「なまえちゃんのケーキは本当に美味しいな!前に持ってきてくれたシフォンケーキもおいしかったけど、このケーキもものすごく美味しいよ」 と、初めて会った研磨のお父さんがめっちゃくちゃ手土産に持って来たレモンケーキを褒めちぎってくる。 わたしは少し面食らっていた。 午後5時前、研磨の家に訪れたわたしを迎え入れてくれた研磨のお父さんの明るさに。 お鍋の準備をしているお母さんもすごく嬉しそうに迎えてくれて、わたしは自分のなかでどんどん謎が深まっていくのを感じた。 こんな明るい両親から、何がどうなって研磨が生まれてきたのだ、と。 もちろん血の繋がりは目に見えるほどあって、お母さんもお父さんも研磨に似ているし溺愛していると思う。 けどその人間性の違いがわたしを混乱させたのだった。 しかし考えたって無駄なので、わたしはリビングでニコニコ笑って嬉しそうにしている研磨のお父さんに、同じようにニコニコ笑って嬉しそうにしてみせた。 「いやぁ、本当に研磨にこんな可愛いお友達が……なんというか…感無量だな……ありがとう、なまえちゃん」 『えっ、いえ、こちらこそ…研磨くんにはお世話になってます。それに今日はご飯に誘ってもらって、ありがとうございます』 「よく出来た子だなぁ…!研磨にも見習って欲しいよ」 いやいや、と否定しながら、やっぱりこういうのは慣れないなあと心の中で思った。 「なまえ」 『あ、研磨』 「……何やってんの」 わたしがリビングでお母さんとお父さんと世間話をしていると、とんとんと階段を降りてきた研磨が現れた。 そう、わたしは研磨の家に来てからすぐにお父さんの話し相手をしていたので、研磨と今日顔をあわせるのはこれが最初なのだ。 友だちの家に遊びに来て30分近くその友だちではなくその両親と話をしている、なんてものすごくおかしな状況に思えたけど、よっぽど嬉しいんだろう研磨の両親相手に失礼な態度を取れるわけがない。 そして5時前に家の呼び鈴が鳴ったのに、わたしが一向に自分の部屋に上がってこないことを不思議に思ったんだろう研磨が降りてきてくれたのだ、いま、やっと。 わたしはリビングの椅子に座ったまま、研磨に目をやった。 「…父さん、なまえ困らせないでよ」 「いやあすまん!研磨の友だちと話がしたかったんだ」 「……これなまえが持ってきたやつ?」 近づいてきた研磨が指差したのは、わたしが家で作って持ってきたレモンケーキだ。 中にレモンカスタードクリームを入れている、さっぱり甘いわたしお気に入りのケーキ。 『うん。レモンケーキだよ』 そう頷くと、研磨は指でレモンケーキを一つ摘んで食べた。 おおっ、とお父さんがなぜか興奮している。 「うまい」 『ありがとう』 「こっちこそ。あ、さっき、クロがネコ見に来いって言ってた」 『あ、わさび…』 「ああ…うん。わさび」 もぐもぐ口を動かしながら研磨がそう言うので、わさびに早く会いたくなった。 「晩ご飯まだできないから、鉄朗くんち行ってらっしゃいよ」 『あ、手伝いましょうか?』 「あらあら、いいのよ!」 「そうだぞ、鍋は母さんに任せて二人は遊んで来い!」 『…じゃあ、すみません…行ってきます』 「あ、鉄朗くんち今日お母さん遅いって言ってたから、こっち戻るとき一緒に連れてきてくれる?」 『あ、はい。わかりました』 研磨のお母さんとお父さんがニコニコしながらわさびを見て来いと勧めてくれたので、お言葉に甘えて椅子を立つ。 研磨は机にあるレモンケーキを三つ手に取ると、リビングを出るため歩き出した。 「おっ、ご主人様が来たぞーわさびー」 「なー」 研磨に連れられて黒尾先輩の家に上がると、黒尾先輩は部屋でわさびと遊んでいた。 わたしは研磨がピンポンも押さず黒尾先輩の家のドアを開けて勝手に入ったことにも、そのあとちゃんと玄関のドアの鍵を閉めたことにも、勝手に家に上がって階段を登り始めたことにも、ノックもなしに黒尾先輩の部屋のドアを開けたことにも驚いた。 けど、そんなことはすでに忘却の彼方である。 部屋の中で、ベッドに腰掛ける黒尾先輩の脛にじゃれるようにして遊んでいたわさびが、わたしと研磨の訪問に気付いて、なーと鳴いた。 それがもうかわいすぎて死にそうになる。 『あ、おじゃまします』 「おー、テキトーに座って」 そういえば、と忘れていた挨拶をすると、黒尾先輩は胡散臭い爽やか笑顔で床を指差した。 会っていたわけではないのにラインをしていたからか、なんとなく、わたしの黒尾先輩に対する恐怖心が無くなっている。 言われた通り黒尾先輩の部屋に入って床に座ると、わさびがとてとてと短い足を動かして寄ってきた。 かわいいいいと叫び散らしたい衝動に駆られながらも耐える。 ベッドに座っていた黒尾先輩が立ち上がると、代わりにベッドには研磨が腰掛けた。 