「お、いたいた。研磨、なまえちゃん」


音駒が一回戦と二回戦を無事に勝ち、今日の試合は終わった。
次は来週の日曜日に三回戦がある。
わたしは音駒の勝利の余韻に浸りながら、研磨と一緒に黒尾さんが体育館から出てくるのを道路の隅で待っていた。
試合終わってから一緒に帰る約束をしたからだ。

そしてしばらくしてから、黒尾さんが道路まで出てきた。
真っ赤なジャージ姿で、エナメルバッグを肩に背負っている。


『おつかれさまです』

「おつかれ」

「おー、二人とも応援ありがとな」


勝って嬉しいのかニコニコしてる黒尾さんは、ぽんぽん、と研磨とわたしの頭にそれぞれ手を置く。
親しくなってからはこういうスキンシップも多いので、特に気にせず黒尾さんを見上げた。


『二回戦突破おめでとうございます』

「おう、まだまだ行くけどな」


笑いながらそう言う黒尾さんからは、相変わらずシーブリーズの匂いがする。
すん、と鼻を鳴らすと、黒尾さんは不思議そうにわたしを見下ろした。


「ちゃんと見てたか?」

『はい。いっぱい点決めてましたね』

「まぁ、相手のブロックがザルだったからな、今日は」

「確かにあんまり強くなかったね」

「平均身長はわりと高めだったんだけどな」


手首をぷらぷらしている黒尾さんは、手応えなさそうに今日の試合相手を振り返っている。
研磨が隣で興味なさそうにあくびをしているのを見ながら、試合中の黒尾さんのことを少し思い出した。
大きな身体が床に滑って、たくましくて太い腕がしなやかに伸びてボールを繋ぐ姿。
研磨の向こうにいる黒尾さんは、試合中とは違う気の抜けた顔をしている。

そういえば黒尾さんは最近、あの猫被りな似非爽やか笑顔をあんまりわたしに向けなくなった。
前まではよくニコニコ胡散臭い笑顔で話しかけてきていたけど、最近は素の表情というか、真顔とかニヤニヤ顔とか微笑み顔でいることが多い。
研磨曰く、黒尾さんのあの胡散臭いニコニコ顔は外ヅラ用のただの対人スキルらしく、親しくなったからわたしには向けなくなったそうだ。
それは、前に黒尾さんが言っていたように、わたしを信頼してくれているからなのだろうか。
嘘ものの表情じゃなく、素の表情を向けてくれるということは、そう考えていいのかもしれない。
ちなみに、後ろめたいことがあるときとか人を騙くらかそうとしているときとかにも黒尾さんは似非爽やかニコニコ顔をする、と研磨が言っていたので、今後の参考にしようと思っている。


「ていうか、大会の後って一回みんなで学校に帰るもんなんじゃないの?いいの、クロは部活の人たちと帰らなくて」

「ああ、いつもは帰るんだけどな。今日は学校の体育館が点検で使えねぇから、軽くミーティングして現地解散っつーワケ」

「ふーん…これからどこ行くの」

「考えてねぇけど。お前らどっか行きたいとことかねぇの?」

「俺は別に…なまえは?」

『んー…わたしも別に』

「つーかなまえちゃん、なんか大荷物じゃねぇ?何、その荷物」

『あ、これクーラーボックスです。ゼリーが入ってて』

「ゼリー?」

「クロへの差し入れだって」

「おっ、マジで?」

『はい』

「おー、ありがてぇ。ちょうど冷たくて甘いもんが食いたいと思ってたとこ」


いつゼリー渡そうか考えていたら、黒尾さんが気付いてくれたので助かった。
本当に黒尾さんが冷たくて甘いものが食べたかったのかはわからないけど、嬉しそうに笑ってくれたのでわたしも嬉しくなる。


「じゃ、俺んちか研磨んちでゼリーいただくか」

「俺んちはなまえ来たら母さんがうるさいから、クロんちね」

「おー。部屋汚ぇけど許してネ」

「クロの部屋いっつも汚いじゃん」

「んなこたねぇだろ。なぁなまえちゃん」

『え?ああ…さぁ…』

「え、なんかなまえちゃんが冷てぇ」

「クロんち汚いから嫌なんじゃない?」

『いや、べつに嫌じゃないよ』

「汚いってとこは否定してくんねぇんだ?」


まあ、研磨の言う通り黒尾さんの部屋は散らかってた記憶があるので黙っておく。

行き先が決まったので、三人で最寄りの駅を目指して歩き始めると、隣を歩いている黒尾さんが、おもむろに左手を差し出してきた。
え、なに。と思いながらその大きな手を見つめる。
わたしの顔の前に差し出された黒尾さんの手。
なんの意図があって差し出されているのかがわからず、困惑の眼差しを黒尾さんに向ける。


