※おんなのこちゅうい
みんな収録だったり打ち合わせだったり撮影だったり顔合わせだったりでわたしと春香ちゃん以外誰もいない765プロの事務所。ブラインドの隙間から入ってくる夕日が眩しい、そんな時間。
「みんながいないあいだ掃除でもしようかな。名前はいまからなにするの?」 「んー、…なにしよう」 「じゃあブログ書くのはどう?名前はブログ全然更新しないってプロデューサーさんも呆れてたよ?」 「あー、じゃあブログ書こうかな。プロデューサーさんに怒られたくないし」 「理由はどうあれえらい!きっと名前のファンの人もブログ楽しみにしてるよ」
そんな話をしてわたしはソファーに座り、春香ちゃんは事務所を掃除する。 …でもブログって何書いたらいいのかな。とりあえず、おなかすきましたと入力。あ、一個前の記事も同じようなこと書いたかも。まあいっか。ぼんやりしながらそれなりにブログの内容を考えていたとき。 突然、ばしゃあ、みたいな水の落ちるような音と、ぱさぱさぱさ、と水ではなくて何か小さい固形物が落ちる音が聞こえた。わたしはまた春香ちゃんがこけてなにか落としたのかな、なんて考えながら春香ちゃんのそばに寄った。 すると、春香ちゃんの足元には色鮮やかな真っ赤な薔薇がたくさん、たくさん落ちていて。あー、やっぱり花瓶落としたんだ。書くことないし、ブログに書いたれ。そんな気持ちで、わたしは春香ちゃんに話しかけた。
「春香ちゃん、花瓶落としたの?」
あれ肝心の花瓶はどこだ、とキョロキョロ辺りを見渡すわたしを見て、春香ちゃんは寂しげに言う。
「違うの名前。これ、………花吐き病なの」
春香ちゃんはちょっと前からなんだ、と続けて気まずそうに笑った。花吐き病!じゃあこれゲロ花か。うわーゲロ花はじめてみた。きもちわるっ。こんなこと思ったらいけないのだけれど、そう思ってしまった。わたしは必死に態度に出さないように努める。
「あ、あーあれ。あの、あれかー」
あれだよねうんうんあれね。あれ、と代名詞ばかりを繰り返し立ち竦むわたし。だって、花吐き病の人なんて初めてみたし、どんな風に声をかけていいかなんてわからない。でもわたしがここで何も言わなかったり、気持ち悪いと思ったことをそのまま態度に出したら春香ちゃんはきっと泣いてしまうだろう。そんな顔をしている。笑顔が似合う彼女の泣き顔なんてみたくなかった。だからわたしは阿呆みたいに繰り返す。あれね。あれあれ。
花吐き病がどんな病気かは知っていた。室町時代からずっと続く未だに治療法の無い奇病。片想いを拗らせて苦痛を感じた人が発病して、吐いた花に接触するとうつる。吐かれた花は通称ゲロ花と呼ばれ、どんなに綺麗でも道端に落ちている花はゲロ花かもしれないから触ってはいけませんときつくきつく言われるのが日本の今である。両想いになることのみが完治出来る方法で、その証として白銀の百合を吐くらしい。この病気が原因で死ぬことはあんまりないけど、この病気が原因で家庭が崩壊したりすることはよくあることみたいだ(実際わたしが小学生の時同級生のお母さんが花吐き病になって、お母さんの好きな人はコンビニの店員さんだということが判明して離婚をしてた)。ワクチンなんかもなく、一年中蔓延するものだから、インフルエンザやノロウイルスより脅威だと言う人もいる。以上のことから花吐き病はとても怖い病気だとされていて、学校では花吐き病についての授業が義務化されている。だから馬鹿なわたしでもこんなに詳しい。 近頃、これ以上花吐き病感染者が増えないように、花吐き病になったら役所で届け出を出して、花吐き病の人だけが住めるところに引っ越しをしなければならないという制度が出来た。将来的には花吐き病の人は、学校も仕事場もわけられるし、職業選択の自由もなくなるらしい。一種の隔離ってやつだ。テレビでもこのことはよく話題になっていて、花吐き病には人権がないのかとか、ハンセン病と同じことをするのかとか、コメンテーターの人が喋っていた。
ごめんね、早く片付けちゃうね。人と目をしっかり合わせて話す子なのに、そのときは始終俯いていた。タオルもってこようか。そう尋ねるわたしに、いいよ!名前はなんにもしないで、触ったりしたらうつっちゃうんだよ。そう言ってまた寂しそうにわらう春香ちゃん。
春香ちゃんがひとりでゲロ花を片付けているあいだ、わたしは言われた通りなんにもしなかった。立っていた場所から一ミリたりとも動かず突っ立っていただけだった。花吐き病について授業をするなら、感染者にどうやって接したらよいか、とかゲロ花の片付け方とか授業項目にいれてくれてたらよかったのに。ゲロ花みたのも初めてだし、教科書にでも写真かなんかで見本?をのせててくれたらよかったのに。じゃあこんな雰囲気にならないで済んだのに。春香ちゃんにあんな顔をさせないように出来たのに。突っ立っているあいだ、完全にお門違いな考えで学校の先生を、文部科学省の役員を呪った。
春香ちゃんはゲロ花の落ちた床を本当に綺麗に丹念に掃除して、だから床はとてもぴかぴかになった。
