「なんか飲みモン持ってくるわ」
「ん」
電車に乗って黒尾さんの家に来た。
ここに来るのは3度目だけど、まだ慣れない。
前に来たときと全く変わっていない部屋は、相変わらず散らかっている。
とは言っても、気にならない程度というか、生活する上で仕方ない程度の散らかり方なので、まぁ男なら頻繁に部屋を掃除したりもしないだろうし、こんなもんだろうと思う。
研磨の部屋は、同じ男の部屋でも結構綺麗だけど、多分お母さんが頻繁に片付けているんだろう。
漫画や雑誌が多かったけど、綺麗に片付いていた記憶がある。
黒尾さんが飲みものを取りに一階へ降りていった部屋の中、研磨はベッドの淵に、わたしは床に座って、どうでもいい話をした。
中学の話とかそんなの。
「ゼリーって何でできてるの」
『水分とか砂糖とか果汁とかをゼラチンってやつを入れて固めてるんだよ』
「じゃあジュースにゼラチン入れたらゼリーになるの」
『うん…ジュース温めてゼラチン溶かして冷やしたらなるかな』
「へぇ、簡単なんだね」
『うん』
「プリンも一緒?」
『ううん。プリンはゼラチン使わなくて…卵と牛乳と砂糖で卵液作って、蒸したり焼いたりするだけ。で、カラメルかける』
「へぇ。さすが菓子文化研究部」
『だてに副部長じゃないからね』
「え、なまえ副部長なの」
『え、知らなかった?』
「知らなかった」
『まぁ部長とか副部長なんて名前だけで、なんにもすることないけどね』
「なまえが副部長とか、大丈夫なの」
『どーいう意味』
「いや……。部長誰だっけ」
『リツコだよ。相沢リツコ』
「あぁ、相沢さん…なまえとよく一緒にいる…」
研磨はリツコの顔をいまいち覚えていないらしい。
まぁ喋ったこともないって言ってたし普通か。
そんな感じでお菓子トークを繰り広げていると、どすどすと階段を上る音が聞こえてきて、黒尾さんが戻ってきたことがわかる。
ドアに顔を向けると、少し間を置いてから、がちゃっと開いた。
「麦茶とオレンジしかなかったわ。どっちがいい?」
「オレンジ」
『お茶で』
「ほいほい」
戻ってきた黒尾さんは、コップを三つと大きいペットボトルのオレンジジュースと麦茶を持っていた。
よく落とさなかったな、と言いたくなるような持ち方である。
それらをテーブルに置いた黒尾さんは、着ていた赤いジャージを脱いで床に放り投げて、黒いTシャツ姿になった。
露わになった腕がたくましい。
研磨は腕に毛とかあんまり生えてないけど、黒尾さんは発達がいいからわりと生えている、とか変態的な分析をしながらじっと太い腕を見ていると、わたしの前にしゃがみ込んだ黒尾さんにひょいっと顔を覗き込まれた。
「なに見つめてんの?」
『え、あ、いや、腕を』
「筋肉カッコいい?触る?」
『いや、毛が生えてるなーと思って』
「毛かよ」
『いや、たくましいなーとも思いましたよ』
「おっ、触る?触っていーよ?」
触るとは言ってないのに、黒尾さんはニヤニヤしながら左腕をずいっと近づけてくる。
わたしの腕と全然違う。
と思いながら、黒尾さんがニヤニヤしているので、わたしをおちょくっているんだなと分かってイラっとした。
ここで恥ずかしがったら負けな気がする。
目の前に差し出されている太い筋肉質な腕を見つめながら、右手でその手首に触った。
肌の感じは普通だけど、やっぱり毛が生えてる。
ぺたぺたと黒尾さんの腕を手のひらで撫でて、最後に肘の内側の辺の盛り上がっているところを触った。
これが筋肉か。
わたしのプヨプヨの腕とはほんとに全然別物みたいだ。
『硬いですね』
「……あ、ウン」
『?』
「いや、ほんとに触るとは思わなかったもんで…」
