of she's eye

『あ、どうも』

「すまない、待たせてしまったかな」

『いや、そんなには』


翌日、昼前にホテルのロビーへ降りると、そこのソファには既に女が座っていた。
なまえは、無防備にもソファの背もたれに背中を預け、天井をじっと見上げていて、シンが声をかけると、視線だけこちらに寄越して軽い調子でそう返事をした。
丸腰かと思われたが、やはりその腰には女の細腕には見合わない太く大きな剣が一本、ぶら下がっている。


「君、君にはその剣は大きすぎるのではないですか?」

『まあ、そうですね。でもこれしか貰えなかったんで、仕方なく』

「盗られた剣というのは、どのような?」

『えー…柄と鞘が白で、細くて長い剣です』


手を広げて人質にされているという剣の長さや太さを私たちに話す彼女。
そのそぶりから、盗られた剣は中々の長さでやけに細いものだと理解できた。
そして、刀身以外は真っ白だという。
珍しい剣を持っているんだな、などと思いながら、ホテルを出るシンとなまえの後を続いた。


「なまえ、魚は好きだったかな」

『あ、はい』

「それはよかった。それじゃあ食べる前に自己紹介でもしようか。俺はシンドバッド、シンドリアという国を治めている」

『へえ…?』

「まあ、簡単に言えば王だよ」

『……え、王様なんですか』

「うん」

『え、わたし大丈夫ですか?王様になんか失礼な態度とったような』

「気にしなくていいさ」

『…………ふ、…』


シンが笑って言えば、何故かなまえはくすりと笑った。
今のどこに笑う要素があったのかは全くわからないが、初めて目にした彼女の笑顔は、やはり綺麗なものだ。
マスルールが暇そうに女を見ている。


「何かおかしかったかな?」

『あ、いえ…前に、友達ともこんな会話をしたなって思い出して……』


懐かしそうに笑う彼女に、シンは優しい顔をした。
笑顔を零すその姿は、剣を握って戦うなんて想像もつかないほど、無垢な少女に見える。
こんな小さな女が剣を握り、傷付きながら他人を傷つける姿なんて、シンはきっと見たくないだろう、なんて思った。


「そうだ、部下の紹介がまだだったな。ジャーファルにマスルールだ」


私とマスルールを指差しながら、シンがそう紹介する。
灰色の瞳と視線が合ったので、軽く会釈をした。
なまえもぺこりと頭を下げ、続いてマスルールに目をやる。
マスルールも彼女と目が合ったのだろう、ちいさく頭を下げて「どうも」とぶっきらぼうに言った。


「…よければ、君のことも教えてくれないか?」

『なまえです』

「名前以外にも、出身国や身の上などだよ。言える範囲でいいけど、俺は君のことが知りたいな」

『…まあ、別にいいですけど』


手の前の料理に手を付けながら、なまえは少し眉を寄せた。
そのしぐさは、話すことを拒んでいるのか、それとも単に面倒なのか。
昨日会ったばかりの私にはそれはわからないが、彼女は魚の骨を不器用そうに取り除きながら、その紅の引かれた赤い口を開いた。


『出身国は、日本と言う…閉鎖的な島国でした』

「ニホン?聞いたことがないな」

『ずっと他国と交易もしてなかったので、知らなくて普通です。まあ、今はもうありませんけど』

「国が?どこかに吸収されたのか?」

『いえ、長いこと続いた内戦で自滅しました。土地は燃えて、国民はほとんど死んで。わたしは生き残って、いろいろあって旅に出て…レームに来てから、あの海賊に絡まれたんですけど』


淡々と語る彼女に、シンが眉を寄せる。
当然だ、故郷が戦争によって滅びたというのに、彼女は全く悲しそうにするでもない。
ほぐした魚をもぐもぐと食べながら、なまえはなお続ける。


『そのときはあいつら、人数もそんなにいなくて武力も大したことなかったんで、普通に応戦してたんですけど、なんかいきなり…麻酔?痺れ薬?みたいな…まあ動けなくなる薬を打ち込まれて、倒れちゃって…で、身ぐるみ剥がされて、全財産も刀も盗られて、刀粉々にされたくなければ用心棒しろって言われて、今に至ります』

