仕事を淡々とこなしていると、自分の仕事を終えた山田が寄ってきて、伊月と向き合うように椅子を動かす。

「なぁ、森山ってさ、伊月の知り合いだろ?」

「あぁ。高校のときにな。」

「へぇ。ってことはバスケの知り合いか。
あんなチャラチャラしてる奴もバスケなんてするんだな」

「どういうことだ?」

伊月が不思議そうに問いかけると、山田はきょろきょろとあたりを見回し、伊月の元へ顔を近付け、声を潜める。

「あいつ、事務の女や秘書課の女にやたら声かけてるんだぜ。手が早いな。
しかもあのルックスじゃ、断られることはまずないだろうな
まったく、とんでもない奴だ」

山田は眉間に皺を寄せるようにして文句を言う。
不機嫌な様子からしてどうやら気がある子をとられそうになってるようだ。
伊月はやれやれというように息をつくと、山田がさらに口を開く。

「しかも秘書課一美人を口説いてるんだぜ!
どうせ今日お持ち帰りされちゃうんだろうな」

山田の言葉に、一瞬動きが止まる。
あたりを見回すと森山の姿はない。
山田の言う通りなら秘書課の女と約束でもしているのだろうか。
伊月は痛む胸を抑えると、ぐっと唇を噛み締めた。

「ほんとイケメンは生きてて得だよな」

山田の言葉に頷くこと出来ぬまま、書類を手に立ち上がる。


もうあれから何年もたった。
森山の気持ちだって変わっていないはずがない。
森山との握手で動揺しているのは自分だけだ。
あのぬくもりを手放したのは、伊月自身なのだから。



森山が異動になった日から、会う日も会う日も違う女性と一緒にいるところを見かけるようになった。


再会してからの森山は、特に変わった様子もなく、昔のことなどなにも覚えていないかのようだった。
彼の姿を見かける度に伊月のほうがドキリとする始末だ。
それでもなんとか、普通の仕事相手として接するようにしていた。
仕事内容も一通り教えられたため、会っても仕事以外の話をすることはなく、伊月にとっては幸運だった。
近付かなければ余計なことをなにも考えずに済むからだ。

「伊月くん。」

お昼を食べに行こうとエレベーターを待っていると秘書課の同期が話しかけてきた。

「伊月くん。ちょっといい?」

「え?あぁ。どうした?」

「森山さんのことなんだけど…」

同期は声を落とした。
聞き慣れた名前に嫌な予感がした。

「あの人がうちの課の女の子と付き合ってるの知ってるでしょ?」

「あぁ…秘書課一の美人の?」

「そう。その子、森山さんに捨てられたみたいなの」

「え?」

「他の子とデートしてるところを見せつけたらしいの」

「それは…」

伊月は口ごもった。
森山は本当に女性と付き合っていたのだ。
そして、他の女性が原因で別れたという。

森山が無類の女好きというのは高校時代からわかっていた。
だが、女の子は紳士に労わるもの、とどんな相手にも優しく接してきた森山とは考えられない仕打ちだ。
しかし、伊月にとやかく言う資格はない。

「伊月くん。昔の知り合いなら、あまりこういうことさせないように言ってくれないかしら?」

「俺にそんなこと言う資格ないって…」

「いいから!今日中にはちゃんと伝えておいてね!」

同期は強く念を押すとスタスタと踵を返した。
どうするものかと悩んでいた伊月は、先に昼食を食べようと待機していたエレベーターへと乗り込んだ。


行きつけの定食屋には今1番会いたくない相手がそこに居た。
向こうは伊月の存在に気がつくと一瞬目を逸らした後手を振った。

「やぁ伊月くん。相席する?」

森山は微笑むと向かいの席を指した。

「あ、じゃあ…お言葉に甘えて」

伊月はそこに腰かけると森山の様子をちらりと伺う。
相変わらず整った容姿をしているが、その表情はどこか冷たい。

「あ、あの森山さん…」

伊月は携帯を弄る森山に声をかけると同時に着信音が鳴り響いた。

「ごめんね伊月くん。ちょっと失礼」

森山が電話に出ると、携帯の向こうからは女性の声が微かに聞こえる。

「ん?あぁ。今日はちゃんと会いに行くさ。待ってて。ん、わかった。」

森山は電話を切ると伊月に向き直る。

「あ、彼女…ですか?」

「ん?あぁ。まぁね。」

森山の言葉がずきりと刺さる。
そんな言葉にショックを受けている自分にもまた不愉快を覚えた。

いつまでもお前を好きなわけではない、そう言われいるようで伊月は強く目を閉じる。

「あの、秘書課の人とも、付き合ってましたよね?」

「あぁ。あの、乳だけでかい子ね。別に付き合ってはないよ。ただ何度か寝ただけで彼女面されてうっとおしかったけどね」

森山は薄ら笑いを浮かべて伊月を見る。
その瞳の冷たさにふるりと身体が震えた。
伊月は逡巡すると、口を開いた。

「森山さんは、そんないい加減な人じゃなかったじゃないですか…」

森山は伊月の顔を見て、さもおかしそうに笑った。

「伊月くんにそんなこと言われるなんて思わなかったな。
もしかして、自分は特別だなんて思ってたのかな?」

森山の言葉に大きく目を開く。

「別に君と付き合ってたときだって、伊月くんだけが特別だったわけじゃないさ」

森山はそれだけ言うと伝票を片手に席を立った。
振り返ることなく店から出る。
伊月はその背中が消えていくのをただ黙って見つめていた。




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