とっ……やぁ!」
お願い止めて、ちょっとでいいから動かないで。
――Nがふと目の前の光景に目を奪われたのはトウヤにそう懇願しようとした時だった。
僅かに辛そうに顔を歪めているものの、明らかにNの中で快感を感じているトウヤに。彼は、頬を赤く染め息を荒げていた。
……ふいに、言いようのない感覚がNを襲う。
「きも…ち…ぃ?」
「はぁ…っ?」
「ねぇ、ト…ヤっ、きもち、いい?」
「っ……きもちいーよ!クソッ」
そう答えると、トウヤは荒い動きでNを揺さぶった。悲鳴とも嬌声ともつかない声が、Nの唇から漏れる。
トウヤの言葉が、何度も何度も頭の中で繰り返された。気持ち良いと、言ってくれた。
ーートウヤが、ボクの身体で気持ち良くなってくれたって。
ズクリと、身体の奥が疼く。味わったことの無い感覚に、僅かに残った理性が悲鳴を上げた。
「ふぁ…や、ああ!」
先程までの痛みに対する悲鳴とは明らかに違う嬌声が、Nの唇から上がる。トウヤがNの身体を激しく揺さぶる度に、言いようの無い感覚がNの身体の奥底から沸き上がった。
「とっ…や」
怖くなってトウヤの名を縋るように呼ぶ。トウヤの手が、応えるようにNの手を握ってくれた。ボクより少し小さな手。この手が、愛しくて仕方がない。
耳元で熱い息と共に名前を呼ばれ、再び頭が真っ白になるあの感覚に陥った。
「お前、初めてなのに後ろだけでイけたんだ」
「気持ち良かったからね」
呆れとも感動ともつかない雰囲気のトウヤに返すと、何故か彼は途端に複雑そうな微妙な顔になった。
「……なんだい」
「いや…NってほんとドMだなぁって」
「…………」
ボクのことをキミはいつも空気読めないとかムードクラッシャーとか散々言うけど、キミだって大概じゃないか。
脱力して、シーツの中にくるまる。
違うと思うんだ。ボクが気持ち良くなったのは、トウヤがボクで気持ち良くなってくれてるって知ってからで。つまり、ドMだとかそういうのは全く関係なくて。
「単に、キミが思うよりもボクがキミをずっとずっと好きだったってだけだよ」
「はぁ?」
訝しそうなトウヤの声が耳に入ったけど、今はこの無性に幸せな気分のまま眠りたかった。