「ごめんね、汚いものみせちゃって」 「や、や。や、ぜんぜん」 「気持ち悪いって思ったでしょ?」 「いやいやいやそんなそんなそんな」 「名前ってほんと、わかりやすいんだから。…ほんと、ごめんね」 「や、や。…うん」
気持ち悪いと思わないと言ったらそれは嘘で。さっきわたしは全力で気持ち悪いと思ってしまった。わたしは態度に出さないように必死だったけど、春香ちゃんにはわかっていたのだろう。実際春香ちゃんがゲロ花を吐いたときなんにも出来なかった、し。なんにも出来なかったのは学校の教育のせいにしたけれど、でも多分それだけじゃなくて。突き詰めるとわたしの人間性。きっと学校で教わっててもわたしはなんにも出来ないままだった気がする。
「家族の人は知ってるの?」
わたしはつらくなって話を変えた。もちろん春香ちゃんの為じゃなく、自分のために。
「人前で吐いたのはじめてなの。だから、知ってる人は名前だけ」 「そっか、じゃあわたしと春香ちゃんの秘密だね」 「……このこと、社長やプロデューサーさんに言わないの?」
職場や学校や近所に花吐き病の人がいたら上司や先生や役所に報告をしなければならないという制度も最近出来た。制度化することで感染者を特定し、感染源を絶ち、感染者が花吐き病を隠せないようにする狙いがあるらしい。報告した人は税金が安くなったり色々特典があって、反対に報告しなかった人には罰則があるこの制度。きっと春香ちゃんはこの制度のことを言っているのだと思う。
「言ったでしょー、わたしと春香ちゃんの秘密って」 「…どうして?」
正直に言うとただの罪悪感。さっき気持ち悪いと思ってしまったことの罪滅ぼし。あと同情が少し。うまく言えないけれど、かわいそうだなあと思った。本当、自分でも嘲笑しそうなほど阿呆な感想である。こんな理由だし、春香ちゃんには言わないことにした。わたしはわかりやすいらしいから、ばれてるかもしれないけど。
「うーん、めんどくさいし…」
わたしがそう言うと、春香ちゃんは名前らしいねとあははと笑った。
「名前。秘密にしててくれて、ありがと」
そう言ってずっとしてた不安な顔から一転、安心したようににっこり笑う春香ちゃんはアイドルやってるだけあって綺麗。夕日に照らされて余計に綺麗。まさに笑顔の妖精。わたしの罪悪感という棘がちくり。今更気持ち悪いって思ってごめんねなんて言い出しにくくてわたしも全力で笑ってみせた。
「本当は不安だったの、誰かに知られたらもうアイドル出来ないなって」 「いま、なんか難しいことになってるもんね」 「うん、アイドルどころじゃなくて家族とも離れなきゃいけなくなるし学校にも行けないしほんと、怖くって」 「大丈夫、誰にも言うつもりないから」 「でもきっと本当はやっちゃいけないことなんだよね…、まき込んで本当にごめんね。名前」
そう言うと春香ちゃんは涙を一筋、はらりと流した。苦しくなるほど誰かを思って、痛い思いをして花を吐いて。それが誰かにばれたら全てが壊れてしまうと、今まで気が気じゃなかったんだろう。 いつも765プロでなにかあったとき。泣いてる誰かを慰めるのはいつも春香ちゃんだった。目線を合わせてぎゅっと抱き締めて。やさしく背中をとんとんとたたいて、えらかったね、がんばったねと耳元で囁いていた。 じゃあ春香ちゃんが泣いている今、誰が慰めたらいいんだろう。えへへ泣いちゃったあ、と無理して笑う春香ちゃんを見て、さっき気持ち悪いと思った自分を恥じる。 わたしが同じことをしても、春香ちゃんみたいに慰めることは出来ないけど。春香ちゃんがいつもするみたいに、ぎゅっと抱き締めてやさしく背中を撫でた。
「ごめんね春香ちゃんごめんね。こんなことしか出来なくてごめんね」 「どうして名前が謝るの。わたしの方こそまき込んでごめんね」 「言わないでいることしか出来なくてごめんね」
気付くとわたしも涙がぽろり。わたしは何にもしてないから泣く権利なんてないのに。また涙が溢れてきた春香ちゃんと二人でうわーんと声をあげて泣き続けた。春香ちゃんはこんなにも痛くて苦しいのに、何も出来ない自分が嫌だ。気持ち悪いなんて思ってしまった自分が嫌だ。花吐き病なのがばれて、春香ちゃんがアイドルをやめなきゃならなくなるのが嫌だ。引っ越しして会えなくなるのが、嫌だ。
もし花吐き病なんてものが存在しなかったら、好きな人って誰なのとか聞けたのかな。でも花吐き病じゃなかったら春香ちゃんが恋をしていること、知らないままだったしなあ。春香ちゃんは一生このまま治らないのかな。あんなに可愛いのに片想いするんだなあ。なにより、春香ちゃんが花吐き病になるほど、思い詰めてたなんて。もしこれが美希ちゃんや雪歩ちゃんならなんとなく、なんとなーくわかるわーって感じだった。春香ちゃんは上手く言えないけど、王道中の王道って感じの(特徴がないわけではない、誓ってない)アイドルでファンの人たちがわたしの恋人です!とか本気で言いそうな子だから。誰のことを考えて、春香ちゃんはそうなってしまったんだろう。いろんなおもいが、ぐるぐるぐる。
わたしが春香ちゃんのためにできることって、なに?
