「お…よく会うな。お前、ここで働いてんのか」


お店の暖簾をくぐりやって来たのは、わたしの物語を大きく動かした、彼だった。


『この間は、すみませんでした』

「……何のこと言ってんだ?」

『助けていただいたのに、わたし、逃げるみたいに…』

「あァ…気にしてねェよ」


今、藤屋のテーブル席にいるのは、土方十四郎、さん。
彼が来店したとき、思わず息を飲んだ。
現実を受け入れる、と決めたのに、わたしの意思にそぐわず大げさに跳ねる心臓は無視して、頭を下げる。
彼の前で取り乱し、逃げ出したことを謝罪すれば、彼は煙草に火をつけながら許してくれた。


「いつもの頼む」

『…………いつもの…?』

「あぁ、そういやお前がいる時に来たことねェな…女将に言や分かる」


厨房に戻り、おばさんにその旨を伝える。
おばさんは、丁寧に土方さんの名前や真選組の副長であること、”いつもの”について説明してくれた。
本当は知っている。
彼の言う”いつもの”、が土方スペシャル(?)とかいうマヨネーズ丼であることも、彼がどういう人であるのかも。
本当は知っていることを、知らないふりをして振舞うというのは、簡単なことではない。
気を抜けばボロが出てしまう。
さっきだって、いつもの、と言われて、頭の中では「あのマヨネーズか…」などと理解していたのだ。
わたしはいつも、気を引き締めて居なければならない。
おばさんから受け取った彼の”いつもの”をお盆に乗せて、厨房を出た。


『お待たせしました』

「おう」

『ごゆっくり』


不自然ではないだろうか。どこも、おかしなところはないだろうか。
”彼ら”と関わると、そんな風に自分のふるまいが気になって仕方がない。
一つでもボロを出せば絶望的な状況になる。
もし、彼らに、わたしが彼らのことを奇妙な程に知っていることがばれれば、必ず理由を聞かれるだろう。
その時の言い訳や嘘が、どうしたって思いつかない。
真実を述べてしまえれば楽だろう。
だけど、きっと信じてもらえない。
当然だ。
わたしが彼らの立場でも、簡単に信用なんてできないのだから。

それに、ボロが出るのは何も、知らないはずのことを知っている、と悟られた場合のみではない。
何でもかんでも知らないふりをしているだけでも、きっと何か感づかれる。
例えば、彼らの行き過ぎた性癖や偏食なんかについて知らないふりをしたとして、そのとき、引いたり突っ込んだり、疑問に思っていなければ、きっと違和感を感じとられる。
だけど、それが難しい。
だって、知っているのだから。
それを初めて知ったふりをする時、わたしはどう反応すればいいのかわからない。
知っているのだから心の底から素直に驚くことなんてできないし、わざとらしくリアクションを取ったりするのも苦手だ。
でもそこで、明らかにおかしなことなのに驚きもせず、引きもせずにいれば、彼らはわたしをおかしいと思うはず。

さっきだって、土方さんの、”いつもの”の正体を知った時、もっと引いたり、驚いたり、身体に悪いんだと注意したりしなければならなかったのかもしれない。
けれど、わたしには本当に知らない人の反応なんかわからないから、どうすればいいかわからなくなる。


「ご馳走さん」

『あ、ありがとうございました』

「どこか行くのか」


お店も落ち着いてきた頃、わたしは買い出しのため裏口から店を出た。
そして表の道に向かえば、丁度支払いを終えた土方さんが店から出てきたのだ。
お約束の如く、ばくん、と心臓が嫌な音を立てて跳ねる。
財布を握る手が汗ばんだ。


『はい、買い出しに』

「いつもこの間くらい買ってんのか?」

『いえ、この間は特別多くて…』

「そうか、転ばねェように気をつけろよ」

『はい、ありがとうございます』


自然と隣を歩く彼から、風に乗って煙草の香りが香ってくる。
じゃあな、と手を挙げた土方さんは、屯所のある方向へ向かって姿を消した。

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