「どうして、俺なんですか?」

昔、一度だけそう聞いてみたことがある。
森山は少し困ったような顔で笑った。

「どうしてだろうな。でも、伊月と出会えたことは運命だと思うんだ。」

森山はいつもの笑顔を見せると、伊月の髪ををくしゃりと撫でる。
伊月は赤くなり、その顔を見られまいと俯いた。

「よくそんな恥ずかしいセリフをさらりと言えますね…」

「ひどいな。せっかくの口説き文句なのに」

そう言う森山の口元は笑っていたが、目には微妙な表情が浮かんでいた。


『伊月みたいな相手を口説くのが俺には新鮮ですごく面白かったよ』


森山の言葉が頭の中をグルグルとまわる。
心を切り裂くような笑みに、伊月を映していない瞳。
昔の森山の言葉が全部嘘だったとは思えない。
けれど、森山はときどき何を考えているのかわからない微妙な表情をしていた。

あれはなかなか思い通りにならない伊月に対する苛立ちだったのか。
それとも他の恋人との違いを比べていた?

森山が自分などを何故選んでくれたのか、伊月はずっと不思議に思っていたが、
森山にとって珍しい、チャレンジのようなものだったのだろうか。
信じたくないと否定してみても、心の中が冷えていく。

ぽろぽろと思い出が零れ落ちていく。
眩しいくらいに輝いていたあの思い出を失ってしまえば、伊月には何も残っていないのに。
嘘で塗り固められた思い出だとしても、伊月にはかけがえのない、森山との大切な思い出だった。

これは、いつまでも曖昧な態度をとっていた自分への罰なのだろう。
伊月に森山を責める権利などない。
それでも、このまま森山と顔を合わせ続けるのは伊月にとっては辛すぎた。


「もう一度、離れてしまおうか…」

もう冷たい言葉を聞かないで済むように遠く離れてしまえば、昔の森山だけを覚えていられる。
あの頃のままの、伊月を優しい瞳で見つめてくれる森山を思っていられる。

二度と会わなければ……と、考え
無理だ、と気づかされる。
再び出会ってしまった以上、夢の中で会うだけでは我慢出来ないだろう。
馬鹿なことを考えたと伊月は自嘲した。
森山がどうであれ、伊月の森山に対する想いは少しも変わっていないのだから。

また、森山の前から逃げ出すわけにはいかない。

どうすればいいかわからないまま夜が明け、答えの見つからないまま朝を迎える。
そんな毎日を何度も繰り返し疲れきった重い身体を動かすと、鈍い頭を冷ますため伊月はシャワーを浴びた。






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