校門のところ、花壇のレンガに腰掛けている黒尾さんを見つけた。
その後ろ姿は制服に包まれていて、初めて明るい場所で見る制服姿にどきりとする。


『…黒尾さん』

「ん、おお、なまえ」


ゆっくりと近付いて、声をかけた。
気付いた黒尾さんは、ぱっとわたしを見上げて薄く笑う。
その笑顔が作られたものじゃない気がして、少し嬉しかった。
黒尾さんは立ち上がると、わたしを見下ろしてから後ろの中学校の校舎に目を移す。
1年前は黒尾さんもここに通っていたんだな、と思い出して、もっと早く出会えたらよかったのに、なんて思った。
初めて会ったときの夜道で見たっきり、黒尾さんは大抵ジャージ姿だったから、制服姿は新鮮ですごくかっこいい。
それになんだか大人っぽく見える。


「いきなり呼び出して悪かったな」

『いいですよ。暇だったので』

「友達といたんじゃねぇの?」

『まぁそうですけど…いつも一緒なんで、問題ないです』

「そーかそーか」


黒尾さんは小さく笑いながら、肩にかけているスクバをかけなおした。
いつもエナメルバッグのイメージだからそれも新鮮だ。


『今日部活は休みですか?』

「おー、でかい試合終わったからな、たまにはってことで休息日らしい。つってもちょっと自主練してきたけどな」

『お疲れさまです』

「なまえも、授業お疲れさん」

『…ありがとうございます』

「こちらこそ。じゃ、いつまでもこんなとこで立ち話もなんだし、行くか」

『?どこ行くんですか?』

「それは未定。とりあえず歩こうぜ」


行くところは決まってないらしいけど、歩き出した黒尾さんに慌てて付いていく。
今日はエナメルバッグじゃなくてスクバなのは、部活なくて自主練だけだから荷物少なかったのかな、なんて無意味に推理してみた。

黒尾さんと二人でまだ明るい道を、どちらともなく駅に向かって歩く。
音駒の制服はまだ見慣れなくて、変な感じがした。


『…黒尾さんが制服着てるの、珍しいですね』

「ん?…ああ、そーだっけ。最近は制服に着替えてから帰ってんだよ、帰るだけのためにいちいちスニーカーに履き替えんの面倒くせぇし」

『じゃあ朝は制服で行くんですね』

「そ。朝ローファーで行くのに帰りのためだけにスニーカー持ってくの無駄じゃね?ってことに最近気付いた」

『へえ…いいですね、制服』

「いい?」

『はい。なんか、新鮮で』

「ああ、そーな。どっちも制服だとなんか制服デートみてぇだな」


デート、という単語にどきっとした。
黒尾さんは無駄にそういう恥ずかしいこと言うから困る。
ただの冗談でそこには何の意味も含まれていないことはわかっているのに、わたしの頬は少しだけ熱を上げるのだ。


「せっかくだし、デートみてーなことしてみるか」

『…え?』

「制服デートといえばなーんだ?」

『…え、…クレープ?とか?』


え、なにこの展開?
面白そうにわたしの顔を覗き込んできた黒尾さんを見ながら、問われた答えを探すためリツコが前にアツムくんとのデートについて話していたときのことを思い出して、あの2人のデートコースの導入部分をそのままパクった。
たしかリツコが「こないだアツムとねぇ、制服でデートしてきたんだけど、違う学校の制服だから新鮮だった。クレープ食べてから買い物行って、ネックレス買ってもらったんだ〜」とか言ってたのだ。

黒尾さんは、わたしがテンパりながら紡ぎ出した答えを聞いて、ニッと笑った。


「確かに王道だな。じゃ、それ行くか」

『え、クレープ…?』

「おー、クレープ」


クレープ食べに行く、と決めたらしい黒尾さんは、状況が飲み込めずにあっけにとられているわたしの腕を掴むと、ゆっくり歩き出した。
何気なく触られていることにどきっとしながらも、これからわたしたちデートするの?と、いまだによくわからない。
でも、なんとなく、理由とか詳しく聞かない方がいい気がして、何も言わないことにした。
少しだけ、いつもの黒尾さんとは違う気がしたから。


「うわー、すげぇ種類あんな…やべぇ、メニュー見てるだけで胃もたれしそう」


駅前のクレープ屋さんに着くと、メニューを見ながら黒尾さんがそう言って笑う。
あんまり生クリームとかは好きじゃないのかもしれないな、と思いながら、わたしもたくさんのクレープの写真が並ぶメニューを眺めた。


