初めて森山の家へと泊まってから少しずつ伊月の意識は変わった。
その関係が微妙な変化を見せたのは、森山が大学に進学した頃である。

森山がバスケ部を引退すると、伊月と会う頻度は減っていった。
森山は高校卒業後、地元の大学に進学した。。
一方の伊月は3年としてチームの重責を背負わなければならない。そして次の大会が迫っていたため、これまでのように時間を合わせることが困難になっていた。
森山は伊月によく電話をかけてきたが、朝早くから練習があり、夜も練習後はすぐに眠ってしまうため、あまり話している時間はなかった。

ある日、伊月が練習を終え帰宅路に向かおうと学校の正門を抜けると、1人の男が壁に寄りかかっていた。
日向や木吉と共にその前を通ろうとすると、聞き慣れた声に引きとめられた。

「伊月くん!」

慌てて振り返るとそれは森山だった。

「え、なんで…」

伊月の顔を見て、嬉しそうに笑う森山に伊月は困惑気味に問いかける。
後ろからは日向が先に行ってるぞという声が聞こえた。

「今日は学校終わるのが早かったんだ。それで伊月くんに会いたくなって…」

屈託なく笑いながら言われて、伊月は溜息をついた。

「大会も近いし、あんまりこういうことしないでください!」

咎めるように言うと、森山は目を伏せると、口元に僅かな笑みを浮かべた。

「そうか。勝手なことをしてごめんな。
これからまた練習か?」

「ええ。まぁ」

森山から目を逸らすように伊月は言う。

「そうか。伊月くんはいつでもバスケのことばかりだね」

その言い回しにひっかかりを感じて、伊月は顔をしかめた。

「森山さんだってそうでしょう?」

「俺は違うよ。」

まっすぐに見つめる森山の視線の激しさに、伊月はなんと言えばいいのかわからなくなってしまう。

「今日は帰るよ」

森山はそう言うと伊月の頭へと手を伸ばし優しく撫でる。
以前ならその手の熱さにドキリとするのだが、森山の行動に苛ついていた伊月はその手から逃れるように体を捻った。

「こんな風に来るのはやめてください」

「わかった。それなら今度は伊月くんのほうから会いに来てくれないか?
都合のいい日を選んで俺に連絡してくれ。」

「……わかりました。」

伊月が頷くと森山はいつもの笑顔を見せた。

「待ってるよ」

そう言うと森山は踵を返した。
その背中を伊月は複雑な顔で見送った。


連絡する、と約束したものの、伊月はそういうことが苦手だった。
せっかく会うのなら映画でも見ようかと考え、ならば食事はどこで、などと考えていううちに誘う日の前日になってしまい、こんなに急では森山も予定があるだろうなどと考え、電話しそびれた。

この間学校の前で強く咎めて以降、森山が連絡なしに会いに来ることはなくなった。

思えば、2人が会う時はいつも森山が言い出し、伊月はそれに自分の意見を言うだけであった。
いまさらながらに自分の身勝手さに呆れたが、苦手なものはどうしようもない。

ようやく意を決して電話をすると、森山はいつも嬉しそうな声ですぐに出た。
彼が伊月の誘いを断ったことは1度もない。
他に予定はないのですか、と聞くと、
大学生は暇なんだ、と笑いながら答える。
そんなものなのかと信じていたが、それを嘘だと知ったのは、冬真っ盛りの2月。偶然にも笠松と会ったときだった。


「笠松さん!」

「ん?ああ伊月か!」

駅で笠松の姿を見かけ、声をかけると懐かしそうに目を細めた。

「ちょっと会わねぇうちにお前も大人っぽくなったな」

笑いながらそう言われ、伊月も笑顔を向ける。

「そういや、森山の奴、誠凜によく来てたか?」

突然その名を呼ばれ、伊月はどきりとする。

「あいつ誠凜に彼女でも出来たのか、しょっちゅうこっちまで来てたみたいだな。」

「え…?」

「大学いる間はずっと携帯弄ってやがるし。誰かからの電話待ってるみたいだったな。
あいつもスポーツ推薦だからあんま勝手なことできねぇのに、サークル休みまくるわ…。
この前の日曜だって、プロの監督がスカウト来てるっつうのに大事な用ができたって休みやがって、監督にめちゃくちゃ怒られてたしな。」

笠松からの言葉がぐるぐると頭をまわる。
この間の日曜日は伊月がNBAの東京での試合を観に行こうと森山を誘ったのだ。
たまたま行かなくなったチームメイトに譲ってもらえたから。
急な話だったが、森山は迷うことなく快諾した。
予定がないという森山の言葉を信じ、2人は出掛けたのだ。

プロの監督がスカウトに来たということは、森山の進路や将来にとって大切なことだ。
それを伊月のせいで無駄にした。
自分の鈍感さと不甲斐なさは、伊月を打ちのめした。
急に黙り始めた伊月を心配するように笠松が声をかける。

「おい。体調でも悪いのか?」

「い、いえ…。大丈夫です…」

「そうか。伊月からもさ、もし森山の彼女に心当たりあったら、あんまりあいつを縛りつけねぇように言っておいてくんねぇか?」

笠松はそう言うと改札の奥へと消えていった。

笠松の言葉が頭に響く。
縛りつけていたつもりはなかった。
森山が、誠凛の前で伊月を待っていたとき、あれも初めてではなかったに違いない。
いったい何度会えないまま帰ったことのだろう。

伊月は徐々に耐えきれなくなっていった。
森山が自分に向ける感情が大きすぎて、受け止めきれない。
自分はなにひとつ返してあげることができていないのに。
与えられるばかりの愛情が、伊月には負担になっていった。

自分に彼は釣り合わない、伊月はそう思った。
きっと彼のことをもっと真剣に思ってくれる人が他にいるだろう。

伊月は思い詰め、やがて決心した。
電話のアドレス帳から森山を呼び出す。
1コールの後から明るい声が届く。
伊月は一言「今からそちらに向かいます」と告げると電話を切った。





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