「もう、由孝のばか。手癖悪過ぎ」

頬を赤らめた河内は、映画が終わると森山に詰め寄った。

「ストーリー全然わからなかったじゃない」

「あとで教えてあげるよ、……で」

森山が耳元に囁き、河内がさらに赤くなる。
伊月はそのことには触れず、冷静な表情を顔に貼り付けた。

「今日は俺のわがままに付き合ってくださりありがとうございました。
俺は帰るんで、あとは2人で…」

「えー」

河内が不満の声をあげた。

「わたしもっと伊月さんとお話したいです〜!
ご飯食べに行きましょ?ね!」

「でも…」

「ほら、由孝からもなんか言ってよ〜!」

河内は逃げられないように腕を絡ませてくる。
困ったように森山を見ると、森山は曖昧に笑った。

「このあと予定あるわけじゃないんだろ?ちょっとだけどう?」

森山にまでそう言われてしまうと断ることができなかった。
本当はこの2人の仲の良い姿を見るのが辛かったが、森山と食事に行けるというのは素直に嬉しかった。

河内に腕を引っ張られるまま、結局近くの居酒屋に入った。
シェアして食べるように何皿か取ったため、河内がせっせと小皿に取り分けてくれた。

「はい、伊月さん。嫌いな食べ物とかありますか?」

「あ、いえ…」

「由孝はトマト嫌いだったよね?よけとく?」

「あぁ。」

森山さんはトマトが嫌いだったのか…
伊月は改めて自分が彼のことをなにも知らないことを思い知った。
森山は伊月のことをなんでも知ってくれていたのに自分はなにも知らなかった。
知ろうともしていなかった。
2人の関係はとても自然な感じで、伊月には入り込めない親密さがある。
一緒に過ごした時間は伊月のほうが長いはずなのにそれを感じさせない。
機会は何度もあったのに、自分は森山とこんな風にはなれなかった。
伊月は森山の食べ物の好き嫌いすら知らない。
無駄に過ごした時間と、過ごせなかった時間。
伊月が河内のようだったなら、今でもまだ彼の傍にいられたのだろうか。
彼女を羨んでしまう自分が、あまりにも愚かで惨めに思えた。

「伊月さんと由孝は高校の知り合いなんですよね〜?」

「ええ。バスケで知り合いました」

「由孝がバスケしてるとこなんて想像できない〜」

河内がクスクスと笑いながら森山を見る。

「バスケやってればモテたからね」

「じゃあ彼女とかいたんだ!どんな人〜?」

河内の言葉にドキリとしたが、森山は眉ひとつ動かさなかった。

「バスケを大切にしてた人だよ」

伊月はびくっと反応した。

「好きな人からの電話待ったり、遠くでも構わず会いに行ったり、ロマンティックな恋に酔いしれてたよ」

「由孝がそんなことしてたの?意外〜!」

「恋に恋してたってやつかな。まぁ目が覚めれば幻みたいなもんだよ」

河内は目を輝かせて伊月を見た。

「伊月さんはその相手知ってます〜?」

「いや、俺は…」

突然話を振られて伊月が返事に窮する。

「わたしもその頃の由孝見てみたかったな〜!
いまじゃこんな淫乱大魔王みたいになって」

「そういうのが好きなんだろ?」

ニヤニヤする森山に、河内が舌を出して見せる。
お返しのように森山が顔を寄せ、また何やら囁いた。
2人は伊月の向かいに座っていたので見えなかったが、テーブルの下でも何かやっていたらしい。

河内は派手な音を立てて立ち上がり、困った顔をした。

「ちょっとお手洗いにいってきます」

森山を一睨みしてから、そそくさと洗面所に向かって行く。
残された伊月は気まずい思いで、森山からの視線を避けていた。

彼の真意はなんなんだろう。
森山はあっさりと昔のことを口にした。
ずっとすべて忘れていたかのように振舞っていたのに。

河内の前で、はっきりさせたくなったのだろうか。
あれはとっくに終わったことだと、いつまでも彼に好かれているなどと自惚れないように。
やはり映画などに誘ったのは迷惑だったのか。

「本当に楽しかったよ。あんな風に電話を待つのも純愛っぽくて」

今までと同じ口調で森山が話し出す。
伊月ははっと顔を上げた。
目が合うと、森山はからかうように口角を上げた。

「ただ、もっとロマンティックな相手にすれば良かったけどね」

「森山さん…俺は、」

胸の痛みがきりきりと伊月を責めたてる。
せめてあの頃のことだけでも、否定して欲しくなかった。

「森山さん、俺はわからなかったんです」

「君が知らないことはたくさんあるよ」

森山は薄っすらと笑った。

「あの頃から俺は相手には不自由してなかったしな。
男も女もやるだけの相手はいっぱいいたし。
だから伊月みたいな相手を口説くのが俺には新鮮ですごく面白かったよ」

「森山さ…ん、」

「まさか君だけだったなんて思ってないだろ?」

ぎくりとして伊月の顔から血の気が引く。
定食屋でのときよりはっきりと告げられた。

「あんな子供みたいなお付き合いで俺が満足してると思ったか?」

「もう、やめてください…」

「恋も知らないなんて言う伊月に付き合って、純情なお付き合いするのが面白くて面白くて」

「…っ、」

「好きだと言っただけでころっと信じるのがまた面白い」

「やめてください!!!」

伊月がテーブルを叩くとグラスが倒れ、中身の赤ワインがテーブルクロスに染みを作った。

「きゃっ!え、大丈夫ですか〜?」

ちょうど帰ってきた河内が急いでグラスを元に戻した。
森山が立ち上がり、河内の腕を取る。

「そろそろ出よう。今夜は俺の部屋に来るだろ?」

「そんなことより、伊月さんが…」

「少し酔っただけだろ。俺たち先に出るけどいいよな?」

伊月はかろうじて頷いた。

「支払いはどうする?」

「…今日誘ったのは俺なんで、俺が払います」

「そうか、じゃあよろしく」

皮肉っぽく言って、森山が河内ん引っ張る。
河内が戸惑いながらも挨拶をして、2人は出て行った。
2人の姿が見えなくなっても、伊月はしばらくそこから動けなかった。
かなり時間がたってから、のろのろと置かれている請求書に手をやる。
そこは今まで森山がいた場所だ。
震える指が虚しく夢の残照を掴んだ。






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