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「なまえちゃん、出前の配達お願いできるー?」 『あ、はい』 「原付の免許は持ってるのよね?そんなに遠くじゃないし、わかりやすい道だから迷わないと思うわ」 原付の免許は、高校生のときにバイトしてお金を貯めて取ったので、問題ない。 藤屋は、お弁当や丼の配達もやっている。 そんなに注文は多くないけれど、たまにこうして注文が入れば、お店に一台ある原付に乗せて配達するのだ。 おばさんに渡された、お弁当の入っている紙袋は五つ。 一つに十個ほどのお弁当や丼が入っているから、トータルで50個はある計算になる。 『こんなにたくさん、珍しいですね』 「なまえちゃんが来てくれてからは確かに初めてねぇ。配達先は真選組なんだけど、たまーにこうしてたくさん頼んでくれるの」 『あ…真選組』 お弁当の届け先を聞いて、どきっとする。 だけれど、前ほどは”彼ら”と関わることに抵抗を感じなくなってきた。 おばさんに原付のキーを貰って、一応免許証やペン、財布を持ってから、大量のお弁当の入った紙袋を抱え、お店の外に出た。 隣の建物との路地に停めてある原付バイクの荷台に紙袋を乗せ、崩れないよう注意して荷紐で縛り付けてから、わたしも原付に跨る。 キーを差し込んで回すと、しばらく振りの、エンジンの音がする。 右手でハンドルを回し、発進した。 『あの、すいません。藤屋から出前に来ました』 「あぁ!わかりました!中で金払うんで、食堂までお願いします!」 事前におばさんから説明されていた道を運転し、真選組の屯所に到着すると、失礼だけど下っ端っぽい隊士の人が対応してくれた。 紙袋を半分持ってもらい、屯所の中に入る。 漫画で読んだ時のことをあんまり覚えていないけど、こんな感じなんだ。 そんなことを考えながら、隊士さんの後を追って、屯所に上がらせて貰った。 「副長ー、弁当来ましたー!」 「…あァ」 食堂らしき、テーブルや椅子の置かれた大部屋に到着すると、中には椅子に腰掛け煙草を吸う、土方十四郎さんの姿があった。 条件反射のように、わたしの心臓は跳ねる。 けれど大丈夫。 もう、取り乱したりはしない。 下っ端隊士に声を掛けられた彼は、煙草を灰皿に押し付け消火しながら、立ち上がってわたしを見た。 「悪ィな、わざわざ届けさせちまって」 『いえ、仕事の内ですので、気になさらないでください』 近づいてきた彼は、そう言いながら制服の懐に手を入れ、紙袋を差し出してきた。 お弁当の代金だろう。 紙袋をテーブルに置いてから、それを受け取る。 中身を確認すると、釣り銭がいらないように、請求金額ぴったりのお金が入っていた。 『確認しました。ちょうどですね。ありがとうございます』 「あァ」 彼は新しい煙草を咥えると、ライターで火をつけた。 下っ端の隊士の人が、お弁当を紙袋から取り出して一つのテーブルに並べ出したので、わたしも手伝う。 手のつけられていない紙袋から、まだ暖かいお弁当や丼を取り出して、一緒にテーブルに並べた。 『蓋にカツと書いてあるのがカツ丼で、親子と書いてあるのが親子丼です。お弁当も、蓋にそれぞれ具の名前を書いておいたので、確認おねがいします』 「おう」 空いた紙袋を畳む。 あとは領収書を渡して帰るだけだ。 ふと、目の前の席に土方さんが座った。 目が合う。 「お前、なまえっつーのか」 『あ、はい。みょうじなまえと申します』 「女将が、なまえちゃんが配達するからよろしくね、とか言ってた」 『…そうですか』 「俺は土方だ」 『よろしくお願いします』 社交辞令を述べてから、少しおかしくなる。 おばさんてば、よろしくね、だなんて。 真選組にわたしの何をよろしくして欲しいんだろう。 口元に手をやって笑うのを我慢する。 畳み終えた紙袋を重ねて、持ってきた領収書を取り出した。 『これ、領収書です』 「あァ」 『いつも、ありがとうございます』 「いや、そんないつもは頼んでねェよ。今日は女中が全員休みでなァ…たまにあんだよ、ババァばっかだから温泉旅行でも行ってんのか知らねェが」 『…っ、ふふ』 土方さんが呆れたような、困ったような顔で目を伏せて、後頭部を掻くしぐさをしながら、ババァが、とか、温泉旅行、とか言うので、おかしくてつい笑ってしまった。 