the thin black ink

緩やかな坂を登り、その先に見えた古びた、それでも派手な門。
その奥には、海賊が根城にしている古い屋敷がある。
日が沈み、星が瞬く夜中、私たちはホテルを抜け出しその海賊のアジトへ向かっていた。
うまくいけばこのまま、話題の門番を打ち負かし、アジトに潜入、海賊を退治するという手筈だが、そう上手く行くのだろうか。
既に不安になりつつ、それでもズンズンと進んでいくシンの後に続く。

門が近付いてくると、その真下に、地面に腰掛け門に背を預け、俯いている一人の女が見えてきた。
あれが、例の女だろうか。
辺りに他に人影はないので、恐らくそうと見て間違いはないだろう。
足音を消すこともなく近付いていくシンに、ゆっくりと顔を上げたその女。
女の足元に置かれているランプが、その顔を鮮明に照らし出している。


「やあ、こんばんはお嬢さん」


なるほど、確かに綺麗な顔をしている。
闇よりも真っ黒な髪の毛は、まっすぐに背中へと伸び、腰のあたりで横にまっすぐ切りそろえられていて、ランプの光がてらてらと反射していた。
シンプルな着物を腰紐で縛り、着物の合わせがめくれて右脚が露出している。
そして胸元を隠すように巻かれた、真っ白なサラシが、彼女の整った顔によく似合っている。


『…こんばんは』


地面に座り込んだまま、静かな声でそう言った女。
シンが目の前で立ち止まると、女は剣を地面に突き立て、それに体重を乗せるようにしてゆっくりと立ち上がる。
思ったよりも小柄な女で、身長はシンの鎖骨に届かないくらいだ。
こんな小さな女が、一人で国軍を?
やはり馬鹿げた噂話かと思われたが、シンは構わず、笑みを浮かべる。


「可愛い門番がいると聞いて来たんだが、君のことかな」

『…さあ…昼間の男共を可愛いとしないんであれば、わたしのことじゃないですか』

「嬉しいよ。予想よりもずっと美しいお嬢さんだ」


剣の柄に乗せられていた女の左手を、そっと取ったシンがその白い手の甲へキスをする。
あんな細い手首で剣など振れるのかと、お門違いな心配が頭の隅をよぎった。
チュ、と音を立てながらキスをしたシンを、冷たい眼差しで見据えている女は、何も言わない。


「お嬢さん、俺の名はシンドバッド。君の名前を伺ってもいいかな?」

『…なまえですが、何か?』

「なまえか…やはり、美しい女性は名前までもが可憐だな。こんな素晴らしい夜は、是非君と酒でも飲みに行きたいところだが……」

『………』

「頷いてはくれないだろうね。俺も、ここの人間に話があるんだ。通してもらえるかな?」

『それはできません』


シンの口説きが全く通用していないが、それはまあそんなに珍しいことでもない。
大抵の女性はシンに頬を染めるのだが、まあ、例外も居ると言うわけだ。
チャリ、と、女の腰紐に括り付けられている鍵が、音を立てる。
おそらく門の鍵だろう。
女は冷たい声音でそう言いながらも、剣を構えることはしない。


「何故かな。君は海賊の仲間なのか?」

『…仲間…ではないです』

「では何故、君のような美しい女性が、こんな野蛮な連中を守るようなことを?」

『大事なものを人質に取られてるので、仕方なく雇われてやってるだけです。…あ、人質と言っても人間じゃありませんけど』

「大事なもの、とは?」

『刀です…あ、剣って言った方が分かりやすいですか』


そう言った女は、シンに握られていた左手をそっと引き離し、地面に突き立てた剣の上に再び乗せた。
剣を人質に取られているから、仕方なく門番をやっている。
それが本当ならば、今持っている剣は代わりの剣で、よほど大切な剣を連中に取られ、嫌々海賊に加担していると思われる。
カタナ、と聞きなれない単語を発したその女は、真っ黒な髪の毛をなびかせながら、シンを見上げた。


「ならば、その剣、俺が責任を持って君に返そう。約束するよ、シンドバッドの名にかけて」

『…はあ…?』

「通してくれないか、ここを」

『いや、無理です。誰も通すなって言われてるので』


ケロリとした態度でそう言った女に、キメたつもりだったらしいシンはズル、と転びそうになっている。
この女、おそらくあの有名なシンドバッドの名を知らないのだろう。
まあ、そんなことはどうだっていい。


「港でたくさんの人が、海賊のせいで困っていることを知っていますよね。貴方に良心があるのならば、そこの男を信用して道を開けてください」

『…いま初めて会った男を信用するとか、ちょっと無理です。あの刀が無いとわたし死んでしまうので』

「だからそれはシンが取ってくると約束したでしょう…!」

『もしあなた方がヘマをして海賊共にわたしが通したことがバレたら、刀が粉々にされるんです。そうなるくらいなら、今ここで死にます。どうしても中に入りたいのなら、わたしを殺してからどうぞ』


