『あ、研磨ぁー』


研磨と約束した通り、ゴールデンウイーク二日目、わたしは1時半に音駒高校の校門前に到着した。
一応進学しようと考えている高校なので体育館だけとは言え中を見るのが楽しみである。
ちなみに高校に居てもあまり目立たないように、オーバーサイズのグレーのパーカーにショートパンツという気の抜けた格好で来た。
地図アプリで音駒の場所を調べながら到着すると、校門の前に見覚えのあるジャージを着た研磨を見つけたのでとりあえず呼ぶ。
わたしに呼ばれた研磨は、長い前髪に顔を隠しながらこっちを向いた。


「なまえ」

『待った?』

「ううん。あんまり」

『そっか』


ハイカットのスニーカーをぺたぺた言わせながら歩み寄ると、研磨はわたしを待ってから校門をくぐった。
研磨の後を追いながら、初めて入る音駒高校の校舎を見上げる。


『受験受かったらここに通うんだね』

「そーだね」

『…受かるかな……』

「今年の二学期と受験勉強頑張ればいけるでしょ」


不安である。
音駒は都立高校なので2月の後半に一般入試があるのだけど、受験に用いる要素が筆記試験と中学三年の二学期の内申点なのだ。
家から近いここに是非受かりたいので二学期がんばらないと……特に数学とか歴史とか理科とか……。


「数学ほんとやばいもんねなまえ」

『嫌いなんだよねー…』

「国語とか英語は得意なのにね。古文漢文も好きなんでしょ」

『うん、おもしろいよね漢文と古文』

「おれは別に好きじゃないけど」

『研磨は頭いいから余裕だね』

「なまえもクロに教えてもらうんでしょ。クロわりと勉強できるから大丈夫だよ」


バレー部の練習試合が行われる体育館に向かいながら、研磨が少しこっちを向いて言う。
あ、その黒尾さんに勉強教えてもらう話、まだ生きてたんだ。


『でも黒尾さん忙しいだろうし。部活とか自分の勉強とかで』

「クロはなまえの受験勉強見る気満々だったけど」

『…そーなの?』

「うん。それに忙しいって言っても勉強教える時間くらいあるよ。なまえんち門限ないんだし、クロの部活終わったあととか…土日は練習だいたい昼か夕方までだって言ってたし」


研磨の言う通りわたしの家には門限なんていうものは存在しない。
中学生の娘が夜遅くまで家に帰ってこなくても心配しないのは親としてどうなんだ、とわたしもほんの少し思うが、それもわたしが遅くなる連絡は入れてるからだしそもそもうちの親はわりと放任主義なのだ。
なのでいつもユカとリツコと夜まで遊んでそのまま泊まったりしてるし、うちに泊まりにくることもある。
つまり研磨は、黒尾さんが忙しくてもわたしが時間に融通が利くので大丈夫だろう、と言いたいのだろう。


「それに…」

『ん?』

「…クロも、なまえが音駒に合格しないと困るだろうし」

『え?なんで?』

「……そのうちわかるよ」

『?』


研磨が言葉を濁すので、クエスチョンマークが頭の中に散らばる。
わたしが音駒に合格しないと黒尾さんが困る?
何故?意味がわからない。
なに、黒尾さんわたしのこと好きなの。とか自意識過剰な妄想をしてみて、あり得ないだろうと心の中で首を振った。
それにそのうちわかるよ、ってどういうことだ。
意味がわからない。ほんとに。


「あ、クロ」

『え、どこ?』

「あそこ」


体育館に到着すると、靴を脱いで研磨と一緒に広い体育館の二階に上がった。
二階が観客席的な感じなんだろう、ばらばらと数人のギャラリーがいる。
わたしも研磨の隣に立って、設置されている柵に腕を置いてコートを見下ろした。
コートにはいくつかバレーのネットが張られていて、その周りに赤いジャージの人や黒い練習着の人、青いジャージの人、たくさんのバレー部の人がいる。
赤いジャージは音駒だから青いのは他校かな、と思いながらバレーボールが床にぶつかる音を聞いていると、隣で研磨が短く呟いた。
黒尾さんを見つけたらしい。
わたしも探してたけど見つからなかったのでどこにいるのか尋ねると、研磨が一階のコートを指差す。
その指の先を辿っていくと、コートの真ん中あたりに、赤いジャージの集団の中にいる黒尾さんらしき姿を見つけた。


『あ、ほんとだ。なんかバレー部の中にいてもでっかいね黒尾さんて』

「まあ、バレーしてる人の中でも大きめだね」

『見つけやすい髪型だし』

「ふ…確かに」

『あれセットしてんのかな』

「寝癖だよアレ」

『えっ、寝癖なのあれ』


え、驚くべき事実が判明した。
黒尾さんのツンツントサカ風ヘアーはセットではなく寝癖だそうだ。
一体どんな寝方をしているんだと信じられないまま研磨に聞いてみたら、うつ伏せに寝て枕で頭を両側から挟む、と答えが返ってきた。
なにその特殊な寝方。
それって顔を完全に布団に埋めて寝てるってこと?苦しくないのそれ。
頭を両側から挟む意味もわからない。
マゾなのか?


