trick or treat!



『とりっく おあ とりーと!』

時計の針が午後11時を示す、静かな暗闇に包まれた部屋。その暗闇が支配する空間に、ふいに無数の明かりが浮かび上がる。浮かれた若い男の声に叩き起こされたのは、うつらうつらと長い間微睡み漸く深い眠りが訪れようとしたその時だった。突然の強い光りに目が眩む。
ようやく明かりに慣れた目に最初に入ってきたのは、大量のシャンデラ。そしてトウヤの寝台に乗り上げた、吸血鬼の格好をして満面の笑みを浮かべるNだった。
「……何やってんだ、お前」






*********






時は10月31日。世間一般が所謂ハロウィーンで賑わう頃。ご多分に漏れず、今このトウヤの目の前で子供みたいに笑う青年も浮かれてしまったらしい。
そのNの周りを、暗闇を爛々と照らすシャンデラがプカプカと漂っている。
……朝から、おかしいとは思っていたのだ。
低血圧なのか寝起きは最悪な筈のNが早朝からコソコソ行動し、話しかけても上の空。ずっとそんな様子で一日中過ごし、気付いたら夕飯後その姿を消していた。幼い子供でもあるまいし流石に放っておいても大丈夫だろうと気にも留めなかったが、まさかこんな事を企んでいたとは。
目の前のNの身体を覆う、首の部分の立った真っ黒なマント。そしてスラリとしたタキシード。たぶん、吸血鬼に扮したつもりなのだろう。……無駄に整った顔のせいなのか、それともN独特の妖しい雰囲気のせいなのか。その格好に違和感が無いのが、逆になんか嫌だ。しかも何を勘違いしたのか、Nのアホは腰にニンニクを着けていた。
そしてそんなふざけた格好のNの周りを、煌々と照らす大量のシャンデラ。パッと見ではトウヤにはよく分からなかったが、恐らく20は確実にいるだろう。
眠気の纏わり付く身体に鞭を打ち、何とかベッドから上体を起こした。先程と同じ台詞を、妙に上機嫌なNがもう一度繰り返す。
「トリック オア トリート」
「……とりあえずハロウィンなのは解ったとして、その大量のシャンデラはどうした」
呆れきったトウヤの言葉に、Nはふふっと笑うと返事になっていない返事を返した。
「ハロウィンにピッタリでしょ?」
「……いやだから、そのハロウィンにピッタリなシャンデラ共はどうしたんだよ」
「これだけ集まってもらうのは結構苦労してね」
相変わらず人の話しを聞かないNに目眩がする。とりあえず、ストレスは体に悪いのでその馬鹿なのか良いのかよく解らない頭を一発殴っておいた。
「いたいっ」
「それで。そのシャンデラ達は結局どうやって集めたんだよ」
「……トモダチのシャンデラに頼んで、仲間を集めてもらったんだよ。そのトモダチのトモダチのシャンデラにも知り合いのシャンデラを呼んでもらって――」
…そのコミュニケーション能力を、何故対人で発揮しない。3度目の質問にようやく返ってきた答えに、思わずトウヤは呆れた。
そんなに朝からコソコソして、こうやってサプライズを企画するほどハロウィンをやりたかったのだろうか。――ならば、そんなNの気持ちに応えてやらねばなるまい。
トウヤは元のように上体をベッドに倒すと、そのまま毛布を口元まで引き上げた。
「おやすみ」
「ちょ、ちょっと!起きてよトウヤ!」
「うっさい。ハロウィンなんてガキ臭いこと今更やってられるか」
寝てるところを叩き起こされて、何かと思えばアホらしい。
そのまま目をつむって眠る体制に入ると、Nの不満そうな声が耳に入った。
「……ガキ臭いも何も、キミまだ子供じゃないか」
ボソボソ呟く様に不平を漏らすNに反応したのか、シャンデラ共までガチャガチャ騒ぎ立した。

あー…うざい。

とりあえず寝るのは諦めて、体を起こす。途端にパッと顔を輝かせるNの姿が視界に入ったが、それは無視してトウヤは自分のカバンをもそもそと漁りだした。
目当てのモノが、指先に触れる。
そのままソレをカバンから引き出して、近くのシャンデラに向かって思いきり投げた。トウヤの投げたモノ――ハイパーボールに当たったシャンデラが、鋭い悲鳴を上げて逃げ惑う。
途端に部屋中がパニックになった。
「ちょっ…何してるんだい!」
「何って……闇の石を使わなきゃ進化しないシャンデラがこんなに沢山いるんだから、捕まえるしかないだろ。――こんだけいれば、一匹ぐらい良い個体値のヤツいるだろうし」
「に、逃げてトモダチ!」
Nが叫んだ瞬間、それまでパニックを起こしていたシャンデラ達は一斉に部屋から逃げて行った。


