『ねぇ、もしわたしがさ、明日いなくなったらどうする?』
くだらねぇなと思う。
この手の質問はあんまり好きじゃない、もしもとか明日とか。
そんなこと考えたくもないっつーのが本音、でも正直に言ったってこいつはふくれて『ちゃんと考えてよ』なんて言うんだろう。
「そりゃ、探すよ」
『それでも見つからなかったら?』
「探し続けるしかねぇだろ」
なまえはたまに、こうして俺の不安を煽るようなことを言い出す。
明日いなくなったらとか、明日死んじゃったらとか、離れ離れになったら、とか。
その度に肝を冷やす俺の身にもなって欲しい。
お前がいなくなるなんて考えたくもないし考えただけで背中が冷たくなる。
そう言って、冗談のつもりなんだろう彼女にマジになって叱ったこともあったが、なまえには全く響いてないらしい。
別に、いつもいつも口癖のように言うんだったら、まだマシだろう。
それはそれで鬱陶しいんだろうが、まだマシだ。
すぐに冗談だと分かるから。
なまえのそれは、もちろん冗談と分かってはいるが、本当に時折ぽつりと言い出すもんだから、毎回俺はぞっとする。
もしかしたら本当に、いなくなってしまうんじゃないかって。
「つーか、そういうこと言うなっつってんだろ。いい加減にしろ」
『ごめん。でも、本当に離れ離れになったら、鉄くんはどうするのかなって思って』
「だから…」
『会えなくなっても、わたしのこと好きでいてくれるかな』
俺の方を見もせずに、遠くを見つめる時の顔でテレビを眺めているなまえは、俺の声が聞こえていないのだろうか。
テレビなんか見ちゃいないくせに、なんでずっと見つめてるんだろう。
なんでさっきから、こっちを見ようとしないんだろう。
なんでこいつ、泣きそうになってるんだろう。
「……おい…なまえ、」
『お父さんが』
「……お父さん?」
『……転勤、決まったって』
どくんと、まるで心臓が鉛になったみたいな音がして、止まる。
ぞっとして、後頭部から背中にかけて、すっと冷たくなった。
どんどん、なまえの目に涙がたまっていく。
うるうるとテレビの光が反射して揺れている。
俺の部屋のフローリングに、ぽた、となまえの涙が落ちた。
「………」
『……』
「………どこに…」
『……』
「………行くのか…?」
ぽたぽたと涙を落とすだけで、何も言わないなまえに、何も考えられなくなる。
今まで、何度もなまえの、もしわたしが、だの、もし鉄くんが、だの、もし明日、もし、もし、もし、をあしらってきた。
その度ぞっとした。
こんな日が、来るんじゃないかって。
「お前…俺から、離れんのか……?」
『………』
ず、と鼻をすすったなまえが、鼻声を出す。
『…はなれたく、ない……』
いつだったか、泣く時の鼻声が可愛くて好きだと言ったことがある。
泣かせたのは俺なのに、なまえは嬉しそうに笑ってた。
泣いたら真っ赤になる目も鼻も、苦しそうな息遣いも、何もかもがいじらしくて可愛くて、この泣き顔は、俺のもんだった。
なまえがこんなに静かに泣くのを、初めて見た。
『泣かないで、鉄くん…』
泣き顔のなまえが、俺を見上げる。
伸びてきた小さい手が頬に触れて、自分が泣いてることに気が付いた。
なまえの前で泣くのは初めてだとか、泣くの自体何年ぶりだか、とか、くだらないことばかり頭に浮かぶ。
大人だったら、きっと俺たちはもっと楽だっただろう。
俺たちが大人だったなら、きっと離れずに済んだだろう。
なんで俺たちは子供なんだろう、大人になんかなりたいと思ったことはなかったのに、ずっと子供のままでいいとすら思っていたのに、今ばかりは、子供でいることが悔しくてたまらない。
「どこ、行くんだよ…」
なまえを抱き締めて泣いた。
ずっと一緒だって、離れないって、手繋いで約束したじゃねぇか、なのにお前は、手も繋げない、声すら届かない場所に行く。
子供だから、俺たちは泣いてるんだ。
大人だったら、きっと俺たちは、今頃笑っていられたはずなのに。