『あ、すみません。べたべた触って…』
「いや、いいよ。嫌とかじゃなくてネ?」
『…はあ……?』
黒尾さんはそう否定しながら、ニコ、と似非爽やか笑顔を浮かべた。
何か後ろめたいことでもあるのだろうか。
黒尾さんの腕から手を離して研磨に目をやると、研磨はわたしのクーラーボックスを開けて中を見ていた。
視線に気付いた研磨が顔を上げたので、目が合う。
「あぁ…気にしなくていいよ、クロは照れてるだけだから」
『…照れてるんですか?』
「いや、照れてるというか…普段女の子に触られるとか滅多にないからさ、ちょっとビビった」
『モテるんじゃなかったんですか』
「まぁ、モテるっつっても、たまに告られるくらいだし」
今の発言、モテない男子が聞いたら発狂しそうだなぁと思った。
怒りで。
『よかったですね』
「いや、そんないいモンでもねぇよ。放課後とか呼び出されたら部活行けなくて迷惑だし」
『ああ…たしかに』
「それに何故か好みじゃない奴ばっかだし、告ってくんの」
『……好みなら付き合うんですか?』
「…いや、そういうわけでもねぇかな。考えてみたら」
「…ていうかクロ、あんまり女子と絡むの好きじゃないよね」
「ん?おー…なんか女子って話ちゃんと聞かなくねぇか?話題コロコロ変わるし…それにやたらと恋愛の話ばっかしたがんのとか面倒くさい」
「上部だけニコニコしてかわしてるもんねいつも」
わたしはわりと、黒尾さんも話すとき話題コロコロ変わると思うんだけど、そういうの好きじゃないんだろうか。
ていうか、女子と話すとき上部だけで猫かぶって愛想よくしてるらしいけど、だったら黒尾さんに告白する女子たちはあの胡散臭いニコニコ顔に惚れているってことだろうか。
わたしはあの胡散臭いニコニコ顔、あんまり好きじゃなかったけど。
ていうか、そんなことよりも、わたしはこうして家にまでお邪魔してるわけだけども。
『…わたしは女子のカテゴリーに入れてもらえないんですか』
「あ」
「あ、いやそーいう訳じゃねぇよ?」
「なまえが女子なの忘れてた」
「研磨、今そんなこと言っちゃいけません」
『わたし結構女の子らしいと思うんですけど』
「……そうかな」
「………ウーン…?」
『なんで悩むんですか。ほら、わたし髪長いし』
「切りに行くの面倒だからじゃないのそれ。それか、短いと寝癖がすごいからとか」
『……』
「図星かよ」
『……あ、ほら。趣味がお菓子作りですよ。すごい女子っぽい』
「まぁそれは…確かにそうだな」
「でも毎週ジャンプ買ってて、ジャンプの内容によってその日の機嫌が左右されるのは女の子らしくはないよね」
『……あ、じゃあ爪。爪は?ほら、ネイル。マニキュア塗ってますよ、しかもピンク』
「おおっ、それは女の子っぽいぞなまえちゃん!」
『そうでしょう』
「それ、金曜日の昼休みに中川さんに塗られたって言ってたじゃん。塗られたとき怒ってたよね、なまえ。ピンクとかふざけんなよ、って」
『………』
あれ、わたしって女の子らしくなかったんだろうか。
わりと女の子らしいと思ってたんだけど、今まで。
ちなみに中川さんとはユカのことである。
研磨の言う通り、金曜日の昼休みにユカにマニキュアを塗られたのだ、ピンクの。
わたしはあんまりピンク色が好きじゃないのでイラっとしていたのを、研磨は覚えていたらしい。
うん、まあいいんだけど、女の子らしくなくても。
黒尾さんを見上げると、案の定ニヤニヤしていた。
「まぁまぁ、なまえちゃん。俺はちゃんとなまえちゃんが女の子だってわかってるからな」
『はぁ…』
「落ち込まなくてもいいじゃん」
「そーだぜ、そのままの君が一番素敵さ」
