07

(相澤視点)

『くちぶっえは、なっぜー?とおくっまでっえーきこえっるっのー?あのくっもっはっなっぜー?わたーしっをーまってるのー?おっしーえてぇーおっじいっさーぁんー』
「…なんなんだおまえは……」

身剣柄叉。何故おまえは、登校時間の一時間半前に、職員室の前に座り込んでハイジを歌っている。
怖えよ。何してんだよ、こいつは。
障害とか、本当にないのか?頭に。メディカルチェックは万全だったよな。
何がこいつをこうさせているんだ。
俺には理解できない生き物なのか?人間のくせに。

『相澤消太先生ではありませんか!待ち焦がれていた人が今目の前に…感激。会いたかったです先生!待った甲斐がありました』

身剣は俺の姿を目に捉えると、徐に立ち上がって言った。
ニコニコと作り笑いを貼り付けた顔と抑揚のない淡々とした声で。
目眩がする。なんの魂胆があって、こいつは何をしているんだ。
指定の登校時間の一時間半以上前に登校してくる理由はなんだ。
俺に会いたい理由は何だ。
頭を抱えたい。
身剣は長い髪を揺らしながら一歩後ずさりをした。
その行動の意味もわからない。

「何やってる…」
『相澤先生を待っていました。当直の先生に聞いたらもうすぐいらっしゃるとのことで。あ、挨拶がまだでしたね。失敬。おはようございます!』
「…おはよう。何の用だ」
『無理を承知で申し上げます!雄英の設備を貸し出してくださいませんか?この通り!詳しく言うと訓練所か演習場か鍛錬場です、希望はロボ付きの。他に人がいない。ズタズタにしても構わないような。時間は、指定の登校時間まででございます!』

開いた口が塞がらないとはこのことか。よく言ったもんだ。
この通り!と言いながら脚に上半身がくっつきそうな勢いでお辞儀をする身剣の背中を見下ろして、何も言えない。
丸まっているグレーのブレザー。
こいつ何言ってんだ。

「生徒に、私用で設備を貸すことはできない。馬鹿言うのは大概にしろ」
『そこをなんとか!体育館やグラウンドは、部活の朝練で使ってたりするじゃないですか?そんな感じのノリで!どうかこの通り。お恵みを!』
「ノリじゃねえよ。そもそも、目的は何だ」
『もちろん、鍛錬です!モチのロンで。実践に、より近い環境で。鍛錬に勤しみたいでごわす。自宅や外では出来得ないことを、雄英なら。プルスウルトラ!略してプルトラ!どうかこの通ぉおり!!』
「校訓略すな」

思わず身剣の頭にチョップする。
低い位置にある後頭部に手刀を落とすと、身剣はパッと顔を上げた。
相変わらず気味悪いくらい変化のない微笑。笑わない目。目だけが別の人間のようで寒気がする。

「その顔やめろ。不自然だ」
『フシゼン。とは。不可解なことをおっしゃる人ですな、相澤先生は。ニコニコしてるだけじゃありませんか、わたくしは』
「目が笑ってない。ブキミだぞ、その作り笑いは」
『ええ。よく気付きましたね。お鋭い!パーフェクトなスマイルのつもりだったんですが。いやぁ、大人ってすごいなぁ』

ニコニコ、ニコニコ。指摘されても崩すつもりはないらしい。
何のための笑みだそれは。作り笑いだと、わかる奴が見ればわかる。おそらく。
他がこれをどう思ってるかは知らんが。

「より実践に近い環境で鍛錬をしたい。その向上心は評価する」
『評価は結構です。いや、嬉しいですが。けども!わたしは場所が欲しいです、先生。雄英に入学したからには、最大限うまみを味わいたいです。頑張って貢献しますので!』
「おまえが貢献?笑わせるな」
『え?面白かったですか?先生、笑いのツボ、変だって言われませんか。あ…いや!きっと相澤先生は怖いので、みんな怯えて言えないのかも。そうですよ!先生の笑いのツボ、変です!』
「今のは、嫌味だろうが」
『ええ。気付きませんでした。嫌味なんて初めて言われましたよ。ショックです。メロスは激怒した、みたいな。柄叉は激怒した。セリヌンティウス!いや、相澤ティウス先生。ここは、今抉られたわたしの心の傷を癒すためにも。どうかお情けをかけてください』
「おまえと話してると…目眩がするよ。心労だな、これは」
『それは大変だ!先生、わたしの推測によると、相澤先生の目眩の原因は寝不足と不健全な生活習慣からくるものと思われます。いますぐリカバリーガール殿の元へ参りましょう!寝てください。そうだ、安心してくださいね。眠るまでそばにいますよ。子守唄を歌います!ささ、歩くのもお辛いでしょう。どうぞ、わたしがおぶって行きます!さぁ、相澤先生』

