「なまえ、おはよ」 『おはよー研磨』 朝、遅刻ギリギリに教室へ駆け込むと、研磨はすでに席に座っていた。 わたしも自分の席に座る。 朝から走って疲れた。 「今朝クロが喜んでたよ、なまえがわさびの写メ久しぶりに送ってくれたって」 『ああ、うん。昨日の夜送ったから』 「でかくなったなーって言ってた」 『そうなんだよ。わさび、ちょっとずつ大きくなってるの』 「そりゃ生きてるんだから、成長して当たり前でしょ」 そうだけど、やっぱり嬉しいものじゃないか。 あんなに小さかったわさびが少し大きくなったのだ、そりゃもう感激である。 相変わらず真っ黒な毛は長めのふわっふわだし、目なんて金色だし、もうほんとに、かわいいのなんの。 「あ、そーいえば…昨日、クロなんか言ってた?予選の三回戦のことで」 『え?……ああ…えっと、予選で次当たるとこが強いから、勝てるかわかんないって言ってたけど』 「ふーん…」 『…?それが?』 「クロが、なまえに弱音吐いちゃったって言ってたから。珍しいなと思って」 『へえ…そうなの』 「うん」 研磨が頷くのを見ながら、あれは弱音だったのか、と不思議に思う。 珍しい、ということは、黒尾さんは滅多に弱音は吐かないということか。 確かに吐かなそうだ。 なんていうか、黒尾さんはリーダーシップ的なものがある、ような気がするから。 みんなに頼られる兄貴分、みたいな雰囲気がある。 それは研磨の世話役だからかもしれないけれど。 「クロは試合終わったらそのまま学校戻るって言ってたけど、聞いた?」 『うん、聞いたよ。黒尾さんの試合終わったらどうする?どっか行く?』 「どっちでもいいけど…」 『じゃ、そのとき決めよっか』 「うん」 『ん』 「…あ、ババロア美味かったよ」 『あ、ホント?よかった』 「母さんも感動してた。父さんも」 『また今度作っていくね』 「うん。クロとクロのおばさんも感動してた」 『黒尾さん、と黒尾さんのお母さん?も食べてくれたんだ?』 「うん。五個あったからおすそ分けした」 『へえ…』 「クロのおばさんが喜んでた、なまえがクロのお嫁さんになるって言ったら」 『え?なにそれ、初耳なんだけど』 「母さんが勝手に言ってたよ」 『ならないって言っといてね』 「ならないの?」 『ならないでしょ』 「ふーん…クロのおじさんも食べたがってたよ」 『え…うん…じゃあ今度、黒尾さんちにも作って持ってくよ』 「うん。おじさんは甘さ控えめなのがいいと思う」 『甘いもの好きじゃないの?』 「たぶんあんまり食べないと思う」 『…なのにババロア食べたいの?黒尾さんのお父さん』 「ああ…クロのおばさんが話盛ってたみたいだから、おじさんはなまえのことクロの彼女だと思ってるんだよ。だから、息子の彼女が作ったものを食べてみたいだけなんじゃない」 『え?なんか話に尾ひれついて意味わかんなくなってるじゃん』 「俺の母さんとクロのおばさんが騒いでたから、なまえのこと。クロの未来の妻とか言って」 『え?なんでそれ否定してくれないの』 「めんどくさかったから…クロは一応否定してたけど、相手にされなかったから諦めてた」 『なんで諦めた』 「クロあんまそういうの気にしないから」 『え…なんか研磨んち行きづらくなったじゃん』 「大丈夫だよ。本気でなまえをクロの彼女だと思ってるのはおじさんだけだから」 『ええ…』 「母さんとおばさんは冗談半分で言ってるだけだし」 『うん…まぁ否定しといてね』 「おじさんに会ったら本当のこと言っとくよ」 『お願いします』 「うん」 なんかババロアが意味のわからない勘違いを生んでしまっているようだ。 黒尾さん迷惑じゃないといいな、と思いながら、一時間目の教科書を取り出した。 一時間目から数学とか、気が滅入る。
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