『え、なんですか』

「ん」

『はい…?』

「…手繋ぎたいんじゃない?」

『えっいやだ』

「違ぇよ!荷物持ってやるっつってんだよ」


研磨が黒尾さんがわたしに差し出した手の理由を推測するも、それは外れていたらしく黒尾さんは勢いよく否定した。
と同時に、その手の理由がわかる。
黒尾さんはわたしが持っているゼリー入りのクーラーボックスを持ってくれる、と言っていたつもりらしい。
いや全然言ってなかったけど。


「ん、ほら。クーラーボックス貸せ」

『いや、いいです。別に重くないんで』

「いーから、貸しなさいホラ」

『ちょ、いいですって。黒尾さんも荷物多いんだし、自分で持てます』


断ったのに、黒尾さんはわたしからクーラーボックスを奪おうと手を伸ばしてくるので、それから逃れるため身を捩る。
しかし体格差のせいでそんな攻防はあってないようなもので、右手に持っていた小さなクーラーボックスは、いとも簡単に黒尾さんの手に奪われてしまった。


『…じゃあ、代わりにわたし、黒尾さんのエナメルバッグ持ちますよ』

「キミはアホですか?なんでクーラーボックス持ってやる代わりに、より重いエナメルバッグ持たさなきゃいけねぇんだよ」

『……』

「なまえ、気にすることないよ。クロが持ちたくて持ってるんだし…持たしとけばいいよ」

『うん…』

「どうせ彼氏気取りして優越感に浸ってるだけなんだから」

「オイ、そんな意図は微塵もねぇぞ」

「でも、荷物持ってあげるのって彼氏っぽいなとか思ってるんでしょ」

「まぁ、多少ネ?」

『…あの、やっぱ自分で持ちます…返してください』

「なにもそんな嫌がんなくてもさァ…」


荷物を持ってもらうのってこんなこっぱずかしい行為だったのだろうか。
研磨と黒尾さんが彼氏彼氏言うのでわたしが恥ずかしくなった。
それでも黒尾さんはクーラーボックス返してくれないし、研磨は既に歩きながらゲームの世界へ旅立ってるので、わたしも諦めるしかなくなる。
左肩に掛けて持っているトートバッグの持ち手を握って、少し前を歩く黒尾さんの背中を見つめた。


『…ありがとうございます、持ってくれて』

「ん。俺も、差し入れありがとな」

『いえ…』

「クロ、桃は俺のだから」

「おー」


ピコピコゲームしながら言う研磨に、黒尾さんはちょっと笑いながら返事をした。
相変わらず、寝癖らしい髪の毛がツンツンというか、ぴょんぴょんというか、あらぬ方向へ向いているのを見上げる。
黒尾さんが歩くたびにその黒髪もぴこぴこ揺れるので、わさびの短い尻尾を思い出した。
黒尾さんの髪の毛は、硬いのだろうか柔らかいのだろうか。
そんなどうでもいいことをしばらく考える。
あの独特な髪の毛を触ってみたい。
左側だけ横髪が耳にかかっているところとか、てっぺんのつんつんしているところとか、襟足とか。
でもきっと、わたしがあの黒い髪の毛を触る日なんて、こないんだろうなと思った。
黒尾さんは何の気なしにわたしの頭に、髪の毛にいとも簡単に触れてみせるけれど。
わたしが同じようにするには、まず身長が圧倒的に足りないし、もし黒尾さんの頭が触れる距離にあったとしても、勇気が出ずに触れられないんだろう。
そんなことを考えて、一人で勝手に息がつまる。
胸のあたりがもやもやする。
最近こんなのばっかりで嫌になる。
黒尾さんのことを考えるといつも。

ぴこぴこ揺れる髪の毛の先を見上げていたら、ふと黒尾さんがこっちに顔を向けて、わたしを見下ろす。


「…ん?どうした、なまえちゃん」


それから、短い眉毛を少し下げて、優しい顔をして、優しい声を出す。
じわっと鼓膜から全身に熱が広がるのを知らないふりをして、視線をずらした。


『……なんでもないです』


黒尾さんと目が合うと、息が苦しくなるのは。
心臓がぎゅっとなるのは。
お腹の奥がくすぐったいのは。
どうしてなんだろう。


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