「”抹茶あずきクリーム練乳カスタードバニラ”とか、全然味の想像できねぇな」

『それ、こないだ友だちが食べてましたよ』

「マジで。どーだった、うめぇの」

『まずくはないって言いながら、量がやばくて残してました。わたしも一口食べましたけど、なんか…こう、抹茶アイスとあんことシュークリームを一緒に食べながら練乳飲む、みたいな味でした』

「全然伝わんねぇわ、やべぇなそれ。なんかオススメある?」

『オススメ…?…えー…普通にチョコバナナとか…?生チョコクリームのやつとか、ナッツクリームのやつがわたしは好きですけど』

「お前チョコ好きだよな」

『はい。あ、ティラミスクレープも美味しいですよ。甘さ控えめで』

「お、いーねそれ。美味そう。こないだ初めてティラミス食ったんだけどさ、母さんが貰ってきて。アレうめぇよな、何入ってんの?」

『ティラミスは…いろいろありますけど、コーヒーに浸したスポンジとチーズとココアが層になってるのが多いです』

「あ、チョコではねーんだ?チョコかと思ってた」

『チョコではないですね。チョコ使ってるのもあると思いますけど』

「へぇ…で、なまえは何にするか決めたか?」

『あ、はい。ナッツクリームにします』

「”ナッツクリームクレープ”ってやつ?」

『はい』

「ん。俺ティラミスのやつにするわ」


クレープ屋さんの前でごちゃごちゃ話すこと数分、やっとクレープを買うことになった。
ここはよくユカとリツコと来るので、わたしが頼むクレープはたいてい決まっている。
いつも生チョコクリームクレープかナッツクリームクレープだ。
黒尾さんがワゴン風のお店に近付いて行って店員さんに声を掛けたので、わたしも付いて行ってスクバから財布を取り出す。
しかし、ふと振り返った黒尾さんが手を伸ばしてきて、財布を掴むわたしの手を軽く握ったので、驚いて財布を落としそうになった。


『え、なんですか』

「俺払うから、財布しまっとけ」

『えっ、いや、自分で払いますよ』

「いーから、ほら。ちゃんとしまっとかねぇと失くすぞ、落として」


財布をそんなに簡単に落として失くしたりしないけど、黒尾さんはわたしの手を掴んだまま、開けっ放しのスクバに戻そうと押してくる。
なんで意味もなく奢られなきゃいけないんだ、と思いながら、クレープ屋さんに似合わない黒尾さんを見上げた。


『…じゃあ、あとでクレープ代返しますね』

「いらねーよ。年下の女の子は何も気にせず可愛く奢られてなさい」

『……』


じゃああんたは年下の女の子相手なら誰にでもなんでも奢ってやるのか、と思いながら、人前だからかニコニコ作り笑いしてる黒尾さんを睨む。
前にドーナツ奢ってもらったこともあるし、なんか人に奢ってもらうばっかりっていい気がしない。
そりゃラッキーって思わないことはないけど……。
とか思いながら黒尾さんを見ていたら、クレープ屋さんのワゴンの中にいる店員のお姉さんと目が合った。
その店員さんは微笑ましそうに笑っていて、わたしは気まずくなって作り笑いを浮かべる。


「ふふ、優しい彼氏さんですね」

『…えっ、…え?…いや…』

「カップル割引で彼女さんのクレープも安くなりますから、奢ってもらってくださいね」

『え、…あ、えー…と…』


話しかけてきた店員さんは、ニコニコしながら勘違いを炸裂させている。
まず黒尾さんは彼氏さんではないし、わたしも彼女さんではない。
そしてわたしたちはカップルではないのでカップル割引の対象外のはずである。
でもそれを今言うのは割引される差額がもったいないのと恥ずかしいのがあって言えなくて、わたしはどうすればいいのかわからずに隣に立つ黒尾さんを見上げた。
黒尾さんは、薄く微笑んでいる。


