『来週はアップルパイがいいです』 と、マドレーヌを焼いている間の”来週何作るか会議”でわたしが出した事案は、見事採用された。 会議の内容はこんな感じだった。 ユカ「お、アップルパイ?いいねぇ」 後輩1「なまえさんがアップルパイとか珍しい!いつもはチョコ系のお菓子ばっかり作りたがるのに」 リツコ「なまえはチョコ中毒のチョコ狂いだからね」 顧問の先生「じゃ、来週はアップルパイで決定でーす」 後輩2「来週の買い出し当番はリツコさんとなまえさんです!」 リツコ「なまえと買い出しとか、絶対荷物全部持たされるじゃん」 ユカ「つーかなまえは買い出し中に勝手にチョコ買うからね。部費で」 後輩3「ダメですよなまえさん、部費でチョコ買っちゃあ!」 顧問の先生「じゃあ買い出し当番は、火曜日に材料買ってきといてね」 という風に、わたしのアップルパイの提案はふざけてんのかと言いたくなるくらいすんなりと可決されたのだ。 まあみんなの言う通りわたしはチョコが大好きだし、特に言い訳などはない。 部活は基本的に、毎週水曜日に行ってるので、買い出し当番(毎週組み合わせの変わる二人組)が前日に材料買ってきて家庭科室に置いとく、という手はずである。 そして部活を終えたわたしは、さっき作ったばかりのマドレーヌの入ったタッパー(ラッピングなんて面倒なことするわけがない)をスクバに入れて、ユカとリツコと後輩たちに別れを告げて下駄箱の前に座り込んでいる。 帰りに漫画を貸してもらうと約束した孤爪くんを待っているのだ。 下駄箱で待ち合わせ、と約束したので、そのうち孤爪くんはやってくるだろう。 昼休みに、一応念のためにと交換した連絡先。 最近新しくしたスマホをスカートのポケットから取り出して、ラインに新しく加わった友だち、孤爪くんのトーク画面を開く。 <下駄箱で待ってるよ> とだけ送って、スマホを暗転させた。 バレー部もそろそろ終わるはずだ。 「みょうじ、何してんの?」 『友だち待ってんの』 「へえ。じゃあなー」 『ばいばーい』 という会話を何人かの通りかかった友だちとして、タッパーから取り出したマドレーヌを一つ食べたときである。 ポコ、と、わたしのスマホが鳴ったのだ。 画面を見ると、そこには孤爪くんからの新着メッセージが表示されていた。 <今終わった。着替えたら行く> とのこと。 <りょーかい> とだけ返信をして、部活が終わってこれから着替えるらしい孤爪くんを待った。 「ごめん、…待った?」 『ううん、そんなに』 「そう…じゃあ、帰ろっか…」 しばらくしてから下駄箱に来た孤爪くんは、疲れた顔をして上履きを下駄箱に入れている。 わたしも座り込んでた床から立ち上がって、脱いでいたローファーを履いた。 それから、スクバを肩にかけ直して孤爪くんと並んで学校を出る。 もう外は暗くなっている。 まあ街灯とかあるから道は明るいんだけど、空が暗い。 『あ、マドレーヌ食べる?』 「…作ったやつ?」 『うん、さっき作ったやつ。嫌じゃなかったらどーぞ』 駅に向かって歩きながら、スクバから取り出したタッパーを孤爪くんに差し出す。 蓋を開けると、甘いいい匂いがした。 「…じゃあ、いただきます」 そう呟いた孤爪くんは、指先でマドレーヌを摘むと一口で食べた。 案外ワイルドだなとか思いながら、わたしもマドレーヌを摘んで食べる。 わたしは女の子なので三口くらいに分けて食べたけどね。 「…美味いね。意外と」 『孤爪くんは、わたしをなんだと思ってるのかな』 「いや…なんか不器用そうだなと思ってたから」 『わりと器用だよ。ボタンとかよく着けるし』 「…いや、嘘でしょ」 『え、ホントだよ』 「信じない」 『いや信じなよ、ホントだってば』 どんだけ孤爪くんはわたしをぶきっちょだと思ってるんだ。 信じてくれてもいいじゃないか。 「ジャンプ読みながら爆笑してる女子がボタン着けるの得意とか…誰も信じないよ」 『ギャップってやつだよ。女のギャップに男は弱いらしいよ。だからわたしもこのギャップで男共をメロメロに…』 「需要ないよそのギャップは」 『なんか孤爪くん、わたしに当たりきつくない?あれ、嫌われてる?わたし』 「普通だよ」 『普通かぁ…』 普通て、微妙だな。 まあ、気を許してくれていると取るとしよう。 ポジティブにならなきゃやってけないよこのご時世。 「ていうか、名字で呼ばれるの慣れないから名前でいいよ」 『じゃあ、研磨くん』 「研磨でいいよ。