preference?

「なまえ、好きだ」


マスルールは宣言した通り、毎日わたしにそう言ってくる。
二人きりのときは、じっと瞳を見つめながら。
他に誰かがいるときは、耳元で。
毎日、ふとした瞬間に、マスルールは”毎日わたしに好きと言う”のを思い出したときに、その都度伝えてくるのだ。
大抵は1日に一度、律儀に。

正直、言われるたびにどきりとするし、何て返せばいいのか全くわからないけれど、マスルールは伝えたことに満足して返事を催促するようなことはないので、まあ、「ありがとう」くらいで済ませている。

我ながらろくな女じゃないと思うけれど、今のわたしにはそれが精一杯なのだ。
受け止めることはできても、応えることはまだできない。
その歯がゆさに、胸が痛くなる。


『ねぇ、シンさんのとこ居なくていいの?最近いつもわたしのとこにいるけど』

「用があれば呼ばれるから問題ない」

『そう…』


今日も今日とて、努力の一つを実行に移しているマスルールが字の読み書きの練習をしているわたしの部屋に居るので、気になったことを尋ねてみた。
前までは、シンさんの側にいつも居たのに、疑問に思ったけれど、別に王宮内で離れていることに関しては問題ないらしい。

ちなみに、文字の読み書きは、九人将になってからジャーファルさんが、仕事のために教えてくれたのだ。
今では書き仕事で困らないくらいには読み書きできるようになったけれど、なんせわたしには前の世界での文字への固定概念があるので、変わった形の文字をまだ、完璧には理解できていない。
なので、綺麗に書くため、そして理解するため、継続して練習中だ。


「桃食うか?」

『え?なんで桃?』

「シンさんが…女性は贈り物をすれば喜ぶ。って言ってたから…お前桃好きだし」

『…まあ、好きだけど』


好きだけど、桃は。
でも女性への贈り物で、フルーツをチョイスするって、おかしいよマスルール。
食べたことのないスイーツとかならまだわかるけど、割と日常的に食べている果物を、プレゼントって。
それ贈り物じゃなくて餌付けだよ。

とは言えずに、どこから取り出したのかも分からない桃を差し出してくるマスルールから、とりあえずそれを受け取った。
ずっと持っていたのか、桃はマスルールの体温に温められて、ぬるくなっている。
贈り物の内容が桃、ってところはまあひとまず置いておいて、わたしを喜ばそうとプレゼントしてくれたことが、純粋に嬉しかった。


『…ありがとう、マスルール』

「ああ」

『あとで冷やして食べるね』

「そうしろ」


貰った桃をテーブルの上にそっと置いて、ベッドの横で棒立ちしているマスルールに目をやった。
ふと、疑問が浮かんだのだ。
いや、以前から疑問に思っていたけれど、聞くことができなかったことがある。
じっと見上げれば、マスルールはクエスチョンマークでも頭に浮かべていそうな顔で、わたしを見下ろした。


『……マスルールって、わたしのことが…あれなんだよね』

「好きだ」

『…うん。……なんで?』

「?」

『わたしのどこが好きなの?』

「…………」

『わたしなんかの、どこがいいの?』


続けて質問すれば、マスルールは斜め上についと視線を動かした。
そのしぐさの意味はわからないけれど、その顔から目が離せない。
ずっと、気になっていたのだ。
いいところなんて無いし、マスルールのタイプでもないだろうに、何故、と。

ソファに座ったまま、無言でいるマスルールを見つめる。
マスルールの、唇の下のピアスが、光を受けてきらりと光った。
ふと、目が合う。


「…詳しいことは俺にもわからん」

『…そっか』

「………シンドリアに戻る船で、お前、俺に泣いて縋っただろう。あのとき、心臓に電流が流れたような…感じがした」

『……………』

「お前が泣きながら、懇願する顔が忘れられなくなって…お前をよく見るようになった。…新しい顔を見るたびに、心臓に電流が流れた感じがした」


わたしの質問の答えを、ゆっくりと語り始めたマスルールから、目が離せなくなる。
あの船でのことが、よほど印象にのこっているらしい。
わたしにとっては、ただ取り乱して縋ってしまった、というだけだけれど。

