仕返し




俺の大事に大事に本当に大事に取ってあったヒウンシティのアイスが、何故か気付いたら冷蔵庫から消失していた。3時間も並んで買った、あのアイスが。
犯人は分かっている。アイスの入った冷蔵庫がある部屋にいたのは、俺以外にはアイツだけだ。
というか、そもそも俺とアイツだけで2人旅をしているんだから、俺が食べてないなら犯人はアイツ以外有り得ないのだ。さすがのアイツにだって、それぐらいは解ってた筈だ。
それなのに、あの馬鹿は食べてないと言いやがった。しかも俺から不自然なほど目を逸らして。
無理矢理顔を掴んで強制的にこちらを向かせると、今度は両目をギュッと固く閉じる。そして事もあろうに、「知らないよ。キミが食べたの忘れてるだけなんじゃないかい」等とほざきやがったのだ。



別に、アイスを食べられた事にそこまで腹を立てた訳じゃない。…いや、かなり腹は立てたが。
だけど、一発殴るだけで許してやる予定だった。
俺が死ぬ程腹を立てたのは、普段はガキみたいに素直な筈のアイツが、最後まで本当の事を言わなかったからだ。







「トウヤ、その…ボク、そこまでキミを怒らせる様なことしたかい」
自分の胸に手を当てて聞いてみろ。そう思うが、返事は返してやらない。俺が本のページをめくる音だけが、静かな空間に響く。
3日も続ければ流石に効果も出るらしい。自分の言葉に何の反応も示さない俺に、Nは傷付いた様にシュンとうなだれた。


今でこそこんな風にしおらしい反応を返してくるNだが、初日は全く堪えた様子が無かった。
というか、そもそも無視されてることに気付いて無かった。
いつも通り気まぐれに纏わり付き早口でベラベラと自分の言いたい事だけをまくし立て、返事が無くても特に気にした様子もなく、また自分のしたいことに熱中する。大方、呆れられて返事が無いんだろう、ぐらいにしか思ってなかったんだろう。
元々そういう奴なのだ。良くいえば自分の信念を貫く、悪くいえば周りを省みない。
そんな相手に無視なんてガキ臭い事をいつまでも続けているのも、次第にアホらしくなってくる。
…そんな時だった、アイツに変化があったのは。
俺の返事が無いことに次第にソワソワし始め、事あるごとに「で、トウヤはどう思う?」と俺の意見を伺ってきた。それに何も返事をしないと、今度は袖を引っ張ってきたり、妙に絡んでキスを仕掛けたりといった事で俺の気を引こうとしてくる。
それでも何の反応も返さない俺にしばらくはあの手この手で奮闘していたNだったが、ついに「なんで無視するの!?」と怒り出した。
Nが怒る姿なんて滅多にお目にかかれないが、俺からしてみればただの逆ギレだ。キレるNを無視してさっさと部屋を出ていく。
Nの「トウヤ…?」という心細げな声が後ろから聞こえたが、構わず部屋を出て行った。


その晩、ようやくNがアイスの件を謝罪した。
「あの……ごめんね。嘘をついた件は謝るよ。…ボクが悪かった。キミがそこまで怒るとは思わなかったんだ……だけど聞いて。その…それには、ワケがあって……」
俺の目の前でぺたりと正座をすると、親に叱られた小さな子供の様にしょんぼりとして告げる。
いつになく反省した様子のNに、流石にもういいか…という気になった。
だが漸く俺が口を開こうとしたその時、急にNがふて腐れた様な顔をした。
「でも、元はといえばキミが悪いんだ。大体いくらなんでもアイスぐらいで大人げ無いよ」
……本当に、俺の神経逆なでするのが上手い奴だな。
その夜は結局、それきりNの方を一瞥もしなかった。


今朝起きると、Nはやけにしょんぼりとした様子でポケモンにボソボソと語りかけていた。
ポケモンと話しているというのは分かるのだが、傍から見ているとポケモン相手に独り言をぶつぶつ言っているようにしか見えなくてかなり怖い。
なるべく避けて行動していると、背中に時々縋るような視線を感じた。
しばらくは気付かないフリをしていたが、意図せず眼差しがNの方に流れる。
Nの奴は膝を抱え込み、そこに額を押し付けて椅子の上で小さくなっていた。俺の視線に気付いたのかふっと顔を上げたが、こちらが目を逸らすとまた哀しそうに顔を伏せた。長い睫毛が、白い頬に影を落とす。
しばらくはそんな様子で大人しくしていたNだが、昼頃になって急に思い立ったように宿を出て行った。


