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海賊のアジト、門へは向かわずに大きな古びた建物の裏側へと到着した。
まだ男の見張りが門にいる。
これから、私となまえは屋根に上り、シンとマスルールが門の中に入るのを確認してから、リオの部屋へ突入するのだ。


「では、門番を伸して中に侵入したら、叫ぶなり大きな音を出すなりして合図してください」

「分かった。なまえ、気をつけるんだぞ。危なくなったら、迷わずジャーファルの背中に隠れるんだ」

『イヤですよ』

「………そう言うと思ったよ。でも約束してくれ、大きな怪我はしないと」


なまえの両肩を掴んで言うシンに、彼女も小さく頷いた。
それを見てから、シンが離れる。
背後にいたマスルールに目配せした。


「それじゃあ、私となまえは先に上に上がります。マスルール、よろしくお願いします」


頷いたマスルールが、私となまえの身体を抱き上げた。
ミシ、と音がして、マスルールの足が強く地面を蹴り、もの凄い勢いでジャンプした。


『ひっ…!』


強い風圧と重力を体に感じたが、それは一瞬のことで、スタ、とアジトの屋根に着地したマスルールは、まず私の身体をそこに降ろす。
飛び上がったときに短く悲鳴を上げていたが、なまえは大丈夫かと見上げれば、彼女はマスルールの腕の中で、彼にしがみついたまま、不愉快そうに顔を顰めていた。


『なんか気持ち悪かった…』

「大丈夫ですか?飛ぶ時に合図すれば良かったですね」

『死ぬかと思いました……』


初めてこんなスピードで真上に上がって、その勢いと圧に酔ったのだろう。
マスルールが抱えていたなまえの身体を静かに屋根に降ろした。
ふう、と息をついた彼女は、一度目を伏せてから、ゆっくりと周りの景色を見渡す。
そしてマスルールを見上げると、小さく笑った。


『ありがとマスルール、運んでくれて』

「…あぁ」


無表情のまま頷いたマスルールは、作戦のため屋根から飛び降りた。
これから彼とシンは、門へと回り門番をしている数人の男を気絶させてから、なまえに貰った鍵を使って中に侵入、私たちに合図を送って、アジトの中に突入する。
シンの合図があるまでは私たちは暇になるので、とりあえずリオの部屋がある屋敷の隅へと移動した。
この屋根の下に、シンドリアとアゼントリアの交易を妨害している元凶がいるはずだ。
頭領であるリオが在室していない方が有難いが、おそらくいると思われる。
屋根の端すれすれに移動してからなまえはじっと、門の方を見つめていた。


『ファナリスって、名前かと思ったけど違ったんですね』

「ファナリスとは、暗黒大陸の戦闘民族のことです。マスルールはその末裔なんですよ」

『すごいですね、脚力とか……』


いいな、と、ぼそりとなまえが呟いた。
羨ましい、と言う意味であろうその声を聞き逃しそうになったが、確かに彼女は、いいな、と言った。


「…何がです?」

『わたしも、あんな風に強くなりたかった』


遠い瞳をしてそんなことを言うので、彼女が抱えているものの莫大さに恐ろしくなる。
何かを抱えているのだ、この女は。
莫大で深い、私などには知り得ない、”何か”を。
そのことを、尋ねようとした。
その瞬間だった。


「ジャーファル、なまえ!突入だ!!」


建物の下から、そう叫ぶシンの声が確かに聞こえた。
隣に腰掛けていた、なまえが動く。
屋根から飛び降りるようにして消えたなまえに一瞬焦ったが、すぐ後に聞こえた、ガラスの割れるバリン!と言う音に、安堵と緊張を感じた。
私も慌てて、屋根に手をかけ、なまえが割ったガラスの隙間に身体を滑り込ませる。
部屋の中に着地すると、床にガラスの破片が散乱したその大きな部屋の中央のベッドに、部屋の主であり海賊の頭領であるリオの姿を見つけた。

なまえは、私の少し前に立ち止まっており、左の腰に携えた長剣に右手を掛けている。


「…何のつもりだ、なまえ」

『わたしの刀を返して』

「下で暴れてる二人もお前の仲間か。こんな事してタダで済むと思うなよ」

『刀を返して』


酷く冷たい声で、なまえは言う。
じくりと身を刺すような緊張感の走るこの部屋、中央のベッドに腰掛けたまま動かないリオを見据えて、彼女は未だに微動だにしない。
そして、私は部屋の片隅に、大きな白い袋と、壁に立てかけられた真っ白な、長く細い、剣のようなものを見つけた。
あれがなまえの言う”時雨”だと、すぐに分かった。
彼女の言うように、あの剣は美しい。
見たこともない形、デザインをしているけれど、そう思った。


