I am murdered in the world

母は15歳でわたしを産みました。
ある日夜道で強姦されて出来たのが、わたしです。
家柄の良い家の娘だった母は、若く未婚で妊娠したことで、家から勘当されたそうです。
ぼろぼろの汚い小さな家と、お金だけを与えられて、母はそこへ追いやられました。
苦しい思いをしながらそこで一人過ごしていた母は、それでもわたしを産んでくれました。


「なまえ、これをあげるから、外で遊んでいらっしゃい」


わたしが物心つくころには、母はわたしと二人で住む小さな古い家に、毎日違う男の人を連れ込むようになりました。
ある日、母はそう言って、わたしに大きくて重くて長い、日本刀をくれました。
今思えばわたしが邪魔で、勘当された実家から持ってきたはいいものの使う機会のない刀を捨てるついでに、はやくどこかへ行って欲しかっただけなのだと思いますが、わたしは初めて母に何かを貰って、すごく嬉しかったのを覚えています。
母は決して優しくもなくて、毎日違う男を連れ込んで、料理もろくにしませんでしたが、わたしは母に愛されてるんだと、そのころ信じていました。
すれ違うどこかの親子が仲睦まじく歩いているのを見ても、わたしは泣いたりしませんでした。
わたしが泣くと、母が怒ってわたしを叩くからです。
それでも、泣くわたしが悪いんだと、わたしは信じていました。

わたしが5歳になったばかりのとき、母は病に倒れました。
頬はこけて身体はやせて、日に日に弱っていく母を見るのは辛かったけど、嬉しくもありました。
病にふせてから母は、男を連れ込まなくなったからです。
これで母がわたしだけを見てくれる、そう思いました。
毎日看病していましたが、薬を買うお金なんてありませんでした。
母は死を待つだけの日々の中、急に優しくなりました。


「なまえ、大好きよ」


母がそんなことを言ってくれたのなんて初めてで、嬉しくて仕方なかったのを覚えています。
けれど、そんな日々も長くは続きませんでした。
ある日水汲みから帰ると、毎日苦しそうに繰り返していた咳を、母がしなくなっていることに気が付きました。
驚いて布団へ駆け寄ると、目を開いた母は、からからに乾いた唇を動かして、なにかを呟きます。
聞こえなくて、わたしは母の口に耳を近付けました。
母は小さな乾いた声で、こう言いました。


「お前さえ、いなければ」


そう、確かにわたしに言った母は、その日亡くなりました。
まだ母は20歳でした。
わたしは母の屍体の隣に寝転んで、泣くことも出来ませんでした。
あのときの母の声がいまでも忘れられません。
わたしが生まれなければ、母のお腹に出来なければ、母はきっと幸せになれたはずだったのに。

母の死からしばらくして、1人の男が家を訪ねてきました。
その男は、母がよく連れ込んでいた男の一人で、若くて茶色い髪をした人です。
その人は母の屍体を一瞥すると、その隣に寝そべるわたしを抱き締めました。


「もう大丈夫だよ、これからは俺が君を幸せにしてあげるからね」


その男はそう言うとわたしを抱き上げ、母の屍体をそのままに、わたしが5年間生活した母との家に、火を付けました。
わたしは泣き喚いて火の中に入って、母を探しました。
けれど熱くて、見つからなくて、男に腕を引っ張られて、それでもわたしは、足元に見つけた”時雨”だけは強く握りしめていました。
わたしは男に抱き締められながら、燃えていく母と家を見つめました。

その男はすごく広くて綺麗な家に一人で住んでいました。
ふかふかのお布団で寝たのは初めてで、少しだけ嬉しかったのを覚えています。
男はわたしを可愛がってくれました。
綺麗な着物を着せてくれて、文字の読み方や書き方を教えてくれて、お風呂で体を洗ってくれました。
わたしが日本刀を大事に握りしめていたからか、刀の使い方まで教えてくれました。
そうして二年も経つと、わたしは7歳になりました。
そのころ、天人が現れて、攘夷戦争が始まりました。
外では侍と天人が戦をしているのに、わたしは家の中でいつも男と一緒にいました。
その年くらいから、男はわたしの身体に触り始めました。
胸やお尻を触られて、子供ながらに気持ち悪いと思ったけど、何も言えませんでした。
少しでも嫌がれば、男はわたしを叩きます。
頬を殴って、転んだわたしのお腹を蹴ります。
痛いのは嫌でした。
男が息を荒げながら身体を触ってくるのをしばらく我慢していれば、終わればいつも、甘いお菓子をくれました。
そんな日々が、3年ほど続きました。
わたしの10歳の誕生日、男の手が、今まで触られたことのない、足の間へ伸びてきました。


「なまえ、綺麗になったね…お母さんそっくりだ。もうなまえも10歳だ、大人だよ。どれ、俺が大人にしてあげようね…」


はあはあと耳元で、男が息を荒げます。
男は胸やお尻を触りながら、足の間、自分でも触ったことのない場所を、しつこく撫で回しました。
気持ち悪くて泣いていると、男は指を、わたしの膣に挿入しました。
痛くて思わず、嫌だと声を上げたわたしを、男は血相を変えて叩きました。