次に春香ちゃんがゲロ花を吐いたのは、それからちょっと経ってから。その時も運良くわたしと春香ちゃんだけだった。 うげぇ、というアイドルらしからぬ声を発し、ぼたぼたと花を撒き散らす春香ちゃん。また真っ赤な薔薇。吐くところを見たのははじめてで、それが本当に苦しそうで痛そうで。春香ちゃんをこんな風にしてる春香ちゃんの好きな人にやり場のない怒りが込み上げてくる。
「春香ちゃん。好きな人のこと、考えてたの?」 「うん」 「花吐き病って片想いを拗らせて苦しくなって吐いちゃうんでしょ?」 「うん」 「好きな人のこと考えるの、やめたら?」 「そう出来たら、楽なんだろうけど…」
出来ないの、溜め息をつきながら春香ちゃんはそう言う。心配かけてごめんね、今片付けるね。と続ける春香ちゃんの手を遮ってわたしは言う。
「わたしが片付けるよ」 「だめだよ!さわっちゃったらうつっちゃうんだよ?」
わかったの、春香ちゃん。わたしに出来ること。世間は間違ってるって言うだろうけど。それなりに足りない頭で考えて春香ちゃんを想って眠れない夜を過ごした。最初はきっと同情だったし、今も自分の気持ちに確信をもてないけど。でも。
「いいの。よく考えたらわたし、好きな人いないし。感染したって問題ないの」
嘘。わたしはきっと、春香ちゃんのことが好きになってしまっている。わたしはわかりやすいみたいだから、春香ちゃんにばれてるかもしれない。出来ればこのおもいには気付かないでいてほしいかな、なんて。
「もしわたしが花を吐いたとして、春香ちゃんは罪悪感なんか感じなくていいからね」
だってこれはわたしが勝手にやったこと。勝手に春香ちゃんを好きになって、勝手に花にさわって。ただ、それだけのこと。それにわたしは春香ちゃんとおんなじになれることに歓びを感じてさえいるんだから。きっと春香ちゃんはわたしと一緒によろこんではくれないけど。当然、こんなことをしたって春香ちゃんの恋が実って病気が治るわけではないし、花吐き病患者への差別がなくなるわけではないから根本的解決にはならない。花吐き病であることがばれたら春香ちゃんがアイドルをやめなければならないこと、引っ越ししなければならないことも変わらない。勿論わたしもばれたらアイドル引退だし、引っ越しもしなければいけない。それに対しての覚悟だって出来ている。元々社長のスカウトで入った芸能界だから、未練なんてないようなものだし。考えが足りないと言われれば、それまでだけど。こーゆーの、ありがた迷惑とか親切の押し付けとかって言うのかな?わかってる、完全にわたしの自己満足。
だめだよだめだよ名前、うつっちゃうよと春香ちゃんが呟く。大丈夫だよ、春香ちゃん。もう一人で痛みや苦しみを抱え込まなくていいんだよ。わたしもきっと春香ちゃんみたいに花を吐くし、花吐き病なのがばれてもこれからずっと傍にいれる。もう一人で思い詰めなくてもいいんだよ。春香ちゃんが誰かを想っているときは、わたしも一緒に想おう。春香ちゃんのことを。そしてわたしは春香ちゃんを苦しめている想い人に嫉妬して怒りの花を吐くだろう。春香ちゃんが気持ちの届かない切なさやもどかしさを花として吐き出したら、わたしはその花に恐れなく触れよう。それはきっと、わたしにとってのしあわせ。
「どうして名前はそこまでしてくれるの?」
聞かれた問いには答えない。答えを知っても余計に苦しむだけだから、知らなくていいよ。 吐かれた薔薇は真っ赤で、それは春香ちゃんのイメージカラー。だからか春香ちゃんによく似合ってるなあなんて思った。いまのわたしにとっては忌むべきゲロ花ではなく、寧ろしあわせの象徴。まるでひっぱられてるみたいに、吸い込まれるみたいに。わたしはそれに手をのばした。
「芽吹きのときを待っている」
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