your eyes

「なまえ、愛してるよ」


彼はいつも、そうやってわたしの耳元で、囁いた。


わたしはいつも、そうやって愛を囁かれるたびに、涙を流した。
だって、実の両親にすら捨てられ、汚れたわたしなんかを、愛してくれる人がいるなんて、思わなかったから。


「なまえ、一つになろう。愛してるよ」


初めて身体を重ねた日のことを、今でも鮮明に覚えている。
あの日、震えるわたしを抱きしめて、酷く優しくキスをした彼。


「なまえ。お前を愛してるよ。あの人にそっくりだ、顔も、声も…でも、あの人の瞳は綺麗な黒色だったのに、お前の瞳は汚い灰色だ」


彼はわたしを愛してなどいなかった。
わたしを見つめてなど、いなかった。
なまえ、とわたしの名を呼びながら、ほかの女を見つめていた。
その女を、わたしは知っている。

彼が死ぬ間際に、そう言った。
苦しそうに顔を歪ませながら、わたしの瞳は汚いと。

初めて愛した彼は、
わたしを愛してなど、いなかった。


「なまえ…俺がいなくなれば、お前はもう、誰にも愛されないよ。だから、お前も、死ねーーーーーー」


わたしは愛されない。
そんなこと、わたしが一番、知っているのに。


「愛してるよ、ーーー」


彼は死んだ。
わたしを愛したふりをした彼は、最後にわたしを殺して、死んだ。





「ーーー…なまえ、なまえ」


はっとした。
いつの間に、わたしは寝ていたのか。
優しい声に呼ばれて目を覚ますと、目の前にはシンさんの顔があって、驚く。
甲板でみんなでお酒を飲んでいて、飲みすぎて水を飲んで、桃を食べてーーー。
それから、わたしは甲板に寝転んで目を閉じた。
きっとそのまま寝てしまったんだろう。

だけど、何故。


『…シンさん…なんで、一緒に寝てるんですか』


何故、わたしはシンさんと同じベッドに入っていて、彼の腕の中で寝ているのか。
ずき、と頭が痛む。
シンさんの胸を押して離れようとしたけれど、背中を抱かれていて意味はなかった。


「甲板でなまえが寝てしまったから、部屋まで運んできたんだ。ベッドに寝かせたはいいんだが、その寝顔があまりにも可愛くてね」

『……離してください』

「安心してくれ、おかしなことはしてないよ。ただの添い寝だ」


目尻とまつ毛が濡れていて、わたしは寝ながら泣いていたんだと気付く。
ああ、嫌な、夢を見た。
忘れたい。
忘れたいのに。
ぐっと息が詰まる。


「怖い夢でも見ていたのか?苦しそうに魘されていて、泣いていたから起こしたんだが」

『…大丈夫なので、離れてください』

「大丈夫、何もしないよ。こうして人と体温を分け合うと安心するだろう」

『…………離して』


思ったよりも冷たい声が出た。
けれどそんなことに気を使っている余裕なんてない。
この暖かな体温のせいで、彼を思い出す。
わたしを愛してくれたと信じていた、護れなかったと後悔した、わたしを殺した、彼を。
ぐらりと脳が揺さぶられる、そんな感覚に、顔が歪む。
堪らず起き上がろうとしたわたしの腕を、シンさんが掴んだ。


「なまえはいつも、必要以上に距離を取ろうとするな」

『…離して…』

「他人の体温が、怖いのか?」


カッと頭に血が上った。
思わずシンさんの胸を強く押して、急いでベッドから降りる。

怖い、そう、怖い。
だって、嘘だった。
ただ、愛されたくて泣いていたわたしを抱きしめてくれた”彼”の体温に、あんなにも安心したのに、幸せだったのに、愛していたのに、あの体温は、あの言葉は、あの愛は、全てが、嘘だった。

怖い、わたしは愛されない。
怖い、人はわたしを、わたしを嫌いだ。

枕元に置いてあった時雨を握った。
息が苦しくて、荒くなっていく。
はあはあと、荒い呼吸を繰り返すわたしを、シンさんがじっと見ている。

嫌だ、こんな汚い、わたしをーーー。


『見ないで!!』

「!」


右手が勝手に、刀を抜いた。
嫌だ、やめて、そう、頭では駄目だとわかっているのに。
息が苦しくて、頭がぐらついて、胸が、痛くて。
時雨の切っ先をシンさんに向けた瞬間、頭の中にシトリーの声が響いた。

「なまえ、大丈夫だ」

ぼろ、と、涙が溢れる。
抜刀した瞬間、刀身が眩く光を放った。
切っ先の八芒星が、強い光を放っている。

大丈夫なんかじゃないよ、わたしは、わたしは全然、弱いままだ。


「なまえ、お前…!」

「なまえ」

『名前を呼ばないで!!』


シンさんの声にかぶさって、”彼”の声がした。
嫌、嫌、呼ばないで。
わたしの名を呼びながら、あの女を愛していたくせに!


