「おー、美味い」

『よかったです』

「料理できんだななまえちゃん」


冷蔵庫に残っていたうどんと玉ねぎとキャベツと肉で焼うどんを2人分作って部屋に戻ると、黒尾さんは相変わらずわさびとじゃれあっていた。
それからわたし作のテキトー焼うどんを食べてから、そう感想を言ってくれる。
焼うどんと一緒に持ってきた麦茶を飲みながら、焼うどん作ったくらいで料理できる判定か、と冷静に考えた。
自分でも焼うどんは美味しいとは思うけど。


「つーか、女の子の部屋ってほんとにいい匂いすんだな」

『…そうですか?』

「なんかシャンプーっぽい匂いする」

『変態くさいですね』

「男なんてこんなもんよ?」


ニヤニヤしながら匂いについて話す黒尾さんに引く。
わざわざ言わなくていいのになんで口に出すんだろうこの人は。
黒尾さんの言ういい匂いとは多分置いてある芳香剤の匂いなんだろうけど、まあ臭いよりはいいかと思った。
ふと身じろぐと、隣にあぐらをかいている黒尾さんの膝に太ももが当たる。


『でも黒尾さんの部屋もいい匂いしましたよ』

「俺の部屋?なんか匂いした?」

『はい。なんか芳香剤みたいな』

「なんも置いてねぇけど…なんだろな」

『さあ…洗剤とかじゃないですか』

「ああ…そういやなまえちゃんが来た時、シーツ洗ったばっかだった気がする」


黒尾さんの部屋について思い出していると、黒尾さんも何か思い出したみたいな顔で言った。
焼うどん食べながら。
洗剤の匂いだったんだろうか、あの匂い。


「そういや、なまえちゃんて香水とか着ける?」

『着けますけど』

「ああ、やっぱり」

『なんですか。今日は着けてないですけど』

「いや前から、なまえちゃんていっつも同じ匂いすんなーと思ってたんだよな。石鹸ぽい甘い匂い」


知らぬ間に匂いを嗅がれていたことに驚くと同時に恥ずかしさが芽生える。
確かに黒尾さんの言うとおりわたしは毎日同じ香水を着けてるし、それは石鹸っぽい甘い匂いのやつだけど。


『匂いきついですか?』

「いや、丁度いい感じ。いい匂いだしな」

『……』

「あ、また変態くさかった?」


ニヤッと笑ってこっちを向いた黒尾さんに冷たい視線を浴びせながら、お箸で焼うどんを掴む。
部屋の匂いから派生して話が変になってしまった。
わさびが黒尾さんの膝に擦り寄るのを見ながら、焼うどんを咀嚼する。


『黒尾さんはいつもシーブリーズの匂いですよ』

「はは、会うの大抵部活の後だもんな」

『今日もですけど』

「ああ、今日朝から走ってたんだよ」

『ランニングですか?』

「うん、暇だったからな」

『まじめですね』

「で汗かいたからシーブリーズ。何色使ってると思う?」

『知りませんけど…水色とかですか』

「お、正解。すげぇななまえちゃん」


なんとなく言ってみたら当たった。
なんか最近こういうの多いなぁと、この前研磨と黒尾さんとミセドに行ったときのことを思い出した。


「なんで分かんの?カン?」

『匂いとか想像とかで…まあカンですね』

「へえ…なまえちゃんは使わねぇの、シーブリーズ」

『夏とかは使いますけど』

「当ててやろっか、何色か」

『…どうぞ』

「んー…ピンク?」

『オレンジです』

「オレンジか」


シーブリーズ、夏に一本買うけど毎年余って結局捨てるのだった。
まあ今年も買うんだろうけど。


「あ、なまえちゃんは宿題終わったか?」

『…宿題?』

「ゴールデンウイークの宿題、いっぱいあるって聞いたけど。昨日研磨が文句言いながらやってたぞ」


二人で焼うどんを食べ終え、空いたお皿を一階に置いてから二階に戻ると、黒尾さんはそんな話題を持ち出してきた。
正直、いま一番触れられたくない話題である。
バッグの中に放置しっ放しの宿題の存在を思い出してしまった。


『ああ……数学と理科以外は終わってます』

「数学と理科はまだやってねんだ?」

『まあ……』

「アレ?ゴールデンウイークって今日までなの知ってる?」

『知ってますけど』


ニヤッと笑って嫌味を言ってくるので、イラッとした。
なので黒尾さんの膝の上で丸まってたわさびを抱き上げてわたしの膝に移動させてやる。
わさびはわたしのものですと言わんばかりの顔で黒尾さんを見ると、黒尾さんは面白そうに笑っていた。


「宿題見してみ、教えてやるから」

『え、今からやるんですか』

「どうせ1人でもやんねぇんだろ?」


なんてことだ、数学と理科の宿題を提出する気がないのに気付かれている。
これから勉強とか既に嫌気が差しているけれど、仕方がないので部屋の隅に置いていたスクバを持ってきてファスナーを開いた。
中から数学と理科の教科書とノートを取り出してテーブルに置くと、黒尾さんはすぐに教科書を開く。
わたしは筆箱も取り出してから、蓋を開けた。


