『お茶でいいですか?』

「おー、お構いなく」


二階のわたしの部屋に黒尾さんを上げてから、一階のキッチンで麦茶とコップを用意してわたしも戻ってきた。
黒尾さんは、ラグの上に座ってベッドを背もたれにして、わさびを膝に乗せて撫でていた。
普段生活している自分の部屋に黒尾さんがいる、という非日常感に、少しどきどきする。
黒尾さんを部屋に上げるのは二度目なのにな、と思いながら、麦茶をコップに注いだ。


「にゃーあっ、なー」

「おー、そーか。でかくなったなぁわさび」

「にゃ」

「おお。相変わらず相槌が上手いなお前」

「なー、にゃー」

「はー、可愛い。天使だお前は」


黒尾さんがわさびにメロメロになっている。
わたしは二つのコップに麦茶を注いだのをテーブルに置きながら、その様子を見ていた。


「なぁ」

『………』

「…おい、なぁって。なまえ」

『あ、え、わたしに話しかけてたんですか』

「そりゃそーだろ…シカトされたのかと思ったわ」

『いや、すみません…わさびに話しかけてるのかと思って』


びっくりしながら黒尾さんを見る。
黒尾さんは、制服だというのに膝にわさびを乗せて、わさびのお腹を撫でている。
制服に毛がつくなぁと思いながら、わたしも制服のままで黒尾さんの膝の上でくつろいでいるわさびのおでこを撫でた。


『どうしたんですか?』

「今日、ありがとな」

『…え、なにがですか』

「何も聞かずに付き合ってくれて」

『……』

「なんで呼び出したのかとか何しに中学校の近くにいたのかとか、なんでデート紛いなことすんのかとか、いろいろ聞かれるだろーなと思ってたからさ」

『……まぁ、気にならないことはないですけど…』


正直、ずっと気になっていた。
でも聞けなかったのは、昨日の試合のことが気にかかってしまったからだ。
しんとした家が、わたしの家じゃないみたいな感じがして、少し緊張した。


『……なんか…』

「…うん?」

『…黒尾さん、元気ない気がして』

「……」

『それに楽しかったので…聞かなくてもいいかな、と思って…』

「……俺も楽しかった」


小さく微笑みながらそう言って、黒尾さんは俯いた。
わたしは黒尾さんの右側にいるから、前髪に横顔が隠れてその表情は見えない。
でも、黒尾さんの声に元気がないような感じがして。
ぎゅっと、胸が痛くなった。


「…元気ない、とか言われたの初めてだわ、俺」

『……すみません、なんか…勘違いして…』

「…いや、勘違いじゃねぇよ」

『……』

「…こないだもそうだったけどさ。なまえといると、気が抜けるっつーか…安心するっつーのかな」

『……』

「…弱音とか吐いちまうんだよな。情けねぇな」

『……情けなくないです』

「…うん」

『……』


黒尾さんの声を聞きながら、心臓が締め付けられるみたいに痛くなって、わたしが泣きそうになった。
黒尾さんはいま、わたしに弱音を吐いてくれているんだとわかって。
研磨は、黒尾さんは普通だったと言っていた。
でも、こうして弱っているんだ。
涙腺が震える。
こうして弱い部分を見せてくれるのは、安心する、と言ってくれるのは、わたしにだけなのだろうか。
そうだったらいい。
少しでも、黒尾さんの助けになりたいと思うから。