「俺はお前をここまで育ててやったんだ!あのクソ女から高い金で買ってやったんだぞ、お前のためだ!お前の母親はな、俺がなまえを買いたいと言うと喜んで金を受け取ったよ。まあ、すぐに病に掛かって金を使う暇もなく死んじまったが…分かったか?あの女は、お前の母親は、お前を愛してなんかいなかったんだよ!俺だけだ、お前を愛しているのは!」


男はそう、大声で怒鳴り、無理やりわたしの足を開きます。
目の前が真っ暗になりました。
もしかしてわたしは死んだのかな、なんて思ったけれど、死んではいませんでした。
気付けば、わたしは母に貰った日本刀を握りしめて、立っていました。
足元には、首から血をどくどくと流す、五年一緒に暮らした男が転がっていました。
わたしが殺したんだとすぐに分かったけれど、怖くもなんともありませんでした。
わたしは愛されてなかったんだ、って、知っていたはずなのに、涙が出ました。

わたしはあの男が母にしたのと同じように、屍体をそのままに家に火を付けました。
大きくて綺麗なお家が、めらめらと燃えていきます。
もう涙は出ませんでした。
わたしは右手にあの男の血の付いた刀を握って、左手には真っ白な鞘を持って、逃げました。
暗くて怖い森の中に入って、何日も歩き続けました。
お腹が空いて、裸足の足は痛くて、ふらふらになりながら歩いていると、小さな川を見つけました。
喉がからからだったので、わたしは川に駆け寄って、そのときやっと刀を離しました。
冷たい水を覗き込むと、頬に真っ黒になった血がべっとりと付いた、わたしが映っていました。
怖くなって、手で水をすくって、顔をばしゃばしゃ洗って、その手のひらを見て、気付きます。
わたしの手のひらにも、あの男の血がべっとりとついていることに。
川の水で、必死にその血を洗い流しました。
綺麗になったのに、全然綺麗に見えませんでした。
それから顔も洗って、やっと水を飲みました。
そして、刀に着いたままの血を、川の水につけて洗い流そうとしたとき、後ろで草を踏む、誰かの足音が聞こえたのです。


「ダメだよ、水になんて付けちゃ。錆びちゃうよ」


優しい声でした。
振り返ると、そこには知らない男が立っていました。
その人は血まみれのわたしを見て、少しだけ驚いた顔をして、しばらくすると優しく笑いました。


「貸してごらん、綺麗にしてあげるよ」


そう言って、大きな手を差し伸べてくれたその人の手を、わたしはいつの間にか握っていました。
その人は、わたしよりも5つ年上の15歳で、攘夷志士として、攘夷戦争に参加しているのだと、わたしにゆっくり教えてくれました。
わたしの手を引いて歩くその人は、生まれて初めて、わたしに優しくしてくれた人です。
何の目的も持たずに、わたしを抱き締めてくれた人です。


「これ、すごい良い刀だよ。時雨って言ってね、伝説と言われた鍛冶屋の親父さんが打ったものだ。大事にしろよ?」


その人は、仲間と一緒に暮らしているという、攘夷志士のアジトへわたしを連れて行きました。
部屋に入れてくれて、暖かいお茶を出してくれました。
その人はわたしの前に座ると、優しい顔で刀を見て、ゆっくりと血や汚れを落として、丁寧に手入れしていきます。
わたしが見ていると、ひとつひとつ、手入れの仕方を教えてくれました。

人を殺した、とわたしが言うと、”彼”
は「そうか、お前は自分を護ったんだな。えらいぞ、辛かったな」と、わたしの頭を撫でました。
もう出ないと思っていた涙が、目からぽろぽろとこぼれ落ちました。

それから彼は、わたしに生きるための術をありったけ教えてくれました。
自分もまだ15歳のくせに、わたしを子供扱いしながら、人間の急所や刀の振るい刀、動き方、走り方、泳ぎ方。
わたしはだんだん、彼から離れたくないと思うようになりました。
彼が戦争へ行くたびに、帰ってこなかったらどうしようと思って、悲しくて泣きました。


「何かを護るために、戦いたいのなら、俺は止めないよ」


わたしが戦争について行きたいと言うと、彼は厳しい顔をしてそう言いました。
わたしは頷きます。
彼を護りたいと思ったのです。
わたしを拾って、何の見返りもなしに色んなものを与えてくれた彼を、自分の命を懸けてでも護りたい、そう思いました。

15歳になったとき、彼と初めてキスをしました。
わたしはそのときやっと、恋というものを知ったのです。
それからわたしたちは恋人になりました。
生まれて初めて、愛されていると感じました。
幸せな日々でした。

17歳になると、戦争に参加していたわたしは、彼よりもたくさん天人を斬るようになっていました。
そんなある日、戦場で、ある一人の天人が、彼の後ろへと迫っているのを見つけました。
あのままでは彼が死んでしまう、そう思ったときには、わたしの身体は勝手に動いていました。
彼を庇って、背中を深く斬られました。
彼は、倒れるわたしを見て、泣いていました。
そのとき、わたしを見下ろしながら、彼が呼んだ名前は、”なまえ”ではありませんでした。