『え、なんでそんな気持ち悪いこと言うんですか』
「え、ヒドッ!渾身の口説き文句だったのに」
『…なんで黒尾さんてモテるんだろ。ね、研磨』
「外ヅラいいからでしょ。猫かぶって誰にでもニコニコしてりゃそりゃモテるよ」
『あぁ…顔はいいもんね』
「なまえこーいう顔がタイプなんだ」
『うーん…綾野内剛とか竹野内中豊とか高良健吾郎とか好きだよ』
「よくわかんないラインナップだね」
「ねぇ、お前ら俺のことキライなの?」
黒尾さんが悲しげな顔でこっちを見る。
いじめられるのに慣れていないんだろうか、いつもいじめる側だから。
その顔がなんか少し可愛かったのでちょっと笑えた。
「ゼリー食べようよ」
「そーだな。研磨、クーラーボックスこっち持ってこい」
研磨がクーラーボックスを持ってベッドから降りてくる。
わたしの隣に座ると、そのままテーブルの上に置いた。
黒尾さんがクーラーボックスの中を覗くのを見ながら、わたしはコップに注がれた麦茶を一口飲む。
「おー、美味そう」
「クロ、桃取って」
「ん」
「なまえちゃんは?」
『コーヒーで』
「コーヒーってこの黒いやつ?」
『はい』
クーラーボックスからコーヒーゼリーを取り出して、黒尾さんがわたしの前に置いてくれた。
コーヒーゼリーの上にはホイップクリームとミントの葉をトッピングしたので、なんというか可愛い。
お店に売ってるやつみたいだな、と頭の中で自画自賛した。
「レモン乗ってるの何味?」
『レモン味ですよ』
「そりゃそうか」
『ちょっと紅茶入れたんで、レモンティー風味かもしれません』
「おお、美味そうだな。俺レモンにしよ」
「他のは何味なの」
『ブルーベリー乗ってるのがベリー味で、みかん乗ってるのがみかん味』
「ふーん…あとでみかんも食べる」
『二つずつ入れたからテキトーに食べなよ』
「コーヒーは苦いのか?」
『クリームが甘いんで、ゼリーは苦めです』
「へー、店にあるやつみてぇだな」
自分で思ったのと同じように黒尾さんに褒められたので、少し嬉しかった。
クーラーボックスには100均で買った使い捨てスプーンも入れておいたので、それを取り出して袋から出す。
研磨はもう桃のゼリーにスプーンを差し込んでいたので、わたしもホイップクリームにスプーンを刺した。
ゼリーと一緒にすくって口に入れると、ほろ苦いのと甘いのが混ざって美味しい。
カフェオレみたいな味がするなーと思いながら咀嚼した。
正面では、黒尾さんがレモンのゼリーを食べている。
「美味い」
「レモンも美味い」
『よかったです』
「レモンティーっぽい味がする…ような気がする。すげぇ美味い」
『ありがとうございます』
「ん、桃の果肉が入ってる」
『缶詰だけどね。桃高いから』
「みかんも?」
『みかんも』
「レモンも?」
『レモンは普通に買ったやつです』
「レモンの缶詰ってあるの?」
『さぁ…見たことないけど』
「ベリーは?つーかベリーってなに、ブルーベリーじゃねぇの」
『上に乗ってるのはブルーベリーですけど、ゼリーにはいちごとかラズベリーとかいろいろ入ってます』
「ベリーってそんな種類あんの。ラズベリーとか初めて聞いた」
「ラズベリーってレズビアンに似てるね、響きが」
『え、そう?』
「まぁ似てねぇこともない…」
『…そうですか……?』
三人でゼリーを食べながら、ほんとどうでもいい話をする。
いきなりレズビアンとか言い出した研磨には驚いたけど、黒尾さんが変なタイミングでテレビを付けたのでそっちに気が持っていかれる。
夕方のサスペンスドラマが流れている。
もぐり刑事純愛派。
有名なサスペンスドラマを研磨と黒尾さんと一緒に見ているという、変な状況。