「…昨日負けたから落ち込んでるわけじゃねぇよ」

『……はい』

「そりゃ悔しいけど、試合に勝ち負けがあるのは分かりきったことだし…完全に力不足だったから、それは割り切ってんだけどな」

『…はい』

「…でかい大会が一つ終わったら、新たな不安要素が見えてきたっつーか…そのことを考えてるうちに煮詰まってきて」

『……』

「考えても解決するようなモンじゃねぇから、余計イラついて…」

『……はい』

「気を紛らわそうと自主練してるうちに…なまえに会いたくなった」


なにも言えない、助けになれない自分がひどくもどかしくてしかたなかった。
下手くそな相槌を打つことしかできなくて、黒尾さんが何を不安に思ってるのかなんてちっともわからない自分に苛立った。
でも、ぽつぽつと話をしてくれる黒尾さんが、わたしに会いたくなった、と言った瞬間、すぐに理解できずに息が止まる。
黒尾さんが悩んで煮詰まったとき、わたしに会いたいと思ってくれたのだと理解して、また泣きそうになる。
たまらなく嬉しくて、でももどかしくて。
俯いていて目が合わない黒尾さんに、どうしてか触れたくなった。
ぴくりと動いた手を、膝の上できつく握る。


「それで中学校まで会いに行ったんだ…なんか気持ち悪ぃな、俺」

『…そんなことないです。全然…気持ち悪くなんかないです』


そうだったんだ、と納得して、やっぱりわたしは嬉しかった。
黒尾さんが悩んでるのに嬉しいなんて最低だけど、わたしに会いたいと思ってくれたことや、頼ってくれたことが、たまらなく嬉しい。
いたたまれなくて、わたしも俯く。
目をぎゅっと瞑ると、わさびが短く鳴いた。


「………甘えてごめんな。年上だってのに、みっともねぇ」

『……みっともなくなんかないです』

「……」

『…わたしは…弱音吐くのが情けないとか、みっともないとか、思いません』

「…うん」

『……それに、嬉しいです。黒尾さんが弱音吐いてくれたことも、会いに来てくれたことも…』

「……」


心臓がおかしなくらいどきどきしていて、いまにも涙が目から溢れ落ちそうで、声が震える。
それでも、今思っていることを言わなければいけないような気がして、震える声を出した。


『…黒尾さんは、昔から世話焼きで…責任感強くて、弱音とか滅多に吐かないって、研磨が言ってました』

「……研磨が?」

『はい。いつも甘えられる側で、甘える相手がいないって』

「……」

『……だから、わたし…嬉しかったんです。この前、三回戦勝てるかわかんないって言ってたときも、…今日も』

「………」

『……他の人には言えない弱音とか…わたしには、言ってくれるのかな、って』

「…うん」


自分が何を言ってるのか、何を言いたいのかわからなくなる。
頭の中も心の中もぐちゃぐちゃで。


『……わたし、頭悪くて…黒尾さんが何に悩んでるのかとか、全然わかんないし…元気付けたりとか、慰めたりとか、うまくできないし…』

「……」

『相槌も下手くそだし、聞くことしかできないけど、でも…』

「……」

『…わたしにできることがあったら、…したいんです』

「……甘えていいよ、ってこと?」


ふと顔を上げた黒尾さんが、真剣な顔のまま、低い声でそう言うので、また心臓がぎゅっとした。
黒尾さんの目の奥が、揺れてるように見えて。


『……わたしに、甘えて欲しい…です』


きっと顔が赤いまま、やっときちんと気持ちを伝えられた。
ごちゃごちゃ並べすぎて肝心の言葉を忘れてしまっていたのだ。
じっとわたしの目を見つめていた黒尾さんは、少し目を見開いて、頬を赤らめてからぼそりと呟いた。


「……すげぇ殺し文句…」


と。
よく聞こえなかったけど、ころし…?とか聞こえたのは気のせいだろうか。
真面目な話をしていたのに、と少し動揺すると、黒尾さんはわたしに笑ってみせる。
その微笑んだ顔がすごく切なく見えて、目の奥が絡まったみたいな感じがした。


「……悩んで煮詰まったらお前に会いたくなるとか、既に答え出てるよな」

『…?』

「つーか俺、なまえに甘えてんだろ。すでに、今も」

『そう…ですか?』

「ああ。お前は、自分は何もできない、みたいなこと言ってたけどさ。なまえといると勝手に弱音とか出てくるから、聞いてくれるだけで十分」

『……』

「甘えていいんだろ?」

『…はい』

「なら、そばにいて甘やかしてくれよ」


いたずらっぽく笑ってそう言った黒尾さんに、どきどきうるさかった心臓がさらにうるさくなる。
この人が好きだって、心臓が騒いでるみたい。
目を見ていられずに、思わず視線を逸らした。
恥ずかしくてたまらなくなったのだ、なんか熱いことを言ってしまったような気がする。