何その、おばさんが集まって休み取ったら絶対温泉旅行、みたいな決めつけ。 そんなふうに、おかしくて。 「………………」 『…あ、ごめんなさい。えっと…でも、そのおかげでうちは繁盛…?してるので、温泉旅行、様様です』 「…お前、笑うんだな」 ふ、と少し笑って、土方さんがそんなことを言うので、一瞬何も考えられなくなった。 今確実に、距離が、少しだけ、縮まった気がしたから。 別に、悪いことじゃない。 だけど、まだ、全てを、この世界を受け入れきれていないのか、わたしは少しだけ、動揺してしまう。 それでも不思議と、嫌ではなかった。 「いつも仏頂面か、営業スマイルかだろ。感情無ェのかと思ってたぜ」 『…いや…ありますよ。人間ですから』 「あァ、そりゃそうだよな…店でももっと笑ったりしてりゃ、客も増えんじゃねェか?」 『…わたし、接客態度悪いですか?』 「いや、そうじゃなくて…」 『!』 土方さんがそう、否定しかけたとき、立っているわたしの右側から、いきなり誰かの顔が、ぬっとわたしを覗き込んできた。 驚いて、手に持っていたボールペンを落とす。 その、突如現れた顔の持ち主は、甘いマスクの、蜂蜜色した髪の毛の、若い男。 また、わたしの知っている人だった。 「うわァ〜土方さんが女連れ込んでる〜。みんな聞いてくだせェ、土方さんが〜」 「総悟黙れ。つーかいきなり現れんな」 「いきなりじゃありやせんぜ。俺ぁさっきから、ずっとこの女が誰なのか離れたとこから見てやした」 「思っきし脅かそうとしてたじゃねェか!!」 土方さんが大声を出すのを聞きながら、落としたボールペンを拾う。 どきどきはする、けど、やっぱり、慣れたんだな、わたし。 初めて土方さんや坂田さんと会ったときほど、動揺はしていない。 順応性っていうんだろうか。 わたしにもそれ、備わっていたんだなぁ。 そう思いながら顔を上げ、蜂蜜色の彼、沖田総悟さんを見上げた。 「ほォ、面はまぁまぁですかねェ。でもリアクションがイマイチでさァ。もっと雌豚みてぇに悲鳴あげるなりなんなりしてもらわねェと、こっちもやる気出やせん」 『藤屋のみょうじなまえと申します』 「てめェ、俺のボケをスルーとはいい度胸でさァ。ちょっと俺の部屋来なァ、いい感じの雌豚に調教してやらァ」 『申し訳ありませんが、他を当たってください。わたしは仕事中なので、失礼します』 「中々肝の座ったいい女じゃねェかィ」 「総悟、絡むのもその辺にしとけ。他の隊士も呼んでこい、飯にするぞ」 『では、土方さん、わたしはお暇します。ありがとうございました』 ボールペンを帯に挟み、畳んだ5枚の紙袋を持って頭を下げた。 実は、あまり下ネタが得意ではないので、沖田総悟さんをまともに相手をするのはやめよう、そう決めていた。 頭を上げると、煙草を吸う土方さんと目が合う。 漫画で見た印象よりは、幾分か優しい印象を受けた。 「あァ、また今日みてェな日には頼む」 『はい。こちらこそ、その時は是非』 「おい、俺は沖田総悟でィ。総悟様って呼びなァ」 『…わかりました。では、失礼します』 まともに相手にしたら終わりだ、絶対長くなって中々消えれなくなる。 だから、軽く受け流し、もう一度軽く頭を下げてから、背を向けてその場を離れた。 よく、平気で雌豚とか言えるな、なんて思いながら、食堂から出て廊下を歩く。 屯所って広いんだなぁ、とか、意外と綺麗にしてるんだなぁ、とか、色々思うことはあった。 原付に跨って、ヘルメットを被る。 今日、わたしが一番感心して、感動したのは、屯所や真選組に、ではなく、自分自身の進歩に、だ。 ”登場人物”である彼らに会っても、取り立てて緊張することはなくなった。 それがただ、嬉しかった。 この世界でやっていける、いや、きっと、少しくらいは、もうやっていけてる。 その事実を確信して、感動した。 これからもっと、馴染んでいきたい。 だって、わたしには。 「お姉ちゃんっ」 わたしには、帰る場所なんてもう、無いのだから。 ここだけが、不可解に与えられた、わたしの居場所。 だから。
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