卒倒しそうだ。
身剣が俺の足元にしゃがみ込む。俺に背中を向けて、両手を後ろに伸ばして。
乗れと?
誰が。おまえにおぶられてたまるか。

「立て。話にならん」
『先生…失礼ですが。会話がさっきから、成立していないように感じるのはわたしだけですか?おかしいなぁ…もしかして先生、わたしのこと嫌いですか?』
「会話が成立しないのは、100%おまえのせいだ」
『そんな。濡れ衣ですよ。濡れた衣…やだな。なんか想像したら気持ち悪い。寒くなってきた。濡れた服着るって、サイアクだよ…』
「おい…目的を忘れてないか?」

立ち上がった身剣は、急に震えだしたかと思うと自分の肩を自分で抱き締めた。
こいつ…ダメだ。コミュニケーションというものを知らないのか。
思わずため息を吐くと、身剣は顔を上げた。
やはりその目は笑っていない。目だけ真顔。ってのも変な言い回しだが。

「…一応聞くが。設備を貸し出せというのは、1日だけという訳じゃないんだろ?」
『ええ、それはもう!』
「意味のわからん相槌はよせ。おまえは俺を待ち伏せて、二つ返事で了承してもらえるとでも思ったのか?」
『二つ返事ってことはないです。九つ返事くらいかな?と思ってきました。ダメですか?押しても引いても答えはノーですか?暖簾に腕押し。バリア?うーん…どうしよう』

こいつ、人の話聞いてるのか。
顎に指を当てて唸り始めた身剣に、もう叱る気すら削がれる。
同じ人間だと思ってはいけない。こいつは新種だ。俺の知る人種の中で、間違いなく新種。しかも最強に曲者である。

「一応な。鍛錬目的であれば、生徒に設備を貸し出せない、ことはない」
『おお…これが一縷の望みってやつですね。死ぬ気で縋り付きます。蜘蛛の糸!切られないように頑張ります、身剣柄叉です!』

選挙でもするのかこいつは。選挙活動みたいなセリフ吐きやがって。
何党だ。おまえが出馬できる場所なんて存在しねえだろ。

「聞け。いいか。原則として、全ての施設並びに設備は、生徒のみでの使用は不可だ」
『なるほど。それは正しいですね、とても。何かあった時、困りますからね!色々と。ほら。大人は大変だ。責任とか、しがらみが。何かいろいろありますし』
「聞けっつってんだろ。俺の話が終わるまで声を出すな。俺が良いと言うまで喋るなよ。次口挟んだら問答無用で追い払う。話も終わりだ」

睨みをきかせると身剣は閉口した。
やっとか。ここまでしないと黙らないのかこいつは。手強い。

「授業以外での設備使用は、全面禁止ではある。が、あくまでそれは生徒のみの場合」
『………』
「…使用中、常に生徒が教師の監督下にある場合。監督する教師が申請を出した場合。許可が下りることはある」
『常に!わあそれは…あ。申し訳ない黙ります』
「実際、放課後に教師について貰って施設を使っている生徒もいる。朝は少ないが、ごくたまに見ることもある」
『フムフム………』
「…だが。それもあくまで、付きっ切りで見てくれる教師がいればの話だ。おまえにはそれがいない。わかるな、身剣。どうしてもと言うなら、まずは自力で面倒見てくれる大人を探せ。話はそれからだ」

常に口角を上げているのは、疲れないのだろうか。
不自然な笑みを絶やさない身剣を見下ろして思う。
身剣はじっと俺を見上げている。一向に視線を外そうとはしない。
濁った灰色の瞳には俺が映り込んで、微かに蛍光灯の光が揺らめいている。

『…喋っていいですか、相澤先生』
「端的に…手短にな」
『御意。さてと。相澤消太先生、打診したいことが!』
「フルネームはやめろ」
『仰せのままに。ちなみに、相澤先生がわたしを監督してくださるというのは。どうでしょう?お返事がイエスである確率は、何パーセントありますか!』
「ゼロだ。あり得ないな。俺はそんなに暇そうに見えるか」
『いえ。ご多忙そうにお見受けします。が!だがしかし!見ていてくれるだけでいいです。というか、同じ空間にいてくださるだけで!わたしが鍛錬している間、同じ空間内で相澤先生はお仕事をされるというのは、どうでしょう?名案じゃございませんか?身剣柄叉、ヒーロー精神にのっとり、ここに宣誓します!断じて相澤先生にご迷惑はかけません。お仕事の邪魔もしません。日程は、相澤先生が比較的ご多忙でない時に。週一でも構いません。希望は平日毎朝ですが、譲歩します!他にも。相澤先生の要求はできる限り飲みます。出来ることはします。お願いします、相澤先生。ひとりで強く、なりたいんです』

どこが。どこが名案だ。
既に仕事の邪魔してるだろうが。譲歩って何様だ。どの目線で物を言ってる。
同じ空間にいるだけでいい?それじゃ意味がない。見ていないとダメなんだ。何か事故でもあった時、一瞬の遅れが命取りになる。
既に迷惑だ。こいつは本当におかしい。

「一人で強くなれる人間はいない」
『ああ。確かにそうです。今のは言葉の綾というか、そうなんですよ。そういう意味ではないです。ただ、なんというか…まあいいや。わからなくなったのでいいです』
「今既に、俺の仕事の邪魔をしているという自覚は。ないのか」
『生徒の相手は、教師の仕事ではありませんでしたか。すみません。思い込みでした。そうか…これはプライベートなお願いでしたか?こりゃ失態だ。申し訳ないです。勘違いでした』