じっと、迷いのない瞳を私に向け、まっすぐにそう言い切った女に、かける言葉が見つからなかった。
自らの命を犠牲にしてまで、剣一本が大切だという。
シンが、おかしそうに笑った。


「ならば、仕方ないな。殺しはしないが、しばらく眠っていて貰おう。…マスルール」

「…………」

「手荒なことはするな、傷も付けるな。眠ってもらうだけだぞ」

「…了解……」


最後は結局力技だ。
シンに命じられたマスルールが、ゆっくりと女に向かっていく。
なまえと名乗ったその女は、困ったような顔で小さく息を吐くと、マスルールを真っ直ぐに見つめた。


『…強そうなお兄さんですね』

「あぁ、そいつはファナリスだからな」

『…ふぁな…?名前ですか』

「…ファナリスを知らないんですか」

『有名なんですか、お兄さん』


シンドバッドもファナリスも知らないとは、中々の世間知らずだ。
マスルールが素早い動作で、女を捕まえようと腕を伸ばす。
ヒュ、と風を切る音が聞こえた、その瞬間。


『鋼の肉体で、剣じゃ斬れなかったりしますか?』

「!」


女を掴んだかと思ったマスルールの腕。
その先に、女はいなくなっていた。
目を動かし捕らえたのは、マスルールの背後で、剣を持つ彼女。
いつの間に、移動したんだーー。
移動したことに全く気が付かなかった。
音もなく、素早く移動したその女は、マスルールの背中に剣を軽く当てる。
ファナリスが翻弄されている。

マスルールが無言のまま、逆の手で素早く女を捕まえようとする。
が、やはりさっきと同じように、するりと気付かぬうちにかわされて、彼女はマスルールの背後にひっそりと佇んでいた。
しばらくその攻防が何度も続けられていたが、いい加減同じことの繰り返しで、しかも余裕で避けられてイラついたのか、マスルールが足を出す。
あんな小さな女を蹴ったら、簡単に折れてしまうんじゃないか、そう思い声を出そうとした瞬間。

素早く振り抜いたマスルールの足は、風を切る音だけを残して、女を捉えることなく空ぶった。
タン、と、高い音がしてその方に目をやると、マスルールの背後に立っていたはずの女が、いつの間にか飛んでいる。
おそらく、マスルールの蹴りを避け、そのついでに門を蹴り上げ空中へとジャンプしたのだろう。
そのスピードに、驚く。
速く、そして軽やかでしなやかな身のこなし。
空中で一回転した女は、見上げる私たち三人をちらりと見てから、マスルールの背後に着地した。
その一連の動きの早さは、女の戦うことへの慣れを裏付けている。
捕まえることが目的ではあったが、おそらく戦うことになっても、あの女はファナリスであるマスルール相手に渡り合えるほどの腕だろう。


「…あなたは一体……」


何者なのですか。
そう呟いた私の声に被さって、シンの大きな笑い声が辺りに響いた。
その場にいる全員が、シンの方を向く。
ハッハッハ、と声を上げて笑うシンは、女を見据えると、口角を上げ手を開いて見せた。


「困った、君に惚れてしまった」

『…はあ…?そうですか…』

「なまえ、俺と食事でもしないか?」

「シン、何言ってんですか?」

「いいだろう?非番の日に、一緒に飯を食おう。もちろんご馳走するよ」

『……まあ、奢りならいいですけど』

「え?いいんですか!?」

『昼間は暇なんで』

「そうか、ならば明日の昼、食事をしよう。今日のところはお暇するよ」


まさか、どうしてこんな展開になったのだ。
シンは見るからにこの女を気に入ってしまっているし、断るだろうと思っていた女は、大して間も置かずに頷いた。
人質を取られて仕方なく加担しているとはいえ、彼女は一応敵であるのに、何を考えているのだ、我が主は。
何の興味もなさそうに黙っているマスルールを見てから、ため息をつく。
どうせシンのことだ、彼女の強さに惚れただの話が聞きたいだのと言うに決まっている。


「明日、俺たちのホテルで待ち合わせをしよう」

『じゃあ昼に伺います』

「あぁ。お休み、綺麗で強いお嬢さん」

『お休みなさい、ロン毛さん』


ロン毛さん。
思わず吹き出してしまう。
なんなんだあの女は、全く読めない。
しかし確かに、面白い女に違いない、などと思いながら、さっき来た道を引き返すシンの後を、口元を隠して続いた。


「マスルールが手こずるとは、思ったよりもずっと手練れだったな」

「はあ。まあ、速かったスね」

「剣の腕も見てみたいもんだな…」

「斬られたらシャレになりませんよ、シン」

「なまえは斬らないさ…綺麗な瞳をしていた、罪のない人間を殺すなんてできないよ、アレは」


ふ、と思い出し笑いをするシン。
惚れただのと言って、また面倒事に首を突っ込むつもりだろう。
まあ、いつものことだ。
私には従うほか、選択肢はない。

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