「なまえ。男三人連れて何のつもりか知らねぇが、お前、俺との約束を忘れたか?」

『刀を粉々にされたくなければ用心棒しろ、ってやつのこと?』

「あぁ、破っていいのか?大事なモンなんだろう、あの剣が」

『…あんなの約束とは言わない、脅迫って言うんだよ』


ベッドから降りようとしたリオに、なまえはやっと剣を抜いた。
右手一本で素早く抜き去ったそれの切っ先を、リオに向けている。


『動かないで』

「おいおい、物騒なモン向けるなよ。今なら許してやるぜ、こっち側に着くんならよ」

『!』


ニヤリと笑ったリオの背後、一つあったドアがいきなり開いた。
ぞろぞろと部屋の中に何人もの男が入ってくる。
そいつらは、リオを守るようにベッドの前に立ち、それぞれ武器をなまえと私に向けた。
おそらく、一番端の部屋だと思っていたこの部屋の奥に、まだ部屋があり、そこにこの15人ほどの男が隠れていたんだろう。
私たちが今日乗り込むことが漏れていたはずはないので、奥の部屋に階段でもあるのかもしれない。

大した力もない男がこれだけ集まったとしても、片付けることは容易だ。
けれど、この15人の男たちと戦っている間に、リオがなまえの剣に手を出すだろう。
これでは安易に縛り付けることもできない、そう思ったときだった。


「なまえ、あの剣がどうなってもいいのか」

『…動くな』

「命令できる立場じゃねぇだろう、お前は。俺はいつでも、お前の大事な大事な剣を粉々にでも真っ二つにでもできるんだぜ」

『…』

「!!」


リオが、悪どい顔でベッドから降り、部屋の片隅に立てかけられているなまえの剣に、近付こうとした、そのとき。
私の目の前にいたはずのなまえの姿が消えた。
タン、と彼女の靴が床を踏む、高い音だけを残して。


『…わたしの刀に触るな』


そして、次に彼女を目に捉えたとき。
立ちはだかっている15人の男の向こうで、なまえはリオの首に剣を押し当てていた。

一体、どんなスピードで、15人の男の壁をすり抜け、リオの背後へ回り込んだんだ。
思っても見なかったそのスピードに、思わず思考がストップする。
そして、リオの首になまえの剣が掛かっているということにやっと気付いた男たちが、一斉になまえへと斬りかかる。

これだけの人数を、リオを捉えたまま捌けるはずがない、そう思いナイフを取り出した私が、それを投げるよりも早く。
なまえはリオを床に倒し、足で強く踏みつけた。
そして、流れるような動きで、目にも止まらない速さで、斬りかかってくる男たちの腹や頭に、剣を振りかざす。
長剣が風を切る音だけが、私に届いた。
私は何をしているのだろうと、考える暇もなかった。
なまえは、自分の倍ほどもある体格の男たちを、その細い腕で剣を振るい、瞬く間になぎ倒してしまったのだ。
リオを足で踏んづけたまま、剣の峰の部分だけを使い、命は奪わないように。
なまえの剣に打たれた15人の男たちは、全員気を失ったのか床にバタバタと倒れた。

私は、何をしているのだろう、やっと思考がそこまで追いつく。
見ていることしかできなかった。
あんな年下の小さな女が剣を取り戦っているのを。
その圧倒的な、速さ、小さな身体からは想像も出来ないような力強さ、そしてしなやかで軽やかで、流れるような剣使いに、呆気にとられてしまった。

なまえは、リオの背中を踏んづけていた左足を浮かせるとーー。


「あんな下っ端を殺ったくらいでいい気になるなよ、まだ幹部が下に、グアッ!!」


そのまま、勢いよくリオの頭を踏みつけた。


『汚い手で時雨に触りやがって、クソが』


ガン!と大きな音を立てて床に頭を打ち付けられたリオは、気を失ったのか死んだのかは定かではないが、ピクリとも動かなくなった。
なまえはその頭から足を離しながら、小さな声でそう呟く。
あの女、どの顔が、本当の顔なのだ。

シンに貰った長剣を鞘に納めたなまえは、こちらを見ることもせず、まっすぐに”時雨”に向かって歩いていく。

あの白く長い、刀と彼女が呼び大事にしている剣が、なまえの手に戻ったとき。
彼女は本当に、私たちにとって、仲間と呼べる存在になり得るのだろうか。
何もかもが分からない、危うく読めないあの女を、本当に迎え入れていいのだろうか。

左手を真っ白な剣に伸ばした彼女は、その鞘をそっと握った。
彼女の手に、時雨が、戻った瞬間だった。


『………………』


なまえは右手で柄を握ると、刀身を抜くわけでもなく、その鞘に額を当てた。
不思議な剣だ。
見たこともない形をしている。
真っ白な柄の先端には、金属のようなものが付いており、長く一定の太さの柄の根元には、薄い円盤のようなものがはめ込まれている。
そしてそこから伸びる刀身は、彼女の背に見合わないほどに長く、細い。
刀身を隠す鞘は、真っ白で何の柄も装飾もなく、陶器のようにつややかだ。

