昼ごはんの焼うどんを食べ終えたわたしたちは、少し休憩してからやっと勉強に取り掛かった。 研磨は勉強机で自分の勉強(英語とか)をしている。 そしてわたしは、折りたたみのテーブルを持ってきてくれた黒尾さんと並んで床に座って、数学を教えてもらっていた。 左側に黒尾さん、手の前にはノートと教科書、右手にはシャーペン。 「どこわかんねぇ?」 『えーと…基本的には全部……』 「全部!ぶっ、ははは!」 『なにがおかしいんですか』 「全部ってなまえ…くっくく、なに、どこで躓いたの」 『小学校の算数のとき…ですかね。分数とか…』 「算数の時点でか。九九は?言えるか?」 『7と8と9の段以外なら言えます』 「オイ(笑)言えねぇんじゃねぇか」 すげー馬鹿にされている。 くっ。悔しいけど何も言えない。 笑いながらわたしを見る黒尾さんは、範囲をメモしておいたノートを確認すると、その範囲に従って教科書を開いた。 「お、懐かしいな」 『……』 「じゃ、とりあえず基礎問からな。平方根とこから」 『…はい』 「多分期末テストは教科書の基礎と応用問題から出るだろ。やり方覚えりゃいけると思うから」 『はい』 「解いてって、わかんねぇとこあったらすぐ聞けよ。見ててやるから」 『はい』 こないだ黒尾さんがうちに来た時に、数学の宿題を教えてもらったことを思い出した。 黒尾さんってほんと世話焼きで優しいな、と思いながら、教科書の基礎問題をノートに書き写して、解いていく。 正直基礎の時点で行き詰まってるので不安だけど、頑張らないと。 『……』 「そこ間違ってんぞ」 『え、どこですか』 「ここ。計算ミスってる」 『……?』 「掛け算が間違ってんな。なまえ、7×4は?16じゃねぇだろ」 『…えーと……28』 「おい、今7を4回足しただろ。九九覚えろ、そしたらすぐ答え出んだから」 『はい…』 「あとここも。マイナス付いてるの見落としてる」 『あ、ほんとだ…』 「あとここ。ここは足し算間違ってんぞ、38+19が55になってる。足し算間違うってお前小学生か」 『……えーと…38+19…は、57』 「だな。お前計算ミス多いな。暗算せずに筆算しろ筆算」 『はい…』 行先が不安すぎる。
・ ・ ・ 「もう4時か。ちょっと休憩するか」 え、もう4時? シャーペンを持つ手を止めて顔を上げると、黒尾さんと目が合った。 手に持ってるスマホの画面を見せてくる。 確かにもう夕方の4時なんだけど、その前に黒尾さんのスマホの待ち受け画面がわさびの写メなのがびっくりした。 ていうか4時ってことは、わたしはもう3時間くらいぶっ通しで勉強してたってことだ。 しかも数学だけ。 なのにそんなに勉強の範囲進んでないのは何故。 それはわたしが破壊的なアホだからだ。 「予想はしてたけど、お前破滅的にできねぇな数学」 『すみません…』 「いや、いいけどな」 『黒尾さんも来週から期末テストですよね。付き合わせちゃってほんとすみません』 「いーよ、俺の勉強だいたい済んでるし前日の夜ちょっとやりゃいけるから」 『……ありがとうございます』 「うん、つーかなまえが赤点取ったら俺も困るしな」 両手を上げてぐっと伸びをした黒尾さんが、にっと笑ってわたしの頭に手を置く。 ぽんぽん、と撫でてから離れていった大きな手に、ジーンと胸を震わせながらわたしはときめいていた。 なんか、こんなカッコよくて優しくて背が高くてイケメンで完璧な人に片思いしてるのがおこがましい。 きっとわたしなんかより可愛くて綺麗で優しくて頭のいい女の人が黒尾さんにはお似合いだ。 