30

(相澤視点)

耳を澄ませば、やっと聞き取れる。身剣の寝息は、ひどく静かだった。
一度職員室に赴き、必要なものを持ってから保健室に戻ってきた。
生徒に配る書類や、名簿。リカバリーガールは、3年の教室に用があると出て行った。
奥のベッドで寝ている身剣は、音がなかった。枕元のパイプ椅子に腰掛け、見下ろす。薄い掛け布団に鼻まで潜り込んで眠る身剣は、死んでいるようでぞっとする。

『………』

掛け布団を、少しずらした。わずかに引き下ろすと、身剣は眉を顰める。
口元に手をかざしてみる。手のひらに、微かな寝息が当たった。
起きているときは、常に抑揚なく喋り倒す口も、眠っている時ばかりはきゅっと結ばれている。口数のない身剣とは、新鮮だ。ベッドに入ってから数分と経たず眠りに落ちたところを見るに、疲れていたようだった。
鍛錬と治癒で、体力を削られたのだろう。
女子生徒の寝顔を眺めるというのは、変態じみている。特に何を感じるわけでも無いが、きまりが悪い。
まだ幼さの残る寝顔だ。日焼けしていない肌や時折震えるまつ毛を見ているのは。背徳的なものを感じる。
横向きに寝ている身剣の頬には、横髪がかかっていた。邪魔そうだ。
それを退けてやろうと上げた手を、身剣に触れる前に止める。
耳にでも掛けてやろうと考えたが、それは間違っている。手を下ろす。膝の上に置いて、ため息をついた。
女子生徒に触れるのは正しくない。それが眠っているなら、更に。間違っていると言える。合理的では、全くない。
情か、これは。違うな。そんなはずは、ない。ただの慣れだ。構い過ぎただけだ。それも、良くはないが。
身剣は、気付かず眠っている。無防備に。ガキだ。馬鹿らしい。

時計を確認する。8時を過ぎていた。20分には、起こさないといけない。
出来ることなら、十分な休息を与えてやりたいが。鍛錬を請うたのはこいつ。本分の授業を疎かにさせる気は、ない。



「身剣。起きろ」

肩を揺さぶられた。掛け布団越しに。
目を開けると、黒い服が見える。それと、灰色の細長い布。
低い声が落ちてくる。耳に馴染む。ものすごく、眠い。眠りたいが、わたしの肩を揺さぶる相澤先生は、それを許してくれない。

「おい。起きたか?」
『グッドモーニング…おはようございます。わたしは、起きました。身剣、起床。まだ、眠いです。お母さん、今日は日曜日だよ。ゆっくり寝かせてよ。という、気分ですが。生憎、今日は火曜日なので。起きまする。相澤先生は、思いの外優しい起こし方だった。てっきり。布団から突き落とされるとばかり』
「そうして欲しいなら、落としてやろうか」

目を擦ると、まつ毛が目の中に入った。痛いわ。これは、自傷の一種だろうか。
体を起こす。ベッドは、ギシリと鳴った。布団が恋しい。が、もうすぐHRのお時間。のようだから、起きねば。

「早よ、ブレザー着ろ。教室行くぞ」

ベッド脇の椅子に座っていた相澤先生が、立ち上がる。
相澤先生はドライだ。
目も態度も。乾いている。カピカピに。まるで砂漠。
ベッドの淵まで移動して、脚を投げ出した。上履きを履きながら、ブレザーを羽織る。スカートがくしゃくしゃになっている。これは、マズイ。
立ち上がって叩いた。とりあえず、伸ばすように。フム。伸びたな。皺は目立たない。問題は、なさそうだ。

「寝癖」
『はい?ぬえぐすえ?なにそれ。知らない言葉です。ぬえぐすえ!なんだ、そりゃ。ハハ!相澤先生。意味がわからない!』
「寝癖だ。耳、おかしくなったか」

ああ。寝癖か。ぬえぐすえ、ではなく。寝癖。が、ついているらしい。わたしの髪に。
相澤先生は、わたしの頭を見下ろしている。じっと。血走った目で。ひどく、血走っている。乾いていそう。痛そうで、かわいそうだ。
頭を撫でつけてみる。髪があるだけで、寝癖の感触はない。いや、髪が絡んでいた。手櫛で直す。

『オーケー!これで、いいですか。寝癖。取れましたか。ぷふ!というか、相澤先生!相澤先生に、髪型のことを言われたら。お終いですよ。オシマイだ!相澤先生は、いつも髪の毛がボサボサです。お手入れした方がよろしいのでは?ボッサボサですよ。プククク!ほら。ワックスでも付けて、髪を整えたら。それはもう、かっこいいですよ!わたしの好みは、オールバックです。オールバック、どうですか。カッチョいいですよ。相澤先生も、したらいいですよ!オールバックに。推奨します。きっとお似合いになる。渋くて、いい!モテモテになりますよ。言い寄ってくる女の人が、絶えません。お嫁さん候補が、それはもうわんさか…は!それは。それは、いけない!相澤先生。ダメです!まだ、わたしたちの先生でいてください!さみしいです。誰かのものになんてならないで!相澤先生は、みんなのものですよ!!』
「おまえは本当…憎たらしいったらないな」
『わあ!わお。なに、するんですか!何をしなさる!相澤先生。やめてください。なんてことするんですか。ひどいや。髪の毛が、ぐしゃぐしゃになりましたよ。まるで、相澤先生みたいに!ボサボサ。ひでえ。髪は、女の命なのよ!?それなのに。相澤先生は、わたしの髪を。命を、ぐっちゃぐちゃにした!きいー!これは、只事じゃありませぬぞ!!』

何が気に食わなかったのか。相澤先生は、わたしの髪の毛をぐっちゃぐちゃにかき回した。わしゃわしゃと。それは、もう。両手で、犬でも撫で回すように。
おかげで、手櫛で整えたばかりの髪の毛は、ぐしゃぐしゃになった。乱れた。鳥の巣みたいに。わっしゃわしゃだ。これを整えるのは、骨が折れる。

「キーキー喚くな。行くぞ、HRに遅れる」

くるりと踵を返した相澤先生は、ドアの方へ歩き始めた。
わたしも髪の毛を整えながら、ついて行く。髪は絡んで、大変だ。手櫛を通す。相澤先生の表情は、柔らかく見えた。綻んでいた、というか。口元は、捕縛武器に隠れて見えなかった。
相澤先生は、笑うのだろうか。そういえば。あの、時たま見せる不穏な笑みの他には。そういう表情を見た記憶がない。朗らかな顔。相澤先生は、そういう顔するのだろうか。
見てみたいなあ。と思った。
相澤先生の、普通に笑った顔を。…え?なにそれ?それは、何故だ。我ながら、謎。よくわからない思考である。見たところで、何なんだ。嬉しいのか。わたしは。変な奴だな。
ぐっと、背伸びをする。髪は整え終えた。腕を伸ばして、伸びをした。
今日も、1日頑張ろう。今日はわたしの好きな実習授業は、ないけど。少し残念ではある。けども、学生の本分は勉学に勤しむこと!座学に、精を出そうではないか。

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