「すみません、コイツ人見知りで…」

「いえいえ…可愛い彼女さんですね」

「ああ、そうなんですよ。可愛いんですうちの」

『ちょ……』

「ふふ…仲良しなんですね」

「ええ、それはもう。クレープおいくらですか?」

「カップル割引で、お2つで1000円になります」


何故か店員さんと談笑しはじめた黒尾さんは、わたしをからかってるのか彼氏彼女設定のまま千円札をお姉さんに渡している。
わたし別に人見知りじゃないんだけど、ちょっと戸惑ってただけで。
そして二つクレープを受け取った黒尾さんは、ニコニコの胡散臭い外面用猫かぶり作り笑いを浮かべたまま、店員さんに軽く会釈をした。


「お買い上げありがとうございました」

「ドーモ」

『………』


微妙な気分である。
クレープを奢ってもらって嬉しいような、複雑な。
黒尾さんがナッツクリームの方のクレープを差し出してくるので、お店から離れるため歩きながらそれを受け取る。
ナッツのいい匂い。
黒尾さんは買ったばかりのクレープを歩きながら大きな口で食べ始めたので、わたしも包み紙をめくる。


『ありがとうございます、いただきます』

「ん、召し上がれ」

『奢ってもらってすみません』

「俺が無理やり奢ったよーなもんだったろ、気にすんな」

『いえ…今度、なんか奢りますね』

「いやいや、女の子に奢られるとか俺のプライドが許さねぇから」

『ふ、プライド』

「なーに笑ってんだコラ」

『笑わせにきたじゃないですか』

「大マジだわ」

『ふふ』


プライド(笑)
歩きながらもちもちしたクレープをかじる。
ナッツクリームってクリームなのにアーモンドとかカシューナッツとかの味がして美味しいので好きだ。
クリームの中に荒く砕かれたくるみも入ってるし。
もぐもぐ咀嚼しながら隣を歩く黒尾さんを見上げると、丁度犬歯が見えた。
鋭い。


「ん?なに、食う?」

『え?』

「ん」

『え』


ん、と短く言って、黒尾さんは手に持っているティラミスのクレープを、わたしの口元に近づけてきた。
びっくりして立ち止まる。
目の前には食べかけのクレープ。
え、これを、食えと?
ティラミスのクレープを見ていた目線をちらりと黒尾さんに向けると、どーぞ、と短く言われる。
どきどきしてきた。
変態みたいだけど、黒尾さんの食べかけのクレープを食べさせられかけているという状況に。
どきどきしながら、じっと黒尾さんが見てくるので断るに断れず、意を決して口を小さく開く。
そして口のすぐ近くにある黒尾さんのクレープを、一口かじった。


『………』

「……美味い?」

『……はい』

「………」

『……わたしのも食べますか?』

「…うん」

『……はい』


なんかよくわからないまま、自分のクレープを黒尾さんの口に近づける。
それに合わせて顔を近づけてきた黒尾さんが、口を開いてわたしのクレープをかじるのをじっと見た。
なんか、人がものを食べてるところって、なんか……こう……なんか、アレだ、よくわかんないけど、どきどきする。
ぱく、となんの躊躇いもなくわたしの手からわたしの食べかけのクレープを食べた黒尾さんは、もぐもぐ咀嚼しながら、わたしを見下ろした。


「美味いな」

『はい』

「…なんか、アレだな」

『……?』

「こうしてるとデートみてぇっつーか、カップルみてぇだな」

『………そ、そうでもないです』

「アレ、そーでもなかった?」

『…ないです』

「でも今の、所謂”アーン”ってやつじゃ」

『ないです』

「ないか」

『はい』

「そーか…」

『……』

「……くっ、はは…っ」


デートみたいとかカップルみたいとか、サラッとそういうことを言うから恥ずかしくなって俯くと、黒尾さんが何故か笑い出した。
びっくりして顔を上げると、やっぱりおかしそうに笑いをこらえている。
え、なに笑ってんのこの人。
わたしは一人で照れたり恥ずかしがったりしてたっていうのに。
感受性どーなってんだ。


『え、なに笑ってんですか』

「いや…なまえが、くく…っ」

『は…?』

「はは…っ、なんか、可愛くて」

『…はあ……?』

「お前ちょっと、照れてただろ?」


かあっと頬が熱くなるのがわかった。
なんか照れていたのに気付かれている。
でも、黒尾さんはわたしが照れていたから笑っていたのだとわかると、なんかイラっとした。


『……』

「いてっ」

『……』

「ぶはっ、ちょ、なんで殴るんだよ…っくく、あは、はは…っ」

『笑いすぎです。むかつきます』

「わ、悪い…っくふ、っはは…!」

『……チッ』

「ぐふっ、おま、舌打ちとか……くくっ、ぶっはははは…っ」


もう許さない。
イラっとしたので黒尾さんの脇腹を殴ってみたら笑われて、またイラっとしたので舌打ちしてみたらまた笑われた。
この人はわたしの挙動がツボなんだろうか?頭おかしいのだろうか?
いや、こんな黒尾さんのことが好きでこんな黒尾さんの挙動にどきどきしたり照れたりするわたしの方が頭おかしいのだ。
そうだ、間違いない。


