『それから、他人の体温が怖くなったんですけど…でも普段は別に、服を着て密着するくらいなんともないんですよ。昨日は酔ってたからか、昔のことを夢で見て思い出してしまって、あんなことしちゃったんですけど』
膝に頬を乗せたまま、淡々と生れてから今まであったことを話した。
昨日一晩泣いて、考えや思い出をまとめていたから、落ち着いて話すことができた。
今まで誰にも話したことのない過去を明かしたことで、どんな顔をすればいいのかわからなくなる。
三人がどんな顔をしているのかもまともに見る勇気が無くて、目を伏せて”彼”のことを思い出した。
考えたこともなかったけど、彼はどうして、わたしの母を知っていたのだろう。
母が生きていたころ、彼はまだ10歳より下の子供だったはずだ。
わたしの知らない母を知っていたのだろうか。
まあ、もとよりわたしの知る母なんて、男の下ではしたなく足を開く姿や、わたしに手を上げる姿、一瞬見せた優しい顔、そして病にふせた姿だけだ。
今更そんなことを考察したことろで何も変わらない、そう思い、考えるのを止めた。
昨夜眠れなかったせいで、ふと眠気が視界を霞ませた。
「…なまえ」
シンさんの優しい声がして、伏せていた目をそっと上げた。
向かいのソファに座るシンさんは、じっとわたしを見つめている。
「話してくれて、ありがとう……勇気が要っただろう」
『…いえ、わたしが勝手に話しただけです』
「君のことを知れて良かった、心からそう思うよ」
優しい人だなあと思う。
この世界ではこれが普通なのだろうか。
否、そんなことはない。
この世界でも非道い人間はたくさん見てきた。
この男は、人よりも強いのだ。
羨ましいほどに。
「月並みな事を言ってもいいか?君はそういうのは嫌いかもしれないが…」
『…どうぞ』
「…なまえ、君が誰にも愛されない、なんてことは、絶対に無い」
『…………』
「君は、絶対に愛される。いつか、本当の意味で君を愛し、君に愛される人間と出会うよ」
『……』
「愛される資格のない人間なんて、この世に誰一人としていないんだから」
『…ほんとに月並みですね』
小さく笑ってそういえば、シンさんは困った顔をした。
それはそうだ、いきなり過去の不幸自慢なんかされて、掛ける言葉に迷うのは当然だ。
ぼんやりとする思考をぼんやりと動かし、膝を抱く腕に力を込める。
「…信じられないか?」
『…いいえ。信じてるから、いま、生きてるんです』
「……君は…本当に勇敢で、まっすぐな女性だな」
『べつに…頭悪いだけです』
もしも本当にわたしに愛される資格が無いのだとしても、わたしはいつまでもどこまでも、その月並みな言葉を信じて、愛されるためだけに生きていく。
ここで生きようと決めたとき、そう誓ったのだ。
愛されたい、ただそれだけでいい。
そのためならばわたしは、手足が千切れたって、目が無くなったって、命が尽きたっていい。
死ぬ間際、誰かに愛されていたと確信できれば、それだけで。
「…なまえ、眠たいんですか?」
『……昨日、寝れなかったんで…』
「しばらく眠るといい。なまえが起きるころには、美味い魚を山ほど用意しておこう」
ジャーファルさんとシンさんの優しい声に、瞼がゆっくりと降りていく。
眠る時、いつも少しだけ怖い。
このまま目が覚めなかったらどうしようかと、考えてしまうから。
けれど、シンさんが目覚めたときのことをそう、約束してくれたから。
目を閉じて、膝に顔を埋めた。
ゆっくり息をすると、だんだんと意識が遠のいていく。
「マスルール、なまえを寝室へ」
「…いいんスか」
「眠っているし平気だろう。それに、昨夜もお前に抱き上げられてからなまえは我に帰ったからな」
「…マスルールが女性に触れるのを躊躇うなんて、明日は海が荒れるかもしれませんね」
「…………」
落ち着く香りに包まれたような気がして、しばらく振りに、夢を見ずに眠った。