「…そうか…大変だったな」

「失礼ですが、貴方もその祖国を滅ぼした内戦に参加していたんですか?」

『あ、はい』


頬を動かしながら頷いた彼女。
その隣では、マスルールが魚を骨ごともぐもぐと咀嚼している。
なまえが海賊に協力している訳が大体理解できたところで、シンが彼女の左手をそっと掴んだ。
両手で料理を食べていた彼女は、少し迷惑そうにシンを見る。


「こんなに綺麗で小さな手で、戦争なんかに出ていたんだな」

『……戦争が嫌いですか』

「嫌いだ。戦争が人に何をしてくれる?ただ人を傷付け、命を奪うだけだ…君も、好きなんかではないだろう」

『そりゃ、そうですけど…』


口の中のものを飲み込んだなまえが、唐突にシンの手を握り返した。
女の手は、だいたい柔らかく細いものだが、なまえの小さな手は、骨ばっていて手のひらには血豆が潰れた跡が多くある。
あれはただの女の手ではない、戦う人間の手だ。
彼女の墨色の瞳が、光を灯したままシンを見据える。


『わたしたちは、ただ命を奪うために戦っていたわけじゃありません。自分が傷付いてでも、命を落としても、たくさんの命を奪ってでも、それぞれ大切な何かを護るために、刀を握っていたんです。確かに国は滅んだし、戦争は何も与えてくれませんでしたけど…』

「…………」

『何も知らずに、戦争”なんか”なんて…彼らの日々や命を、否定しないでください』


揺らがない、真っ直ぐで透き通った彼女の瞳と声に、ぞくりとした。
まだ若いのに、全てを終わらせたかのような、瞳をしている。

シンが怯んだのに気が付いたのだろう、なまえは握っていた手をそっと離して、傍のグラスを手に取った。


「…すまなかった」

『いいですよ』

「…よければ聞かせてくれないか。君の戦い抜いた、その戦争について」


それから、なまえは変わらず淡々と、自らが参加していた戦争について話し始めた。
自分が子供のころに、閉鎖的で平和だった国に、外国からの勢力が伸びてきて、政府はその力に恐れ国を開いたこと。
新しく国に侵入してきた外国人を天人と呼び、天人と天人による悪どいものを国から追い出すべく、一部の国民が軍を作ったこと。
政府や天人を排出すべく戦う者たちを攘夷志士と呼び、彼女も10歳になるころには剣を取り戦争に参加したこと。
天人が来てから国は悪い方へ変わってしまったこと、それぞれの志を持って共に戦った仲間が次々に死んでいったこと、自分も何度も死にかけたこと、何人もの天人を殺したこと。
そして、戦が終わる頃には、日本と呼ばれた国は、かつての姿を失ってしまっていたこと。


『生き残った者たちはそれぞれ世界中に散り散りになりました』

「しかし、なまえは腹を貫通するような傷を負って、よく生き延びたな」

『ああ…煌帝国まで逃げ延びて、そこで死にかけてたんですけど。そこである人が命を助けてくれたんです』


懐かしそうな表情で言ったなまえは、手元のパンを齧って頬を動かしている。
喋り疲れたのか、椅子の背もたれに背中を預けて黙り込んでしまった。
さらさらと自分の過去を話してくれた彼女の口ぶりからは伝わってこなかったが、恐らくかなり過酷な過去を背負っているのだと思う。
10歳の子供が人を殺していたのだ。
自分の過去と重なって、少し切なくなった。
私もシンと出会っていなければ、今の自分は無い。


「話してくれてありがとう、なまえ」

『いえ』

「…それで、なまえは戦いの中で…”大切な何か”を”護る”ことはできたのか?」


何もかもを見透かしたような顔で、シンがそう尋ねた。
ぴくりと、なまえの手が動きを止める。
その瞳がゆっくりと、シンの方へ向くのを見つめているうち、酷く胸が締め付けられた。
綺麗な墨色の瞳が、じわりと悲しみに染まっていたからだ。


『……いいえ』

「………………」

『あの人は、死にました』


あの人、そう口にしたなまえは、次の瞬間には瞳の色を打ち消し、何事もなかったかのように食事へと戻った。
これ以上掘り下げられたくはないのだろう。
もぐもぐと頬に食べ物を詰めて、懸命に咀嚼している。
しかしそんな様子なのは彼女とマスルールだけで、私とシンを取り巻く空気は未だ重い。
話題を変えなければ、と彼女を見つめてから、浮かんだ質問をそのまま口にした。