「もう始まるよ」

『赤い方が音駒だよね』

「うん」


コートでは選手の人たちが整列していた。
赤いユニホームが黒尾さんのいる音駒で、わたしはそっちを応援する。
お願いシアース、と大きな声で挨拶をした両チームがそれぞれ配置に着くのを見ながら、今更だけどバレーのルールまともに知らないことを思い出した。


『わかんないことあったら話しかけていい?』

「いーよ。べつにそんなに興味ないから」

『ないんだ』

「うん」

『じゃあ、あの、一人だけユニホーム違う人はなに?バレーって6人でやるんじゃなかったっけ』

「リベロだよ。守備専門のポジション。試合中に後衛の選手と入れ替わってボール受ける人」

『入れ替われるんだ』

「ラリー中以外はいつでも入れるんだ。ローテーションで前衛になるまえに出るんだよ」

『へえー、初めて聞いた。リベロね』

「うん」

『守備専門ってことは、リベロは攻撃しないの?』

「うん。後衛の選手はネット際でのスパイクとブロックができないし、リベロはそれにフロントゾーンでのトスとかネットより上から返球とかできない」

『へえ…黒尾さんはミドルブロッカー、だっけ』

「よく知ってるね」

『黒尾さんが言ってた。ブロックする人って』

「うん。スパイクも打つけど」

『バレーって何点で勝ちなんだっけ』

「3セットマッチで、25点取った方が1セットもらえる。先に2セット取った方の勝ち」

『え、じゃあどっちかが25点取るのを最低二回はするってこと?』

「うん」

『へー…』

「どっちも24点になったりしたらデュースになるから、先に2点差つけた方が勝ちだよ」

『……難しいね』

「説明するの疲れる」

『ごめん』

「うん。詳しいことはクロに教えてもらって」

『わかった』


進んでいく練習試合を見ながら、次々に質問してたら研磨に顔をしかめられた。
でも基本的なことはわかったような気がしないでもない……かもしれないので、試合を見るのに集中しようと思う。
そういえば黒尾さんは高一なのにもう試合出てるんだなあ、と思っていたら、セッターの人が上げたトスを黒尾さんが打った。
ばこん、みたいな音を立てて相手コートに落ちたそのスパイク。


『……』


黒尾さんがジャンプして、高く上がったボールを打って、そのボールが床に叩きつけられたとき。
ぞわっと、全身に鳥肌が立った。
怖いわけじゃない、なんか、よくわからないけど、一瞬、何も考えられなくなった。
その前わさびを撫でていた、わたしの頭を優しく小突いた、あの大きな手が力強いスパイクを決めた瞬間。
なぜかわたしは、動けなくなったのだ。

そして次の瞬間、かあっと胸のあたりが熱くなるのを感じた。
たとえば炭酸のジュースを飲んだ直後みたいに、肺のあたりが、かあっとした。
この感覚がなんなのか、全くわからない。
でも、なんか、すごい、


『……かっこいい』

「!…」

『ね。研磨』


かっこいい、そんな言葉じゃ足りないけど、それしか思い浮かばなかった。


「……うん」


それから、1セット目は音駒が取って、2セット目は僅差で相手校が取って、3セット目は音駒が取って、練習試合は終わった。
見事音駒が勝ったのだ。
初めてまともにバレーの試合を見たわたしは、終わってからもその興奮が収まらなかった。
いままでスポーツに全く興味なんてなくて、テレビでサッカーとかバレーとかの試合がしててもすぐチャンネル変えてたのに、今日ですごくバレーに興味が湧いた。
それはたぶん、知り合いが試合に出てたからでもあるし、試合が面白かったからでもあるんだろうけど、わたしってバレーに興味あるんだ、と自分のことなのに驚いたのだ。
それから、もっと知りたいと思った。
研磨がバレーをしているところを前から見てみたいと思っていたけど、もっと見たくなったし、前よりも研磨と黒尾さんのことを応援したくなった。

バレーって、面白い。
久しぶりにわくわくした。
ジャンプで面白い新連載が始まったときみたいな、そんな感じ。
どハマりした少年漫画が盛り上がってるみたいな、そんな感じ、いやもっと。
試合が終わって、体育館から出るときも、研磨と一緒に黒尾さんがミーティングを終えて出てくるのを校門の前で待っている間も、わたしはずっとわくわくしていた。
胸がざわざわする。
黒尾さんのブロックしてる長くて力強い腕とか、スパイクを打つ姿とかが、しばらく脳裏に焼きついて離れなかった。


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