「犯人絶対この女だろ」
「違うよ…黄色いシャツの男だよ」
『違うよ。ピンクのセーターの大学生だよ』
「いやそれはないだろ、あの大学生殺された女の弟だぞ」
『いや絶対そうですよ。ピンクのセーターとか着てる時点で怪しい』
「それは個人の趣味だろ、ほっといてやれよ。あいつはピンクが好きなんだよ」
「そういうことならやっぱり黄色いシャツの男が犯人だよ。黄色いシャツとか趣味おかしいよ」
「おい、研磨まで他人の趣味を否定してやんなよ。あいつは黄色が好きなんだよ」
「じゃあクロはなんであの女が犯人だと思うの」
「そりゃ、なんか幸薄そうな顔してるからだよ。まぶたに紫の化粧してんだぞ、なんか辛いことがあったんだよ」
『アイシャドーの色は個人の自由ですよ』
「へぇ、まぶたに塗るやつってアイシャドーって言うんだ。なまえも塗ってるの?」
『え、うん』
「……何色それ?茶色?」
「お、ホントだ。なんかまぶたキラキラしてんな」
ドラマの話をしていたはずなのに、アイシャドーに興味を持った研磨と黒尾さんがわたしの顔を覗き込んできた。
二人とも近いし、テレビが見えない。
『ちょっと、テレビ見えないんですけど…』
「なまえちゃんのアイシャドーは何色なのか気になって」
『茶色と、なんか白っぽいキラキラです』
「キラキラまぶたに塗るのってなんか意味あるの?」
『え、知らないけど…そういうものだから塗ってるだけだし』
確かにラメをまぶたに塗るのってなんの意味があるんだろう。
化粧ってそういうものだ、と思って何の疑問もなくしていたけどいま疑問に思った。
まぁどうでもいいけど。
アイシャドーから興味を無くしたのか、研磨と黒尾さんが顔をテレビに戻した。
わたしもテレビに目をやる。
しかし、わたしのバッグの中でスマホがブーブーと振動し始めたので、わたしの意識はまたテレビから引き剥がされた。
「ん?誰か携帯鳴ってんぞ」
『わたしのです』
ブー、ブー、とバッグの中でスマホが震え続けている。
振動が止まないということは電話が掛かってきたということなので、バッグの中に手を突っ込んでスマホを探した。
手に当たったスマホを取り出すと、画面には”ユカ”の二文字が表示されている。
「電話か?」
『はい』
「気にせずに出ていいぞ」
『……すみません…』
ユカからの電話なら無視してもいいかな、と思ったけど、スマホがいつまで経っても鳴り止まないので、もしかしたら急用なのかもしれないと思い出ることにした。
一応黒尾さんと研磨から少し離れて、ブーブー振動を続けるスマホの画面をタップする。
『…はい、なに?』
<あ、なまえ!やっと出たぁ!>
『うん、なに?』
<さっきも電話したのに出ないし折り返して来ないんだもん!もー!>
『あぁ…試合見てたときかな。気づかなかった』
<もー!心配したのに!もー!>
『もーもーうるさい。牛かお前は』
<もーもーもーもーもーもー>
『…用ないなら切るよ』
<やだ!うそうそ、用あるから!>
『なに?』
<今うちらいつものファミレスいるんだけど、今から来れる?>
『今日予定あるって言わなかったっけ』
<知ってるけど、孤爪と一緒に黒尾先輩の試合見てたんでしょ?>
『うん』
<試合もう終わったかなーと思って。暇なら来て!>
『やだよ。なんで行かなきゃいけないの』
<あのね、いま合コンみたいなことしてるんだけど>
『合コンみたいなってなに、合コンじゃないの』
<わかんないけど、さっき高校生にナンパされてさ。いま一緒にファミレスで喋ってるんだけどね>
『ふーん』
<高校生が五人で、うちら四人なの。で、もう一人女の子呼んでって言われたから、来てくれないかなーと思って>