「おい、なんで目ぇ逸らすんだよ。お前だけなんだぞ、俺が甘えられる存在は。ちゃんと甘やかせ」

『…え、わ、わたしだけ…?』

「そりゃそうだろ、他に情けねぇこと言える奴いねぇよ」

『……』

「…どうした、顔赤いぞ」

『あ…暑いだけです』

「…そーか」


黒尾さんがニヤッと笑ったのを見逃さなかった。
わたしが照れてるのを分かってて遊んでるのだ、この人は。
むかつく、でも、すごくすごく、すごく嬉しい。
黒尾さんが甘えられるのは、弱音を吐くことができるのはわたしだけだと、本人の口から聞いたのだ。
感動するに決まってる。
油断したら泣いてしまいそうなくらい、心臓が震えている。


「さ、なまえ。俺を甘やかせ」

『…甘えて欲しいとは言いましたけど…甘やかすって言っても、何でもしてあげるって意味じゃないですよ』

「あ、そーなの」

『付け上がらないでください』

「おいおい、いきなりスパルタかよ」

『……』


なんだか悔しくて厳しくしてみると、黒尾さんは笑った。
揺れる黒髪に触れてみたくなる。
右手がうずうずして、わたしはそっと手を伸ばした。


「…!」


そっと、黒尾さんの髪の毛に触れた。
不思議な寝癖でツンツンしている真っ黒な髪の毛は、意外とやわらかい。
わさびの毛みたいだな、と思いながら、黒尾さんの髪の毛に触れる指先が熱くなっていくのを感じた。
ありえないくらい、どきどきしている。
いきなり髪の毛を触られてびっくりしたはずなのに、黒尾さんは何も言わずにされるがままだ。
嫌では、ないんだと思う。
黒尾さんは右側だけが長い横髪に顔が隠れていて、それが今はありがたかった。
いま顔を見たら、頭が沸騰しそうだったから。
嫌がられもせず何も言われないのをいいことに、わたしはそのまま、黒尾さんの頭をそっと撫でてみた。
やわらかい髪の毛を手のひらで確かめながら、頭の形を撫でていく。
ラグの上に正座したまま、すぐ隣でわさびを膝に乗せてあぐらをかいている黒尾さんの頭に手を伸ばしているのだ。
少し手は疲れるけど、幸せだった。
優しく、黒尾さんの髪の毛をふわふわと撫でつけながら、何も言わない黒尾さんを見つめた。


『………』

「……三年がさ」

『…三年?』

「三年生がな。もうすぐ引退すんだよ。インハイ予選敗退したから…春高は出ねぇって決めたんだと」

『……はい』


いつもよりも小さな声で話し始めた黒尾さんの声を聞く。
頭を撫でる手は止めないまま。


「そしたら二年が部活の最高学年になんだろ」

『…はい』

「…その二年の部員…まぁ俺の先輩なんだけど。そいつらがな…なんつーか、バレーするより後輩こきつかって喜んでるような奴らでさ」

『………はい』

「……来年…研磨が部活入ったら、間違いなく目ぇ付けられると思うんだ。あいつ、あんまやる気ねぇし……』

『……』

「そしたら、あいつ大丈夫かなと思ってさ…多分、バレー辞めたくなんじゃねぇかな……」

『…………』


たどたどしく黒尾さんの頭を撫でながら、研磨のことを考えた。
たしかに研磨は、上下関係とか体育会系のノリとかそういうのが苦手で嫌いだ。
一年や二年早く産まれたってだけで偉ぶる先輩なんか、とくに相容れないだろう。
わたしまで心配になってきた。
きっと黒尾さんは、研磨にバレーを続けて欲しいけど、自分が研磨にバレーを続けさせることによって研磨が嫌な思いをするんじゃないかとか、考えてるんだと思う。
わさびを撫でる黒尾さんを見て、心臓が痛くなる。