わたしなんかそんな完璧な女の人に比べたら足元に落ちてるゴミにも劣る。 もっと美人に生まれたかった、なんて思ったのは今日が初めてだった。 「つーか晩飯どうする」 「俺はなんでもいいけど」 「材料すげぇあったよな」 自分の勉強が終わったのか、ベッドに移動してピコピコとゲームをしていた研磨が短く答えると、黒尾さんはわたしに目を移す。 心の中でネガティブになってたのでドキッとした。 「残しとくのもアレだし、どうせだから豪華にいろいろ作ろうぜ」 『豪華にいろいろ?』 「三人でそれぞれ食べたいもの一つずつ上げてったらいいんじゃない」 「お、いいなそれ。じゃ、オムライス。研磨は?」 「…シチュー。白いやつ」 「シチューな。なまえは?」 『え…じゃあ、…』 オムライスとシチュー作るなら、もうメイン的な物はいらないはずだ。 と考えて、副菜の候補を頭の中に上げる。 『……サラダ…とか』 「サラダ?なんか女子みたいなこと言うね」 『研磨、わたし女子だけど』 「まあ献立的には成り立ってるしいいんじゃねぇか?」 「何のサラダ?」 『昼のキャベツ余ってるから、普通にグリーンサラダかな』 「そういや冷蔵庫に豆とかあったけど、豆って何に使うんだろうな」 『ああ…サラダにも使えますよ。スープとかにも』 「豆のサラダ?なんか洒落てんな、どっかで聞いた気もする」 多分黒尾さんが言ってるのは、さっき冷蔵庫に入ってた下茹でされて売られてたミックスビーンズのことだろう。 わたしは豆類が好きなのでよく食べる。 ひよこ豆とか枝豆とか入っててうまい。 『じゃあ、オムライスとホワイトシチューと、豆のサラダで』 「なんかあんま豪華な感じしねぇな…」 「うん。フライドチキンとかあったら豪華っぽいけど」 「確かに。コンビニで買ってくるか」 「作らないなら意味ないじゃん」 『でも揚げ物はめんどくさいよ。油の処理とか』 「テキトーに肉焼けばいいんじゃねーの、なんかでかい肉あったし」 「ああ…ソテー的なやつね」 『ていうか、そんなに食べきれるの?』 「クロがいっぱい食べるよ」 「研磨も食えよ、育ち盛りに食わねぇと背も筋肉も付かねぇぞ」 「無理して食べたくないし…」 『じゃあ多めに作りましょーか』 「あ、ポテトサラダ食べたい」 『ああ、じゃがいもいっぱいあったし作る?』 「うん。まぁ作るのはなまえとクロだけどね」 『晩ご飯も手伝わないの研磨くん』 「めんどいし…行ってもどうせやれることないよ、料理したことないから」 『大丈夫だよ、黒尾さんも野菜の皮剥くことしかできないから』 「オイ、チンもしたろ」 『あ、そうですね。あとレンジ使うことしか』 「…俺はレンジも皮剥きもしたくない」 『まぁいいけどね、待ってても…』 「うん。プリン食べたいしもう一階降りよう」 「そーだな。いろいろ作ってたら時間掛かりそうだし、プリン食ったら晩飯作るか」 『早くないですか?』 「ちょうどいいくらいになんだろ。実質料理すんのなまえだけだし」 『え、黒尾さんは』 「俺は助手」 「じゃ、行こ」 研磨がゲーム片手に立ち上がる。 黒尾さんも立ち上がるのを見て、わたしは焦った。 何故なら、左足が痺れているからだ。 両足を右側に折って座る、という所謂お姉さん座りをしていたわたしは、右足の下になっていた左足が感覚がないくらい痺れていた。 そして足を崩したから、じーんと熱が戻ってきて、痺れた足にぴりぴりした強い痛みが走っているのだ。 動かしたりするとじーんと痛む状態なので立ち上がれない。 いつまでも座ったままのわたしを、黒尾さんが見下ろした。 「どうした?行くぞ」 『足が…痺れてて』 「ありゃ、痺れたのか。