夢の中の森山は、少しずつ変わっていった。 大人の男の顔をして、挑発するような眼差しで伊月を誘う。 はだけたシャツの間から覗く逞しい胸に そっと手を伸ばすとひらりと躱される。 唇が僅かに開かれ、舌がちろちろと閃く。 それに魅入られたように伊月は目を離せなかった。 「…だ、伊月。」 浮かべている笑みは、かつての爽やかなものではなく、心を引き裂く冷酷な笑みだ。 それでも、それは森山だった。 「自分だけが特別だとでも思ったか?伊月」 どん、と暗闇へと突き飛ばされた。 伊月は飛び起きていた。 耳元で実際に声が聞こえたような気がする。 汗をかいた身体に不快感を覚え、さらに下半身の変化に気がついてどっと落ち込む。 定食屋で言葉を交わした森山はもう過去の森山ではなかった。 冷たく伊月を見下ろし、過去さえも切り捨てる。 それでも、夢の中での森山はあの時のままであったが、 最近では夢の中ですら、伊月を突き放した。 汗をかいた身体を流そうと風呂場に向かう。 洗面台の鏡にうつる自分の顔はひどく泣きそうな顔をしていた。 蛇口を捻り、冷水で顔を洗う。 気持ちを入れ替えるように大きく息を吐いた。 日曜日になると、伊月は近所の小学校へ出向く。 そこでは子供たちにバスケを教えているのだ。 かつて高校で彼らを率いていた相田リコや、日向順平が手伝わないかと声をかけてくれたときは、とても嬉しかった。 こんな自分が少しでもバスケに関われるということが、今の伊月にとっての生きがいとなっていた。 バスを降りて、小学校へと向かう。 河川敷の風景を見ながら歩いていたので、伊月は声をかけられるまで前方から来る相手に気が付かなかった。 「伊月…?」 「森山さ…ん」 伊月は驚きのあまり足が固まってしまった。 「妙なところで会うな」 森山が屈託なく笑う。 夢の中の情景が浮かび、伊月は僅かに頬を赤らめた。 「こんなところでなにしてるんだ?」 「この先の小学校で、バスケのコーチをしているんです」 伊月は先を指差すと森山も振り返り、ああと小さく漏らした。 「もし予定がないなら、一緒にどうですか?」 彼の気楽な調子と昔の面影につられ、伊月は思わず口にしていた。 「うーん、どうしようかな」 「高校のとき主将だった日向もいるんですけど…」 「へぇ、懐かしいな。今日は予定もないし、冷やかしに行くか」 「じゃあ、行きましょう」 平静を装いながら、伊月は嬉しくて仕方がなかった。 奇跡のような偶然だ。 自分の誘いを受けて、森山のバスケ姿を再び見ることができる。 伊月は自分の跳ね回る心臓の音が、森山に聞こえないことを祈った。 川の近くにある小学校は住宅地の一角にあり、子供の数も多い。 そのため、体育館もかなり立派なものを備えている。 日曜日にはそこを子供たちに開放し、バスケ教室を開いているのだ。 そこのコーチをしているのが日向とリコであった。 体育館の扉を開けると子供たちにシュートを教えている日向の姿があった。 森山の姿を見ると眼鏡の奥の瞳を輝かせ、小走りに駆け寄った。 「森山さんじゃないっすか。久しぶりですね」 「高校の試合以来だな」 森山と日向が懐かしそうにしていると、そこにリコもやってきた。 「あれ?海常の森山くん?」 「もう海常じゃないけどな。相田さんも綺麗になったね。どうだい?この後ご飯になんて…」 「遠慮しておくわ」 3人が楽しげに会話しているのを森山の後ろから眺めていると、リコが思いついたとでも言うように笑顔を輝かせた。 「そうだ!3on3でもしない?日向くんは子供たちとチーム組んで、森山くんと伊月くんは同じチーム」 リコの提案に日向も笑顔になる。 「いいなそれ。んじゃ、そっちもあと1人つけて、3on3な。ゼッケンはこっちが貰うわ」 日向はそう言うとウォーミングアップをし始める。 伊月と森山はお互いに顔を見合わせると、小さく笑った。 「同じチームは初めてだな」 「そうですね。昔はずっとライバルチームでしたもんね」 懐かしさに目を細めながら森山の顔を見上げると、あの頃と同じ笑顔があった。 リコは集まっている子供たちを後ろに下がらせ、ボールを用意した。 日向たちもウォーミングアップを終え、コートに入る。 伊月の前にはまだ幼さの残る少年がPGとして立ち、真剣な眼差しでこちらを見ている。 リコが合図を出し、試合が始まった。 伊月は手に持ったボールをつき、少年の横をすり抜ける。 ヘルプで伊月についた日向のディフェンスを躱し、視界の隅にはっきりと見える森山にパスを出す。 パスを受け取った森山は3Pラインから無回転のシュートを放つ。 ボールは綺麗な孤を描きながらしゅるりとネットを鳴らし決まる。 「ナイッシュです」 伊月は森山へと小走りに駆け寄ると、森山も小さくガッツポーズをする。 すぐそばで見ていた他の子供たちは森山の3Pシュートに目を丸くした。 子供たちの歓声に日向も負けん気に火がついたのか 結局試合は白熱し、伊月たちのチームが勝利した。 一息ついた森山は、コートにへたり込んだ。 「久々にやったらキツイな」 「なに言ってんすか。相変わらず変則的なシュート打ちますね」 日向は森山へとタオルを放った。 「それにしても森山さんバスケ辞めるなんて残念っすね。 森山さんならプロになって、女にキャーキャー言われて、金と女に囲まれる生活でもするかと思ったんですけどね」 日向は冗談混じりに笑いながら言うと、森山は苦笑いを浮かべた。 「こんなしんどいこと続ける気なんかないよ」 森山が答えると、その周りに子供たちが近寄ってきて、森山の周りに集まった。 その目には崇拝の輝きがある。 「おにいちゃんのシュートどうなってんの??」 「おれにもおしえてよー!」 次から次へと質問する子供たちに困り果てた森山が日向へと救いを求めるように目配せをした。 日向は苦笑すると、集まっている子供たちに新たな練習メニューを与え、練習を始めさせた。 日向が指導を始めると、森山は子供たちの輪を抜け出してきた。 離れたところに座っていた伊月の隣に座る。 「大丈夫か?」 「え?」 「アキレス腱をやったんだろ?」 「え、どうしてそれを…」 「……日向、に聞いたから…」 森山はふいと目を逸らすと足元に置いてあったボールを手に取り持て余すように指先で回した。 「これくらいの運動ならなんともないですよ」 「そうか、ならよかった」 森山は床の上にごろりと横になった。 伊月は信じられないくらい幸せな気持ちに包まれていた。 コートの中の変わらない森山の姿。 まるであの頃に戻ったように感じられる。 そして、自分の足の心配をしてくれたことも。 もしかしたら、あの頃と同じように過ごせるかもしれない。 そんな期待が頭を過ぎった。 伊月は子供たちを眺めている森山の端正な横顔をそっと盗み見る。 この幸せな時がずっと続けばいいと願った。 ←→ (29/35) ← |