「まず数学からな。範囲どこ?」

『えーと……ここからここまでの練習問題と応用問題…と、このプリントです』


黒尾さんが開いている教科書の、先生に支持された宿題の範囲をページをめくって教えると、黒尾さんはそのたくさんの問題を目で追う。
研磨が黒尾さんは頭いい、みたいなこと言っていたから多分中学の範囲なんて簡単に分かるんだろうな、と思いながら、宿題をするためノートを開いた。
お気に入りでずっと使っている白い0.3mmのシャーペンを手にとって、かちかちとノックする。
ノートの新しいページに、教科書のページ数と練習問題の番号を書いて、式も書き写した。


「とりあえずやってって、わかんねぇとこあったら聞いて」

『はい…』


教科書に書いてある通りに練習問題を解いてみる。
数学って、あらかじめ決められた式とか方程式とか覚えれば簡単、とか言うけど、その理論がわたしには全く意味がわからないのだ。
ノートに数字やら記号やらを書いていきながら、頭がごちゃごちゃする。
練習問題は一応できたけど、応用問題がわからない。
いきなり難易度上がりすぎだ。


『……』

「…どこ?」

『…ここ……』

「…ああ、素因数分解んとこな」


シャーペンを持つわたしの手が止まったからだろう、横から手元を覗き込んできた黒尾さんが低い声を出した。
顔の近さと比例した声の近さにどきっとする。
数学のごちゃごちゃした問題について教えてくれている黒尾さんの声を聞きながら、その話に集中するように努めた。


「ホント苦手なんだな、数学」

『苦手です』

「解き方覚えれば簡単だと思うんだけどな」

『わたし暗記とか苦手で…意味がわかんないことって覚えられなくて』


数ページ数学の問題を解き続けてから、少し休憩を挟むことになった。
黒尾さんが買ってきてくれたアップルティーを飲む。
黒尾さんも炭酸飲料を飲みながら、膝の上にいるわさびの頭を撫でた。
数学の宿題はもう三分の二くらい終わったので、黒尾さんに感謝である。


「でもなまえちゃんて字キレーだな」

『そーですか?』

「うん、見やすい。女子って丸っこい字書くもんだと思ってたけど、なまえちゃんの字はなんかシュッとしてんな」


数学のやつと一緒に出した理科のノートを開いて眺めている黒尾さんがそう言う。
褒められているんだろうけど、別にわたしの字は綺麗でもないので特に嬉しくはなかった。
女の子っぽい丸っこい字に憧れてるわけではないけれど、もう少し可愛い字を書ければいいのに、と思う。


『…高校入試、難しかったですか?』

「ん?んー、そーだな…俺はべつに苦労しなかったけど…」

『頭いいらしいですもんね』

「でも漢文と古文はあんま好きじゃなかったから一応詰めて勉強してたな」

『へえ。わたしと間逆ですね』

「ホントな。古文漢文は今でも好きじゃねぇし」

『わたしは好きですよ。なんかおもしろくて…レ点とか』

「フッ…レ点な」

『ふふ』

「なりにけり?」

『あはは』

「ハハ、何が面白ぇんだよ」


自分も笑ってるくせに何言ってんだこの人。
でもほんと何が面白いのかわからないけど、テンションがおかしくなってるのか何故か笑えた。
すごく馬鹿な会話をしている自覚はある。


「美術とか体育とかは大丈夫なのか?音楽とか」

『ああ、美術は得意ですけど…音楽は普通で、体育はやばいです』

「やべぇの?通知表何点?」

『体育は毎年2です』

「そりゃやべぇ」


ほんとやばい。
わたしの通知表は毎年、数学と体育が2で、理科や社会や音楽が3、美術国語英語が4である。
数学と体育がネックなのは目に見えているがわたしにはもうどうすることもできない。
わさびのお腹を撫でながら笑っている黒尾さんを見て、ふと研磨のことを思い出した。
前に、「なまえが音駒に受からないとクロも困る」と言っていたことを。
今でもその発言は謎のままなので、疑問ついでに聞いてみることにした。


『あの、前に研磨が言ってたんですけど』

「ん?」

『わたしが音駒受からないと黒尾さんも困る、って』

「…へぇ、研磨が?」

『はい。意味がわかんなくて不思議だったんですけど、わたしが受かんないと黒尾さん困るんですか?』

「んー、まあ…そうだネ」


聞くべきではなかったのだろうか、と思った。
黒尾さんがニヤ、と悪巧みしているみたいに笑ったから。
わたしを見下ろす黒尾さんの目がギラギラしているように見えて、なんとなく目を逸らした。


