『先生、わたし目の中に、星があるんですよ』
「…は?」

放課後の人気のない教室で、みょうじは居眠りをしていた。
もうほとんどの生徒が帰ってしまった、完全下校時刻の数分前だ。
教室の鍵を閉めにやって来たら、誰もいないはずの教室の中に一人、机に突っ伏して眠っていた。
何やってんだこいつは、と呆れながら、頭を叩きつつ「起きろ」と声をかけた俺を、みょうじは眠たそうな顔で見上げた。
腕を敷いて眠っていた頬は、制服に擦れたのか赤くなっていた。長い前髪には、くしゃっと寝癖が付いていた。
ブレザーの下にカーディガンを着ているみょうじの、袖から覗く手がその目元を擦るのを見下ろしながら、完全下校時刻が迫っていることを告げた。
椅子に座ったままぼんやりとした顔を上げたみょうじは、じっと俺を見上げると、不可解な台詞を口にする。
やけにはっきりと聞こえたその声を、理解できずにクエスチョンマークがそのまま口に出た。

「何だって?」
『黒目の中に、星みたいな模様があるんです、わたし』
「………」

黒目の中に星の模様がある。そう口にしながら、何度か瞬きをしたみょうじの瞳を見つめた。
黒目に模様があるなんて初めて聞いたが、と思いつつ、ゆるく上を向いたまつ毛の下の焦げ茶色の瞳の中を観察する。
興味も無くどうでもいいことではあるが、みょうじの台詞は「目の中の星を探せ」と俺には聞こえた。
立っている俺から、椅子に座っているみょうじの目の中は、当然明瞭には見えない。
腰を屈め、上を向くみょうじに少し顔を近づけた。

「…星なんか見当たらねえが」
『瞳孔の下ですよ』
「瞳孔の……、!」

蛍光灯の灯りの下で、つやつやと光る眼球の中に星を探していた俺の首に、みょうじの手が伸びてきた。
視界の端に捉えた白い手に、反応が遅れる。みょうじは俺の首に巻いてある布状の捕縛武器を掴むと、ぐいっと強く引っ張った。
その突然の行動に目を見張る。
両手をつなぎのポケットに突っ込んでいるせいで、咄嗟に抵抗することも出来ず、引力に伴い腰を折るように斜め下に引き寄せられた。

「…!?」

ガタンと、みょうじの座っていた椅子が動いた音が、やけに遠くに聞こえた。
俺の捕縛武器を引っ張り、無理やり俺の顔を引き寄せたみょうじは、椅子から腰を上げると、驚愕する俺の唇に自分の唇をぶつけた。
俺の意思を全く無視した突然のキスに、一瞬何が起きたのか分からなかった。
押し付けるように重ねられた唇は、2秒と経たず離れていく。
みょうじの柔らかい唇が離れると、すぐ目の前に彼女の焦げ茶色の瞳があることに気がついた。
その中には、星なんて見当たらない。

『…ごめんなさい』

今起きたことが未だに信じられずに、呆然と離れていくみょうじの目を見つめていた俺に、彼女は小さく呟いた。
意味がわからない。こいつは、何がしたいんだ。

「……おまえ…何のつもりだ」
『ファーストキスを、先生としたかったんです。騙してごめんなさい』

騙してたのかよ、と呆れとも言える感情が募った。
俺はみょうじを叱り飛ばすべきなのだろうが、叱咤の言葉が何一つ出てこない。教師にキスをするなんて処罰の対象だというのに。しかも17、18そこらのガキにいきなり唇を奪われたというのに、抱くべき嫌悪感は微塵も感じなかった。
みょうじは普段から、不思議な奴だとは思っていた。他に馴染めていないというか、早熟というか、ガキらしくないガキだと。
俺を見る彼女の視線に、他とは違う色が着いていることにも随分前に気付いていた。
それだというのに、防ぐことも突き放すことも出来ないというのは、俺はこの生徒の好意に満更でもないと感じているのだろうか。

『…わたし、きっともう、キスはしません。この先ずっと、他の誰とも』
「……何言ってんだ」
『相澤先生とのキスを、最初で最後の、キスにします』
「………」
『先生のことが、好きです』

いやに重い告白だ。
ずっと前から知っていたとは言え、いざ声にして伝えられるとわずかに動揺した。
眉を潜めて潤んだ瞳で俺を見上げるみょうじは、泣くのを我慢しているのだろう。
ポケットの中の手を、みょうじに伸ばそうかと考えて、結局やめた。
今ここで、感情のままに目の前の小さな体を抱き締めたところで、それ以上を与えてやることはできない。

「…そういうことは、あまり口にしない方がいい」
『……好きなんです。一年生の時から』
「それじゃねえ。この先ずっととか、最初で最後の、とかだ」
『…だって……本当に、そうなんです』
「……なんで今なんだ?このタイミングを選ぶ意味がわからん」

みょうじは、怪訝そうな顔で俺を見つめる。
即座に突き放されるとでも思っていたのだろう。俺の言っていることを理解できない、と言いたげな顔をしている。
今度こそポケットから右手を出して、みょうじに伸ばした。
くしゃっと寝癖のついたままの、長い前髪に触れる。

「卒業式にでも言ってくれりゃ、抱き締めてやれたのに」
『………なに…』
「みょうじ。この先ずっと、つったな」

指先で前髪を梳いてやると、みょうじは目から涙をこぼした。
目の中の星はいつまでも見当たらない。涙と一緒に落ちたのかもしれない。

「おまえが卒業しても、俺はおまえの恋人にはなってやれない」
『………』
「本気でこの先、心変わりしないと言うなら、もう二年待て」
『………!』
「縛りはしねえ。他に好きな奴ができれば、いつでもそっちに行け」
『…そんなの、ありえません』
「……おまえの二十歳の誕生日、まだ俺を想っていたなら…その時は、二度目のキスをしてやる」
『…約束、ですよ』
「……ああ」

約束など、したくはなかった。
約束と言ってしまえば、みょうじの未来を縛ることになる。
他にいい奴が現れても、素直にそっちに行けなくなるだろう。
それでも、小指を差し出した泣き顔を見れば、首は振れなかった。
小さな小指に自分のそれを絡ませて、笑ってやる。

『先生は、わたしなんかで、いいんですか?』
「…おまえは、俺としかキスできねえからな。最初も最後も、俺となんだろ?」
『……先生も、最後のキスは、わたしにくださいね』

笑うみょうじの頭を撫でる。
こいつの卒業式まであと三ヶ月。
次にキスをするのは、二年後。
若い彼女にとって、二年は長い時間だろう。だが彼女の倍近く生きている俺にとっては、それはあっという間だ。
ヒーローになる小さな背中を見守りながら、ゆっくり待っていてやろう。
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