くん、とか気持ち悪い」 『じゃあ研磨って呼ぶけど…気持ち悪いは女の子に言っちゃだめなやつだよ』 言いながら、孤爪くん、じゃなくて研磨と、だいぶ仲良くなれたんだなあと少し感動した。 なかなか心を開いてくれない感じに見えたけど、仲良くなれてよかった。 ジャンプ仲間が増えた。 別に他にジャンプ仲間いないけど。 『研磨も、わたしのことはなまえでいいよ』 「うん」 研磨の短い返事を聞いてから、だいぶマドレーヌの減ったタッパーをスクバにしまった。 わたしはチョコ系のお菓子が好きなんだけど、チョコは溶けてうざいからって、冬にしか作らせてもらえないのだ。 全く舐めている。 わたしの提案するチョコ議題を部員は二つ返事で突っぱねるので、みんなわたしの敵なのかとこの2年と少しで四面楚歌気分を味わったりした。 でも菓子文化研究部としてお菓子作って騒ぐのも今年で終わりなのかと思うと少し寂しい。 「あ、おーい、研磨ぁー」 とか一人で感傷に浸ってたら、いきなり後ろから、研磨を呼ぶ低い声がした。 足音とか聞こえなかったので驚いて振り返ると、そこには街灯の下に背の高い男が立っている。 ツンツンしてる黒髪と鋭い目付きがわたしに恐怖心を与えた。 誰だこのいきなり現れたノッポは。 研磨を呼んだということは研磨の知り合いだろうか、わたしの進学予定の音駒高校の制服を着ているあの人は。 「クロ」 背が高い個性的な髪型の目付きの悪いでっかい男を、研磨はクロと呼んだ。 あ、ということは、あの人が研磨の言う幼馴染か。 聞き覚えのある愛称に、一人納得した。 夜道で遭遇したあの人は、研磨をバレーの道に引きずり込んだという幼馴染さんこと、黒尾先輩らしい。 なるほど、確かに同級生がかっこいいと騒いでいたのを納得するくらいには、ニヤニヤしながら近づいてきたその顔をイケメンだと思った。 「今帰り?」 「うん。クロも?」 「おー。で、その子は?彼女?」 「ああ…同じクラスで隣の席の友だち」 「友だち?…てことは、彼女では?」 「ない」 「なーんだ、残念。ついに研磨に春が来たのかと、俺感動して泣いちゃいそうだったのになァ」 「まあ春っちゃ春だけどね、今」 仲よさげな幼馴染同士の会話を聞きながら、わたしは果たして研磨と黒尾先輩、どっちを見ていればいいのかわからずにきょろきょろしていた。 気まずいけど俯いてちゃ失礼だし、研磨を見つめてるのも変だし、黒尾先輩を見つめてるのも失礼だ。 わたしを研磨の彼女だと勘違いしていたらしい黒尾先輩が、自虐って笑いながらわたしを見下ろすので、とりあえず愛想笑いを浮かべた。 「ま、研磨に新しい友だちできたって時点で、俺は感動してんだけどネ」 「あっそ…」 「それで、名前何てーの?」 「なまえだよ。……あ、なまえ、これ幼馴染のクロ」 『あ、うん。みょうじなまえです』 「黒尾です、これからも研磨をよろしくねみょうじちゃん」 『あ、はい、こちらこそ…』 研磨に簡単に紹介されたので、黒尾先輩に軽く頭を下げる。 なんか、でっかくて目付き悪くて、怖いな、この人。 しかもみょうじちゃんって。 名字にちゃん付けて呼ばれたの初めてで違和感しかない。 高校生はこれがフツーなのかな、高校生ってすごいな。 「で、こんな遅い時間に女の子連れて、研磨は何してんの?」 「なまえも部活終わりで、漫画貸すから…これからうちにその漫画取りに来るんだよ」 「へえ、趣味友だちってことか」 「…まあ、そうなんじゃない」 「みょうじちゃんは何部入ってんの?」 『菓子文化研究部です』 「かし文化研究部?何ソレ、そんなんあったっけ」 『結構前からあります。部員少ないですけど』 「ふーん…何する部活なのソレ、”かし”って何の”かし”?」 『お菓子の…』 「ああ、菓子。菓子の研究してんの、マニアックだねェ」 『いや、集まってお菓子作ってるだけです』 「研究部なのに研究してねーの?」 『…作るのが研究、みたいな……?』 部活名を突っ込まれると困るのがわたしたち菓子文化研究部である。 だってほんと、菓子の文化とか研究してないし。 菓子作っては貪ってるだけだからね、言い訳に困る。 しかも相手が怖いとなおさら困る。 見上げないと目が合わないし、研磨と話すのとは訳が違うんだと思った。 わたしの周りにこんなに背の高い人いないから、こう圧迫感というか、威圧感みたいなのを感じてしまうんだろうか。 みんなはかっこいいと言ってたけど、黒尾先輩、わたしはちょっと苦手だな、なんて思った。
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