「なまえちゃんが受かってくんねぇと、俺も困るよ」

『……なんでですか?』

「やっぱ聞くよね、それ」

『…そりゃ、まあ……』

「うーん、も少し外堀り固めてから話す予定だったんだけどなァ…」

『…そとぼり?』


外堀りって何、何の周りを囲もうとしているのこの人は。
悪そうな笑みを蓄えたままわたしを見つめてくる黒尾さんの言っている意味がよくわからなくて、その目を見上げた。
その瞬間、ああ目を合わすんじゃなかった、と後悔した。
何故かは知らないけど、なんか…本能的に。


「ま、こうなりゃ話すけど。聞かれてはぐらかすほどのことでもねぇし」

『はぁ…?』

「結論から言うと、俺はネ」

『はい』

「なまえちゃんが音駒に入学したあかつきには、バレー部のマネージャーになってもらおうと思ってんのよ」

『……………バ…マネージャー…?』


思わず自分の耳を疑った。
そして黒尾さんの言っている意味を理解するのに数秒も要して、わたしは馬鹿みたいに単語しか発することができなくなる。
え?マネージャー、って、あのマネージャー?
あの、ドリンク作ったりする女の人のこと?
わたしが?
バレー部の?
なぜ?


「意味わかんないって顔してんな、なまえちゃん」

『……意味がわかりません…』

「だからまだ言うつもりじゃなかったんだって。俺の計画では、これからなまえちゃんに俺とか研磨の出てる試合をしこたま見せて、俺らの応援とかサポートがしたくて堪らない!ってなまえちゃんが心の底から思って、自らマネージャーを志すようになってから切り出すつもりだったから」


何勝手にわたしの未来予想図を描いてくれてんだこのつり目先輩は。
じゃあ、ということは、この間黒尾さんが出てる試合を見せられたのはその”計画”の一部で、わたしがバレーに興味を持ったのも計画通りで、バレーを教わったのもその一貫だったわけだ。
おいおい、なんなんだこの人は。
わたしを自分たちが強くなるための道具か何かとでも思ってんのか?
え?わたしの意思無視?
わたしの意思すら自分の計画通り変えようとしているのこの人?


「怒った?」

『…黒尾さんの計画通りにバレーに興味を持った自分が憎いです』

「いや別にそこは計画じゃねぇよ。俺がどんなに緻密に計画練っても、なまえちゃん自身の心情とかを操れるわけねぇんだから」


黒尾さんが何言ってるのか、6割くらい理解できない。
それくらいわたしは気が動転していた。
だってマネージャーなんて考えてもみなかった話だ。
マネージャーのマの字も頭に浮かんだことはない。
ニヤニヤ顔を消し去って真面目な顔で話している黒尾さんを見ながら、わたしは何故か研磨の部屋にあったバレーボールを思い出した。


『……いや…え?なんでわたしなんですか』

「そりゃ、まあいろいろあるけど…一番は信頼できるから、かな」

『………』

「それに、これもでかい理由だけど、研磨の”数少ない信頼してる友だち”だからだ」

『……』

「研磨の中で、なまえちゃんはかなりでかい存在なんだよ。うちのバレー部って部員多くて、中学とは全く環境が違うから、研磨は多分バレー続けんのが嫌になる。そんなとき、なまえちゃんが一番近くに居てくれたら、絶対研磨の支えになるはずなんだ」


頭がぐるぐるする。
黒尾さんが真面目な顔で、真剣に話してるのはわかるけど、いろんなことで頭がいっぱいになって、何故か泣きそうになった。
なんでかわからないけど、悲しくて、じわっと涙が目に浮かんだ。
何が悲しいのかわからない。
研磨がわたしを信頼してる、って言われて、嬉しいはずなのに。
わたしは何が悲しいのか、全然わからない。
泣くのをぐっと堪えて、赤くなった顔を見られたくなくて俯いた。
黒尾さんの膝の上で眠そうにしている、わさびが見える。


『……そんなこと、いきなり言われても…』

「…すぐには決めらんねぇだろうから、返事はいつでもいい。なまえちゃんはそんなこと考えたこともなかっただろうし」

『……』

「嫌なら嫌でいいし、断られてもしつこくしねぇよ。ただ、少しでもやってもいいって思うなら、やって欲しいんだ。後悔は絶対させねぇから」

『……』


最近よく、自分で自分のことがわからなくなる。
わたしはどうしたいのか、何を思ってるのか。
そういうの嫌いだ。
それは進歩とか成長とか、良い意味なのかもしれないけど、わたしがわたしじゃないみたいなこの感じが、すごく怖い。

ただ今わかるのは、黒尾さんは研磨のために、わたしをマネージャーにしようとしている、ってこと。


『…研磨のこと、大事なんですね』


口から出たのは、そんな言葉だった。
なにそれ、って自分でも思う。
でも黒尾さんは、真面目な顔のまま、口を開く。


「ああ。研磨は絶対、チームを強くする。それだけの力を持ってる」

『……』

「とりあえず、考えといて。まだまだ先のことだけど。な、なまえちゃん」

『………考えときます』


ふ、と黒尾さんが、目を細めて微笑む。
きっと気付いているんだと思う、わたしが考えると言いながら、まだその話を受け入れきれていないことに。


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