「研磨、なにそれ」 「…なんだっけ。なまえが作ってきたケーキ」 「へー、いいもん持ってんな。一個くれ」 「えー…」 「3つも食ったら晩飯食えなくなんだろ。ほら」 わたしのひざに頭をすり寄せてきたわさびを抱き上げると、研磨が渋々広げられた黒尾先輩の手のひらにレモンケーキをひとつ乗せた。 黒尾先輩って甘いもの食べるんだ、とまた意外な新発見をしながら、抱き上げたわさびのお腹に鼻を埋める。 うわー、ふわっふわでなんかいい匂いがする……。 「なまえちゃんは何変態くさいことやってんの」 『わさびのお腹ふわふわで…いい匂いします』 「ああ、さっき俺が香水かけといた」 『えっ?』 「ウソぴょん」 『…………』 「そんな引かなくても」 『ぴょんだって、わさび』 「にゃー」 『ね。びっくりしたね』 「んなー」 「おい、お兄さんいじめて楽しいですか」 『お兄さんだって、わさび』 「なー、にゃー」 『ね。びっくりだよね』 「ごめんなまえちゃん、わさびと連携して攻撃すんのヤメテ。地味につらい」 黒尾先輩が変な冗談を言うのでわさびと会話しながらやり返したら、結構効いたらしい。 内心ふふふと思いながら、レモンケーキを食べ始めた黒尾先輩を見上げる。 しかしわさびは合いの手がうまい、天才だろうかこの子は。 「美味ぇなこれ。これなに、なまえちゃん」 『レモンケーキです』 「レモンケーキ?中のクリームが美味い。外も美味いけど」 『ありがとうございます』 「なまえちゃんてホントにお菓子作れんだなー、意外だわ」 「それ俺も思った」 『わたし女子力高いんですよ』 「いや、それはどうかな」 「お菓子作りと裁縫が得意でも女子力高いとは言わないんじゃないの」 「ウンウン、流行に敏感で恋愛のことばっか考えてるミニスカートの茶髪女子が真の女子力高め女子だからネ」 『なんですかその偏見…わたしだってたまにはミニスカート履きますよ』 「…だとしても、ジャンプの内容によって1日の機嫌が左右されるような女子を女子力高いとは言わないんじゃない」 『平日は毎日ミニスカートなのに?』 「それ制服だろ」 『じゃあ茶髪にしろってんですか』 「いや?俺は黒髪の方が好きヨ」 すごくどうでもいいし、ぶっちゃけ女子力にも興味はない。 ので、わたしのひざの上でお腹を上にしてごろごろしてるわさびを見る。 かんわいいーと叫び散らしたい。 が我慢し、その小さなふわふわのお腹を指先で優しくくすぐると、わさびはぐるる、と小さく喉を鳴らす。 かわいいかわいいかわいいと同じことを繰り返し考えていたら、いきなり頭上から、カシャッ、とカメラのシャッター音が聞こえた。 顔を上げると、何故か黒尾先輩が自分のものらしきスマホのカメラをわたしに向けていた。 『え?なんですか』 「わさびと遊ぶなまえちゃんを激写」 『わたしと遊ぶわさび、ではなくて』 「…わさびと遊ぶなまえ、だね」 意味がわからず尋ねると、黒尾先輩のスマホ画面を覗き込んだ研磨がわざわざ言い直した。 何この人許可なく人の写真撮ってるんだろう。 『悪用しないでくださいよ』 「しねーし、俺そんな奴に見える?」 『………』 「そこで黙られると俺傷つくなぁなまえちゃん…」 『…ね、わさび』 「にゃー」 「ね、って何かな」 『……ね。わさび』 「にゃっ」 「やばい、俺なまえちゃんとわさびに泣かされる」 「まあ…クロが悪いよね」 ねー、と言いながらわさびのお腹を撫でる。 黒尾先輩という人がいまいち掴みきれないのでいまいち接し方がわからないが、このままでよさそうだ。 『あ、黒尾先輩』 「はいはい」 そういえば研磨のお母さんから黒尾先輩に伝言があるのを思い出して顔を上げると、ベッドを背もたれにして床に座っている黒尾先輩と目が合った。 『研磨のお母さんが、お鍋一緒に食べようって言ってました』 「ああ、母さん今日遅いからか。りょーかい」 「言われなくても一緒に来たでしょ、クロは」 「まーな。でも晩飯んときわさびどーっすっか、留守番とかできんのかな」 「昼間留守番してるんだから大丈夫だよ」 「だな。んじゃ、わりーけどわさび、お前は留守番な」 わたしの隣にしゃがみ込んだ黒尾先輩が、横から手を伸ばしてわたしのひざの上で寝転んでいるわさびのお腹をくすぐった。 わさびは手足をじたばたさせながら短く鳴いている。 そんなかわいすぎるわさびを見ながら、大きな黒尾先輩の手も一緒に眺めた。 骨ばってて大きくて指が長い。 わさびが片手にすっぽり乗るくらい大きな手だ。 当たり前だけどわたしの貧弱な手とは違う。 わたしも女子の中ではわりと大きめだと思うけど、それでも全然違うんだなあと思いながら、わさびとわさびを弄ぶ黒尾先輩の手を眺めた。
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