『やだよ。そういうの好きじゃないって知ってんでしょ』
<知ってるけどさぁ、結構イケメンだよ!?>
『やだって』
<おーねーがーいー、なまえの写メ見せたらさ、付き合いたいって言う人がいるの!しかもその人超イケメン、しかも優しい!>
『はあ?なに勝手に人の写メ見せてんの』
<だって、超いい人だからなまえに合うと思って>
『写メ見ただけで付き合いたいとか言う人はいい人じゃないし』
<いやホントいい人なんだって!なまえの好きな綾野内剛に似てるよ>
『彼氏とかいらないっていつも言ってんじゃん。しつこい』
<一回会ってみればいいじゃん!>
『やだっつってんじゃん。もう切るよ』
<待ってよー、これからカラオケ行こって言ってんの。ね、なまえー>
『しつこい』
<ねー、リツコもいるからさ!アミとリホもいるよ!>
『リツコいんの?』
<うん>
『リツコ彼氏いんのに合コン参加してんの?』
<あー、なんかいまアツムくんと喧嘩してるんだって。アツムくんには内緒だよ?>
『アツムくんかわいそう。じゃ、そういうことで』
<いや、そーいうことでじゃなくて。なんで来ないの、今どこにいんの!>
『黒尾さんちだけど』
<えっ、黒尾先輩!?なに、デート!?>
『ちがうよ。研磨も一緒…だからそっちには行かないし、もう二度と知らない人にわたしの写メとか見せないで。次やったら絶交するから』
<えっ絶交……>
『友だちやめるからね』
<…やだ……でも来て欲しい…>
ユカのこういうところ本当に嫌いだなぁと思いながら、黒尾さんの部屋の床を指先でなぞった。
ユカってなんでこんなわがままでしつこくておせっかいなんだろう。
度々わたしに男をあてがってくるのホントやめてほしい。
そんなことする暇があるなら自分の彼氏見つけてればいいのに。
『じゃあ切るから』
<えーっ、これからカラオケだよ!?高校生のイケメンとだよ!?>
『どーでもいいし…勝手に薄暗い密室で男と遊んでればいいでしょ』
<ちょっと、なにそんないやらしい言い方して!>
『うるさい。じゃ、また明日ね』
<ちょ、なまえ……って、あ、リョウマくん来た!>
『リョウマくん?』
<うん、なまえと付き合いたいって言ってた高校生。なんか電話代わってほしいみたいだから代わるね>
『は?代わんないでいいよ』
え?リョウマって誰。
ていうか、なんで電話代わる必要があるの。
電話の向こうで、ユカと知らない男が何か話してるのが聞こえてきた。
もう切っちゃおうかなぁと思い耳からスマホを少し話すと、スピーカーから、聞きなれない男の声がクリアに聞こえる。
<もしもし、なまえちゃん?>
なんでこの男、わたしの名前を呼んでんだろう。
どうせユカが教えたんだろうけど、これはちゃんと対応しないといけないんだろうか。
切りたいけど、もしわたしが電話を切って、リョウマとかいう電話の相手が怒って、ユカやリツコたちに八つ当たりとかしたらどうしよう。
研磨と黒尾さんに背を向けるようにして床に座ったまま、首だけでちらりと後ろを振り返ってみた。
テレビを見ているだろうと思っていた黒尾さんは、お茶を飲もうとしていた途中だったらしく、ばっちり目が合ってしまう。
研磨は相変わらずテレビを見ているけど、なんとなく気まずくて、目を逸らした。
<…?…もしもーし>
『…はい』
<あ、なまえちゃん?俺、リョウマって言います。ユカちゃんに電話代わってもらったんだけど>
『……ああ…はい……』
<ごめん、迷惑だった?>
『………いや…まあ…』
<ユカちゃんになまえちゃんの写真見せてもらってさ、俺一目惚れしたんだよね>
ぞっとした。