先程までは騒がしかった部屋が、急に静まり返る。
ベッドの横のサイドボードにあった明かりを点けると、Nが泣きそうな目でこちらを睨んでいた。
「……冗談だ」
寝台から下りて、床に落ちているハイパーボールを拾う。役割を果たせなかった哀しいハイパーボールをカバンに仕舞っていると、ふとしょんぼりと俯いているNの姿が目に入った。そういう顔をすんのはやめとけ。なんか俺の良心がチクチク痛むから。
「……プラズマ団じゃ、毎年こんな風に盛大にハロウィン祝うのが風習なのかよ」
「ううん、まさか。ハロウィンの存在自体、知ったのは最近だよ」
……Nのこういう事を何気なく言う所が、卑怯だとトウヤは思う。N自身にはそんな計算など無いのだろうが、ソレはトウヤの良心だとか罪悪感だとか、とにかく自分の心の隙的なものを巧妙に突いてくる。Nは、ずるい。
すっかりしょげ返っているNの隣に座り、フワフワした後ろ髪を引っ張る。加減したつもりだったが、結構痛かったらしい。軽く睨まれた。
ハロウィンなんて、幼い時以来だ。この年になってわざわざはしゃぐもんでも無い。…だけど、今隣に座る男がそうじゃないと言うなら、仕方ないか。
ほだされてるなぁ、俺。諦めを込めた溜息を、一つついた。
「…トリック オア トリート」
「……え?」
「悪戯されたくないなら、何か菓子よこせ」
そう言って手を差し出したトウヤに、Nはぼんやりと目を瞬かせる。だが数瞬の間を置いて、それは輝かんばかりの笑顔に変わった。


「ちょっと待ってて!」
そんな言葉を残して、Nは先程からガサゴソとカバンを漁っている。恐らく、この日のために前以て準備していたモノだろう。…全く、こんな時ばっかり計画的になりやがって。
トウヤが呆れ顔でぼんやり眺めてると、お目当ての物を探し当てたらしいNが歩み寄って来た。
そして少し大きめの紙袋から、何やら黒い物体を取り出しいそいそとトウヤの頭に付け出す。
「…おい、何つけてんだよ」
「えーと…猫耳?」
そう言って、今度は袋からやたらデカイ鈴付きの首輪を取り出す。ニコニコと上機嫌で、Nはその首輪をトウヤの首にはめた。首元で、チリンと可愛らしい音が鳴る。
……なんか、色々と間違ってる気がする。こういうのって、普通Nの方がするもんじゃないか?いや、別に見たいわけじゃ無いけど。
複雑そうな顔で自身に着けられた首輪を弄るトウヤとは逆に、Nは相変わらずの上機嫌で口を開く。
「ね、それでさっきのヤツもう一回言ってよ」
「さっきのって…トリック オア トリート?」
告げた言葉はどう聞いても疑問形だったのだが、Nはそれで満足したらしい。笑いながら、はいどーぞ、とポフィンを差し出してきた。少し不器用にラッピングされているのは、恐らくNの手作りだからだろう。僅かに焦げ目が付いてるソレが、少しだけ愛しかった。


「そういや、俺はお菓子なんて用意してねーぞ」
「ん…?ああキミはいいよ。元々ボクがキミにお菓子あげたかっただけだし」
そう言って、Nはトウヤに向けて柔らかく笑う。
…そういや、コイツ俺より年上なんだっけ。普段はすっかり忘れ去られている事実が、ふとトウヤの頭の中に蘇った。
べつに、構わないけどな。身長がいくら伸びようと、自分がいくら大人びようと、生まれた時から存在する年の差だけはどうにもならない。別段それが悔しいとも思わない。だって、Nは年なんてどうでもよくなるぐらい精神的に子供染みた奴だし。むしろ俺の方が、幼い子供を相手にしている様な気分になることが多々ある。
――なのに、どうしてだろう。
こんな風にNの方が年上なんだとふと思い出した時だけは、何故だか少しだけ…本当に少しだけ、苛々する。
俺はストレスは溜めない主義だから、すぐに発散しなければならない。主に、原因となった本人で。詳細に言うなら、今やたら上機嫌でトウヤに着けた耳をいじっているNで。
「……Nは酷いな。お前は『トリック オア トリート』って言われた人間が、その日中にお菓子を渡すか悪戯をされるかしないとカボチャに呪われるって知らないのか?」
わざと悲しそうに言えば、案の定Nは食いついた。
「ええっ!?し、知らなかったよ……どうすればいいんだい?」
「そりゃ、悪戯すればいいだろ」
あっさり返せば、トウヤのその言葉にNは難しそうに考え込む。こいつ、チョロイなぁ。ほんとアホだろ。
眉根を寄せて考え込んでいたNは、ようやく何かを思い付いたのか顔を上げた。
「……降参するまでくすぐったり、物を隠したりすればいいのかな」
Nのその言葉に、トウヤはわざとらしく溜息を吐いた。
「馬鹿だな。そういうのは小さな子供にしか許されないんだよ」
「許されない?」
「そう。本来は小さな子供にしか許されないハロウィンをやる以上、悪戯もちゃんとした大人の悪戯じゃないと許されないんだ」
大人の悪戯……そう呟くと、Nは途方に暮れたように眉を垂れ下げた。本当に馬鹿だな、こいつ。
だけど、優しい俺はそんなNの顔を見るのは忍びないので、ちゃんと助け船を出してやることにする。
「ボクは一体どうすれば…」
「安心しろ。俺がちゃんと大人の悪戯を教えてやるから」
「本当!?」
「ああ。俺だって、呪われたくは無いかんな」
そう告げて、トウヤはニッコリ笑った。




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