I do not want to

平和だったシンドリア王宮が突如騒然としたのは、就業時間をすぐそこに控えた夕暮れ時だった。
わたしは非番だったので、銀蠍塔でマスルールと一緒に剣の鍛錬をしていた。

昔は剣奴だったというマスルールと手合わせしていたとき、突如、ぐらっと地面が揺れたのだ。
地震のようなその衝撃は、空気までもが揺らいでいるかのような、異様なものだった。
いきなり地面が揺れたせいでバランスを崩したわたしの腕を掴んで支えてくれたマスルールは、真顔のまま空を見上げた。


『なに、今の…地震?』

「…いや、結界が破られた。侵入者だ。向こうでヤムライハさんたちが騒いでるのが聞こえる」


そう言ってわたしを見下ろすマスルールに、嫌な胸騒ぎを覚えた。シンドリアには島を覆うように、シンさんとヤムライハさんが作った強い結界が張ってある。
それが破られて何者かが侵入したなんて、ただ事ではない。


『シンさんたちのとこ行こう』

「ああ」


非常事態であるからして、直ちにシンさんたちのいる場所へ向かわなければならない。
時雨を鞘に戻すと、マスルールも大剣を鞘に戻して、ひょいとわたしの身体を抱き上げた。
横抱き、いわゆるお姫様抱っこで。
俵担ぎよりはマシだけれど、非常事態にお姫様抱っこって空気を読めていない。
しかししのごの言っている時間はないので、マスルールの太い首に腕を回した。
わたしが走って移動するよりも、地面を蹴り上げて高く飛ぶマスルールに連れて行ってもらう方がいくらも早く移動できる。
たんっ、と空中に飛び上がったマスルールにしがみついたまま、遠くなった地面を見下ろした。


「マスルール、なまえ!結界が破られました。侵入者です!」


王宮の庭園に、シンさんやジャーファルさん、ヤムライハさんやピスティ、その他大勢の部下たちがいた。
シャルさんやスパルトスさんは外勤なんだろう、姿はない。
マスルールと共にシンさんの近くに降り立つと、ジャーファルさんがそう険しい顔で言った。


『侵入者はどこに?』

「上です」


シンさんやヤムライハさんが険しい顔で上を見上げている理由が分かった。
結界を破りシンドリアに侵入した人物の所在を尋ねたわたしに、ジャーファルさんが冷たい目をしたまま、わたしの頭上を指差して言った。
侵入者は空を飛べる人物なのかと、わたしも空を見上げる。


『え…!?』


地上から遥か上、シンドリア王宮庭園の空中に浮かぶ、大きな絨毯を見て、わたしは自らの目を疑った。
空に浮かぶ絨毯の上にあぐらをかいて座っている、黒い人影に、見覚えがあったからだ。
じわりと、嫌な汗が背中を伝う。
心臓が痛いくらいに跳ねた。


「よォ、バカ殿!遊びに来てやったぜ!」

「…ジュダル……!!」


空に浮かぶ絨毯が、ゆっくりと降りてくる。
そして、長い三つ編みの黒髪がひらりと空を舞い、絨毯に乗った侵入者は、わたしのよく知る声で、そう楽しそうに言った。
わたしの後ろで、シンさんが、忌々しげな声で侵入者の名を呼んだ。

わたしの、命の恩人の、名を。


『ジュダル……』


ジュダル、だ。
強力な結界を破り、シンドリアに侵入したのは、紛れもなくわたしの友人である、ジュダルだった。
一年と少し前、共に迷宮を攻略した、わたしの恩人だ。
何故、ここにジュダルが。
信じられなくて、くわえて嫌な胸騒ぎが止まらなくて、ジュダルの名前を小さく呼んだ。
隣で、ジャーファルさんが驚いたようにわたしを見下ろす。


「ジュダルを知っているんですか、なまえ」

『………はい…』


知っているも、なにも。
ジュダルはわたしの命の恩人で、友人で、この世界に来てから初めて接した人で、わたしの大切な…。
頭の中が混乱して、うまく考えがまとまらない。
ジャーファルさんを見上げると、彼は酷く冷たい目をしていた。
シンさんも、ヤムライハさんも、ピスティも、部下たちも、マスルールも。
徐々に近づいてくるジュダル。
ここにいる人たちは、皆が皆、ジュダルを忌み嫌っているのだ。
憎んでいる。
その理由を、わたしは知っていた。

「なまえ…君に、まだ話さないといけないことがあるんだ」
わたしが部屋にこもって泣いていた日、シンさんが話してくれた、たくさんの話の中に、ジュダルの話もあったから。
アル・サーメンのことや、世界を変えるために戦うことを話してくれたシンさんの口から、ジュダルがシンさんたちに何をしたのか、全て聞いた。
ジュダルは、シンさんたちの仲間を傷付け、シンさんの運命を妨害している。
”あるマギに、何人もの仲間を殺された”、と、シンさんは言っていた。

その、憎むべき”あるマギ”が、ジュダルのことだと、わたしは今、やっと理解した。
ジュダルは、シンさんの仲間を殺し、傷付けた”敵”であると。


「あ!?お前……なまえじゃねーか!!」

『!』

「おまえなんでこんなトコにいんの!?」


すとん、と地上に足をつけたジュダルが、わたしの存在に気付いた。
笑顔でわたしの名を呼ぶジュダルを見つめる。
迷宮攻略してから、初めて再開したジュダルは、少しも変わっていない。
懐かしい再開のはずなのに、わたしはちっとも喜ぶことができなかった。
いや、喜んではいけないのだ。
シンさんと共に、シンさんのために戦う、と決めた日から。


「おい、なまえ。おまえ、まさかとは思うけどさァ」

『……』

「バカ殿の仲間になったわけ?」


ジュダルの目が、ぎらりと光った。
ああ、わたしはどうすればいい。
シンさんたちはジュダルを憎んでいる。
わたしにとっては、命の恩人である、大切な人を。
わたしは、どうすれば。

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