わたしの知らないところで一目惚れされていたという気持ち悪い事態が、尋常じゃなく気持ち悪い。
わたしの可愛くもない顔に一目惚れするという趣味も悪さにもぞっとするけど、リョウマという男の声にもぞっとする。
『…………』
<あ、ごめん…キモかったかな>
『…………はあ……』
<…もしよかったらなんだけど、この後なまえちゃんも来ない?カラオケ行こうってみんなで話してるんだけど……>
『…いや、用あるんで……』
<無理かな。料金は俺らが持つからさ>
『いや、無理ですね』
<そっか……じゃあ、今度二人で会わない?>
またぞっとする。
なんでそうなるんだこいつ気持ち悪い。
もう電話切っていいかな、気持ち悪いこの人。
ていうか、ここで電話切ったら、ユカがリョウマにわたしの電話番号とか渡しそうだな。
嫌だなそれ……。
『……嫌ですけど…』
<嫌?なんにもしないよ、ただご飯一緒に食べるだけでいいし>
『…嫌です……』
<…うーん…じゃ、また今度みんなで遊ぶのは?>
『……嫌です…』
<嫌しか言わないね?>
『……嫌なんで…』
<もしかして彼氏とかいるの?>
『……彼氏は…べつに……』
<いないんならいいじゃん>
あ、ミスった、彼氏いるって嘘着けばよかった。
いや今からでもいけるかな、いないとははっきり言ってないし。
と思いながら、眉をひそめる。
もうしばらくユカとは口聞いてやらないことにしよう。
『あー、やっぱ彼氏います』
<え、なに、やっぱって。絶対ウソでしょそれ>
『……いや、いますよ。身長2メートルでマッチョでスキンヘッドで…刺青が……』
<それって、俺をビビらして諦めてもらおうっていう嘘でしょ?>
『………いや…』
<だってユカちゃんたちが言ってたし、なまえちゃんは彼氏いないって>
ユカ殺す。
『……あの、いま忙しいんで…切ります』
<あ、じゃあユカちゃんになまえちゃんの番号聞いといていい?>
『え…嫌です』
<いいじゃん、電話していいでしょ?>
『……いや、嫌です』
<じゃあラインは?>
『いやです……あの、ほんと嫌です』
<いいじゃん、なんで嫌なの?>
気持ち悪いからです、とは言えずにわたしは黙り込んだ。
もうこのまま切ってしまおう、番号が漏れることがあったら番号を変えればいいんだ。
そう思って、通話を終了しようと耳からスマホを離すと、いきなり後ろから大きな手がにゅっと伸びてきて、右手からスマホが奪われた。
びっくりして振り返ると、わたしのすぐ後ろに黒尾さんがしゃがみ込んでいて、その右手にはわたしのスマホがある。
いつの間にか近付いていた黒尾さんにスマホを奪われたんだと気付くと、黒尾さんはわたしのスマホを自分の耳に当てた。
「もしもし、お電話代わりました」
<〜〜〜〜〜〜>
「どちらさんですか?」
<〜〜〜〜〜〜>
勝手にわたしのスマホで電話し始めた黒尾さんは、いつもより低い声で、リョウマに敬語で話している。
黒尾さんとの距離はすごく近いけど、電話の向こうのリョウマの声は聞き取れなかった。
きっと、黒尾さんはわたしが困っているのに気付いて、どうにかするために電話を代わってくれたんだろう。
助けてくれた、とわかると、わたしはイライラしていたのが嘘みたいに、ホッとした。
「…はい?質問してんのはこっちなんですけど。誰だって聞いてんの、俺は」
<〜〜〜〜〜〜〜>
「へぇ、お前の名前なんかどうでもいいけど。で、うちのなまえに何か用ですか?」
<〜〜〜〜〜〜〜>
「ふーん。さっきからなんかしつこくしてたみてぇだけど、こいつにちょっかい出さないでくれる?」
<〜〜〜〜〜〜〜>
「なまえには身長2メートルでマッチョの俺がいるんで。スキンヘッドではねぇけど」
