その姿は、夢によく現れた。
広い肩幅に、長い手足。
ユニフォームを着て、高い背を少し屈めてしゃべる。
なにを言ってるのかわからないが、眩しいくらいの笑顔を見せてくれる。

低い、耳元をくすぐる声。
口元に浮かぶシニカルな笑みは、照れたときはその頬にほんのり赤を添える。

笑いながら彼が何かを言う。
なんと言ってるのか聞こうとするが、声は届かない。

そうしているうちに、彼は背を向けてどこかへ行こうとする。
引きとめようと伸ばした手は、虚しく空を切る。
遠くなる背中に「待って」と声をかけるが、彼の後ろ姿は光によって消えていった。



伊月俊は目を覚まし、ベッドの上で深いため息をついた。
この夢を見た朝はいつも憂鬱な気分になる。
どんな悪夢よりも伊月を落ち込ませるその夢の主は、森山由孝といった。
伊月とはひとつ離れ、先輩にあたる。
直接の先輩ではないが、高校の頃バスケの試合で知り合った他校のライバル選手といったところだ。

森山とは男同士ではあるが、恋人関係にあった。
伊月はそれまで男と付き合うことはもちろん、恋愛として男に好意を持つことはなかったが、
森山に交際を求められた時、不思議と嫌悪感は湧かなかった。
学校が違うことや、年上ということも気にならないくらい、森山は優しく接してくれた。
しかし、伊月が大学に入学した年に2人は別れた。

正確には伊月から終わらせた。

別れましょう、と言ったとき、森山は驚くことはなかった。
ただ一言「今までありがとう」と静かに笑うと、呆気ないほど簡単に森山は去っていった。

告白されてから別れるまで、わずか2年たらずのことだった。

それから8年。
今頃になって伊月は森山の夢を見る。
別れた時のままの彼の姿で、あの時縋ることのなかった手を伸ばしていつもそこで夢は終わる。
夢の中でも、彼はもう遠い存在だ。

伊月は重い身体を起こし、ベッドから抜けると、
夢の余韻を振り払うために、バスルームへと向かった。



伊月の務める職場は、大手の食品会社で、所属は営業部である。
入社4年目を迎えた職場は、同僚も上司も気さくな人が多く、のんびりとした穏やかな部署だ。
たまに部長とダジャレの言い合いをしては、事務の女性に冷ややかな目で見られたりしている。

営業部ということもあってか、日中は出回ってる人が多く、人があまり居ない社内が今日は珍しくざわついていた。

伊月は自分の席へと腰かけると、同期で隣の席の山田に声をかけた。

「今日はやけに人が多いな」

「あぁ、なんでも素敵なイケメンさんが営業部に異動されたらしい。
そんで女性はこの騒ぎってわけ。」

「へぇ…このステッキ、素敵!」

「うんうん。ハイハイ。伊月ってほんと残念だよな」

山田はため息をつきながら、席を離れていく。
伊月はデスクの引き出しを開けると、ネタ帳を取り出し、すらすらとペンを走らせた。


女性たちは席に戻らず、部長室をちらちらと見つめている。
伊月もつられるように、ドアに目をやった。
ドアが開き、課長と共に1人の男が姿を見せる。
伊月は凍りついたように動けなくなった。
握っていたペンがいつのまにか手から落ちて、コロコロとデスクに転がる。

「伊月くん。ちょっとこっちへ」

課長の声は伊月には届かなかった。
もう一度呼ばれたところで山田に肩を叩かれる。

「おい、伊月!」

「あ、…」

伊月は慌てて立ち上がると、小走りで課長の元へと向かう。
課長席へと着いたところで、戸惑うような声が頭から降ってくる。

「あれ…?伊月くん…?」

再び伊月の身体が固まる。

「やっぱり伊月くんじゃないか」

にっこりと微笑むその顔は、今朝も夢に見た、森山由孝だった。

「あ、…森山、さん?」

「なんだ?2人とも知り合いなのか?」

「ええ。高校の頃、部活の試合で何度か会ったことがあるんですよ」

課長からの質問に、森山が笑顔で答える。

「それはいい。今後一緒に仕事をしてもらうからな。仲良くやれよ」

課長にポンと背中を叩かれ伊月は曖昧に笑う。

「久しぶりだね、伊月くん。これからよろしく頼むよ」

伊月に向かって右手が差し出される。
伊月はその手を見つめ、躊躇いがちに手を伸ばす。

「こちらこそ、よろしくお願いします…」

伸ばされた手を、森山は躊躇なく握る。
力強い大きな手は、驚くほどに冷たかった。






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