11.
<春> ×月××日 晴れ
昨日はプラズマ団のせいでゆっくり見て回る暇も無かったが、面白い街だな。ライモンシティは。
人口ではさすがにヒウンシティに劣るけれど、華やかさでは引けをとらない。さすが娯楽の街。
そういや、ベルの奴はミュージカルに行くって言ってたっけ。面白そうだし、俺もちょっと行ってみるかな。
親切な館長のオッサンにミュージカルの説明をされてからホールを出ると、ベルと、何故かベルの父親がいた。どうした親父さん。
入り口の前で呆気に取られてる俺には気付かずに、二人は激しい口論を始める。どうやらベルが可愛くて仕方ない過保護な親父さんと、旅を続けたいベルとの間で衝突が生じているらしい。
まぁ、親父さんの気持ちも解るけどさ。いい加減許してやってもいいんのに。ベルの奴も、この短期間で随分成長したんだ。
俺は、割って入るべきか判断に迷う。
「お嬢さん、旅を続けなさいな」
よく通る第三者の声が介入したのは、その時だった。
その第三者──カミツレとかいうやたら美人なジムリーダー──の助け舟と、ベルの必死の説得により、折れたのは結局親父さんの方だった。去って行く背中は、少し寂しそうに見えたけれど。
カミツレ、か。あの女の言った言葉を、ふと思い出す。
大事なことは自分と他人が違うことを知り、そして違っていて当然だと知っていくこと。
……あの俺をいつも悩ませる奇妙な青年の顔が、なぜか浮かんだ。
<春> ×月××日 曇り
やばいミュージカル超楽しい。
何が楽しいかっていうと、常に偉そうなクセに踊りは下手くそなジャノビーを見るのが楽しい。1番下手くそなクセに1番偉そうなのも楽しい。偉そうなクセにたまにこちらをチラチラ見て助けを求める様な目をするのが、1番楽しい。
本当可愛い奴だなお前。
<春> ×月××日 晴れ
久しぶりに、誰かに付け回されてる気配がする。いや、誰かもクソも無いな。俺のことを付け回すのなんて、あの男しか有り得ない。
横目でチラリと確認すると、やはりお馴染みの緑モフモフが自動販売機の陰から姿を覗かせていた。アイツ、前から思ってたけど尾行下手だなぁ。まずあの髪が悪目立ちしすぎる。
付けられてない間はそれはそれでNのことが少しだけ…本当に少しだけ気になったりもしたが、いざストーカーが再開されると忘れていた鬱陶しさが甦る。
近頃忙しいとか何とか言ってたのに、もう暇になっちまったのか。つい最近あんな格好良い宣言したばっかなのに。俺のことなんて構わなくて良いから、早くチャンピオンを越える作業に戻れよ。
……そんな事を念じていたせいなのだろうか。
自動販売機から移動しようとしたらしいNが、突然ごみ箱に足を取られてコケた。
「あっ」
しかも、顔面から。
間抜けな声を上げてアスファルトと熱いキスしたNの横を、笑いを堪えるOLや思わず吹き出して慌てるサラリーマンが通って行った。うわぁアレは恥ずかしい。見てるこっちがいたたまれない。
だが、思わず笑ってしまう通行人の気持ちも解る。格好良いイケメンが格好悪くコケる姿って、マジ間抜けだもんな。
流石に哀れになったが、知人と思われても恥ずかしいので、俺もさっさと通行人のフリをしてその場を去って行こうとする。
…が、数歩足を進めた所で聞こえたNの呻き声に、ふと気が変わった。
進行方向をクルリと180°変えると、Nの方に向かって歩く。
くっ、とかなんとか呻きながら若干涙目で赤くなった鼻面を押さえるNは俺に気付く様子もなかったが、目の前で足を止めると流石に顔を上げて俺の方を向いた。
「ほら、立てよ馬鹿」
「……トウヤ?」
Nに向かって手を伸ばすと、奴ははいつくばったまま目を白黒させて戸惑う。そのまま俺の手を困った様にただ見つめるだけのNに焦れて、無理矢理腕を掴んで立たせた。
特に抵抗もなく俺の力を借りて立ち上がったNは、複雑そうにこちらを見下ろした。
「…ありが、とう」
「どーいたしまして」
軽く返すが、Nの様子が微妙におかしい。どこか落ち着かない様子でソワソワしている。
転んだとこを見られて恥ずかしいのだろうか。優しさから俺が気を遣って立ち去ってやろうかどうか迷っていると、ふとNの口の端が切れていることに気付いた。
……あんま傷付けないでほしいな。コイツの無駄に顔が綺麗なとこだけは、唯一気に入ってるから。
Nの顔に手を伸ばし、唇の端に付いている血を親指で拭い取る。つい先日、野郎のモノの分際で俺のファーストキスを許可無く奪いやがった、その唇の。
なんとなく、そのまま指に付着した血を舐め取った。
「くち、切れてるぞ」
後でちゃんと消毒しとけよ。──そう続けようとした言葉は、Nの真っ赤な顔を見た瞬間途切れた。それはもう、全身の血を集めたのではと問いたくなるほどの、盛大な赤面を。
これまで、多少顔を赤らめているのは見たことがあっても、こんな状態のコイツを見るのは初めてだ。思わず、俺の方が動きを止めて凝視してしまう。
「……どうした?」
「あ…いや、これは……」
そう言って、Nは言葉を詰まらせる。自分自身でもその状態に戸惑っているのかペタペタ顔を触ると、俺の視線から逃げるよう顔を逸らしまった。
「ど、どうやら…その、ボクの心臓の全身に血液を送り出す機能が異常をきたしたみたいで……」
「へぇ…そりゃ大変だな。病院行った方がい…──」
「そ、そうだね!今から行ってくるよ!」
俺の言葉を遮りそれだけ告げると、Nはクルリとこちらに背を向け脱兎の如く走り去っていってしまった。
……変な奴だな。まぁ、今更か。
バトルサブウェイに入ると、偶然会ったチェレンに「顔がニヤけてるよ。気持ち悪い」と言われた。アホ毛引っこ抜くぞ。
…ニヤけてるか?先程のNと同じように自身の顔をペタペタと触ってみるが、よく分からない。
自分でも気付かない内に、何か良いことでもあったかな。