「なまえ、風呂入ってくれば?」 『ああ…わたし後でいいよ』 「じゃあ俺先に入ってくる」 ご飯を食べ終えて洗い物をして、わたしたちはまた研磨の部屋に篭っていた。 研磨はゲーム、わたしは黒尾さんに数学を教えてもらって。 そして、さっきお湯を溜め始めたお風呂のことを思い出したのか、研磨がお風呂を勧めてくれた。 けど基礎問題の途中だったので、研磨に先に入ってもらうことに。 研磨が着替えを持ってお風呂に行くのを見送ってから、時計を見た。 もう夜の8時半だ。 時間がたつの早いな、と思いながらノートに数字を書いていく。 「これで基礎問はだいたい終わったな。理解できたか?」 『基礎問題は多分…大丈夫だと思います』 「よし。なら今日は勉強この辺にしとくか。明日は応用問題な」 『はい』 「端から端までみっちり教えてやるから」 『…ありがとうございます』 ぱたんと教科書を閉じた黒尾さんがぐっと伸びをする。 わたしもノートを閉じて、筆箱にシャーペンをしまった。 今日の勉強は終わりにすることになったから、机に広げていた教科書類を片付けていく。 明日も使うから出しといて部屋の隅にでも置いておこう。 ついでにトートバッグから寝巻きのTシャツとホットパンツと下着とお風呂道具を出しておく。 下着は見えないようにTシャツとホットパンツの隙間に挟んだ。 「つーかなまえ、どこで寝んの?」 『え?ここじゃないんですか』 「え、ここで寝んの」 『研磨が布団あるって言ってたんで、布団敷いて寝るのかなって』 「いや布団はあるけど。男と同じ部屋で寝ようとしてんのかお前は」 『……なんかするんですか』 「いやしねぇけど…」 正直言うと、知らない家で一人で寝るのが怖い。 だってそんな経験ないし、ユカとかリツコの家に泊まることは多いけど同じ部屋で寝るし。 それに研磨と黒尾さんがわたしに何かするわけがないし、当然この部屋で雑魚寝するもんだと思っていた。 「……いや…もし寝ぼけた俺になんかされたりしたらどーすんの」 『…叫びます』 「研磨に俺からなまえを助け出すような力あると思うか?」 『…殴ります』 「…そうだな。もし俺がなんかしたら、殴れ。いや蹴れ、股間を」 『股間を…?』 「急所だからな」 『……え、なんかするんですか』 「しねえって。もし、もしもだ」 『……』 「…まぁ俺寝相いい方だし大丈夫だろ。研磨もいるし…お前も人んちで一人で寝んの怖ぇだろうしな」 『…よくわかりましたね』 「ん?そりゃ、そんくらいわかんだろ」 そうか。考えてみれば、黒尾さんとも一緒の部屋で寝ることになるのか。 研磨と同じ部屋、っていうのは何も思わないくらい平気だったけど、黒尾さんと同じ部屋だと思うと、なんか緊張してきた。 え、どうしよう。 いびきとか歯ぎしりとかわたししないよね…? ていうか、好きな人がいる部屋の中でわたし、ちゃんと眠れるんだろうか。 なんだかもうすでに緊張してしまって不安になってたら、部屋の外からとんとんとん、と階段を上る音が聞こえてきた。 研磨がお風呂を出て上がってきたんだとわかる。 次黒尾さんが入るかな、と思いながらドアを見ると、すぐにがちゃっと開いて、髪の毛が濡れたままの研磨が現れた。 「あれ、勉強やめたの」 『うん。続きは明日にした』 「そう。次どっちが入るの、風呂」 「なまえ、先入って来いよ」 『え、後でいいですよ』 「お前飯作ってくれたりいろいろしてたろ。ほら、行け」 座ったまま黒尾さんに背中を軽く押された。 大きくてあったかい手が背中に触れて、どきっとする。 行け、と言われれば食い下がることも無意味に思えてきて、わたしは素直にお風呂に入らせてもらうことにした。 着替えとお風呂道具を持って立ち上がる。 『じゃあ、先に入って来ます』 「ああ。肩までゆっくり浸かるんだぞ」 『…はい』 わたしは子供か、と思いながら研磨の部屋を出た。 階段を降りて、来た時に場所を教えてもらったお風呂場へと向かう。 脱衣所に着替えを置いて服を脱いでから、脱いだ服はどうしようかちょっと迷った。 置いておいたら下着とか見られるかもしれないし、持って帰ってから洗おう。 そう決めて、お風呂の戸を開ける。 ふわっと湯気とシャンプーの匂いがして、勉強してたからかちょっと疲れたなぁ、と思った。 