そして今、ヒウンアイスを並んで買ってきたNが自分の前で悄然としている。
本を読むのを止め視線を投げかけてやると、漸く俺の反応が得られて嬉しいのかNの顔がパッと輝いた。
「あ、あの…アイス、買ってきたんだけどさ……これじゃ、許して貰えないかな…?」
そう言って、Nは眉尻を下げ困ったような表情を浮かべた。
哀願するようなNの顔なんて、滅多に見れるものじゃない。基本的にNは、俺がどんな雑な扱いをしても気にせず平然としているか、「酷いなぁ」と苦笑して流すかのどちらかが殆どだ。
…だから、と言う訳では無いが、ふと急に、Nがこのまま無視し続ければどこまでするのか興味が湧いた。
何の返事もせぬまま黙ってまた本に視線を戻すと、Nは焦ったようにまくし立てる。
「これじゃ、許してくれない?どうすれは許してもらえるかな……ボク、本当にどうすれば良いか分からなくて…こんな事しか、思いつかなくて……」
最後の方は若干涙声だった。それきり、俺の返事を待つかのようにNは押し黙る。
そうしてまた、本のページをめくる音だけがパラッ…パラッと部屋に響いた。既に、本の内容は頭に入っていない。
普段は饒舌なNに黙ったままただジッと見つめられると、かなり居心地が悪い。ついに耐え切れなくなり、本を閉じ立ち上がった。
隣でNのホッとした気配を感じたが、そのまま横を通り過ぎ出入口に向かう。扉に手をかけた時、アイツのまるで捨てられた子犬みたいな縋る視線を背中に感じ取ったけれど、振り切って部屋を出て行った。
正直、流石にもう怒ってないんだけどな。何となく、話しかけるタイミングを失ってしまった。








**************









 アトリエで小1時間ほど時間を潰し店から出ていくと、視界の隅に見慣れた緑のモコモコが映った。
その緑は地べたに座り込み、野良ヨーテリー?らしきものと何やら話し込んでいた。通りがかった通行人達が、奇異なモノを見るような視線を投げかけていく。
多分、俺の後を付けてきたは良いがどう話かければ良いか分からなくて、店の前をうろついている内にあのポケモンと会ったのだろう。

アイツは店から出てきた俺にも気付かず、ヨーテリーとの会話に熱中している。ざわめきで何を話しているかは聞こえないが、宿では悲しげな暗い顔をしていた筈のアイツは、今はヨーテリー相手に満面の笑顔を浮かべていた。俺にさえ、滅多に見せないような笑顔を。
思えば、初めて会った、どこか張り付いた様な薄笑いの表情しか浮かべてなかった頃からポケモン相手にはよくあんな笑顔を浮かべていた。旅を経て経験を積んだらしいアイツは大分人間らしくなっていたが、それでもあそこまで表情を崩すのなんてポケモンを除けば俺ぐらいだ。その俺にさえ、滅多に無い。…ソレを、ポケモンはいとも簡単に引き出す。
やっぱり、ポケモンはアイツにとってどこか別次元で特別な存在なのだろう。
そんなの今更解りきってる事だし特に気にするような事でもない筈なのに、何故か急に胸の奥がムカムカし出した。
苛々する。僅かに顔を赤らめて笑っているNにも、信頼しきった様にNに身体を預けているヨーテリーにも。
足早にそちらに近付いていき、未だに自分に気付いていないNの背を思い切り蹴り付けた。
「いっ…たぁ!?」
慌ててこちらを振り向き目を白黒させているNの腕の中で、ヨーテリーがキャンキャンと喧しく吠える。中々勇ましい様子だったが、一度睨みつければ尻尾を巻いて逃げて行った。
ポカンと口を開いて間抜け面を晒すNにクルリと背を向け、そのまま歩き出す。後ろで慌てて立ち上がり追いかけてくる気配がした。
「トウヤ……待って!」
Nの呼び止める声が聞こえるが、そのまま聞こえないフリをしてスタスタ歩いていく。だが、数メートルも歩かない内に歩みを止めることになった。