わたしの背中には、斜めに大きな刀傷が残りました。
彼はそれを撫でながら、何度も泣きました。
あの日、わたしが死にかけたとき、彼は誰を呼んでいたのか気になったけど、聞くことはできませんでした。

わたしの背中の傷がどうにかくっ付くと、彼と、初めて身体を重ねました。


「なまえ、一つになろう。愛してるよ。身も心も繋がって、深いところで愛し合おう」


身体を重ねる行為が、わたしは怖くて仕方ありませんでした。
でも、彼とだと思うと、その恐怖すら愛しく感じたのです。
初めて、裸で人と抱き合いました。
初めて性行為をしました。
痛くて、怖かったけど、彼の身体はすごく暖かくて、全身から伝わるその体温に、ひどく安心しました。
生まれてから1番、幸せだと感じました。

彼は毎日、わたしに「愛してるよ」と囁いてくれました。
キスをする度に、「ずっと一緒だ」と笑ってくれました。
身体を重ねるたびに、体温の低いわたしに、温かい体温を分けてくれました。

わたしは彼に愛されている、心から、そう思っていました。


わたしは19歳になりました。
彼とは変わらず、いつも一緒にいました。
けれど、ある、寒い寒い、日のことです。


「なまえ!!アイツが!!」


その日襲ってきた天人の最後の1人を斬ると同時に、後ろから、仲間がそう叫びました。
驚いて振り返ると、そこにはわたしを見る仲間の姿と、地面に横たわり、お腹からどくどくと血を流す、彼の姿がありました。
わたしは動けなくなりました。
彼の姿が、10歳の頃、初めて殺した、あの男の屍体に重なりました。

息もできないまま、彼に駆け寄りました。
足から力が抜けて、その場に崩れ落ちたわたしの頬を、口から血を流す彼が、震える手でそっと触りました。
その手は彼の血に塗れていて、わたしの頬に、それを塗り広げます。

涙が溢れて、彼の名前を呼ぼうとした、その瞬間のことでした。


「……文江さん…」


彼が、掠れた声で、そう呟きました。
わたしの顔を見つめながら、はっきりと、わたしではない女の名前を。


「文江さん…愛してる…」


文江。
それは、5歳のわたしを売った、母の名でした。
わたしを幼児偏愛者に売り、まもなく病で亡くなった母の名前を、教えた覚えもないのに、彼は愛おしそうに呼び続けます。
わたしの、顔を見ながら。

わたしは、わたしの耳が聞こえなくなったのかと思いました。目が見えなくなったのかと思いました。鼻がきかなくなったのかと思いました。
わたしは、死んだのかと思いました。

動かないわたしの頬を撫でながら、彼はじっと、わたしの瞳を見つめます。
わたしは悲しいのか、辛いのか、泣いているのか、生きているのか、何も分からなくなりました。


「なまえ…」


彼は母の名を呼ぶのをやめ、わたしの名を呼びました。
わたしは震えていました。
死にかけている彼よりも酷く、ぶるぶると。


「なまえ。お前を愛してるよ。あの人にそっくりだ、顔も、声も…でも、あの人の瞳は綺麗な黒色だったのに、お前の瞳は汚い灰色だ」


あの人、とは、わたしの母のことを言っているのだと、わかりました。
わたしの母の瞳は、確かに真っ黒で、綺麗だったからです。
彼はわたしの目を見ながら、力が入らなくなったのか、頬を触っていた手を地面に下ろしました。
わたしは彼がわからなくなりました。

彼はわたしを愛してくれているのだと、信じていました。
生まれて初めて愛してくれた人だと、わたしは彼を愛していました。

彼の瞳が、白んでいきます。
この人はもうすぐ死ぬのだとわかりました。
なのにわたしは、涙すら出ませんでした。


「なまえ…俺がいなくなれば、お前はもう誰にも愛されないよ。お前は誰にも愛されない…だから、お前も、死ね。文江さんが、他の誰かに愛されるのは耐えられないんだ」


息の仕方を思い出せなくなりました。
聞きなれた彼の声が、恐ろしくなりました。


「愛してるよ、文江さん…」


彼は最期に、そう言って、息を引き取りました。

わたしを愛したふりをして、ずっと、わたしに母の面影を探していた彼は、最期まで、母を愛したまま、死にました。
彼が毎日、「愛してるよ」と囁いていたのは、彼がキスをしていたのは、彼が傷を嘆いたのは、彼が抱いていたのは、わたしではありませんでした。
彼が愛していたのは、わたしではなく、わたしに重なる母の面影でした。

ならばわたしは、誰なんですか。
愛されていると感じた、幸せに涙した、彼の体温を愛しいと感じたわたしは、一体誰なのですか。

お前は愛されないよ。
わたしは愛されない。

知っていたはずなのに、わたしは忘れていたのです。
わたしは愛されないことを。
世界が恐ろしくなりました。
わたしを決して愛してくれない、嫌い続ける世界の全てが。


彼に愛されていた、そう、信じていました。

×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -