ざあざあざあざあ、音がするから目が覚めた。
寝起きの割りにはっきりした視界に映るのは見慣れた教室と水滴だらけの窓から見えるグラウンド。
なんだか景色が暗く見えるのは、あたしを眠りから目覚めさせた原因でもある雨が降っているせいだろう。
そういえば、あたし以外誰1人としていない教室で何してたんだっけ、と備え付けの時計を見上げればもう下校時刻の数十分前だった。
ああ早く帰らなくちゃ日直の先生に怒られてしまう。
授業が終わってからずっと椅子で寝ていたせいで身体の節々が痛む。
あたしは何をしてたんだっけ。
中にスマホとポーチと財布くらいしか入っていない軽いスクバを肩にかけながら記憶を遡って行く。
そういえば、バスケ部の友達に借りてた辞書を返そうと部活が終わるまで待っていたんだっけ。
そのまま寝てしまったんだろう。
辞書も返し損ねたし、こんなことになるならあらかじめその友達に言っておけばよかった。
そうしていれば友達が部活が終わってから起こしに来てくれただろうに。
明日の一限に使うから返してと言われていたからわざわざ待っていたのに。
友達のクラスの机に置いておけばいいのだろうけど、あいにくどこの席なのかわからない。
明日朝届けに行かなきゃな、と小さくため息を吐きながら玄関への階段を降りる。
あーあ、なんで雨なんか降ってくるんだろう。
朝晴れていたから、母親の「今日は夕方から雨が降るから傘を持っていきなさい」の忠告を無視したあたしは傘なんて持ってきてないし濡れて帰るしかない。
くそ、最悪だ。
小さくしたつもりだった舌打ちは、誰もいない静かな廊下に思いのほか響いた。

「……え、」

下駄箱へたどり着いて上履きをロッカーにしまっている時、ふと人影を視界の端に捉えた。
少しびっくりして声を出すと、そこにはあたしと同じく少し驚いた様子の仁王が立っていた。
仁王は去年同じクラスだったけど、あまり話したこともないまま今年はクラスも離れて、全くと言っていい程関わりがない。
その上女子が放っておかない程の容姿と無駄に目立つ髪色もあって、少し近寄りがたい。

「……」

「……」

沈黙。
気まずくて目線を仁王から外してローファーを床に置く。
その音すらうるさく聞こえてなんだかやりずらい。
ちらっと見た仁王はこんな雨の中部活をしていたのかびしょびしょのジャージを着て髪の毛から水滴を滴らせていてなんだか寒そうだ。
そういえば体育で使おうと思って持ってきて結局使わず仕舞いのタオルがスクバの中にあったかも。
スクバの中を除けば、ものの少ないそこにはお気に入りの、ピンク色でふわふわのタオルがあった。

「仁王」

「……何?」

「これ、使って」

目線も逸らされたままのそっけない返事に、受け取ってくれないかもと思いながらタオルを差し出す。
相変わらず、玄関の向こうではざあざあと雨が地面を叩いていた。
ふと、冷たい何かが手に当たって目線を窓から離し手元にやると、仁王の手がタオルを緩く握っていた。
それで自分の手に当たったのだと納得してタオルを離せば、ずいぶん冷たい手だなと思った。
雨に当たれば当然か。
あたしのピンク色のタオルが仁王の銀色の頭に乗っているのが、なんだかすごく違和感だらけで少し笑った。
不思議そうに見上げてくる仁王にふと疑問が浮かぶ。

「傘でも取りに来たの?」

「…いや、傘は部室じゃ」

「…じゃあ何しに戻って来たの?もう下校時間だけど」

「タオル、教室に置いとったから」

「え…ごめん、余計なことしちゃった」

「…教室まで行くの面倒やったから、ありがたいぜよ」

「そう、ならいいけど」

全身濡れている仁王はしゃがみ込んでタオルで髪を拭く。
あたしは濡れながら帰るの嫌だなあ、とかタオルふわふわでよかったなあ、とかこの前変えた柔軟剤がいい匂いなんだよなぁ、とか思っていた。
お腹も空いてきたな、そう思ったとき、仁王がゆっくりした動きで立ち上がるのが視界の端っこで見えて目をやる。
ジャージの上着を脱ぎ出したから、ここで着替えるつもりなのか。
そうだったらあたしは確実に邪魔だろう。
もう学校にも仁王にも用はないんだし、帰ろう。
軽くため息を吐いてから覚悟を決めたあたしは、今だに嫌がらせみたいな雨の中に駆け出した。

「ちょ、待ちんしゃい!」

「えっ…」

駆け出したその足は、突如掴まれた腕によって踏み止まることとなった。
濡れると思って俯いていた顔を上げ振り向けば、唖然とした表情の仁王と視線が絡んだ。
あたしは呼び止められた意味が分からなくて、掴まれたままの腕を見つめた。
あたしの腕を掴む仁王の手。
細そうだと思っていた指は意外にごつごつして爪が短い。
じっと見つめていたからあたしの戸惑いに気がついたのか、仁王の手がゆっくりあたしの腕から離れた。
それに少し残念な気がしたのは、あたしもミーハーな女子と変わらないということかもしれない。

「傘、ないんか?」

「え、あぁ、忘れちゃって」

「…じゃったら、入れてやるけぇ。ちょっと待っとれ」

「えっ?いや、悪いし」

「コレのお礼じゃ」

手に持っているピンク色のタオルを持ち上げながら軽く微笑む仁王に、少し考えてから頷く。
この雨の中帰って制服や髪がびしょびしょになったり母さんに怒られるよりはあんまり話したことのない男子と気まずい相合傘をする方がマシか。
着替え始めた仁王に背を向けてしばらく待っていると、ついて来いと声をかけられて黙って湿った銀髪の後を追う。
着いた先はテニス部の部室で、ああそういえば傘が部室にあると言ってたなぁと思い出す。
部室から傘を持って出てきた仁王に並んで校門へと足を進める間も、あたしたちの間には会話はない。
気まずくてしょうがないな。
ちらりと見上げた仁王は何を考えてるのかわからない顔して傘を持っている。
その傘はあたしと仁王をちょうどいいバランスで雨から守っていて、器用な男だなぁと感心する。

「…なん?」

「え?」

「なんか、見とるから」

「…ああ、器用だなと思って」

「器用?」

「うん、まぁ何でもないよ。気にしないで」

「?…おん」

こんなにモテる人は見つめられるのも慣れすぎて不愉快なのかも。
告白は相当されてるみたいなのに意外と浮いた噂なんかも聞かないし、案外真面目なのかもと思ったけど、すぐに銀色の髪の毛がちらりと視界に覗いて、真面目な人はあんな目立つ色に髪の毛を染めたりしない、と思い直す。

「あ、タオルは洗って返すけぇ」

「あ、ありがとう」

「おん」

「…」

「コンビニ寄ってもええ?」

「うん」

灯りの灯る看板が見えて、仁王と並んでコンビニの自動ドアをくぐる。
このコンビニはあたしの家の結構近くにあるからよく利用していたんだけど、慣れたように飲料水のコーナーに足を進める仁王を見てこいつもよく来るのかななんて思った。
仁王は、炭酸のジュースといくつか並んだミルクティーの中から一つあたしの好きな物を取ってレジへと持って行った。

「みょうじ、これ」

「え?」

「ん」

「え、いいの?」

「おん」

コンビニを出ると、ビニール袋から取り出されたミルクティーを渡されて少し戸惑った。
もしかしてこれ、初めからあたしにくれるつもりで買ったんだろうか。
慌ててスクバから財布を取り出すと、やんわりとした手つきで制された。

「お金、払うよ」

「ええから、貰っときんしゃい」

「でも、悪いし」

「俺が貰って欲しいんじゃ」

「…ありがとう」

満足そうに視線をそらした仁王。
意外と優しいんだなと、あんまり知らなかった内側が見られて少し嬉しくなった。
そういえば、いつくか種類のあるミルクティーの中からこれを選んだ仁王は勘がいいのか、偶然なのか。

「あたし、これ好きなんだよね」

「…知っとる」

「え?」

「去年、それよく飲んでたじゃろ」

「あ…よく知ってるね」

「お前さんのこと、見とったから」

「……」

あたしのことを見ていた、そう言った仁王の真意がわからなくて茶色の目を見つめた。
じっと逸らさず真っ直ぐにあたしを見下ろす仁王に、なんだかたまらなく恥ずかしくなって俯くと冷たい手が頬に触れた。
驚いて肩が跳ねる。
その手はあたしの頬を撫でて、耳に触れた。
耳の輪郭を丁寧になぞられて、くすぐったくて仁王を見上げると、唇に何かが押し当てられた。
その何かはすぐに仁王の唇だとわかって、だけど驚いたり拒んだりする暇もなく離れた。
あたしは、顔を逸らす仁王の髪の毛を眺めることしかできなかった。

「……仁王、」

「…すまん」

「え…」

「………帰るぜよ」

「…うん」

ざあざあ、ビニール傘を叩く雨の中並んで歩いた。
会話はなく、仁王はあたしと目が合うと頬を少し染めて、ばつが悪そうに目を逸らすだけだった。

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