研磨の家のリビングに慣れてしまったというのは、少し変な感じだなぁと思う。 結構お邪魔してるからもう居心地の悪さを感じずに、わたしは当然みたいに一緒に晩ご飯をいただいている。 隣には、さも自分ちのようにもりもりご飯を食べる黒尾さん、正面にはもそもそのんびり食べている研磨、という配置で。 『ごちそうさまでした、美味しかったです』 「いえいえ、こちらこそババロアありがとうね」 『いえ、部活で作っただけなので…』 そして研磨がお風呂に行ってしまったので、わたしもお暇することにした。 立ち上がってお母さんに頭を下げると、嬉しそうな笑顔が返ってくる。 なぜかわたしと一緒に立ち上がった黒尾さんが隣に並んだ。 「じゃおばちゃん、俺なまえ送ってそのまま帰るわ」 「うん、なまえちゃんをよろしくね鉄朗くん」 「おー。研磨の傘借りていいか?」 「いいわよ」 「朝返しとくから」 「うん、じゃあねなまえちゃん。また来てね、待ってるからね」 『はい、またお邪魔します。今日はありがとうございました』 ニコニコ見送ってくれたおばさんに軽く頭を下げてから、黒尾さんと一緒に研磨の家を出た。 外では、さっきまでざあざあ降りだった雨が少し弱まっている。 ざあざあに対して、さあさあって感じ。 自分の傘を開くと、黒尾さんも研磨の傘をぱっと開いた。 「この調子だと明日も雨っぽいな」 『そーですね、梅雨ですし』 「あ、足元気をつけろよ。滑って転ぶぞ」 『大丈夫ですよ…』 アスファルトの上で滑って転んだりはしない。 ぱしゃぱしゃと、地面に薄く溜まった雨水を踏みながら黒尾さんの隣を歩いた。 一つの傘に入っていたときはあんなに近かった距離は、今では傘がぶつからないように離れていて、少しだけさみしい。 傘越しに黒尾さんを見上げてみた。 でも、傘に落ちる水滴と黒尾さんが持ってる黒い傘のせいで、その顔は見えない。 「わさび元気か?最近写メ送ってくんねぇけど」 『あ、はい。元気ですよ、ちょっと大きくなりました。また写メ送りますね』 「おー、頼むわ」 『はい』 そういえば最近黒尾さんにわさびの写メを送るのを忘れていた。 帰ったら何枚か送ってあげよう、そう決めてから少し俯く。 ローファーが濡れているのを見ながら、小さな水溜りを跨いだ。 『もうすぐですね、三回戦』 「ああ、応援頼んだ」 『はい』 「来週は試合終わったら一旦学校帰戻るから、一緒には帰れねぇけど」 『そうですか。…がんばってくださいね』 「おー…三回戦の相手、梟谷っつうすげぇ強いトコだから、正直勝てるかわかんねぇけど」 『………』 「ま、頑張ってきますわ」 『…はい。応援してます』 少しだけ、黒尾さんの声のトーンが弱くなった気がしたけど、何も言えなかった。 弱気にならないでとか、そんなこと言える立場じゃないから。 だって、今のわたしにできることは、ただ、ギャラリーに埋もれて試合を見つめることしか。 応援、しかできないから。 あ、と思う。 自分の心境がぐらりと揺れた瞬間を感じたからだ。 バレーをする黒尾さんを応援することしか、自分にはできないことがひどく悔しかったからだ。 黒尾さんだってわたしと同じ人間で、どこにでもいる高校一年生の男子なのだと本当の意味で理解した。 どうしてかわたしは、黒尾さんをものすごく強い人だと勘違いしてしまっていたのだ。 でも、そんなはずなかった。 黒尾さんだってほかの人と同じように、不安になったり苛立ったり、諦めたりして当たり前だった。 それを、わたしは見ていることしかできない。 黒尾さんが何かに悩んだり不安になったりしたとき、わたしは側にいることもできないかもしれない。 もしわたしが側にいたって、それは無意味で、だってわたしはただの後輩なのだから無責任な言葉を投げかけたりなんてできるはずがない。 だから何、と言えたらどんなに楽だろう。 少し前のわたしなら、こんなこと考えもしなかったはずだ。 なのに今は。 今は、それが悔しくて、焦れったくて仕方ない。 わたしは黒尾さんの助けになりたいんだと、自分の変化に気付いた。 わたしなんかが黒尾さんにしてあげられることなんてないのに。 思い上がっているのはわかってる、けど、黒尾さんが不安なとき、何もできないのは嫌だ、そう強く思った。 『………』 「…ん?どした、なまえ」 『……いえ、』 なんでもないです。 そう言うしかなかった。 黒尾さんを応援したい、支えたい、どんなに強くそう思ったとしても、今のわたしには不可能だから。 そんなことを言ったとしても、きっと黒尾さんの負担にしかならない。 傘の持ち手を握る手に、ぎゅっと力を込めた。 ひとつ、可能性はある。 それを掴むために、わたしはこれからいろんなことを考えて、進まなくちゃいけない。
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