頭と体を洗ってからお風呂に浸かる。 顔は最後に洗う派なのだ。 黒尾さんに言われた通り暖かいお湯に肩まで浸かって、息を深く吐いた。 研磨もだけど、黒尾さんとこんなに距離が縮まるなんて、初めて会ったときは思ってもみなかったな、なんて思い出す。 それから、まさか恋をするなんて。 最初は少し苦手ですらあった黒尾さんに、今ではこんなにも特別な感情を抱いている。 リツコは、付き合いたいだとかそういう欲がそのうち出てくるって言ってたけど、わたしにはまだそんなことは想像もできなかった。 ただ、黒尾さんを好きで、これからも会って話すことができて、少しでも助けになることができたら。 わたしはまだ、それだけでいい。 それがいい。
・ ・ ・ お風呂を上がって、濡れたままの髪の毛をタオルで拭きながら研磨の部屋に戻ると、研磨の部屋には布団が二つ敷いてあった。 その二つの布団は、少し離して敷いてある。 『研磨、お風呂ありがと』 「うん」 「…じゃ、俺風呂入ってくるわ」 部屋に入って、さっき脱いだ服をトートバッグにしまうと、黒尾さんがわたしと入れ替わるように部屋を出て行った。 なんか少し焦ってたような気がする。 不思議に思って研磨を見ると、研磨は少し笑った。 「戸惑ってたね」 『戸惑ってた?黒尾さんが?』 「うん。戸惑ってたっていうか、ドギマギしてた」 『…何に?』 「なまえの風呂上がりに、じゃない?」 『……え、なんで』 「……さあ」 さあ、って。 目をそらしながら言った研磨のそれは、知ってるけど教えない、ってヤツだと思う。 でも黒尾さんがわたしの風呂上がりにドギマギするって、どういうことなんだろう。 よくわからないけど、研磨があくびをしたので、尋ねるタイミングを逃してしまった。 まぁいいか、と考えるのもやめる。 『わたしどっちの布団で寝ればいいの?』 「どっちでもいいよ。青い布団の方は、クロがよく使ってたやつだけど」 『じゃあ青い方が黒尾さんで』 「うん」 青い布団はドアの近くに敷いてあるので、わたしはそれじゃない方に寝ることにした。 オレンジっぽいやわらかい色の布団。 その布団のうえに座り込むと、なんかちょっとだけ眠くなってくる。 時間を確認すると、もうすぐ夜の10時になろうとしていた。 普段はこの時間に眠くなることはないんだけど、一日中勉強したり料理したりしてたから疲れたのかもしれない。 ぐっと伸びをして、スマホを手に取った。 ユカとリツコからラインがきている。 『ごめん、スマホ充電していい?』 「いーよ。コンセントそこにあるから」 『ありがとう』 持ってきた充電器をコンセントに挿してスマホに繋げた。 あんまり使ってないのに充電が減ってるのはなんなんだろう、スマホからの嫌がらせだろうか。 半乾きの髪の毛に、持ってきたトリートメントを塗った。 手がベトベトというかヌルヌルというかテカテカして気持ち悪いけど塗ったほうが髪に良さそうだから塗るようにしている。 なんかオイルトリートメント、ってやつ。 「なにそれ」 『トリートメント』 「ああ…なまえもそんなのつけるんだ」 『なんか髪の毛サラサラになるらしいよ。ユカがくれた』 「へえ…いい匂いするね」 『ね。手ギトギトして気持ち悪いけど』 「なのに塗るんだ」 『髪サラサラの方がいいじゃん。放っとくと絡まるからさ』 「風呂上がりにいい匂いとかさせてたらクロに襲われるかもよ」 『襲われないよ』 「すごい信用してるね」 『うん。ていうか、わたし襲うほど女に困ってないでしょ黒尾さん』 「クロだって誰でもいいわけじゃないよ」 『…うん?』 「…アホ」 『え、なにいきなり』 「……まぁクロは、信用されすぎるのも考えものだろうけど。手出しにくくて」 『…なんの話?』 「何でもない」 研磨の言ってることが全く理解できないのは、研磨が言うようにわたしがアホだからなのだろうか。 でも研磨がわざとわたしにわからないような話し方をしてる気がするけど。 まぁ、でも気にしたところで研磨はちゃんと話してはくれないだろうし、気にしないことにする。 スマホをフリックしてユカとリツコのラインに返信していると、一階から足音が微かに聞こえてきた。 黒尾さんがお風呂を上がったんだろう。 その足音は、だんだん近づいてきて、どすどすと階段を登り始めた。 