なまえ、と黒尾さんに呼び捨てにされたとき、ズキっと胸のあたりが痛くなった。
それから、かあっと頬が熱くなる。
わたしを助けるために彼氏のふりをしてくれたことも、ぐるりとわたしの胸をかき混ぜた。
痛くて苦しい、なんなんだろう、この感情。
左手で後頭部を掻くしぐさをしながら、俯いてわたしのスマホで通話している黒尾さんを直視できなくて、わたしも俯いた。
ドキドキと心臓がおかしな動きをする。
「あーはいはい、そうそう」
<〜〜〜〜〜〜>
「ああ、付き合い始めたの最近だから。まだ俺のことお友達には言ってないんじゃねぇの、なぁなまえ?」
『………』
「ウン、まだ言ってないんだって。てことで、リョウマくん言っといてくんない?なまえのお友達にさ、なまえには俺がいますよ〜って」
<〜〜〜〜〜〜>
「おー、よろしくネ」
<〜〜〜〜〜〜〜>
「いや、いーよいーよ。彼氏いるって知らなかったんだもんなお前、なまえ可愛いから付き合いたいと思うのは当然だって」
<〜〜〜〜〜〜〜>
「おー、可愛いだろ。まぁ、なまえには俺から謝っとくから。あー、んじゃ合コン頑張れよリョウマくん」
<〜〜〜〜〜〜〜〜>
「気にすんなよ。じゃあなー」
ドキドキが去っていった。
わたしはいま驚いている。
研磨もテレビから目を離して、微妙な面持ちで黒尾さんを見つめている。
え、おかしいよね。
なんなのその巧妙な話術?
なんで敵だったはずのリョウマと仲良くなってんの、友好的に会話を締めくくってんの。
何事もないような顔で電話を切った黒尾さんは、優しい顔でわたしの頭に左手をぽん、と乗せた。
「ん、勝手に借りてごめんな」
『え…いや、ありがとうございます…助かりました』
「いーよ。リョウマって奴、わりといいヤツだったぜ。なまえちゃんに一目惚れしただけなんです、つってた」
スマホを返してくれた黒尾さんは、そう言って笑う。
わたしはあれだけしつこくされたのでそれにはうなずくことはできないし、今もまだ黒尾さんの話力に驚いている。
「あ、つーか明日学校行ったら友だちに俺のこといろいろ言われるかもしんねぇな。ごめんな、なんか勝手に彼氏のふりしちまって」
『あ、いや…大丈夫です。ちゃんと説明しときますね』
「別に俺は勘違いされたままでもイーヨ?」
『……ちゃんとしっかり否定しとくんで、安心してください』
「あ、ハイ」
「ていうか、すごいナチュラルな彼氏だったね。クロ、フリじゃなくてもあんな感じになりそう」
「そーか?ならホントに彼氏になっちゃおーかな?」
『頑張って誰かの彼氏になってくださいね』
「なまえちゃんが応援という形で振ってくるんだけど」
「あれ、ちゃん付けに戻すんだ」
「そりゃ、呼び捨てしたのは演技だからな。彼氏なのにちゃん付けはヘンかなと思って」
「呼び捨ての方がしっくりきたけど。もうクロもなまえって呼べば?」
「なまえ?」
黒尾さんが真顔のままわたしの名前を呼び捨てにしたとき、また心臓がどくっ、と変な動きをした。
なにこれ、怖い。
意味わかんない。
ていうか、顔が熱い。
赤くなってないかな、と思いながら両手で頬を押さえる。
黒尾さんが彼氏のふりをしてくれたのは助けてくれただけなのに、一連の発言とかが、なんでこんなに頭から離れないんだろう。
呼び捨てにされるのが嬉しいなんて、思うの初めてで。
なんでなのかとか、ほんとにもう意味がわからなくて泣きたくなった。
「なまえ…?」
『…え?』
「どしたの、顔押さえて」
『…べつに、なんでもない』
「そう…?」
『……うん』
「…え、泣いてるの?」
『え、泣いてないよ』
「なんか声が……」
『泣いてないよ、全然元気』