痛ぇの」 『痛いです』 「突ついていい?」 『やめてください…うー、いててて…』 何もしなくても痛いところまできた。 多分もうすぐ痺れは消えるだろうけど、足痺れたときってこれが辛い。 じんじんして辛い。 わたしの正面にしゃがみ込んだ黒尾さんは、両手をわたしに差し出してきた。 「ん」 『え?』 「手貸せ。立たしてやる」 『え、いや、いま痺れがピークなんですけど』 「立っちまった方が楽だぞ。ほら」 床と太ももの上に置いていた両手を、無造作に掴まれた。 大きな手に手を握られてときめく余裕は今はない。 あ、でも、なんか痺れが弱くなってきた気がする。 徐々に痺れが消えていく感じがして、多分今なら立てそうだ。 なので、両手を引っ張ってくれる黒尾さんの手を握り返して、膝を立てて腰を上げる。 手をぐいっと引き上げられて、その勢いでわたしは立ち上がることができた。 勢いで黒尾さんにぶつかりそうになりながらも耐える。 まだ左足は少しじんじんしてるけど、歩ける程度の痺れなので問題ないだろう。 「行けるか?」 『はい』 研磨は既に部屋からいなくなっていた。 薄情だ。 黒尾さんと一緒に研磨の部屋を出て、一階に降りる。 とんとんと階段を下りながら、さっき自然に握られた両手を見つめた。 あったかくて大きい手だった。 「遅い。何してたの」 「悪い、なまえが足痺れて立てねぇっつーから」 「ふーん」 リビングに行くと、研磨は椅子に座っていて、テーブルにはわたしが持ってきたプリンが袋に入ったまま置かれていた。 ゲームしながら待ってたらしい研磨は椅子の上で体育座りしている。 黒尾さんも椅子に座ったので、わたしも隣に座った。 紙袋からプリンを取り出してテーブルに置く。 普通のプリンとチョコレート味のプリンを三つずつ持ってきたけど、研磨のお母さんとお父さんがいないなら少し多かったな、と思った。 『これが普通ので、茶色のやつがチョコプリンね』 「普通のやつちょうだい。チョコのは晩ご飯の後に食べる」 『うん、はい。黒尾さんは?』 「俺も普通のやつ」 『はい』 研磨と黒尾さんの前に普通のプリンを置いて、わたしはチョコのやつを選んだ。 黒尾さんが三つスプーンを持って来てくれたので、受け取ってプリンをすくった。 口に入れると、チョコが甘くてほろ苦い。 うまい。 滑らかにうまくできてる。 「ん、美味い」 「うん、うめぇな」 「プッチョンプリンより美味しい」 『ありがと』 まぁプッチョンプリンはプッチョンプリンでおいしいけど。 「つーか、高校入ったらマネージャーやってくれるっつったけどさ」 『はい』 「菓子作りはいいのか?音駒にもあるぞ、料理部」 「なに勧めてんの、クロ…なまえが料理部入ってもいいの」 「いや、良くはねぇけど…やりてぇことあんのに無理やりマネージャーやらすのはどーなんだ、と思って」 『べつにお菓子作るのはただの趣味なんで、大丈夫ですよ』 「ホントか?」 『はい。もともと高校で続けようとは思ってなかったし…それにお菓子作るのは、マネージャーしててもできるんで』 「ならいいけど…」 『…ていうか、わたしがマネージャーやりたいからマネージャーになるって言ってるんですよ』 「…そーだな、うん」 「…クロ、なに照れてんの?」 「いや…こないだなまえが、俺のことを一番近くで応援してたい、って言ってたの思い出してさ。感動が蘇ったんだよ」 「え、なまえそんなこと言ったの」 『言ってないよ。わたしは、”研磨と黒尾さんの”って言ったんだよ、”黒尾さんの一番近く”、じゃなくて』 「ああ、じゃあクロの妄想か」 「妄想じゃねぇよ。