そして、がちゃっとドアが開くと、濡れた黒髪から雫を垂らす、白いTシャツとハーフパンツ姿の男が顔を出す。 『……え、誰ですか』 「………黒尾さんですが」 『えっ、黒尾さん?』 「他に誰がいんだ」 『いや…わたしの知ってる黒尾さんは、もっと豪快なトサカみたいな髪型なので』 「しばくぞ。乾いたら元に戻るから待ってろ」 お風呂上がりの黒尾さんは、髪の毛がぺしゃんこだという新事実。 あの寝癖、お風呂入ったらちゃんと取れるんだ。一時的にみたいだけど。 なんだか髪の毛がツンツンしてない黒尾さんは新鮮で、わたしはついガン見してしまっていた。 髪の毛ぺしゃんこでも、かっこいい。 ていうかなんか色っぽくて、あんまり直視してたら目が溶けそうだったので慌てて視線を逸らした。 わたしの隣の布団の上に腰掛けた黒尾さんは、首にかけているタオルでがしがしと髪の毛を拭き始める。 「…なまえが入った後の風呂、なんかすげぇいい匂いした」 『うわ、なんか気持ち悪いこと言い出した』 「今の発言はキモすぎるよクロ」 「いや素直な感想言っただけだろ、他意はねぇから」 『……』 「…まぁ、正直言うと、」 『言わなくていいです』 「……わかった。そうだな、止めとこう。嫌われたくねぇし」 何を言おうとしてたんだこの人。 「ていうかなまえ、ちょっと顔違うね」 『化粧落としたから』 「ああ、スッピン。でもあんまり変わんないのに化粧する意味あるの」 『え、意味?…なんだろ、身だしなみ?的な感じじゃないの』 「でもなまえくらいの化粧がいいよな、薄くて」 「うん…化粧濃い人って怖いよね。なんか目の周り真っ黒で」 「ああ、怖ぇよな。まつ毛不自然に長くて濃いのとか…あと黒目でかくなるコンタクト着けてるヤツとか、なんか目ギョロギョロしててキモいよな」 「ああ、わかる…カラーコンタクト?って言うんだっけ。日本人のくせに変な色のカラーコンタクト着けてる人も気持ち悪いよね。不自然だし」 『なんかギャルをすごい全否定するね』 「だってキモいだろ。お前思わねぇの?」 『…まぁ、カラコンは…なんか怖いですよね、黒目が異様にでかくて』 「だよな。ナチュラルなのが一番いいのになんであんなケバくしたがんのかね」 「ブスだから隠したいんじゃないの」 「あー、なんかケバいヤツってスッピンだいたいブスだよな」 『ケバい人のスッピン見たことあるんですか』 「テレビとかでやってんだろ。あとクラスの女子がたまに、朝時間無かったのかスッピンで来ることあってさ。そんときスッピン見てすげぇビビったわ。普段ケバいのに、スッピンは目がシジミみてぇだった」 「引くねそれは」 「引くだろ」 『いいじゃないですか別に…ちょっとでも可愛く見られたいんですよ』 「いや、可愛く見せたいための化粧で逆にキモくなったら意味ねぇだろ」 「でもまぁ、世の中にはいろんな趣味の人がいるからね…需要はあるんじゃない」 「何がいいんだろーな。ケバい時とスッピンのギャップか?」 『普通にギャルが好きなんだと思いますけど』 「理解できないよね」 『でも、見た目ギャルでも中身がいい人だったら普通に好きにもなるでしょ』 「…いや、人はまず見た目から入るじゃん。見た目がギャルの人の内面を知るほど仲良くならないから」 『…まぁ研磨はそうかもしれないけど』 「…もしなまえがギャルだったとしたら、仲良くなった上で説き伏せてケバい化粧やめてもらうかな俺は」 『…どんだけ嫌なんですかギャルメイク』 「なんか汚らしいよな。目の周りにベタベタ色んなモン塗る時間あるなら勉強しろよって言いたくなる」 『じゃあ、頭も良くてスッピンも可愛くて性格も良いギャルならいいんですか?』 「……いや、頭も良くてスッピンも可愛い時点でその子はケバくなんねぇだろ」 「ていうか頭良い時点でギャルにはならないよね」 「ギャルって頭悪そうだもんな」 この人たちすごい偏見持ってるな、ギャルに対して。 なんか嫌な思い出でもあるんだろうか。 周りにギャルメイクするようなギャルはいないけど、わたしはそこまでギャルに対して偏見は持ってない。 と言いながらも、確かに対峙したら怖いだろうなと思うので、否定はできなかった。
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