「落ち着け!なまえ、その刀は、」


シンさんの腕が、わたしに伸びるのが見えて、目を瞑る。

”彼”の腕が、わたしに触れて、愛してるって、囁いた、わたしは愛されてた、そう、思ってた、信じてた、なのにーーー。


『触らないで!!』


カッ!!

時雨が白く、強く、光る。
違う、白じゃない。
これは銀色だ。
わたしの汚れた、汚れた色。

シンさんの目が、腕が、わたしを見て、わたしに伸びている。
シンさんは”彼”じゃない、わかってる、わかってるのに。


『わたしを、見ないで…!!』


見ないで。


バン!

わたしの後ろで、ドアの開く大きな音がした。
はっと我に返って、顔を上げる。
濡れた目に移るのは、目を見開いてわたしを見つめるシンさんと、ジンの魔力を纏った、わたしの刀。
どうしてわたし、シンさんに向かって抜刀なんかして、ジンまで呼び出しているの。

手が震えて、時雨が床に落ちた。
がちゃ、と音がして、思い出す。

わたしは過去の夢を見て、体温に怯えて、あんなことをしてしまったのだと。
足が震えて立っていられなくなる。


『っわた、し…ご、めん なさ…っ、!』


がくん、膝が折れた。
床に倒れ込む寸前、後ろから誰かの腕がわたしのお腹に回って、そのまま抱き上げられた。
ぼたぼたと涙が溢れるその先に見えたのは、赤色。
マスルールだった。

いきなりドアを開けて、倒れそうだったわたしを抱き上げたのがマスルールだと気付いて、どこかで安堵していた。
何に、なんてわからない。
シンさんを見ると、まっすぐにわたしを見つめていた。


『…ごめんなさい……』

「……また、明日話そう」


マスルールが、床に落ちた刀と鞘を、わたしを抱き上げていない方の手で拾って、無言のまま部屋の外へと出る。
最後に見たシンさんの表情は、厳しいものだった。

わたしは、何て事をしてしまったのだろう。
シンさんに刀を向けるだなんて。
殺そうと思ったわけじゃない、ただ。
ただ、怖かった。

マスルールは、わたしに充てがわれた部屋が分からないからなのか、自分に与えられた部屋に入ると、ベッドの上にわたしを降ろした。
そしてわたしの隣に刀と鞘を置くと、じっと見下ろしてくる。

その、紅の瞳が、怖かった。


「…寝ろ」


それだけ言って、マスルールはわたしに背を向けようとする。
思わず、その身体に巻かれた白い布を掴んだ。
ぴたりと動きを止めたマスルールは、再び、わたしをじっと、見下ろす。


『…………』

「……………」

『……わたしの…』

「……………」

『わたしの…目、…何色?』


未だに溢れてくる涙を拭うこともせずに、マスルールを見つめた。
わたしの瞳は、汚い灰色?
本当に、わたしは、誰にも愛されないの?

あの日、ジュダルと迷宮に居た日、愛されるために生きようって、決めたのに。


「…灰色だ」

『……………』

「…………」

『…綺麗だって、言って』

「………」

『お前の瞳は、綺麗だって、言って……お願い…』

「……………」

『一度だけでいいの…お願い……!』


わたしは何を言ってるんだろう。
自分でもそう思うんだから、きっとマスルールはわたしの頭がおかしいと思うだろう。

だけど、欲しかった。
生きる意味が、生きていていい、理由が。
”彼”から逃れたくて、わたしは。


『お願い……一度だけでいい』

「…………」

『…嘘で、いいから……』


「あの人の瞳は綺麗な黒色だったのに、お前の瞳は、汚い灰色だ」


「…お前の瞳は、綺麗だ」


息ができなくなった。
マスルールの低い声が鼓膜に溶けて、涙になって、消える。

嘘でいい、なんて。

わたしはなんて、醜いんだろう。

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