are beautiful

「なまえ、おはよう」


ろくに眠れなかった。
けれど、一晩中考えた。
思い出して泣いた、”彼”を。
マスルールの匂いがするベッドに顔を埋めて、あの偽りの愛を一身に受け、騙された日々を、おもいだした。

そして決めた。


『…おはようございます』

「………なまえ、目が腫れていますね。今冷やすものを持ってきますから、待っていなさい」


シンさんの部屋へ行くと、そこにはシンさんとマスルール、ジャーファルさんが居た。
きっと昨日あったことを知っているんだろう、ジャーファルさんは薄く微笑んで、部屋から出て行く。
シンさんは変わらず、優しい顔で迎えてくれた。
腰に差した時雨の柄を、強く握る。


『…昨日は、すいませんでした。ほんとに、ごめんなさい』

「気にしなくていい。俺も少し踏み込み過ぎた」

『……………』

「そんなところに突っ立ってないで、こちらに座りなさい。マスルール、コーヒーでも淹れてくれ」


マスルールの背中を見ながら、促されたままソファへ座る。
時雨を腰から抜いて、隣へ置いた。
決めたのだ、昨日。
シンさんには全てを話そうと。
違う世界から来た、なんてことは言わないけれど、過去のこと、わたしがどうして、他人の体温に怯えるようになってしまったのか。
隠しておく必要もないのに、頑なになりすぎていた。

顔を上げると、優しく微笑むシンさんと目が合った。


「マスルールは耳が良いからね。君の声を聞き付けてドアを蹴り破ったらしい」

『…………』

「……なまえ。君は迷宮攻略者だったのか」


まず聞かれたのはそれだった。
頷くと、シンさんが身を乗り出してわたしの顔を覗き込む。


『一年と少し前に、迷宮に行って、攻略しました』

「そうか…」

『…すいません、隠してたわけじゃなくて……』

「分かってるよ。そんな特別なことだとは思わなかったんだろう?」

『……はい』

「君は知らないみたいだから、言おう…俺も迷宮攻略者なんだ」

『…そうですか』

「七つの迷宮を攻略したんだ。これでも有名人なんだよ」

『七つも?』


あんな、いつ死んでもおかしくないような場所を、七つも。
シンさんはわたしが思っていた以上にすごい人だったらしい。
マスルールがわたしの前に、コーヒーの入ったカップを置いた。
かちゃ、と音を立てたそれは、優しい湯気を放っている。
しばらくしてジャーファルさんも戻ってくると、氷を詰めた巾着を手渡してくれた。


『……………』

「なまえ、昨日のことは気にしていないよ。君が攻略者で驚いただけだ、そんなに思い詰めた顔をしないでくれ」

「そうですよ。無理やり添い寝なんかしたシンが悪いんです。言いたくないトラウマの一つや二つ、誰にだってありますよ」

『…わたし、シンさんの言う通り、人の体温が怖いんです』


話さなくたっていい、わたしの態度を見て心情を読み取ってくれたんだろう二人はそう言ってくれたけれど、わたしは無視して声を出した。
ジャーファルさんがわたしの名前を小さく呼ぶ。

無理をして話そうと思ったわけでも、恩があるから話さなくちゃと思ったわけでもない。
ただ話したいと思った。

誰かに過去を知られたところで、わたしがこの世界に生きているという事実は変わらない。
死んだりしないし、話したとしても話さなかったとしても、わたしが愛されない運命かなんて、そんなの変わることはない。
そもそも運命なんて馬鹿げてる、もともとわたしはそういう人間だったはずなのに。
生き返ったからなのか、なんだか前よりも、弱くなった気がした。


『わたしの生い立ちなんてどうでもよければ寝てていいです。話したいので話します』

「…俺は知りたいよ、なまえのことならば何でもね」


シンさんの優しい声を聞きながら、ソファの上に足を乗せて、膝を抱えた。
コーヒーの匂いがする。
着物からマスルールの布団の匂いがする。
膝に頬を乗せれば、子供だったわたしの姿が、脳裏に浮かんだ。


『わたしは5歳のとき、幼児偏愛者に売られました』


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