薬の効能
「何ですか、それ」

僕が翳す物を見て、千鶴ちゃんは怪訝そうな表情をした。僕の手中には液体の入った透明な瓶がある。

「ん、行商の人から買ったんだ。何か、面白い薬なんだって」

千鶴ちゃんは《薬》という単語にあからさまに反応を見せた。

「薬……ですか。でも、綺麗な色ですね。土方さんの瞳の色みたいです」

言葉に反応したのは今度は僕の方だった。

確かに瓶の中にある液体は綺麗な紫色で、それは土方さんの瞳の色のようだと言われればそう思えなくもない。けれどそれは、言われれば、だ。

──言われなきゃ思い付きもしない。

なのに、千鶴ちゃんの頭の中には直ぐに土方さんが浮かんでくるのだ。

「ねぇ……千鶴ちゃん、飲んでみてよ」

むくりと湧いたのは悪戯心ではなく、苛立ちだった。

「え……えぇっ?」
「大丈夫。怪しいものじゃないし、どうせ嘘だから」

僕は瓶を千鶴に押し付けながら言ったのだが、千鶴ちゃんは困惑の表情を浮かべているだけだ。

けれど、飲まないと恐ろしいことが待っていると思ったのか、薬というのは僕のいつもの冗談だと思ったのか、彼女は瓶に手を伸ばした。

「大丈夫。死ぬとかじゃないから」

売ってもらうとき、行商の親父さんがそれだけは念を押してくれた。というか、こんな胡散臭いもの、信じているわけもない。

──どうせ、ただの飲み物だ。

行商の親父さんが言っていた薬の効能なんて、微塵も信じてはいない。面白いなら、それでいい。

千鶴ちゃんは恐る恐る、といった様子で瓶の栓を開け、液体を口にした。

「……美味しい」

一口飲んだ千鶴ちゃんが呟くように言った。やはり、何でもないもののようで、少しばかり詰まらなくなる。

「千鶴ー」

液体がほぼなくなる頃、平助が千鶴ちゃんを呼びにきた。いつも通り、耳が痛くなるような大声と、盛大な足音で。

「ああ、平助君。平助君はいつも陰気臭いよね。詰まらなそう」

千鶴ちゃんの言葉に耳を疑ったのは平助だけではない。僕も、だ。

──本当なんじゃない。

平助は思いもよらない千鶴ちゃんの発言に固まってしまっている。

「……総司? 千鶴、どうしたんだ?」

千鶴ちゃんはにこにこしながらも、悪態を吐いているのだから、それはもう不可思議な光景だ。

「ええと、ね……」

ちょっと面白いから、本当のことを言おうかどうしようか迷ってしまう。このまま黙っていた方が面白くなる気もするのだ。

「どうした、平助」

後ろから突然佐之さんが現れる。恐らく、いつまでも千鶴を呼んで来ない平助の様子を見に来たのだろう。

「原田さんはいつも冷たい方ですよね。なんていうか、一緒にいて不快になります」

今後は佐之さんが固まった。

「総司、何した?」

何でもかんでも僕のせいだと決め付けるのはやめて欲しいが、まあ、これは僕のせいだろう。

「今日ね、行商から薬買って、それを千鶴ちゃんに飲ませたんだよね。……本心と逆のことを言う薬」

まさか、本物だと思わなかったし、と付け加えると、二人は僅かに表情を緩ませた。恐らく、今の千鶴ちゃんの発言を脳内で反対の言葉に変換したのだろう。

──随分とお気楽な思考なことで。

僕が内心毒づいたところで、二人ははたと我に返ったようだ。

「で、どうすんだよ、総司っ。このままって訳にはいかねぇだろっ」

平助が勢いよく掴み掛かってくるので、それを軽くあしらった。

「時間さえ経てば元に戻るそうだよ」

僕が答えると平助と佐之さんは同時に息を吐いた。別に、困ることでもない。本心と逆のことを言うくらい、大したことではないと思う。

「お前達、食事の支度を放り出して何やっている」

一君は本当にいい間合いで現れると思う。

「千鶴ちゃん、一君のことはどう思う?」

僕はにっこりと笑って尋ねた。千鶴ちゃん本人はどうやら本心と逆のことが口から漏れていることに自覚はないようだ。

「斎藤さんですか? 斎藤さんは、いつも賑やかな方だと思います」

ということは、物静かということ。

「……何か詰まんない答えだな」
「総司、これはどういうことだ」

一君の問いに面倒臭いと思いながらも、平助達にした説明をする。すると一君は納得したような顔をした。まあ、平助達みたいに酷いことを言われた訳ではないのでそんなものだろう。

「沖田さんは、優しいですよね。一緒にいて、穏やかな気持ちになります」

──……そう。

これらを全て反対にすると、冷たくて、一緒にいると怯えた気持ちになるということ、だ。

まあ、それ以外の感情を持たれる覚えもないけれど。だけれど、妙に胸がざわつく。

「よし、土方さんの処に行こうよ」

僕は不意に思い付いたことを口にした。胸のざわつきを振り払う為の提案だ。それだけなのに、その場にいた全員──千鶴ちゃん以外──は物凄く渋い顔をした。

ということは、全員、面白いことになると思っているということだ。

僕は千鶴ちゃんの手を引いて、土方さんの部屋へと向かっていった。千鶴ちゃんとしては恐らく何が起きているのか解っていないようで、不思議そうな表情をしている。


────「土方さん、失礼しますよ」

僕はそれだけ言い、返事も待たずに障子を開けた。

「何だ、俺は今、忙しいんだよ」

土方さんは不機嫌を顕にした声でそう返してきた。

「直ぐ終わりますから」

僕が千鶴ちゃんを連れてきたことが不思議なのか、土方さんは少しだけ驚いたような顔をしている。

「千鶴ちゃん、土方さんのこと、どう思う?」
「……総司、何聞いてんだ」

土方さんは手にしていた筆を置き、溜め息を吐いた、

「土方さんは、そうですね、柔らかいというか、穏やかな方ですね」

千鶴ちゃんの言葉を聞いた瞬間、思わず吹き出してしまった。要約すれば、厳しい人、ということ。

「総司、これは一体なんだ?」

土方さんの表情が一瞬にしてひきつり、更に笑いが込み上げる。

「でも、本来はとても冷たい方だと思います」

──笑いは一瞬にして、引いた。

そう、思っているんだ、と。千鶴ちゃんは土方さんが優しい人だと知っているということ。その事実は僕の胸の奥を掻き乱す。

そこにある真意に気付かない訳はない。

「沖田さんも、たまに冷たいとき、ありますよね」

完全に笑いが引いた後、千鶴ちゃんが微笑みながら言った。

──そう、なんだ。

あまりに無自覚なところを突かれると、どう反応したらいいのかわからなくなると同時に、無性に安堵が押し寄せた。

「千鶴ちゃんは、皆のことを優しいと思ってるんだね」

そう纏めてしまえば何ていうことはなく、胸の中は落ち着きを取り戻す。

「いいから説明しやがれ」

土方さんの戸惑うような声に、僕は内緒ですよ、とだけ言って、千鶴ちゃんを部屋から連れ出した。だって、本当のことを教えたら、今の言葉を元の言葉に変換されてしまうから。

もう少しくらい、このままでいいんじゃないかと思う────。





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