泣きそうだったのを耐える。
こんな意味のわかんないタイミングで泣き出すとか意味わかんないし、そもそもわたしにすら理由がわかんない。
なんでこんな、胸がぎゅっとして、苦しくなるのか。
理由がわからない、でも、どうしてか知りたくなかった。
ふと、俯いた顔を隠していた手に誰かの手が触れた。
暖かいその大きな手は、やさしくわたしの手を握って、ゆっくり顔から引き剥がす。
視線を上げれば、優しい顔のままの黒尾さんがわたしの顔を覗き込んでいた。
心臓が、ぎゅっと締め付けられる。
「どした、なまえちゃん…呼び捨てにされんのやだったか?」
『…いやじゃないです、呼び捨てでいいです』
「嫌なら嫌って言えよ?」
『いやじゃないですよ。黒尾さんが呼びやすい方でいいです』
「…じゃあ、なまえって呼ぶな」
『…はい』
暖かい手がゆっくり離れていくのを目で追う。
その先にいる研磨と目が合って、なぜかぎくりとして目を逸らした。
「俺のことも鉄朗って呼ぶ?」
『呼びません』
「鉄朗くん(ハート)は?」
『……呼んで欲しいんですか』
「ウン、なんかかわいくねぇ?小学校卒業してからはそう呼ばれたことないけど。みんな黒尾って呼ぶし」
『……鉄朗くん』
「………!」
「………」
冗談のつもりで求められたまま呼んでみたら、黒尾さんはピタリと動きを止めた。
どうしたのかと思って顔を覗き込むと、かっと黒尾さんの顔が赤くなる。
『……え?』
「…自分で呼ばしといて何照れてんの」
「…いや、いやいや…ホントに呼んでくれると思わねぇだろ!?不意打ちはチョット…ズルくない、それ」
『…鉄朗くん』
「……うん…どした、なまえ」
『………』
「チョット…ふたりで照れるのやめて。気まずい」
黒尾さんは鉄朗くんと呼ぶと照れるらしい。
まあわたしも恥ずかしいんだけど、意地悪をされたときの仕返しにはちょうどいいのでこれからも使おう。
とか思っていたら、スマホが手の中で小刻みに震えたり止まったりするので、ラインが数件きたことに気付く。
画面を見ると、ユカとリツコとのグループラインにたくさんのメッセージが送られてきていた。
------------------------------------------------
◯ユカ
ちょっと!
◯ユカ
なまえ!
◯ユカ
リョウマくんに聞いたよ!
◯ユカ
今彼氏といるって!
なまえいま黒尾先輩と
いるんじゃないの!?
◯ユカ
てことは、黒尾先輩と
付き合ってんの!?
◯リツコ
なまえ、ユカが勝手に
リョウマくんとくっつけようと
したみたいでごめんね(T_T)
迷惑だったでしょ
◯ユカ
リツコひどい!
◯ユカ
でもなまえ嫌だって
言ってたのに
しつこくしてごめん(T_T)
◯ユカ
でも黒尾先輩とのこと
教えてくんなかったのは
ヒドイ!!(T_T)
◯ユカ
うらぎりものっ!!
なまえ◯
ユカうるさい。
家帰ったら説明するから
あとでね
◯ユカ
あ、まだ黒尾先輩と
いるんだよね!
◯ユカ
デート邪魔してごめん!
◯リツコ
デート楽しんでね〜( ´ ▽ ` )
なまえ◯
(´・_・`)
------------------------------------------------
------------------------------------------------
・綾野内剛…有名イケメン俳優。
・竹野内中豊…有名イケメン俳優。
・高良健吾郎…有名イケメン俳優。
・もぐり刑事純愛派…有名連続サスペンスドラマ。
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