『……黒尾さんはいつも、研磨の心配ばっかりですね』

「……そーか?」

『そうです』

「………」

『…黒尾さんは大丈夫ですか?……その二年生の人たちに、嫌なことされてませんか?』

「…大丈夫だよ。まぁ嫌味言われたりはするけど…俺はそういうの気にしねぇから」

『………研磨のことは、わたしも一緒に心配します』

「……」

『なにかあれば、わたしに出来ることならなんでもします…わたしも、研磨にバレー続けて欲しいし、嫌な思いもしてほしくないです』

「………うん…」

『…だから……黒尾さんは、もうちょっと、自分のことも…心配してください』


ゆっくり、黒尾さんが顔をわたしに向ける。
目が合って、条件反射みたいにどきっとした。
ああ、この人が好きだ。
甘えてくれて、弱音を吐いてくれて、弱い部分を見せてくれて、たまらなく嬉しい。
ふと、黒尾さんが目を細めて、優しく微笑んだ。


「…俺は多分、研磨とかなまえとかのこと心配してるほうが、性に合うんだ。実際心配だしな」

『………』

「そんな顔すんな。大丈夫だから」

『………はい』

「…俺のことは、なまえが心配して、甘やかしてくれるだろ?」

『…当たり前です』

「…ん。」

『……ちゃんと甘えてください』

「…ああ」

『…悩んだときとか、不安なときとか、ラインとか電話してください』

「駆けつけてくれんの?」

『はい。走っていきます』

「…なまえ走んの遅ぇからな」

『……』


ついむっとすると、黒尾さんは笑ってわたしに手を伸ばしてくる。
その大きな手は、わたしの頬をするりと撫でて、頭に乗った。
わたしたちはいま、手をクロスさせてお互いの頭の上に手を乗せているという不思議な体勢になっている。


「会いたくなったら、俺が会いに来るから」

『……』

「お前は待ってろ、大人しく。心配になるから」

『…はい』

「……なんか、こんな感じの歌あったよな。電話してくれたらぁ〜、走って行くから〜…ってやつ」

『ああ…”やさしいキスをして”?』

「ああ、それそれ…」

『………』

「………」


何故か、わたしと黒尾さんはお互いの頭を撫でながら目を合わせて一時停止した。
おかしな雰囲気になっているのだ。
キス、とか言ってしまったことを悔やむ。
恥ずかしくて、かっと顔が赤くなった。


『……』

「…お…っと、よくない雰囲気になってたな」

『………』

「あぶねー」

『…何が危ないんですか』

「いや、”キスして”とか言うから…危うく唇奪うとこだった」

『言ってないですよ……誰にでもそんなこと言ってんですか…?』

「おい、引くなよ。冗談だって、冗談」

『……』

「それに誰にでも言うわけねぇだろ」


当たり前だ、誰にでも言ってたらそんなのただのチャラいやつだ。
真面目な話してたのに、とちょっとむくれるついでに黒尾さんの頭から手を離した。
そういえば、さっき何気に頬を触られたことを思い出した。
なんか、恥ずかしい。
色々語ってしまったような。たくさん恥ずかしいことを言ってしまった。
でも黒尾さんはちゃかすでもなく、どことなく嬉しそうに微笑んでいる。
最後にわしわしとわたしの頭を少し乱暴に撫でて、黒尾さんの手もわたしの頭から離れた。


