「これ、仁王から」

「は?」

「なんか知らねぇけど、お前に渡せってよ」

「仁王って仁王雅治?」

「他に誰がいんだよい」

まぁ、そうか。
B組からわざわざやって来た丸井に渡された、二つ折りの紙。
ルーズリーフの切れ端であろうそれを開くと、真ん中に折り目がついているだけで何も書かれていなかった。
意味がわからない。
第一仁王とは話したこともないし接点もないし、あたしが向こうを知ってるのは有名人である仁王だから当たり前だとして、仁王があたしを知っていたことが驚きだ。
この手紙とも取れない紙切れの内容が気になったのか、自分のクラスに帰らずあたしの手元を覗く丸井も、目が合うと不思議そうな顔をして首を傾げていた。

「なにこれ」

「知らね。イタズラじゃね?」

「あたし仁王に悪戯されるような仲じゃないんだけど」

「は?彼女じゃねぇの」

「は?」

「だってあいつ、毎日お前の話ししてるぜ」

「…え?」

なにそれどういうこと。
あたしの知らないところで付き合ってることになってたのか?
よくわからない。
だって、あたしは仁王とは話したこともないはずだ。
そんなあたしのことを毎日話せるほど、彼はあたしを知っているのか?
なにそれキモい。
あたしの戸惑いを他所に鳴ったチャイムを聞いて、丸井は軽く手を上げてから去って行った。


「あ、ねぇ、ちょっと、仁王」

ちょうど委員会の仕事で帰るのが遅くなって校門に向かっていた時。
ちょうどのタイミングでテニスコートから出て来た銀色の頭を見つけた。
あたしの少し前をだらだら歩く仁王に声をかけると、振り返った仁王が目を見開いた。
驚いているようだ。
驚ろかれても困る。

「みょうじ…」

「うん、それで、あの紙、なんだったの」

「紙?」

「丸井に届けさせたやつだよ。何も書いてなかったけど」

「あぁ…ほう、それはおかしいのう」

「は?」

「俺がお前さんに届けさせたんは、手紙じゃ。何も書いてないはずないと思うんじゃが」

「え?白紙だったけど」

「もう一度、よう見てみんしゃい」

にやりという表現がお似合いのいやらしい笑みを浮かべた仁王。
あたしはカーデのポケットにしまっておいた紙を取り出した。
仁王曰く、手紙だという、一枚の紙を。
その二つ折りの紙をさっきしたのと同じように開く。
紛れもなく丸井から貰った仁王が差出人のそれを見て、あたしは目を見開いた。
そこは、白紙だったはず。
確かにさっき見た時は何も書かれていなかったはずのそこには、なかったはずの2文字が折り目を跨いで並んでいた。
あたしのすぐ前まで歩み寄ってきた仁王の顔と手元の紙を交互に見る。
おかしい。
だって、さっきは絶対に何も書かれていなかった。
丸井だって首を傾げてた。
なのに、どうして今この紙には二文字のメッセージが載せてあるの。
気づかない内に他の紙と取り替えられていたのだろうか。
いや、そんなはずない。
この紙はずっとあたしのカーデのポケットに入っていたし、仁王とすれ違ってもないし、誰ともぶつかっても触れ合ってもない。

「ど、どういうこと…?」

「なかなか洒落とるじゃろ」

「え、意味わかんないよ」

「まぁ、そんなマジックは朝飯前じゃ」

してやったり顔の仁王からして、この不気味な出来事は全て仁王の仕業ということだろう。
考えてもどうせ答えなど出ないのだから、考えるのをやめる。
あたしはため息をついて、もう一度仁王からの手紙を見つめた。
そこにはしっかりとした筆跡で、たったの2文字が書かれている。

「ねぇ、これって告白?」

「それ見て他に思いつくんか?」

「…でも、あたし仁王と話したこともないよね?」

「でも、俺はおまんをずっと見とったぜよ」

妙に真剣な顔の仁王に、しかし信用はできない。
もしかして騙されているんじゃないだろうか。
それともただのあたしの偏見で、この人は本当にあたしを想っているのか。
真意がよくわからなくて顔を仁王から逸らすと、テニスコートのフェンスの向こうで丸井と目が合った。
あいつも暇なのか、黒髪がぐちゃぐちゃした髪型の奴とこっちを興味深そうに見ている。
そういえば、と丸井の言葉を思い出す。

「さっき、丸井が言ってたんだけど」

「なんじゃ」

「仁王って、毎日あたしの話してるって。本当?」

「なっ…あいつ…余計なこと言いおって」

予想外のことだったのか、図星をつかれたのか、途端に顔を紅潮させる仁王にこっちまで恥ずかしくなった。
照れたりするんだこいつ、意外。
なんだか急に、あたしは今告白されているんだって改めて自覚した。
そしたら恥ずかしくてつい俯く。
こんな人目につくところで何してるんだろう。
人目を気にしていると、ふいに手首を掴まれて驚愕した。
腕を伝って見やれば、やっぱり真剣な顔をした仁王があたしを見下ろす。

「それで、返事は?」

「…告白の?」

「当たり前じゃろ」

「…いや、仁王のこと全然知らないし……」

「…嘘つくんじゃなか」

「え……」

「みょうじも、俺のこと見とったじゃろ」

「…なんで」

「言うたじゃろ、俺もおまんを見とったって」

じゃあ、知ってて、こんな回りくどいことをしたのか。
あたしがずっと仁王に片思いしていたことを。
だけど他の女子みたいに素直になれなくて、ファンだと思われるのが嫌で、近づけなかったことも。
何度も何度も仁王を目で追ってしまっていたことをまさか本人が知っているなんて。
そりゃ、ずっと片思いだと諦めていた好きな人に告白されて、あたしはまさに天にも登れそうだけど。
なんだか、熱に憂かされたみたいに、頭がうまく回らない。
顔が熱くて、触れている手首が熱くて仁王を見上げると、静かに降りてきた唇があたしの言葉を吸い取った。
ちらりと目をやったテニスコートの方では、丸井とワカメと、いつの間にかレギュラーが集まってこっちを見ていた。
みんながみんなにやけている中で真田だけが顔を真っ赤にして怒りとも恥じらいともわからない顔で見つめているのが可笑しくて視線を戻せば、綺麗な顔した仁王の目が閉じられている。
あたしも素直に目を閉じれば、暗闇の中に一つ、色付いた何かを見つけた気がした。
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