「お願いだから、待ってよ……」
耳元で、少し掠れて今にも泣きそうな囁き声が空気を震わす。柔らかい癖毛が頬を撫でる。
数秒間が空いてから、後ろから抱き着いてきたNの体温がじわじわと背中に染み込んできた。まだ少し寒さが残っている春の夕方に、その体温は気持ち良かった。
通りを忙しなく歩く人々が、擦れ違い様にこちらにチラチラと視線をよこす。
「……恥ずかしくねーの?こんな通りで」
「恥ずかしくないよ」
俺が恥ずいんだけどな。即答したNに心の中で反論するが、何故か口に出す気にはならなかった。きっと、何となくこの体温が心地好いからだ。
Nの奴は緊張しているのか、耳元で「トウヤが話してくれた…でもこのままボクの相手をしてくれる確率は、トウヤをxとして数式に当て嵌めると……」等と訳の分からないことをブツブツ呟き出した。耳元で喋られると、くすぐったいから止めてほしいんだけど。
小さく溜め息をつくと、後ろの身体がビクッと反応した。いつもこれぐらいしおらしいと良いんだけどな。ああでも、そんなNは気持ち悪いか。
そんなことを何とは無しに考えていると、後ろから回された腕に急に力が込められた。背後で口を開く気配がしたが、躊躇しているのかあー…とかうー…とか呻き声しか聞こえてこない。
痺れを切らして回された腕を撫でてやると、安心したのか後ろの身体から力が抜けた。…べつに、お前のためじゃ無いぞ。
漸く話し出したNの声は、小さく震えていた。
「ボクのこと、もう嫌いになったの…?」
べつに嫌いになんてなってない。俺はただ、ちょっと仕返しをしてやろうとしただけだ。そう伝えようと口を開いた瞬間、後ろから伸びてきた手に口を塞がれる。
無理矢理首を回して抗議の視線を送るが、Nは眉根を寄せ今にも泣きそうな顔になっただけだった。
「キミに嫌われるつもりなんて無かった。……少し、仕返しをしようとしただけなんだ」
仕返しだ?お前が俺に?怪訝そうな顔を作ると俺の思いが伝わったのか、Nは泣きそうな顔のまま無理矢理唇だけ歪ませる。
「そう。……この前ライモンシティに行ったときさ、キミ女の子と2人きりで楽しそうに観覧車乗ってたでしょ」
…おいちょっと待て。何となく話しの筋が見えてきて、口に宛がわれたNの手を無理矢理剥ぎ取る。
「べつに、そんな楽しそうとかでは無かっただろ」
「でもすんなり乗ってたじゃないか!……ボクと乗るときは、いつもスッゴく嫌がるのに」
「いやだって野郎二人だし…」
気になるだろ。係員の目線とか。
俺としては誘われたし何となく成り行きで乗っただけだったのだが、Nとしては一大事だったらしい。それこそ、慣れない嘘をつこうとするほど。
「なに、それで腹いせに俺のアイス食べたわけ?」
「うん……」
「…アホらし」
なんだか急に体中の力が抜けてしまい、後ろのNに体重を預ける。俺より若干身長は高いものの細身のNは、俺の体重を支え切れずによろめいた。
そのNを逆に腕を掴んで支えると、そのまま手を掴んで宿に向かって歩き出す。繋いだ手は、少しだけ冷たかった。
「ト、トウヤ…?」
「帰るぞ」
「え?でも……」
やはり擦れ違う通行人の視線は飛んできたが、今度はもう気にならなかった。
戸惑うNの手を無理矢理引っ張り、人混みを掻き分ける。
Nの呼びかける声が何度か耳に入ったが、聞こえないフリをして進んでいった。


数回人にぶつかりそうになりながらも何とか広場を出ると、漸くNの方を振り返る。人混みに慣れないNは息を乱して佇んでいた。
本当に、ほっとけない奴だよなぁ。
「あのさ」
「な、なに…?ていうか、キミ急に歩き出したりして……」
「俺が一緒に観覧車乗りたいの、Nだけだから」
そう言うと、Nは目を見開いてから何度か瞬きする。
クソッ顔が熱い。こんなことを言わなきゃ気付かないNの馬鹿に怒りが湧く。

……だけど次の瞬間見たことも無い顔でNが笑ったので、何だか全てがどうでもよくなってしまった。





Nさんはヨーテリーにトウヤくんのこと相談してました


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