そして、なまえはゆっくりと柄を引き、刀身を鞘から抜いていく。
白い鞘から現れたその剣は、銀色に輝き、おそらく片方のみが刃になっている、細く薄く、長い、美しいものだった。
見たこともない、剣だ。
しかし光を受けて輝く、色の違う銀色で出来たその剣、いや、刀に、私は海賊退治も忘れて見入ってしまっていた。
彼女が”時雨”と呼ぶその剣は、滅びてしまった彼女の祖国で使われていた、”日本刀”という剣らしい。


『……あ、すいませんでした、勝手にやっちゃって…』

「あ、あぁ、いえ。予想以上に強いので、私も見入ってしまってました」

『…それは、どうも』


私の存在を思い出したのだろう、日本刀の刀身を真ん中くらいまで抜いた彼女は、いきなり振り返ってそう言った。
戦っていたときとの態度や声の温度差に、こちらの気が抜ける。
そういえば部屋の外では悲鳴や怒号がずっと聞こえてきているので、シンとマスルールが近くまで来ているのだろう。

なまえは抜きかけていた刀身を鞘に納め、やっと取り返したその日本刀を腰紐に差し込むと、笑顔で私を見上げる。


『取り返せました、ありがとうございます』

「いえ、私は何もしていませんよ」

『ジャーファルさんたちが来てくれなかったら、わたし一人じゃ何も出来ませんでした』


日本刀が返ってきて嬉しいのだろう、会ってから初めて、こんなにニコニコしている彼女を見た。
機嫌良さげに私のもとへ駆け寄ってきたなまえに、私も思わず笑みを漏らす。


「よかったですね」

『はい』

「では、シン達のところへ行きましょうか。この人たちは放っといて大丈夫でしょう」


あれだけ強く、長剣で殴られたのだ、誰もしばらくは目を覚まさないだろう。
彼らはきっと、目覚めた時にはもう牢獄にいる。

男が何人も倒れている部屋を出て、階段を探した。
私の後ろに付いてくるなまえは、軽い足取りで走っている。
腰に刺した二つの剣がぶつかってかちゃかちゃと音を立てているが、気にならないのだろうか。
そんなことを思いながら、見つけた階段を駆け下りた。


「おお、取り戻したか!」

『はい、おかげさまで』

「それが”時雨”か…なるほど、見たことがない剣だ。確かに美しい、なまえのようだ」


それから、束になって掛かってくる海賊たちを適当に気絶させながら、二回階段を降りると、シンとマスルールに出くわした。
やはりこの海賊団は人数が多いだけで、大した武力ではなかったようだ。
頭領も何もしないうちになまえに踏まれてお陀仏、という話をすれば、シンはおかしそうに笑った。
そして、ごろごろと気絶している男たちが転がっている廊下で、なまえの腰に増えた刀を見て、シンが興味深げに言う。

そういえば、ここに来るまでなまえは、せっかく取り返した刀をつかわず、シンに貰った剣のみで男たちを殴り飛ばしていたのを思い出す。
まあ日本刀を使うまでもない敵だったのだろう。


「船に乗ったら、その剣をよく見せてくれないか?」

「シン、あの剣は日本刀と言うそうですよ。なまえの祖国に伝わる剣だそうです」

「ニホントウか、日本でのみ使われていたものなのか?」

『そうですね、他に日本刀持ってる人見たことないんで』

「やはり剣術も違うのか?」

『剣とは違いますよ。日本刀は片面しか斬れないんで』


予想はしていたが、興味津々に聞き入るシンに、ため息が漏れる。
こんな場所で立ち話している余裕などないのだ。
これから伸した海賊たちを縛り上げて、国軍の元へつき出さねばならない。
それから明日になれば領主と交易再開の話をして、カタがついてからやっと、この案件は終わりを迎える。


「シン。のんびりしている暇はありませんよ、話は帰ってからでもいいでしょう。海賊共を縛ってワリにつき出さねばなりません」

「そうだな、では手分けして縛り上げるか」

「私はワリを呼んできますので、三人で頑張ってくださいね」

『…わたしが行きましょうか』

「なまえは男を集めて縛るのが面倒なだけでしょう。それにイヤイヤだったとはいえ海賊に協力していたなまえが行ったら、最悪捕まります」

『……………』

「三人で手分けして頑張ってください」


面倒そうに眉を寄せるなまえに、そのまま笑ってから背を向ける。
無表情だと思っていたが、きちんと見てみれば中々表情豊かな女だ。
縄で気絶している男を縛り上げているマスルールとシンに一言かけてから、長い階段に足をかけた。

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