「はー…ふう、ゴメンゴメン、もう笑わねぇから」

『………』

「なまえー、なまえちゃーん」

『………』

「ごーめんって。機嫌直せ、な?」

『……』

「ホント悪気はなかったんだぜ?なまえが照れてるの可愛かっただけでさ」

『……なんで可愛いと笑うんですか』

「いや、わかんねぇけど…なんか可愛くて、気が抜けたっつーか…?」

『……意味わかりません』

「さっき俺も照れてたからさ、二人して照れてたのかと思うとなんか面白かったんだよ」

『…照れてたんですか?』

「そりゃ、何かを食わせ合ったりしたのとか初めてだったしな」

『……それホントですか?』

「え、なに疑ってんの」

『黒尾さんの言うこと鵜呑みにしてると、いつか痛い目に遭いそうなんで…』

「オイ、どーいう意味だそりゃ」


がしっと大きな手に頭を鷲掴みにされた。
クレープをかじっていたのでびっくりする。


『…なんか…どことなく、詐欺師の香りが』

「泣かされてぇのか」

『ごめんなさい。嘘です』

「よし、いい子だな」


わたしの頭を鷲掴みにしていた黒尾さんの手が、そのまま頭をわしわしと撫でる。
その一挙一動にどきどきするのは、恋とかいうもののせい。
人の気も知らないで、簡単に触れてくれちゃってさ、なんて妙に演技くさくて馬鹿みたいなことを考える。
もちもちとクレープを食べ進めながら、目的もないままぶらぶらと歩いていることを思い出した。
黒尾さんはすでにクレープを食べ終えていて、クレープを包んでいた薄い紙を手で弄んでいる。


「で、次はどーすんの?現役女子中学生のなまえサン」

『…また制服デートの話ですか?』

「そ。俺ハジメテだから、手解きよろしく」

『わたしだって初めてですよ…』

「あ、そーなの。てっきり過去に彼氏の一人や二人いたんだと思ってたわ」

『いませんよ。黒尾さんの方が過去に彼女の一人や二人や…三人や四人いそうです』

「多くね」

『そうですか?』

「そーだろ。つーかいねぇよ一人も。知っての通り好きでバレー漬けの人生送ってきたからな」

『ああ…バレーが恋人、みたいな』

「いや、もはやバレーはもう一人の自分、みたいな」

『何言ってんですか?』

「しばかれてぇのかな?」

『ごめんなさい』

「ん。まぁメアド聞かれたりとかしてメールしてるうちにいい感じになったりはあったけどな」

『へぇ。付き合わなかったんですか』

「部活とか自主練とかで話す時間もねぇし、メールも返すの面倒で放ったらかしにしてたら自然消滅…みたいなのが何回か続いたな。付き合ってねぇけど」

『へー…返信するの面倒とかちょっと酷いですね』

「部活で疲れてるときに長ぇメール送られてきてもさ、読む気になんねぇだろ」

『ああ……』


黒尾さんの過去の女の人とのメールだのの話は聞いてて面白いものではないし、嫉妬みたいな感情が芽生えているような気がしないでもないけど、その人たちとどうにもならなかったと知っているからかわりと平気だった。
むしろ、少し前まではラインとかなくてメールが主流だったから、黒尾さんの気持ちはよくわかる。


『無駄に長文とか送ってこられると嫌ですよね、たしかに』

「だろ。しかも内容ほとんど自分のこととかどうでもいい話とかばっかだし、質問ばっかしてくるやつもめんどくさくなるよな」

『あー、わかります。めんどくさいですね』

「だろ。だから最近は用の無い奴には連絡先も教えねぇことにしてる」

『…モテる人は大変ですね』

「棘のある言い方すんなよ。身を守るための術、ある意味護身術だぞ」

『あはは、護身術』

「なまえも変な男に連絡先聞かれても教えんなよ?」

『教えませんよ』

「ホントか?しつこくされても教えんなよ」

『はい。ていうかそんなしつこく聞かれないと思いますけど』

「わかんねぇだろ?」


ふざけるわけでもなく、真面目な顔で見下ろしてくる黒尾さんが、わたしを心配してくれてるのかな、と少し嬉しくなった。
さっき食べ終えたクレープの包み紙を丸めて、手のひらの上で転がす。
なんだかんだで行き先が決まっていない。


