『先生、レモンのにおいがしますね』

午後の強い日が差し込む教室で、ひとり残っていたみょうじが言った。
いつまでも残って何をしているのか問えば、演習で怪我をした緑谷に付き添って保健室へ行った麗日を待っているのだと、シンプルな答えが返ってきた。
俺は教卓に書類を忘れたのを思い出して、面倒だと思いながら取りに来たのだったが、教卓のすぐ前の席に座っているみょうじの話し相手をすることになったらしい。
みょうじの席は後ろの方で、今彼女が座っているのは尾白の席だ。
その行動の理由はわからないが、教卓に肘をついて自分の匂いを嗅いでみる。

「…レモン?」
『果物の』
「それはわかってる」
『黄色いのですよ』
「しつけぇな」

嗅いでみても、みょうじの言うレモンの匂いは自分からはしなかった。
顔を上げると、みょうじが小さく笑っているのが目に入る。
そういえば、さっき飲んだゼリー飲料がレモン風味だったことを思い出し、みょうじの嗅覚の鋭さに少し驚いた。

『レモンの花言葉、知ってますか?』
「知るわけねぇだろ。果物に花言葉があるっつーのも今知ったとこだよ」
『野菜にもあるんですよ』
「どうでもいい知識だな」

アハハ、確かに。と、みょうじが笑う。
こいつはいつものんびりとした空気をまとっている。緊張感のかけらもない。のほほんと言うのがよく似合う。
そんなんで敵と対峙できるのか、たまに疑わしい。

『レモンの花言葉は、心からの思慕、ですよ』
「へぇ…」
『どーでもいいでーすって思ってるでしょ、先生』
「まあな」

みょうじの中の俺の口調は、一体どうなっているんだ。
どーでもいいでーす。それは、まんまみょうじの口調だった。
みょうじは、ヘラヘラしながら自分の髪の毛を触っている。

『ねえ、相澤先生』
「何だ」
『わたしが先生に、レモンを贈ったら。食べてくれますか?』

大きな目が、俺を見つめている。
ギクリとした。
嫌に、思わせぶりな台詞だった。
みょうじは、『ねえ』を、よく使う。
俺に話しかける時。他の奴には、知らないが。
いちいち付けなくてもいいそれを、大抵前に置く。
『ねえ、相澤先生』
『ねえねえ。先生は………』
みょうじのそれを、正直、可愛いと思っていた。
人によく懐く犬みたいな、少女だ。
俺は、猫派だ。

「食わねえよ。アレは、そのまま食えたもんじゃない」

犬に乗り換えるなんて、できやしない。
俺は猫が好きだ。犬は好きじゃないはずだ。
犬派にはならない。
情けなさすぎるだろう。
保身でいい。逃げだと言われてもいい。
犬派に、転身するわけにはいかない。

『じゃあ、調理したら、どうですか?はちみつ漬けとか、ドライフルーツにしたり。水分を飛ばして砂糖でまぶすと、おいしいんですよ』

じりじりと、犬が近づいて来る。絆されそうだ。
大きな目と、素直な尻尾。
みょうじは、小型犬みたいだと思っていた。
今、俺の目を見つめて、怪しく微笑むみょうじは。
どちらかといえば、猫だったかもしれない。

『わたしからの、レモン。食べてください、相澤先生』

心からの思慕。
思わせぶりな台詞は、告白だったらしい。
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