嫌味か今のは。
身剣の様子からして違うんだろうが。
そもそもこいつは嫌味なんて言えないだろう。頭の回転が常人とは逆方向どころか、普通横回転のところをこいつは縦に回転させているに違いない。
しかも不規則な動きで。

『んん…でも。相澤先生、お願いできませんか。わがままを言っているのは百も承知です。でも雄英の設備で鍛錬したいんですよ。もう家と外じゃたかが知れてますし、次に行けないんです。何でもします。たとえばほら。靴磨きとか!相澤先生の靴、磨かれてなさそうですし。とか、縫い物とか。相澤先生の服、ほつれや破れがありますし。それから、なんか。髪を梳かす。ないか、それは。あ!わたしドライアイによく効く目薬、知ってますよ。前に病院でオススメされたやつ、買ってきます。100個くらい。貢ぎます!他は…んん。仕事のお手伝いとか。わたしパソコンは打てませんけど、文字は書けますし!いや、ダメか。役に立ちませんね。ううん…ああ、じゃあ。肩揉みなんてどうでしょう?わたし結構自信あります。昔よくおじいちゃんの肩、叩いてましたし、キャリアあります。肩たたき券作ってきますから!どうかこの通り、お情けを!!』

身剣が再び頭を下げる。
長ゼリフすぎた。クラクラする。
肩たたき、券式なのか。券。見返りのくせにそこんとこはキッチリか。

「おまえの思考回路って、一体どうなってんだろうな」

不思議でたまらないよ。

『出来ることなら開いてお見せしたいところです。でも死にますからダメです!…はははは。面白いジョークだ。これは傑作。ふふ、ぷくくく』

ぷくくく。笑い方までどうかしている。
一体何が面白いんだ。しかもやっぱり、目は笑っていない。

「やるなら朝だぞ。身剣は健康診断の結果、血圧が妙に低かったが。起きられるのか」
『血圧まで把握してらっしゃる。スゴイ!担任の鏡です先生。やっぱり相澤先生はいい先生だった。恩師です。きっと恩師になりますよ!多分、20年後もわたしはこうして相澤先生に会いに来ると思います』
「やめろ。想像するだけで気が遠くなる」

怖いことに、俺は身剣の調子に慣れてきているらしい。
場合によっては。鍛錬に付き合ってやることも吝かではない。
見込みはないが、素質はある。十分過ぎるほどに。
こいつはその均等が取れていない。バランスが悪い。
上手く折り合いをつけることができれば、あるいは。見込みの幅が広がる可能性は、大いにある。
残念なことに。除籍対象ではない。

『相澤先生。もしや今の、思わせぶりな発言は。肯定ですか?今まで難色を示していた相澤イレイザーヘッド消太先生が!まさかの良いお返事。聞けたりしますか?』
「おい。人の名前で遊ぶな」
『いたっ!こ…これは。俗に言う愛の鞭ってヤツでしょうか。いい響きです。もっと叩いていいですよ!愛は痛いってことですね。余すことなく受け止めましょう。相澤先生の愛!』
「妙なことを言うな。言葉は悪いが、おまえは頭がおかしい」

身剣の頭を叩いた。つむじを指の腹から手のひらで叩くと、ベチンと乾いた音がした。

『よく言われます。そんなにおかしいですかね。自分では、普通だと思うんですけど。もうずっと伸ばしてるんですよ。切った方がいいですか?似合うと思いますか、ショートヘア』
「誰が、いつ、髪型の話をした?」

こいつと会話していると、つい手が出そうになる。
口じゃもうどうしようもないからだろう。言ってわかる相手じゃない。なら叩く。アホか。どこの聞き分けのないペットだ。
叩き込んでやる。教育の時間だ、ヒーローになりたいと言うのなら教えてやろう。
おまえはヒーローになれないことを。
そのままでは何者にもなれない。まずはその支離滅裂な減らず口と薄気味悪いポーカーフェイスから叩き直す。

「泣いても、誰も救けてくれねえぞ」

わたしは泣かない。と顔に書いてある。
青白いくらい白い頬に。

「合理的に、おまえを矯正する。いいな?」
『相澤先生について行きます。どこまでも!壁は乗り越えるためにある。かのナポレオン・チュルチュルチュルは言った。プルトラ!!』
「ボナパルト、だ。校訓を略すな」

何だよ、チュルチュルチュルて。
ナチュラルボーンでクレイジーか。親、相当苦労しただろうな。
気持ちが伺える。同情する。全く。
ここまで手のかかる生徒はいない。かわいいという意味じゃない。
こいつは狂ってる。全くかわいくはない。むしろ憎たらしい。
唯一だ。A組の生徒の中で唯一こいつは頭がおかしい。
おそらく今後。問題に直面することになる。もちろんこいつが。
それを見越しておいて避けないのは合理的じゃない。ただそれだけだ。

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