愛を歌うひと

それからしばらくして、私は相変わらず船に乗っていて、相変わらず毎日めちゃくちゃに抱かれている。
……いやおかしいでしょ。もうホントに勘弁して、死んじゃうから……いや冗談ではなく……。
体力がもたないので、シャワーの時と一日三食のスープをすする時以外はベッドの上で死んだように横たわっている。そんな私を抱き締めてアーロンもベッドに横になっている。
正直ぶん殴って突き飛ばして船を飛び降りてやりたいけど、私のパンチなんてそよ風程度にしか感じないんだろうし、ここは海の上だし、髪を撫でる顔が満足げなのでどうすることもできない。


「はあ……」


疲労感と徒労感から小さくため息をつくと、髪を撫でていた手が頬に触れた。まだ火照る頬に、ひんやりとした指が心地良くてちょっと腹が立つ。


「どうした」
「全身が痛い……」


連日喉を酷使しているせいでガラガラの声で小さく答えると、大きな手が労るように腰を撫でた。誰のせいだと思ってるんだろう。ムッとして腕を押し退けて体を起こすと、手のひらが縋るように腕を掠める。


「どこへ行く?」
「お水……」


昨夜から床に投げ捨てられたままの大きなシャツを勝手に拝借して部屋を出る。荷物は全てあの店に置いてきてしまったので、私の持ち物は何も無い。唯一の持ち物だったボロボロのワンピースはもうとっくにゴミ箱の中だ。
膝まであるシャツの裾を押さえながらよろよろと食堂へたどり着くと、キッチンに立っていたハチが振り向いた。


「おうなまえ!体調はどうだ?」
「さいあく……」


幽霊のようにどんよりしたオーラを背負った私はいまさらボサボサの髪を直す気にもなれなくて、亀のようにゆっくりした動きでキッチンへ向かうと水差しを手に取る。


「何か食うか?」
「喉痛い……」
「これはどうだ?お前、好きだったろ?」


ハチの手元を覗き込むと、なんと、形は悪いがスフレパンケーキだった。目を見開くと、ハチはニュフフと笑ってそれを皿に移した。戸惑う背中を押してテーブルへ着かせると、目の前に皿とカトラリーを置く。湯気の立つパンケーキは正真正銘焼き立てだ。


「さあさ、食ってくれ」
「いただきます……」


手を合わせて挨拶するとハチがニッコリ笑った。
口に入れたパンケーキはふわふわ……とは言いづらかったが、それでも優しい味で五臓六腑に染み渡った。


「美味しいぃ……」
「何だ、出歩いて大丈夫なのか?」


半泣きのまま噛み締めるようにパンケーキを食べるところに声をかけたのは、食堂へ入ってきたクロオビだった。後から続いて入ってきたチュウも顔を顰める。


「まだ寝てろよ、酷い顔だぜ……格好もだが。チュッ」
「寝てても起きてても、どうせただ横になってるだけだよ……」


もしゃもしゃとパンケーキを咀嚼する私の見た目はもはや取り繕う余地もなくボロボロだ。髪は乱れ、寝不足で隈ができ、身体中鬱血痕と噛み跡だらけ、挙げ句の果てには服すら無くてダボダボのシャツ一枚をなんとか着ている。捕虜かな?
普段ならこんな姿では絶対人前には出られないが、もうなんかどうでもいい。毎日毎日大きな声で叫びすぎて船内ではとっくに周知の事実だろう。慈悲は無い。三人は顔を見合わせて渋い顔をする。
と、食堂の入口から私を呼ぶ声が聞こえた。


「遅ェと思ったら」
「ニュ、アーロンさん」
「ああ……休憩中です……」


先ほど奪い取ったのとは別のシャツを羽織ったアーロンはテーブルの向かいの席に腰掛けると、手を伸ばしてこちらの顎を捕まえて上を向かせる。ぼんやりと視線を合わせると喉の奥で低く笑うのが見えた。


「酷ェ面だな。まァ、これでくだらねェことを考える余力はねェだろう」
「おかげさまで……」
「アーロンさん、何か飲むか?」
「ああ」


ハチがヤカンを火にかける姿が見える。私は無言でパンケーキを口に運び続ける。チュウとクロオビが、次に上陸する島についての話をアーロンと始めた。


「明日の昼前には着くだろうよ。チュッ」
「そうか、わかった」
「なまえ〜、お前もちゃんと服買ってもらうんだぞ」


キッチンから首を伸ばして言うハチにパンケーキから視線を外さずに小さく頷く。ボロ雑巾のような格好を上から下まで見たアーロンが呆れたようにため息をついて問いかけた。


「他に欲しいモンはねェのか?」
「……何でもいいの?」
「言ってみろ」
「じゃあ……部屋、防音にして……」


死んだ目で言うと四人は一瞬黙った後に大笑いする。
いや笑い事じゃないんだけど。










島に到着すると、カネシロが部屋を直すのには三日ほどかかると言った。あの竜巻部屋の修理が三日で終わるなんて、本職ってすごい。
二人連れ立ってタラップを降りると、タクシーが待ち構えていてすぐさまそれに詰め込まれる。ボロボロのまま連れて来られたのは店名の看板のみを掲げた白い大きな建物で、中へ入ると受付の女性が微笑んだ。