「あ、なぁ、わさび元気か?」

『元気ですよ。順調に育ってます。他のネコに比べたらちょっと小さめですけど、病院でも問題ないって言われました』

「そーか。なんか離れて暮らす娘の成長を遠くから見守る父親、みてぇな気分だわ」

『ああ、わさびメスですもんね。娘なんですか』

「うん、俺の子」

『わたしの子ですけど』

「じゃ俺となまえの子だな。つーことは、別居中で娘は奥さんとこで暮らしてて…みたいな設定に変えるか」

『なんなんですか、そのドロドロした設定…』

「ドロドロじゃねぇよ。旦那である俺は単身赴任中で、妻のなまえと娘のわさびを家に置いて離れて暮らしてんの」

『なんで勝手にわたしと結婚してんですか』

「わさびの両親だからさ」

『変な妄想はやめてください』

「だってなまえがわさびの写メ送ってくんねぇから。さみしさを妄想で埋めるしかねぇんだよ」

『ああ…写メはよく撮るんですけど、あんまり頻繁に送るのも迷惑かなーと思って』

「全然迷惑じゃねぇし、むしろありがてぇから。毎日送ってくれていーぞ」

『いや、黒尾さんさっき、用もないのにメールとかするのめんどくさいとか言ってたじゃないですか』

「娘の写真送ってくれんのは立派な用だろ」

『家族設定は忘れてください』

「嫁が冷たい…」

『わたしは娘とわたしを置いて単身赴任に行くような旦那はいりません』

「ならなんで俺の大阪赴任が決まった時、一緒に付いて来てくれなかったんだ」

『変な芝居始めないでください。あとなんで赴任先大阪なんですか』

「テキトー。そこにたこ焼き屋があったから」

『ああ…』

「つーか冗談は置いといて、なまえのラインは迷惑とかじゃねぇからな。お前とラインしてんの楽しいし」

『…ほんとですか』

「うん。つーことで、わさびの写メよろしくな。なまえが暇なときでいーし」

『はい。いっぱいわさびの写メ送りますね』

「おー。ノルマ1日1枚な」

『月に30枚とかになりますよ』

「わさびフォルダ作ってるから大丈夫だろ」


黒尾さんをわさびに対して親バカだ親バカだと思ってたけど、わたしもわさび専用フォルダ作ってるので何も言えなかった。


『じゃあ、適当に送るようにします。返信めんどくさかったら無視してください』

「しねぇよ。すげぇ眠いとか疲れたとか忙しい時とかは返信できねぇかもしんねぇけど」

『いいですよ』

「ん。楽しみにしてる」


そう言って微笑んだ黒尾さんの顔がすごくかっこよくて、心臓がふるりと震えた。
空はもう暗くなりかけていて、夕方の匂いがする。


「あー、なんかわさびに会いたくなった」

『…会いにきますか?』

「…ん?」

『今から来ますか、うち』

「え、いいのか?」

『いいですよ』

「親とかびっくりしねぇ?」

『どっちも仕事なんでいませんよ。お父さんはどうせ残業で、お母さんは多分夜勤で』

「…なんかいっつもいなくねぇか、お前の親」

『そんなことないですけど…まぁどっちも仕事好きなんで』

「へぇ……じゃ、お言葉に甘えてお邪魔しようかな」


少し笑って頷いた黒尾さんを見上げて、ずっと喉に引っかかっていた言葉をまた飲み込む。
日曜日、音駒が負けた三回戦の試合のことだ。
あのことがずっと気になっていて、でもなんて言えばいいのかわからなくて何も言えなかった。
それに、黒尾さんが意図的に明るく振舞っている気がしていたのだ、今日一日。
だから、できるだけのことをしてあげたかった。
わさびに会いたいというなら会わせてあげたいと思った。

黒尾さんと並んで、駅へと向かう。
ここからわたしの家の最寄駅までは一駅。
家に着くまでに、黒尾さんに言いたい言葉が見つかるといいな、そう思いながら、スクバから定期券を取り出した。


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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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