『そういえば、8月になんか…春高の予選始まるらしいですね』

「ああ。その前に期末テストに夏合宿に…いろいろあんな」

『試合、見に行けるだけ見に行きます』

「お、んじゃ頑張んねぇとな」

『……わたしも勉強とか頑張ります』

「ん?おう、困ったら言えよ。教えてやるから」

『はい』


恥ずかしいついでに、もう一つ黒尾さんに言いたいことがある。
わさびのお腹をわしゃわしゃ撫でてる黒尾さんの横顔を見ながら、少し口角が上がった。


『…受験近くなったら、黒尾さんが暇な時でいいので教えてもらっていいですか?』

「受験勉強?」

『はい』

「おお、いーよ。大歓迎です」

『音駒受かるように頑張ります』

「俺も出来る限り力んなるから」

『…ありがとうございます』

「うん。まぁあんま気張んなよ。滑り止めも受けんだろ?」

『…考え中です。音駒一本で行こうかなって』

「…そーなのか?」

『はい。音駒行きたくて』

「おお…なまえが音駒来たら俺も嬉しいわ」

『……はい』

「でもこないだまでは他の受験も考えてたろ?なんでいきなり心変わりしたの」

『……黒尾さんと研磨と、同じ学校に行きたいなって…思ったので』


音駒一本に受験を絞ろうと決めたのは、日曜日。
昨日のことだ。
ユカとリツコが進む高校の受験も考えていたけど、そこは試験範囲が違うから負担になる。
わたしは音駒に行きたいのだ。
そしてもし、音駒に受かることができたら。


『…黒尾さんと研磨がバレーしてるとき、一番近くで…応援とかサポートとか…できることがあれば、したくて』

「……それって…」

『……音駒受かったら…バレー部のマネージャー、やりたいです』

「!」


黒尾さんが目を見開く。
初めて口にした、新しいわたしの目標だ。
昨日の試合を見て、そう決意した。
観客席で見ているだけじゃ遠すぎて、もどかしくて。


「…本当か、それ。俺が誘った時は嫌そうだったよな」

『本当です…昨日、黒尾さんの試合見てて、やりたいって思いました』

「……俺?」

『はい。観客席で見てるだけしかできないの、嫌で……一番近くで見てたいって思って……』

「く…口説いてんのか?」

『…は?』

「いや…バレーしてる俺を一番近くで応援したいって聞こえるんだけど…」

『……研磨も、ですよ』

「あ、そっか…そーだよな」

『……とにかく…わたしにできることならしたいので…マネージャーになりたいなぁ、と』

「……抱きしめていい?」

『え、い、いやです』

「…す…っげー、嬉しい」


びっくりした。
抱きしめていい、とか言うのやめて欲しい。
ばくばく暴れる心臓のせいで胸が痛い。
でも、わたしがマネージャーやりたい、と思ったことで黒尾さんが喜んでくれたのなら、わたしも嬉しい。


「やってくれんの、マネージャー」

『来年、受験受かれば』

「受かる受かる、絶対合格させる」

『あの…もし音駒受かったとして…来年、わたしみたいにマネージャーやりたいって人が他にもいても、わたしマネージャーやっていいですか…?』

「は?当たり前だろ。俺はなまえがいいんだっつったろーが」

『…言いましたっけ』

「言いました」

『……ああ、研磨のためにマネージャーやってほしい、みたいなこと言ってましたね』

「…え、そんな言い方したっけ俺」

『しました』

「…いや、まぁ研磨の士気を高めるためにっつーのも嘘ではないけどな…俺だってなまえがいい。って言ったつもりだったんだけど」

『……聞いてません、そんなこと』

「…うん、とにかく。マネージャーやってくれんの、すげぇ嬉しい」

『…まだ受験も受かってませんけどね』

「おう、それは頑張ろうぜ」

『…はい』


嬉しそうに笑ってくれた黒尾さんに笑い返しながら、心の中でも頑張ろう、と繰り返した。
絶対音駒に受かって、バレー部のマネージャーになる。
そして、黒尾さんや研磨の一番近くで、力になってみせる。


