花を吐き出して生きていかなければいけない人がいる。
唾液とか胃液とかと一緒になって花がぼろぼろと出てくる。花吐き病。私はそう呼んでいる。医学書にそう書かれ、大学でそう習い世間の人がそう呼びニュースのテロップがそう流れ感動ドキュメンタリーがそう言うのでそれに習っているに過ぎないけれど。花を吐き出す奇病。正式名称は嘔吐中枢花被性疾患。私も専攻ではないし、そもそも患者の数が圧倒的に少なく研究も進んでいないので深いことまではわからない。
治る方法は1つだけ、片思いの相手と両想になること。
ネットでは都市伝説としてはありがちに、両思いにならなくても相手の血を飲めば治るとか、殺してしまえば治るとか言われているけれど、そんな話に信憑性なんてものはない。そして、それを実際に行った人もいないのだから正解もわからない。けれど信じている若人はそれなりにいるらしい。まあ、好きな人を殺せる人なんていないのだからさした問題にはなっていない。

「切島君しんどい? 大丈夫?」
 切島君は花吐き病の患者さん。吐き出す花に直接触ってはいけないから医療用のプラスチック手袋をして私は切島君のお花をかき集める。それから、切島君が花と一緒に吐き出してしまった唾液や胃液を濡れた雑巾で掃除してから消毒液をかける。切島君はその様子を診察用の椅子に座ってぼうっと見ていたのは、苦しいからなのかそれとも自分の花が汚物のような扱いをされていることに不満を覚えているからなのか知らないけれど、ここは小さな個人診療所なので衛生面はちゃんとしなければいけないのだ。

「……すみません。名前先生」
「いいんだよ。気にしないで」

 切島君は特定の花を吐き出さない。先日の定期検診の時は白いガーベラを吐き出してしまっていたけれど、今日はマリーゴールド。なにか学校に不安でもあるのだろうか。花の色に彼の感情が左右されているのかはわからないし、医学的にもそこまで研究は進んでいない。けれど、定期検診でもないのにうちに来たということはなにかしらの不安があるのだろう。この病気に関しての。

「最近、花を吐く回数が多くなってきたりする?」
「いいえ。回数はかわりないです。悪くなってたりしますか?」
「ううん。概ね良好。学校はどう?」

 彼は誰を思って花を吐くのだろう。花吐き病、というのは片思いを募らせてしまった故におこる病であり。つまり、片思いをしなければ花を吐くことはない。過去に花吐き病を感染した女性は命まで危ぶまれるほどに恋に身を焦がしたけれど、お見舞いに来た相手の格好があまりにだらしなくてその女性は数分後に花吐き病が治ったという特殊な事例さえ存在する。
 けれど切島君の花吐き病はかなり長い期間なのだ。診察中に吐き出してしまうこともよくある。花吐き病の患者さんは診察中に不安から片思いの相手のことを思ってしまい、花を吐き出してしまうことはよくあるので大した話ではないが、学校生活も概ね良好だと親御さんから聞いている分誰にも言えない悩みがあるのではないかと思春期の彼を前に変に勘ぐってしまう。

「普通……に、ヒーローを目指しています」
「うんうん。いいことだよ」
「けど。1つ不安があって……」

 なに? 私はなるべく優しく彼にそう問いかけた。切島君は少し不安そうな顔で私を見る。友人のトラブル、学校の成績、先生との相性。学生の悩みというのは尽きない。世界がそこしかないから。そこに居続けることしかできないからだ。大人がへたくそに仲裁なんてしてしまえばそこはたちまち悪化する、厄介で危険な場所。だから、私は彼に話を聞いてあげることしかできないけれど。聞いてあげるだけならば、聞いてあげて少しでも楽になって欲しい。

「親御さんには言わないから。あまり深く考えないで」
「……考えていることが、うまく行くか不安で」
「ヒーロー実習かな?」

 ヒーローを育成するために創立された雄英高校のヒーロー科に所属する彼ならば、悩みはおおよそヒーローについてだろう。私は彼に優しく、優しく聞いたけれど、彼は微妙な顔をした。どうやら違うらしい。「ヒーローっていうか、人間関係」それは、また。一番複雑な年頃だ。花吐き病の想い人のことだろうか。私はわかったふりをして何度か頷いてみる。あまり深く話したがっていないのだから、聞かないのが一番なのだこういう時は。