あの時は本当にそう聞こえたんだっつの」 『都合のいい耳ですね』 「ツンツンすんなよ。こないだは、”てっちゃん、なまえを全国大会に連れてって”…って可愛く言ってくれたじゃねぇか。なぁ?」 「え、なにそれ。そんなダッチの南ちゃんみたいなこと言ったの、なまえ」 『言わされたんだよ』 「へえ…ちょっと一回言ってみてよ」 『え、やだよ』 「こないだ言ったんでしょ。なら一回も二回も一緒じゃん」 『一緒じゃなくない?』 「俺ももっかい聞きたいな、なまえ」 「なまえ、早く」 『……てっちゃん、なまえを全国大会に連れてって』 「かっわいー。な、研磨」 「うん…面白いね」 消えたい、なんかすごいいじられている。 こいつらわたしをいじめて面白いのだろうか。 スプーンを折らんばかりに握りしめたけど、マジシャンみたいには折れなかった。 「まぁ南ちゃんが連れてって貰うのは甲子園だけどね」 「それなまえも言ってたぞ」 「ていうか、てっちゃんって…クロに似合わないねその呼び方」 『わかる。てっちゃんではないよね』 「じゃーなまえ、”鉄朗くん”に変えてもっかい言ってくんない?」 『いやです』 「じゃ、鉄くんで」 『いやですよ』 「やってあげなよ、なまえ。鉄くん、で」 『……研磨が言うなら…』 「なんで俺の言うことは聞けなくて研磨の言うことはすんなり聞くんだよ」 『……鉄くん、なまえを甲子園に連れてって』 「…………や…ばい、可愛い。なんかキュンとした」 「ていうか、甲子園じゃないし。全国大会でしょ、やり直し」 『あ、そっか。間違えた』 「やばい俺、思わず甲子園連れてくって約束しそうになったわ」 「なまえ、やり直し」 『…鉄くん、なまえを全国大会に連れてって』 「……チョット待て、これは心臓に悪い。すげぇ照れる…」 『……鉄くん』 「……ちょ、ヤメテ」 「クロ、顔赤いよ。言わしといて何照れてんの」 黒尾さんがカアッと頬を赤くして、手で顔を隠して俯いた。 これはさっきいじめられた仕返しができたのだろうか、ちょっと楽しいぞ。 正直言うと、黒尾さんを下の名前で呼ぶのとかわたしも照れるけど、普段ニヤニヤして人をいじる側の黒尾さんがいじられて照れてるのとか、レアで可愛くて面白い。 『……研ちゃん』 「え、なに。俺は照れないしキュンともしないよ」 『えー、じゃあ…研くん?』 「ていうか、なまえ俺のことは普段から下の名前で呼んでるし…それになんか語呂が悪い」 『たしかに言いにくいし研磨っぽくないね』 「うん」 「……」 『……黒尾さん、いつまで照れてんですか』 「いや、予想以上の破壊力で…」 未だに照れている黒尾さんに、ちょっと嬉しくなる。 時計を見ると、もうすぐ5時になりそうだった。 そろそろご飯の仕込みを始めた方がいいかな、黒尾さんあんまり役に立たないし。 とか失礼なことを考えながら研磨を見たら、研磨は何故かちょっと笑ってた。 黒尾さんが照れてるのが珍しくて笑ってるのだろうか。 空になったプリンの器にスプーンを置く。 数学は嫌いだけど、黒尾さんが教えてくれるから今日でちょっとだけ好きになった。 こうして嫌いなものを克服していくのかな、と思うと、わたしも自然と笑顔になる。 明日も研磨と黒尾さんと一緒にいられるんだと思うと、この後の勉強すら楽しみに思った。 ------------------------------------------------ ・プッチョンプリン…某お菓子メーカーが販売している有名なプリン。
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