「ありがとな、なまえ」

『……南ちゃんみたいなこと言っていいですか』

「ん?おお、いーぞ」

『…全国大会に、連れてってください』

「……ああ。約束する」

『…はい』

「一緒に全国、行こうな」

『はい』


全国の舞台へ、一緒に。
わたしも黒尾さんや研磨のいるコートのそばのベンチに居たい。
目の奥がキラキラした。
早く高校生になりたい。
笑うと、黒尾さんも笑った。
今日交わした約束が、守られるのかはわからない。
けど、嬉しかった。
馬鹿みたいな小芝居のふりをして、本気だったから。


「でもなまえ、南ちゃんならもっとこう…媚びた感じでだな」

『…媚びた感じ?』

「”てっちゃん、なまえを全国大会に連れてって”、だ。はい、リピートアフターミー」

『……てっちゃん、なまえを全国大会に連れてって』

「うわ、かっわいいな。すげぇ可愛い、なまえちゃん」

『……』

「絶対連れてってやるからな」

『……はい』

「なぁ、もっかい言って」

『…いやです』

「嫌かよ。すげぇ可愛かったのに」

『…ていうか、南ちゃんが連れてってもらうのは甲子園ですけどね』

「いや俺はどう足掻いてもお前を甲子園には連れてけねぇから。観客席なら連れてってやれるけど」

『わたし野球興味ないんで…』

「いんだよそれで。お前は俺のマネージャーになんだから」

『黒尾さんのマネージャーじゃないです、バレー部のマネージャーです』

「細かいとこは聞き流してよなまえチャン」

『………』

「おい、目を逸らすな」


めんどくさくなって顔ごと視線を逸らすと、黒尾さんにほっぺたを突かれた。
無駄にボディタッチが多いから困る。
こっちはいちいちドキドキしてるのに、平気でするんだから。


「来年からはなまえがマネか…俄然やる気出たわ」

『受かったらの話ですけど』

「絶対受からしてやるから心配すんな」

『……他の勉強もいろいろしときますね』

「…他の勉強?なに、エロいこととか?」

『……何言ってるんですか?マネージャーのための勉強ですけど…なんなんですか、きもちわるい…』

「悪かったって、そんな顔すんなよ。他の勉強とか言うから、なんか大人の階段でも登んのかと…」

『そういう発想になる意味がわかりません。怖いです』

「男なんてこんなもんだからな。気をつけろよ」

『…黒尾さんに言われても……』

「ちゃんと聞け。前から思ってたけどな、お前はちょっと警戒心が無さすぎる。いいか、親のいない家に平気で男を上げるなんて危険なんだぞ。変なことされたらどうすんだ」

『…変なことしそうな人は上げませんよ』

「…俺になんかされたらとか考えねーのかお前は」

『……なんかされたら、研磨のお母さんに言いつけます』

「前にもそれ聞いた気がする。まぁ許可なく手出したりはしねぇけど、他の男と簡単に二人きりになったりすんなよ」

『……』

「あ、研磨以外な。研磨は大丈夫」

『……わかりました』

「ん」

『……黒尾さんはちょっと、心配しすぎですよ』

「そりゃ心配もすんだろ。お前よくボーッとしてるし」


そんな自覚はないけど、たしかに考え事してることは多いなぁと思った。
それと、やっぱり世話焼きなんだなーとも。

それから、マネージャーのこととか、思ってることを伝えられてよかったと思う。
黒尾さんの喜ぶ顔が見られたし、自分の中でも決意がさらに固まった。
きっとマネージャーは大変だろうけど、覚悟はできてる。
そのための勉強のことも。
頑張ろう。
こんなに何かを頑張ろうとか、何かをしたいとかなりたいとか思ったのは初めてだ。
初めてのことはいつも怖いけど、きっと大丈夫だと思う。
この先は黒尾さんが、いてくれるから。


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・南ちゃん…有名人気アニメ(漫画)、ダッチのヒロイン。ちょっとあざといところが可愛い。
・ダッチ…野球と青春と恋愛が詰まった大人気漫画。双子の兄弟と幼馴染のヒロイン南ちゃんの恋路がドラマチック。



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