心臓に電流が流れた感じ、とは、ビビッときた、みたいな感じで解釈していいのだろうか。
よくわからないけれど、マスルールの話す続きを待つ。


「…それからは、お前のことばかり考えるようになって、お前が先輩とかに触られてるのを見ると、とてもイライラした…。それにお前の目を見ていると、なぜか胸の辺りがムズムズして…」

『……………』

「そんなのは初めてだったんで、体の異常かと思ってシンさんとジャーファルさんに言ったら、病気は病気でも恋の病だ、と言われた」


ああ、恋の病だなんて、シンさん言いそう。
と思いながらも、わたしも胸の辺りがムズムズして、落ち着かない気持ちになった。
今話してくれたことが全て本当で、マスルールの気持ちが恋愛感情ならば、マスルールはわたしに、初恋をしていることになる。
初恋、だなんて、なんて甘い響きだろう。
相手がわたしだなんて、申し訳なくて仕方なくなる。
けれど、マスルールが初めて、それをわたしに抱いてくれたのだ。
わたしは後悔なんてせずに、胸を張らなくちゃいけない。

ありがとう、そう、言わなきゃいけないのに。
声が出なくて、黙ってマスルールを見つめた。


「…お前のどこが好きなのかはわからないけど…」

『…………』

「なまえは、俺の初恋だ」


泣き出してしまいそうだった。
ぎゅうっと胸が苦しくなって、じわっと視界が歪む。
わたしも、マスルールがわたしを想ってくれるのと同じだけ、同じものを返したい。
なのにどうして、わたしはあの手を取れないの。
気持ちではもう、マスルールに応えたいと願っているのに。

過去の記憶が、わたしをここから、動けなくさせるの。
こんな弱いわたしは、もう嫌だ。


『………』


巻物を置いてソファから立ち上がる。
紅色の瞳を見上げる前に、足を動かした。


「!」


応えたいのに、怖い。
そんなジレンマが大嫌いで、弱い自分が憎くて、マスルールが、確かに、愛しくて。
恐怖心の中にそっと芽生えた赤色を失くしたく、なくて。

マスルールの胸にそっと、額を押し付けた。
大きな身体に抱き着くようにして、逞しい背中に手を伸ばす。
マスルールの匂いに包まれて、マスルールの体温を全身で感じた。
温かい。
人に抱き着くなんて、いつぶりだろう、そんなことを考えながら、マスルールの胸に、頬を擦り寄せる。
マスルールが今日は、鎧を身につけていなくて、よかった。

驚いたように身を固めていたマスルールの太い腕が、そっと、壊れ物を抱き込むように、わたしの背中に回る。
人と抱き合うのって、こんなにも温かかったんだ。
まだ少しだけ、怖い。
抱擁も、体温も。
だけど、マスルールに抱き締められて、幸せだと、確かに感じている。
大きな、逞しいマスルールの背中を覆う白い布を握って、目を閉じた。

わたしの髪の毛に鼻を埋めて、頭に優しくキスをするマスルールの腕の中で、わたしは。


『…わたしが…マスルールの初恋を、信じられるまで…』

「………」

『……待ってて、くれる…?』


くぐもった声で、言った。

わたしがいつか、マスルールの気持ちを、初恋を、信じられる日が来るのを。
それを信じて、待っていてほしい。
きっと、信じてみせるから。


「ああ…待ってる」


マスルールの体温に包まれて、自覚した。
もうとっくに、わたしはこの人を、大切に想ってしまっていると。
わたしはマスルールを、愛おしいと感じてしまっている。

愛し始めているんだ、新たな世界で、真っ赤に光る、強く綺麗な、この人を。

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