「よくは知らないけれど、きっと切島君ならうまくいくよ」
「……俺、自信がなくて。確証もないし」
「大丈夫。あまり深く考えてはいけないよ」

 まだキミは若いんだから。切島君はなにか意を決した表情になる。若い子というのはこうも表情が変わるのでわかりやすい。私は彼の表情から見て特別不安に思うことはなさそうだと。私はカルテにそう書きながら彼の顔色を見る。意志の強い顔はしていたけれど先ほど吐きだしてしまったばかりだからなのか、少し青い顔をしていた。カルテを閉じる。今日の診察は彼が最後で、決まって彼は最後に診察する患者になるのだからいつもなのだけれど。私は切島君のカルテをしまいながら、椅子から立ち上がってパソコンをシャットダウンした。

「お茶でも飲んで帰りなさい」
「あ、はい……あの、ひとつ質問なんですけど」

 切島君は患者用のイスから立ち上がる。私は首を傾げた。「なんだい?」切島君は「ネットで見たんでアレなんですけど」なんて前置きをして。やけに真剣そうな顔で言うのだ。私は少し拍子抜けしてちょっとだけ笑ってしまった。

「好きな人を殺したら、花吐き病は治るんですか」

 切島君もまだまだ年頃というわけだ。信憑性のない都市伝説やらなんやらに踊らされてしまっている。私は笑いながら、彼に向かって頷いてやる。「医学的根拠はないよ。やったことのある人はいないしね」切島君は少しほっとした顔をして、自分の荷物をまとめた。学校に行っている時につかうリュックやコートなんかをまとめている。

「興味があるの?」
「……ないと言ったら嘘になります」
「私は、おそらく。一生花吐き病のままなんじゃないかって思うよ」

 恋した人のことを忘れられず、だからといって叶うわけもなく。一生そのまま花を吐き続けてしまうのではないかと、私は勝手にそう思っている。切島君はそれを聞いたからなのか妙にすっきりした顔をしていた。思いつめているとまでは思っていなかったけれど、このような噂にもやはり不安は募るのだろう。「治りたいのなら、やってはいけないよ」切島君は返事をした。やけにはっきりと。「はい。わかりました」物分りのいい少年だ。私はしまったばかりのカルテの位置を確認しながら彼の言葉に頷く。

私の診察所と自宅は同じ敷地内にあり、診察所は家というより小さな小屋のようなそんな存在なのだ。私は白衣を脱いでハンガーにかける。切島君は荷物をまとめ終わったらしく出入り口のところに立っていた。私はパンツのポケットから家の鍵を取り出す。「中に入って、お茶を沸かしておいて」ひんやりとした家の鍵を切島君へ渡す。切島君は鍵を受け取って、荷物を一式持ったまま母屋のほうへ行った。私は切島君の後ろ姿を見届けてから、白衣をかけたハンガーをロッカーに吊るして、戸締りをしたり部屋の電気を消したりしてから彼の背中を追った。

 彼の背中を、追ったのだ。私は診察所から出て、足元が唐突にふらついた。膝を床につく。目眩? 一瞬そう考えたが、冷静になればなるほど背中のあたりが痛かった。私は背中に触れようとしたけれど、自分のワイシャツが妙にベタベタして。意味がわからなくて、後ろを見た。そこには、切島君がいるのだ。私は口を変にぱくぱくさせて、言葉を探してみたけれど。切島君は私を見ていた。幼い瞳の奥がビー玉のように綺麗で、彼は口から花が吐き出された。いや、吐き出されたというよりこぼれ落ちたと言うべきか。私の顔の上で滑ってやってくる。その花を見ながら、私はああ、と知ったのだ。悟ったのだ。おおよそのことを理解したのだ。背中になにかが刺さっているのがわかったのは、それが私の体から抜かれたから。

お湯の沸騰した音が部屋の遠くから聞こえた。母屋でお湯が沸いたのだろう。切島君は笑っていた。口からまたぽろぽろと花がこぼれていく。そして、切島君は花と同じみたいに涙を流した。そちらもぽろぽろと雨粒みたいに流れてきて、私の顔にあたるので。私の顔は花が落ちて涙が落ちて、大変ゆかいなことになっているのだろう。
そして、背中がずきずきと尋常じゃなく傷んだ。こういう時外科医だったら、と思うけれど私は内科医なので自分の背中がどうなっているのかまではわからなかった。刺さっていたなにかが抜かれて、仰向けに倒れ込んだ私の視界の中に硬化した彼の右手があって。私は、彼の顔へ視線を動かし。彼の瞳を見ながら、おおよそのことを理解してなにも理解できずに。自分の顔へ落ちてきたスノードロップを手にとったけれど、指先にうまく力が入らずに掴むことはできなかった。ああ、死ぬってこんな感じなのか。呆気ないな。

「これで俺、先生のこと一生好きでいられます」
 お湯の沸く音がうるさくて、キミの声が聞こえないけど愛の告白でもしてくれたのか、な?




「恋は純粋故に」