「なまえは今幾つなんですか?」

『20です』

「…20?…20歳ですか?」

『?はい』

「……マスルールと同い年だったんですね」

「そうか、もっと若いと思っていたよ」

『へー、マスルールさんも20歳なんですか』

「はあ。まあ」

『図体的に年上かと思ってました』

「はあ…そうスか。俺もアンタは18くらいかと思ってました」

『まあ日本人は発育あんま良くないんで』

「……そうスね」

『………今胸見て言いましたか?』

「……まあ。小さかったんで」

『…サラシで潰してるんです、外したらもうちょっとデカいんですよ。失礼な人ですね』

「………」

「ハハハハハ、マスルールは巨乳好きだからな。なまえ、俺は女性を胸で判断したりしないぞ?」

『女なら誰でも良さそうですもんね』


歯にもの着せぬ物言いに、思わず笑いが漏れる。
何となく、情緒のない喋り方や遠慮のない物言いが、マスルールに似ていると思った。
マスルールも、あまり表情豊かとは言えない、一定の声音で話す彼女とは話しやすいのだろう、普段より少し饒舌に見える。
ふと、隣でシンがフォークをテーブルに置いた。
見ると、わくわくした顔でなまえを見つめている。


「なまえ、シンドリアに来ないか」

『…はあ…?』

「ここを出て俺たちと一緒に来ないか。シンドリアは良いところだ、お前の故郷と同じ島国でな」

『…いや、無理ですよ。刀人質に取られてるんで』

「それは俺が責任を持って取り返す。そうしたら、俺たちと共にシンドリアに来てくれないか」

『……………』


そんなことを言いだすだろうとは思っていた。
シンがなまえを気に入っているのは見てわかるし、剣を取らせてもその力は申し分ない。
仲間になろう、そう言っているのだ。
なまえは、じっとシンを見つめてから、ふいと目を逸らした。
つやつやとした黒いまつ毛を伏せ、何かを考えているようだ。


『……まあ…元は旅してたし、シンドリアってとこにも行きたかったし、一緒に行くのは構いませんけど』

「!本当か!」

『けど』


顔を上げた彼女は、驚くほど冷たい眼差しをシンに向けた。
シンの身体が強張るのがわかる。
それほどまでに、彼女のその瞳は恐ろしかったのだ。
殺気に近い、そんな色を纏っていた。


『…もし、わたしの刀に何かあったら……』

「……………」

『そのときは、あなたを殺します』


その声に、瞳に、ぞっとした。
彼女は仮定の話をしているんじゃない、刀に何かあれば、本気でシンを殺すと、確信している。
おそらく本気でそんなことになれば、私やマスルールが彼女を殺してでもそれを止める。
それはなまえも分かっているだろう、それなのに、彼女は全く揺らぐこと無く、シンを殺す気でいる。

絶対にそんなことは不可能だ、それなのに。
彼女を見ていると、本当にシンが殺されてしまうんではないかと、ぞっとしたのだ。


「…いいだろう。俺は命を懸けて、君の剣を君の手に返そう」

『……………』

「今夜、門を通してくれるね」

『…これを』


シンの声に、なまえは着物の懐から光る何かを取り出して、そっとテーブルに置いた。
それは、何かの鍵。
見覚えのあるその鍵は、昨夜彼女の腰に引っかかっていた、あの大きな門の鍵だ。


『わたしの刀はリオの部屋にあります。あ、あと一緒に取られた全財産も、手は付けないって約束したんであるはずなんですけど』

「…そのまま在る可能性は低いでしょうね。海賊が約束なんて守ると思ってるんですか?」

『まあ、約束したんで、多分』


さっきまでは確信めいた殺気を放つ恐ろしい様子だったのに、今は悪党と結んだ約束を鵜呑みにしてしまう、馬鹿げた様子の彼女に、面食らってしまう。
どちらが本当の彼女なのか、その、彼女が刀と呼ぶ一本の剣が、どれほどまで大切なものなのか。
何もかもが計り知れない。
このまま上手くいけば、シンの願い通り彼女は私たちと一緒にシンドリアへ向かうことになるだろう。
果たして、こんな得体の知れない女をシンの側に居させていいのだろうか。
危うい、そんな言葉がぴったりななまえを、私はどうにも持て余してしまう。

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