「以前は別の島でも当グループをご利用いただき、まことにありがとうございました」
「こいつだ」


優しく背中を押され、浮浪児のような私がキラキラのお姉さんの前によろりと躍り出る。サイズの合わないサンダルを履く足の先に、お姉さんのピカピカに磨かれたハイヒールが見えた。
その後は奥の部屋に連れて行かれて揉まれ磨かれボサボサの髪を整えられた。隈の酷い顔を隠すように少しのメイクを施され、普段着られる、しかし品のある柔らかな素材のワンピースを着せられる。数時間後には、上品な雰囲気で纏めた顔色の良い私が鏡に映し出されていた。ワンピースは長袖で、かつ首まで詰まったデザインのため、全身の鬱血痕は全く見えない。受付の女性に案内されて別の部屋へ移動すると、本を読みながら寛いでいたアーロンが目を向ける。


「……こっちに来い」


しばらくこちらを眺めていたかと思うと、優しい声が静かに呼ぶ。その隣に座ると後ろを向くよう指示され、大人しく背中を向けると首にネックレスが着けられた。


「これは?」
「お前のだ」


繊細なチェーンとその先端の一粒のダイヤが上品なネックレスを指先でいじりながら、小さくフーンと答える。そんな私を、アーロンは目を細めて見ていた。
その後はまた乗せられたタクシーにしばらく揺られ、大きなホテルにたどり着いた。今まで足を踏み入れたことが無いであろう高級ホテルにおっかなびっくりしていると、手を取ったアーロンが中へ歩を進める。ホテルの中に入っているレストランへ連れられると、眺めの良い席へ案内された。


「わあ……島の向こうまで見えるよ」


はしゃぐ私の前へコース料理が運ばれて来る。久方ぶりの人間らしい食事に思わず涙目で舌鼓を打った。解放された捕虜かな?
食後のデザートと、少しのお酒まで楽しんでご機嫌でレストランを出た。隣を歩くアーロンの腕にじゃれついて鼻歌を歌う。


「……大して飲んでなかったろうが」
「あんまり強くないんだよね。コスパいいでしょ」


うふふと笑うと、また細められた目がこちらを見た。
エレベーターに乗って上の階へたどり着くと、アーロンに続いて部屋へ入った。部屋は広く、解放されたテラスからは先程より遠くまで海が見える。一体一泊いくらするのか想像もつかない。


「わあー、キレーイ」


ふらふらとテラスへ近付いて景色を視界いっぱいに収める。時間はちょうど夕暮れ時で、太陽の端が水平線にくっ付きそうになっているのをボーッと眺めていると、部屋の中から私を呼ぶ声がした。ベッドに腰掛けたアーロンへ大人しく近寄ると、腕の中に抱え込むようにして抱き締められる。顎を掬い取られ、あ、また朝までコースか……と思いながら、近付いてくる顔をギュッと目を瞑って待ち構えた。
すると、しばらく間を置いて唇は頬に着地する。不思議に思って目を開くと、アーロンは大切なものを見るような目で私を見つめていた。


「おれが怖いか?」
「……怖くはない……けど」
「けど?」
「……かわいそう」


唇からは思ったよりも随分小さな声が出た。私≠ェこの人にかけてもいい言葉なのか躊躇われてつい目を逸らしながら答えると、静かな声がなぜと言う。


「……あなたの恋人だった私はもういないから」
「お前は違うのか?」
「違う……残念だけど」


頭上から、ふ、と小さく笑う声が聞こえた。大きな手がゆっくり伸びてきて髪の毛先を絡め取る。その様子を眺めながら、そういえば随分髪が伸びたなと思った。


「おれが嫌いか?」
「わ……わかんない……」
「シャハハ……わからねェときたか」
「酷い人だとは思う……」


目の前のボタンを見つめていると、囁くような声が「おれを見ろ」と言った。おそるおそる視線を合わせると、海の色の目が揺れて私の瞳の奥を射抜く。


「……お前はもう、一度死んだ。以前のお前は確かにいねえ……。だから生まれ変わっておれのために生きろ、なまえ」


その随分上からなセリフについ苦笑した。私を詰って責め立てていた時とはすっかり人が変わったように穏やかな声だった。


「私がまたあなたのことを好きになるとは限らないのに?」
「なる。絶対だ」
「ふふ、自信家なんだね」
「ああ。お前はまたおれを愛するし、おれもまたお前のことを愛する」


淀みなく言われた言葉に心臓がきゅうっと音を立てて、頬にぱっと熱が上がる。そんな私の頬を指の背で触りながらアーロンは意地悪く笑った。


「シャハハハ……どうした?顔が赤ェぞ」
「……やっぱり、意地悪だぁ」


むくれて唇を尖らせてみせると、今度こそアーロンの唇が私の唇を啄む。優しく触れるだけのキスを繰り返して感触を楽しむと、顔がゆっくりと離れた。


「……口紅、付いちゃったね」


腕を伸ばして厚い唇に付いた口紅を親指で擦る。アーロンはその手を捕まえると、自分の頬に当てて目を閉じた。
その穏やかな顔を見て、私の中にポツンと芽吹いたものが風に吹かれて小さく揺れた。
冷たい頬を親指で撫でながら、この人をまた好きになる日もそう遠くないんだろうなあと、ぼんやりと思ったのだった。

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